陽炎の森26 皆が戻ってきたので、それでは風呂に行ってきますと真一朗は風呂に行ったのです、笑美達は町にでる事にしたのです、隣の桑名は藤堂藩領ですが四日市は天領です、


陽炎の森26


皆が戻ってきたので、それでは風呂に行ってきますと真一朗は風呂に行ったのです、笑美達は町にでる事にしたのです、隣の桑名は藤堂藩領ですが四日市は天領です、

本能寺の変で織田信長が明智光秀に殺された時、徳川家康は信長に呼ばれ京都にいたのです、その日は大阪堺の豪商、今井宗久宅に逗留していたのです、


この変をいち早く知った家康は大阪から京へ出る道は明智軍が押さえており、見つかれば必ず殺されるので、伊勢の伊賀越えをする事にしたのです、伊賀の服部半蔵、

が道案内人となり、伊賀を越え四日市に着き、船で尾張の熱田にでて浜松へ無事帰り着いたのです、この為家康は交通の要衝である四日市を天領にしたのです、


この時の功績が認められ伊賀者は公儀のお庭番として取り立て、江戸城の出入りの門の一つを半蔵門と命名したのです、町に出て歩いていると、一件の野菜売り、

の屋台に人相の悪い連中が難癖をつけていたのです、ショバ代をはらえない者はたちのけと店の若夫婦にいい、屋台をひっくり返したのです、


笑美がおい乱暴はよせと言うと、うるさいと笑美をみて、先程の連中かまた邪魔をするのかと殴りかかったので、刀を抜き峰で足をはらうと、イテ~と膝をおり、

他の連中が匕首を抜き襲い掛かったので、次ぎ次ぎと匕首を叩きおとし、一人の男の頭を真一文字に払うと、その男の髷が前にポトリと落ちたのです、


ひえ~とその男はいい、覚えていろと、皆一目散に逃げ出したのです、若夫婦がありがとうございましたと礼を言うので、あいつらの親分の地蔵の家を聞く、

この通りの真ん中だと言ったので、懲らしめに行く事にしたのです、


ノレンを潜ると先程の男が、なにしにきゃがったんだと言って、奥から親分がよくも子分をかわいがってくれたなと出てきたのです、そばの浪人へ先生方やっつけて、

おくんなさいといい、浪人3人がまかしておけと刀を抜いて切りかかってきたのです、新陰流、柳生十兵衛が門下、村上清之進だやるかというと、浪人は刀を納め、

我々の叶う相手ではない、失礼したと店から出て行ったのです、


親分はくそ~かかれと合図すると、匕首を抜き切りかかったて来たので、適当に払い、親分の目の前に立ちふさがり、上段から一刀に振り下ろすとギャ~といって、

まえのめりに倒れた、それを見た他の子分は一目散に逃げ散ったのです、


カツをいれると親分が息を吹き返しきょと~んとしたいるので、安心しろ峰うちであると言うと、どうぞ命だけはと言うので、荷物をまとめて、ここから、そうそう、

に立ち去れというと、荷車に荷物を載せ出ていこうとしたので、ここに戻ってくると今度は峰打ちでは済まさないぞというと、わかりましたと返事をし、荷車を引いて、

出ていったのです、


掃除も終わったので、近くの飲み屋に入り、酒と魚を注文したのです、となりにいた町人が、河合又五郎が奈良に隠れていたようだが、荒木又衛門がこれを知った、

みたいなので江戸へ逃げ帰るらしい、旗本11人が護衛しており、奈良から大阪を出て京へ向うようだ、何処で又衛門が狙うのだろうと話していたのです、


真一朗殿の話しでは伊賀上の鍵屋の辻だというていたが、その道順だと伊賀上のは通らない事になると尚にいうと、ほんにそれだとすると歴史が変わる、

事になりますね、真一朗殿に言ったほうがいいですよと言ったのです、


旅籠にかえると、ゆうが来ており、清之進殿のお手並み拝見しましたと言うので、見ておられたのですかと聞くと、ええと答え、今手の者が、地蔵が本当にでて行く、

か見届けていますと言ったのです、


さつきの町人の話しをすると、そうですか、鍵屋の辻で待ち伏せしている、又衛門どのに知らせたほうが良いですかと、ゆうが聞くのでいや、何とかして、河合一党、

が伊賀越えをするように仕向けましょう、清之進が奈良から大阪へ向かう街道は大和郡山藩、磯村裕高どの領地でございます、


先代が大老の時古河に何度がおいでになり、見知っております、今は国許におられるはずですというので、ほう、あの桶狭間の磯村裕一郎殿の3代目でござるかと、

真一朗が聞くと、そうですといい、街道をとうさせぬよう頼んでみましょうと言ったのです、


ゆう殿そなたは又衛門殿にそのまま鍵屋の辻で待っているように伝えてくだされ、我々はあす奈良へ出立します、尚は先に出立し清之進殿の書状を磯村裕高殿へ、

見せて河合一党が大阪へ抜けられないように頼んでくれと言ったのです、清之進は依頼事項を書き尚に渡したのです、


そのうち、ゆうの手の者が帰って来て、地蔵は桑名を仕切っている、浜屋権六親分の家に入りました、我々がいなくなったのを見計らって戻ってくる事を権六と相談、

していましたと知らせたのです、懲りない奴だ、帰りにまた掃除しましょうと清之進が言ったのです、尚は直ぐに奈良へ向け出立したのです、


メイには伊賀上野城下の旅籠で待つようにいい、笑美と、翌日馬を借りて急ぎ、大和郡山に向かったのです、夕方には郡山城下に着き、磯村裕高に面会すると尚が、

先についており、裕高が笑美どの一別以来だのう、明日にも、河合一党は郡山を抜け大阪へ向かうらしい、ここを通り抜けしないで、伊勢街道へ向かうよう関所の、

役人へ言いつけておいた、


外様大名対旗本の揉め事なので、又衛門の味方をする外様である、郡山藩の領地は断じて通すなといいつけたと話したのです、笑美がおそれいります、というと、

なんの、そなたの殿である土井利隆どのとは実懇の仲だ遠慮むょうだぞ、そこに控えているのが村上真一朗殿か上様の巡察方ご苦労である、わが藩にも掃除が、

必要なら遠慮なく申してくれ、何なりと聞き入れるぞと言ったのです、


おそれいりますと挨拶すると、当城へ逗留しろと言うので、巡察方が城へ逗留しては役目がつとまりません、町の旅籠が一番よろしいので、そちらに逗留しますと、

言うとなるほど、城からでは良く見えないからなあ、もつともである、良く見渡してくれと言ったのです、旅籠に宿をとり、河合一党の後から付いて行く事にした、

のです


歴史的に有名な、鍵屋の辻での敵討ちを見聞できるとはこのうえない事ですと言うと、真一朗殿は歴史の修正役として天が送り込んだのかもしれませんねと笑美、

がまじまじと真一朗の顔を見たのです、






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