陽炎の森51 島原の城下町に入ったのは日暮れ時でした、雲仙屋という旅籠に入ると、女将が出迎え長崎奉行所の早馬にて、立ち寄られる事を聞き、


陽炎の森51


島原の城下町に入ったのは日暮れ時でした、雲仙屋という旅籠に入ると、女将が出迎え長崎奉行所の早馬にて、立ち寄られる事を聞き、

お待ち申しておりましたと座敷に案内したのです、お風呂にはいり、上がると夕餉の支度が出来ていました、


女将が長崎では長谷川様から海鮮料理だったという事なので、今日はしやも鍋にしました、島原のしやも、も美味しいですよと言ったのです、

子孫である火盗改めの長官、長谷川平蔵は大変な料理好きだったそうで、彼の祖先もグルメだったんだと含み笑いをすると、笑美姫が何が、

おかしいのですかと聞くので、


これより100年後、長崎奉行の子孫に同じ長谷川平蔵という人がいるのです、彼は鬼の平蔵と呼ばれ、盗人には恐れられているのですかが、

大変優しい人で何よりも料理の好きな人だったのです、側室の子供で、本妻に男の子がいなかったので跡継ぎとなるのですが、若い時は大変、

な遊び人だったそうです、


捕まえた盗人を全て処刑せず、殺しをやっていないものは善人に変えたそうです、誰とでも五分の付き合いをするので、とても親しみやすく、

彼に会うと悪人が善人になるので周りが不思議がっていたそうです、若い頃の遊びの経験が染み付き、武士とはとても見えなかったので、

周りが安心したのかも知れませんと話すと、


まるで真一朗殿みたいですねとメイが笑うと、そうか~、ひょっとして僕は鬼平に感化されているのですかねと苦笑いをすると、笑美姫が、

いい事ではありませんか、長崎で会った長谷川殿もとても懐のあたたかそうな人物でしたね、人の食事の心配をする武士なんて、そうそう、

いませんよと笑ったのです、


さあ食べましょうと一口汁を飲むと淡白でとてもいい味です、笑美姫も一口のみおいしいと言ったので、段々九州の味になれてきましたね、

メイも尚も箸をつけてというと、二人も箸をつけおいしい、おいしいと食べたのです、


女将にもう一つしやも鍋をたのみ、ゆうの部屋ほ行くと、ゆうが、まあ真一朗殿は私達を肥え太らして、どうするつもりですかと言うので、

皆さんがたは毎日運動しているので紅の豚にはなりませんよと笑うと、ゆうがなんですか紅の豚とはと聞くので、元は空を飛べる程身軽、

な豚だったんですが、


運動せずに食ってばかりいたので飛べない豚になったという、昔話しですよ、皆さんは毎日走りまわり、探索していますから、食べても、

肥えないから大丈夫ですと笑うと、小頭がそうなんです、お風呂で肥えたかどうか見比べているのですが、全然かわらないのですよ、


頭はあいかわらずひき締まった体をしているのですよと言うので一度、頭の引き締まった体をみてみたいものだと言うと、いつでもいいですよ、

但し一回見たら、責任を取って私をお嫁さんにするのですよ、そうなればメイ殿が悲しみますよと笑うので、まいったこれは一本とられました、

とおお笑いしたのです、


先程原城に忍び込み様子をみて来たのですが、立て篭もっているのは、3万人近い人数で浪人が約1万5000人、宇喜田、小西、小早川、有馬、

長宗我部の元家臣で残りがバテレン、農民、漁民と老人子供です、中にはいやいやながら加わったものは1万人は下りませんと話したのです、


という事は1万人は救えるという事ですねと言うと、天草四郎が盟主に担がれていますが、中に関が原で死んだはずの石田光成の家老、島左近、

がおり天草四郎が黄泉がえらせたとの事です、おそらく似ている男を仕立てているのでしょうとゆうが調べた事を話したのです、


真一朗はそれでは食事が終わった後に段取りをしましょうと部屋にもどったのです、部屋にもどり、ゆうが調べた事を笑美姫に話すと、

そうですか一万人も救えればいいですが、しかし余計な事をして歴史が変わりませんかと尋ねるので、


大丈夫です、この島原の乱では3万2千人が死んだと幕府は発表しますが、これは威嚇の為であり一万人以上が助かっているのです、

全てを殺してしまっては肥前の百姓はいなくなり、田畑を耕す人もいなくなるので寄せての松平信綱が助けたのでしょう、


死んだのはほとんど、関が原で負けた大名の家臣達で最後まで抵抗したのは死に場所が欲しかったんでしょう、多分家光公の指図だと、

思います、この乱を最後に平和が訪れるのです、


笑美姫が助かったバテレン信者は改宗したのですかと聞くので、表面上は改宗したように見せかけ棚に仏像を置き毎日拝んだのです、

その仏像の裏をくりぬき中に十字架がはめ込んであり、毎日イエスを拝んでいたのです、隠れキリシタンとなり子孫は以後幕府がなくなる、

まで続きます、


またこの乱の教訓から、この地方のキリシタン取締りを幕府が緩和したので、多くの人が信者として生き残ったのです、また山田長政は、

ここを逃れた信者300人を連れてルソン(フイリピン)に渡り生活したと伝えられているのです、


食事を終えたゆうが部屋に入ってきたので、それでは明日の段取りを話します、私達4人が原城の門まで行き、賛美歌を歌えば中に入れる、

はずです、天草四郎にイエスの使いだといって面会します、多分その島左近とやらは私にイエスの力を見せろと迫るはずです、


後は長崎で奉行に見せたとおりですが、島左近が剣で向かってくるかも知れません、相手をするしかないでしょうと話したのです、

ともかく無理やり参加させられた物を解き放つようにすればいいのです、





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