陽炎の森48 博多から肥前長崎は40里(160KM)で4日の道のりです、途中の宿場は不穏な動きもなく2日目に佐賀についたのです、佐賀は鍋島藩35万7千石の領地です、しかし、


陽炎の森48


博多から肥前長崎は40里(160KM)で4日の道のりです、途中の宿場は不穏な動きもなく2日目に佐賀についたのです、佐賀は鍋島藩35万7千石の領地です、しかし、

一門の自治領が多く、実質には6万石程度が本家の領地であまり裕福な藩ではなかったのです、


元々鍋島家は竜造寺家の家臣であり、戦国乱世に下克上でのし上がり主家にとって変わった過去があり、竜造寺の家臣団を服従させる為、一門に竜造寺家をいれ、

自治を認めたのです、天領地である長崎の警備を細川藩と交代で受け持ち、その経費は莫大なものだった、藩財政は困窮をきわめ、幕末には莫大な借金をかかえ、

家臣の録もはらえなくなり、


その為、世襲制を廃止し、家老の子供といえども試験に受からなければその録は世襲できなくし、その代わり優秀な者は身分がどうであれ、出世できたのです、

この仕組みの為幕末には優秀な家臣団がおり、薩長土肥と改革の4藩に数えられ、明治には政府中核に沢山の人材を送り込む事ができたのです、


早稲田大学を作った大隈重信も幕末の佐賀藩出身です、幕末に佐賀の乱を起こして失敗し処刑された江藤新平も佐賀出身です、かれは明治の初期に法曹界で、

活躍し現代の司法制度の元を作り、指名手配写真を警察に取り入れたのも江藤新平なのです、佐賀の乱を起こし失敗して四国に逃れたのですが、皮肉な事に自分の、

作った指名手配写真によりつかまる事になります、


この時代は江戸幕府の初期の時代で、関が原の戦いでは多くの西国大名が西軍に参加し敗れた為、その家臣団は浪人となり九州はいまだ治安がさだまらず、騒動が、

数多く起こっていたのです、これから起きる島原の乱もその一つです、


江戸幕府がキリスト教を禁止し迫害した為に起こった乱とされていますが、この一揆の中には改易となった大名の家臣が大勢入っており、一揆の百姓をあおり、

江戸幕府に対抗したのです、最初はここを領地とする、板倉家と寺沢家の過酷な年貢取立てに反発する百姓の一揆だったのだが、迫害されたキリスト教信者、

百姓の集まりに多数の浪人が入り込み扇動して一大騒動に発展したのです、


佐賀の城下には不貞の浪人がたむろしており、不穏な空気なのです、一軒の旅籠にわらじを抜ぎ、さつそく二手に分かれて巡察に出たのです、浪人達は旅籠に、

泊まる路銀もないのか、あちこちの寺にたむろしていたのです、


一軒の居酒屋に入り酒を頼み、女中に肴のうまいものはなにと聞くと、イカの刺身がうまいというので注文したのです、酒と肴が来たので、メイが酌をして一口、

飲むと辛口ですがこくのあるうまい酒です、イカ刺しを食べると、取立てらしくあまみがあります、おいしいよとメイにいうと、これが肴ですか、透き通っていて、

ソウメンみたいですねというので、


もう少し細切りにすると、イカそうめんといって、そうめんみたいに、つる、つると食べれるんだよといい、勧めると、一口食べあまくておいしいと食べたのです、

そうか、侍は光物はあんまり食べないから知らないんだというと、真一朗様と一緒にいると、めずらしい物が食べられて嬉しいですと笑っていたのです、


浪人がそぱに来ていい女を連れているではないか、俺達にもこっちに来て酌をしてくれとメイの手をつかむと、メイが嫌ですよと払うと、なにお生意気なそのまま、

では済まさんぞと、しつこく絡むと、横の席で若い男と酒を飲んでいた老人が、やめんかばか者と箸を投げつけると、浪人の手に刺さったのです、


浪人が箸を抜き取り、ふり向いて刀に手をかけると、手で刀を押さえ、ここでは迷惑だ表へ出なさいと突き飛ばし、浪人5人が立ち上がり外へ出たのです、

老人が外に出ると、浪人が一斉に刀を抜いたので、老人も刀を抜き、右手に大刀、左手に小刀を構えたのです、


一人の浪人が切りかかると一瞬早く左に飛びながら刀を浪人の左肩から袈裟切りに振りぬいたのです、浪人は声も出さず、前のめりに倒れたのです、他の4人が、

唖然としていると、素早く踏み込みあっと言う間に4人が転がったのです、尋常な腕ではありません、店の知らせで役人が来て事情を聞きくと、戸板にのせ遺骸、

を引き取ったのです、


店の主人が店先の血を洗い流し、さあ皆さん店へ入って飲みなおしして下さいというと、見物客が店へ戻ったのです、その老人にありがとう御座いましたと声を、

かけると、いや余計な事をしてしまった、そなたの腕をもってすればあの浪人を倒すくらいわけない事でござろうと、真一朗の顔をギロッと見たのです、


老人は連れの若い侍に、伊織見たであろうが刀を抜いたら、一瞬でも手を緩めてはいけない、戦いとはその時が来たら相手を完璧に叩きつぶさなければならないぞ、

と言うと、はい肝に銘じますと頭をさげた、


店にもどると、拙者はといいかけたので、二点一流、宮本武蔵どのと伊織どのですなというと、ほうみどもをご存知かと聞くので、お名前は聞き及んでおります、

二点一流の極意しかと拝見つかまつりましたといったのです、一緒に飲んでよろしゅう御座るかと聞くと、構いませぬと武蔵がいったのです、


メイが武蔵に酌をするとかたじけないといって、ところで何処まで行きなさるつもりですかなと聞くので、最後は島原まで行く事になるでしょうと答えると、

ほう何かの御用でござるかと聞くので、ふところから朱印状を取り出し、小さな声でみどもは公儀巡察方で御座る、百姓達の難儀を助ける役目なのでというと、


朱印状を返しし、失礼つかまったというので、武蔵殿はいずれへと聞くと、どうも島原当たりで戦になると聞き及び、この伊織に実践を見届けさせようと、

武者修行の旅で御座ると言ったのです、たしかに島原の乱には武蔵と伊織は幕府方として参戦しており、伊織は手柄を立て、小倉小笠原藩に仕官する事になって、

いるのです、













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