最終話 そして……
KDT24に激震が走った。
「西村さんと連絡が取れません!」
「諸積支配人、自宅にも帰っていないそうです!」
社内に悲鳴のような声が交錯した。
ある日を境に、仕事の引継ぎがないまま、総合プロデューサーの西村と劇場支配人の穂積との連絡が取れなくなった。
二人とも独身で、家族はいなかった。
警察と共に社内の人間が自宅を訪ねたが、手がかりになるものは何一つ見つからなかった。
スケジュールや契約の中心的な内容は二人が握っていた。情報はブラックボックスの中にあり、KDT総合企画の上層部でさえ知らない部分があった。社員たちは手段を尽くして、総合プロデューサーと劇場支配人を探した。
失踪については極秘事項だった。だが、日々の業務の中で、いつまでも隠しおおせるものではなかった。どこから嗅ぎつけたのか、あっという間に芸能関係のメディアに知られてしまった。
西村の下にいた高藤幸雄(たかとう ゆきお)副社長が会議室におもだった者を呼んだ。その中には、貴臣純子も入っていた。
高藤は大きな目をさらに大きく見開き、全員を見回した。
「これからは私と劇場副支配人の秋島有吾(あきしま ゆうご)君で、我が社を動かしていこうと思う」
他の重役を睨みながら、高藤が言い放った。薄い髪をオールバックにした秋島がにこやかに微笑んだ。
重役の何人かは不愉快そうに咳払いをした。
純子は得意げな二人をつまらなそうに眺めていた。
『高藤が穂積の下で働いていた秋島を隣に座らせたのは、こういうことか』
西村と穂積がいる間、二人は犬猿の中だった。だが、ここで他の重役たちを抑えるために手を握ったようだった。
高藤が続けた。
「私と秋島君の株式で三十八パーセントを抑えられる。君たちの保有株数は二〇パーセントもいかないだろう。株主総会に議案としてかけたい者は試してみたまえ」
他の八人の取締役や部長の歯ぎしりが聞こえるようだった。
「貴臣君にはメンバーの中心を続けていってほしいが、これからの発展の礎も築いていただきたい。そのために営業部長の役職を空けている」
現営業部長の顔色が変わったが、何も言わなかった。
『失敗したらお払い箱、ってことか』
セカンドの水島瑠珠が高藤と付き合っているという噂を、純子は聞いたことがあった。
『出がけにわざわざ顔を出したのは、これを知っていたからか』
純子は薄笑いを浮かべた。
「なにか不満でもあるのか?」
純子の笑みを見た高藤が目をギョロギョロさせながら不快そうに言った。
「いえ、別に」
「これからは今までのように、女王のようには振る舞えないと思ってくれたまえ。次に……」
高藤の言葉を遮るようにドアが開いた。
「会議中だ。関係ないものは入ってくるな」
高藤が声を荒げた。
「関係あるから入ってきたんだよ」
聞き覚えのある涼やかな声だった。
純子は声の方を向いた。
黒のカットソーにライトグレーのビジネススーツを着た高柳亜美が会議室に入ってきた。
高藤が亜美を睨みつけた。
「貴様、高柳か」
「あんたに貴様呼ばわりされる言われはない」
「秋島君! この女を叩き出したまえ!」
秋島が立ち上がろうとした。
「おい! また鼻を折られたいのか?」
亜美が低い声で言った。秋島がゆっくりと腰を下ろした。
亜美は空いていた純子の隣の席に座り、両足をテーブルに乗せて足首を交差させた。
「用事はすぐ済む。一つ目。KDT総合企画、KDTコマーシャル、KDT警備保障の、お前たち以外の固定株とほとんどの浮遊株は私が押さえた」
「な・な・な・なんだと!」
高藤の顔が真っ赤になった。
「二つ目。これから暫定的に田之上総合開発から経営陣が来る。お前たちは、お払い箱だ」
純子以外の全員が目を剝いた。
高藤の顔色が真っ赤から真っ青になった。秋島はどす黒い顔で亜美を見ていた。
高藤がつぶやいた。
「オキナ様が直接、だと……」
「そうだ」
亜美の声は氷のような清廉さを感じさせた。
「それがどういう意味なのか、分かるな? それとも、説明が欲しいか」
「い、いや……」
「今、退職する者は追わないという説明を受けている」
上目遣いで、秋島が亜美を見た。
「退職金はいただけるので……」
「退職金が出るまで残ってみるか? 私だったら今日中に辞表を出して退職する」
秋島がうなった。
「私は命じる立場にない。各自が今まで自分がやったことを省みて、行動するといい」
亜美が全員を眺めた。口調を変えて言った。
「改めて言う必要もないと思うけど、少しは同じ釜の飯を食った仲だからね。スネに傷がないんだったら、何も心配ないんじゃない? そうじゃなければ、長居するだけ大変だと思うよ」
営業部長と経理部長が席を立った。
「辞表はのちほどお持ちする。どうか、オキナ様とオウナ様によしなにお伝え願いたい」
経理部長の声が震えていた。
「伝えはするけれど、結果に責任は持てない」
「それで十分……」
すぐにほかの者たちも立ち上がり、同じことを言って会議室から出ていった。
最後に高藤と秋島が魂を抜かれたように、トボトボと出ていこうとした。
「ドアを閉めていけよ」
高藤の背に、亜美が声をかけた。
高藤が怒りのこもった目で亜美を見た。が、すぐに死んだ魚のような淀んだ光になった。急に年を取ったように背を丸めて、静かにドアを閉めて出ていった。
「どうなってるの?」
純子が呆れ声で尋ねた。スマートフォンで誰かと話していた亜美がスマートフォンをポケットに戻した。
「もう一人来たら説明するよ」
純子が亜美を見つめ、おもむろにテーブルに足を乗せ、同じように足首で交差させた。
「思ったより良い気分になるものね」
「だろう?」
「でも、パンプスはないわね」
「ピンヒールで運転できる車じゃないんでね。それにジョギングシューズよりましだ」
少しして、ドアが開いた。
「失礼しま…… あれ? 会議は? って、おまえたち、何してんだ?」
美千香が驚いた様子で、純子と亜美を見た。純子が隣の席を指した。
「一緒にどう? 気持ちいいわよ」
亜美の笑みを見て、美千香は純子の隣に腰を下ろし、テーブルに足を乗せた。
「ああ…… なるほど」
「どう?」
「気持ちいいな」
三人は声を出して笑った。
一笑いしてテーブルから足を下ろした美千香が亜美に聞いた。
「大変だっていう話だけど、いやに空いている会議だな」
亜美が笑った。
「全員おいとましてもらった」
「顔の形を変えて、か?」
「人数が多かったから、そんなことはしていないよ」
「早く呼べよ。手伝ったのに」
聞いていた純子が呆れたように言った。
「幹部にけが人が多いと思ってたけど、あんたたちだったの!」
「そんなしょっちゅうじゃないよ」
二人の声がハモった。
新聞、雑誌、テレビなどで報じられるに至って、KDT総合企画と関連企業の重役陣が辞任した。
その代わりに田之上総合開発から重役陣が出向してきた。
メディアは「乗っ取り」と書きたて、「泥舟」とKDT24を揶揄した。
ニュースや記事の「KDT壊滅寸前」の報道を見た純子が激怒した。
「『泥舟』ですって! KDT24は、あの二人の私物じゃない! 私が絶対潰さない」
純子は美千香にメンバーのまとめと劇場スケジュールの管理を頼んだ。
美千香は快諾した。
「それは構わないけど」
「私はしばらく本社に詰める。さっき、明日行くって連絡しておいた。劇場にはほとんど出られないと思う」
「管理に回ったら、そんなに私も出られないね」
「さっき寮にいるメンバーに連絡しといたけど。午後、食堂に集まるように伝えておいた。ほかのメンバーにも手伝ってもらって」
「そうするけど…… こういう仕事できるのかな? あいつら」
「できなきゃ、本当に泥舟になるって」
美千香が何か迷っているように純子は感じた。
「なに?」
「亜美、なんか言ってこない?」
「オキナ様のメッセンジャーをやっているくらいだから忙しんでしょう。こっちの話に巻き込むのは悪いよ」
亜美が純子に何も言っていないことに気づき、美千香は言葉を濁した。
「ふ~ん…… まぁ、忙しいのは確かかもね」
「でしょ。じゃ、午後に」
小走りに立ち去る純子の背を見ながら、美千香が人の悪そうな笑みを浮かべた。
翌日、純子はKDT総合企画に向かった。
「貴臣さん、一言お願いします!」
「純子ちゃん! これからどうするんですか!」
本社のドアが開き、ガードマンたちが道を作った。
「すみません。道を開けてください」
「社内には入らないで!」
レポーターたちをガードマンが抑えた。
『いつもより手際が良い感じ?』
そう思いながら、純子はガードマンたちを見た。ガードマンたちの中に見知っている顔を見たような気がした。
『ほほに傷? 手際は良くなったけど、ガラは悪くなったわね』
ロビーに入ると、すぐに新人の受付の一人が純子を呼んだ。
「貴臣さん、大株主の方が、ご挨拶したいと来社して…… 応接室にお通ししています」
純子は面食らった。
「私に? まだ重役の何人かは残っているでしょう?」
「ええ、貴臣さんに会いに来たとおっしゃって、お待ちです」
「どなた?」
「会えば分かると…… 女性の方です」
怪訝な表情のまま、純子は最上階の応接室に向かった。
応接室の前で純子は呪文の唱えた。
「何を言われても怒らない。微笑みを絶やさずに。何を言われても怒らない。微笑みを絶やさずに」
深く深呼吸して、ドアをノックした。
「失礼します。貴臣純子で・す?」
純子は応接室を見渡した。
「ああ…… そんなに緊張しなくてもよろしい。こちらに来て座りなさい」
「なに言ってんの! こっちは忙しいの!」
ソファに座っていた亜美が笑った。
「私を知らない連中が増えてると思ったら案の定だったよ。年は取りたくないね。とにかく、座んなよ」
純子は亜美の前に座った。
「どうして大株主なんて嘘を?」
「嘘じゃないさ。美千香と…… まぁ、ほとんどポテコのおかげなんだけどね」
それだけで、資金の出どころが純子には分かった。
「ああ…… そうか…… それをすっかり忘れてた」
「少し時間がかかったけど、出ていった連中の株も買った。今じゃ、KDT24総合企画の六〇パーセントとKDT劇場の八〇パーセントの株を手に入れた」
純子はソファに深く腰かけた。
「『泥舟』って言われてムカついたから、本社に来たんだけど。それでも、うちの株を買って大丈夫なの?」
「大丈夫にするんだよ」
亜美はニヤッと笑った。純子も笑みを浮かべた。
「やりたいことが見つかった?」
「まぁね。いろいろ探していたら身近なところにあった、って童話みたいなことだったよ」
亜美はレポートを純子に渡した。
「本社で今残っている連中の意思は、純子が来る前に調べておいた。組織はだいぶ変えることになる。とりあえず、営業と広報は形にしておいた」
「早いわね」
「純子と美千香には、さっさと稼いでもらわなきゃならないからね」
亜美に言われ、純子は苦笑した。
亜美が名簿を渡した。純子は目を通した。
「この人たち!」
「元メンバーに声をかけたんだ。クズとバカがいないんだったら、一緒にやりたいって子が何人もいた。それぞれの能力、営業や経理、企画、マネジメント、を調べてある。二十人いるよ」
「助かるわ」
「しばらく社長は田之上から来ている佐倉さんに頼もうと思う。様子を見て、どこかから引っ張るかもしれないけど」
純子はオヤっという表情で亜美を見た。
「亜美がやるんじゃないの?」
亜美は肩をすくめた。
「組織には、表に出ない人間も必要らしい」
「そういうタイプじゃないでしょう」
「一つやりたいことがあってね。それがひと段落したら社長をやってもいいかな、とも思ってる」
「なに? 現役復帰だったら大歓迎よ」
「それは、ない」
亜美は自身の復帰をあっさり否定した。
「組織が落ち着いたら、しばらく私はポテコ専属のマネージャをやるよ」
純子が目を丸くした。
「ずいぶん気に入ったものね」
「私だけじゃない。アリサたちや瑠奈が『コラボしよう』ってうるさく言ってきてる。琴音は琴音でギターと護身術を教えるから自宅に連れて来いって連絡があった」
純子が笑った。
「私もダンスを教えるつもりだし、美千香は『まずは柔軟と筋トレ』って言ってたわ」
「ポテコ、壊れるぞ」
亜美は苦笑した。
「そうだ」
亜美が思い出したように言った。
「もう一つ。KDT24メンバー専用の警備会社を作った。そこからガードマンを派遣するから、主要メンバーに言っておいて。社長とリーダーを紹介しておこう」
亜美はテーブルのインターフォンに話しかけた。
すぐにドアが開いた。
純子は目を丸くした。
「あ、思い出した。たい……」
左ほほに傷のある男は右手の人差し指を立てて、唇に当てた。純子は慌てて口を閉じた。
男は改めて一礼して自己紹介した。
「『KDTガーディアンズ』社長の平雄一(たいら ゆういち)です。この三人は三交代の部隊を指揮するリーダーの山下、木村、中田です」
やはり見たことがある顔のリーダーたちが、お辞儀をした。
「たいら、さん…… 皆さん、たぶん…… はじめまして」
純子は立ち上がり、笑いを堪えながら名刺を受け取った。
亜美が素知らぬ顔で言った。
「平さんは長年、警護の仕事をなさっていて……」
純子は亜美の言葉を左手で制した。
「なんとなく…… 業績は存じ上げているかもしれません。前職の会社はずいぶんと、うちに気前がいい…… いえ、これはひとり言です」
純子の奇妙な返事を聞いて、平たちはわずかに口元を歪めて声を出さずに笑った。
亜美と純子、美千香の三人が揃ってからの対応は迅速だった。三人の力だけではなく、かつて所属し、脱退してからも関係のある仕事をしていた元メンバーの援軍の助力も大きかった。
在籍している社員たちとの情報共有が行われると、一気に仕事が回り出した。
その頃、ようやく西村と諸積の消息が分かった。
いつものように、純子、亜美、美千香が近くのレストランで遅めのランチを食べていると、顔なじみの雑誌記者が純子に近づいてきた。
「どうも」
「こんにちは。どうしたんですか?」
「いやね。そちらのプロデューサーさんと支配人さんの行方が分かったもんでね。お耳に入れておこうと。そこ、座っていい?」
返事を聞かずに、記者は空いている席に座った。
亜美は横に座った記者に尋ねた。
「どこにいるんです? あの二人」
記者は亜美の前にあったグラスの水を一口飲んだ。
「まず諸積支配人。バンコクのボーイズバーにいました」
「アイツ、ボーイじゃないだろ」
美千香が吐き捨てるように言った。
「ま、ま、その辺は置いといて。その筋の男が通う店なんだけどね。そこで働いてたんですよ」
純子が聞いた。
「会ったんですか?」
「取材費が出たもんで。本人の話じゃ、用がなければ日本に帰らないって言ってましたよ。日本の話をするのもイヤそうでしたね」
亜美と美千香が嬉しそうに言った。
「それはそれは」
「日本に帰りたくないか」
記者は続けた。
「もう少し詳しく聞こうと思って、次の日も行ったんですけどね。辞めたあとで。教えてもらったアパートにも行ったんだけど、もぬけのカラでしたよ。あたしが聞くことじゃないんですけどね。何か連絡入ってます?」
「いいえ。みんな初耳の話」
純子は正直に答えた。
「西村、プロデューサーは?」
美千香が尋ねた。記者はグラスの水を飲み干し、話し出した。
「西村総合プロデューサーは意外なところにいましたよ。どこだと思います」
問いかけられて、純子は頭を左右に振った。
記者は面白そうに言った。
「新宿二丁目」
「なんだ。目と鼻の先じゃない」
「でしょう。あんがい近いと見つからないんだなって思いましたよ。こちらはオカマバーを開いていて、ママに収まってます。そこそこ景気もいいみたいでしたね。もうKDT24に係わる気はない、自分は本来やりたかったことをやるって言ってました」
亜美と美千香は苦笑した。
「それで、ですね。今、実権を握っている貴臣さんに記事にしてもいいか、おうかがいを立ててと思って、はせ参じたってわけで」
純子は小首をかしげた。
「別にいいんじゃない? ねぇ」
美千香がうなずいた。
「まぁ、そちらの金儲けのネタだからね。こっちに火をつけない限りはいいんじゃないかな」
記者は意外というように二人を見た。
「それは迷惑をおかけしないように書きますがね。それでも、今までのプロデューサーと支配人の話ですから、線香花火くらいパチパチするかもしれませんぜ」
亜美が笑った。
「こっちはそれどころじゃないんだ。ジュジュとファンシー・オーケストラとのコラボの企画で忙しくて」
「亜美!」
純子が慌てて声をかけた。
記者の目が光った。早口で亜美に尋ねた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。なんです。今の話? 貴臣さんの前でなんだけど、どっちも貴臣さんを目の敵にしてた連中じゃないですか?」
亜美は澄ました顔で言った。
「うちのボスに怒られるんで聞かなかったことにして」
「殺生でしょ、それ」
「そう言われてもね。私もしがない会社員だから」
記者が歯ぎしりした。
「いいです、いいですよ。二人の話はボツ、ほかの雑誌がネタにしたいって言うんだったらくれてやります。古い人間の話より、新鮮なネタの方がいいに決まってます」
純子がため息をついた。
「それほど言うんだったら…… いいわ」
雑誌記者の顔が嬉しそうに輝いた。
騒ぎのさなか、笑美子はギャラクシー・プロダクションからKDT総合企画へ移籍になった。移籍話はKDT総合企画から持ち出され、その移籍料はギャラクシー・プロダクションも納得する金額だった。
「まさか、お前にこんな値段がつくとはなぁ」
世話になった挨拶に訪れた笑美子に、社長は感慨深そうに言った。
「その言い方じゃ、人身売買みたいですよ」
「まぁ、そういう側面を否定しないけどね、オレは。自分を才能の人買いだと思ってるから、さ。でも、うちに所属したタレントには売れてほしいし、幸せになってほしいと思ってんだよ」
社長は目を細めた。
「うちが大きければ、お前を育ててみたいもんだけど。KDTの水が合えば、それはそれでいいよ。お前のおかげでうちはうるおって、しばらく潰れない。がんばれよ」
「ありがとうございます。社長もお元気で」
笑美子はピョコンと頭を下げた。
笑美子の実家にも、移籍料が支払われた。その金額は家を新築するには十分すぎる金額だった。
実家に使った移籍料は、笑美子が得た賞金だった。二分の一を移籍料として笑美子の家族に渡すことを考えたのは亜美だった。
亜美は残りの金を新設したKDTファイナンスに運用させた。その収益も少しずつ給料として、笑美子に支払われるようになった。
美千香の案で、サードもステージに出演する機会が増やされた。
ファーストやセカンドよりも入場券を安くした「サード・インパクト」は新しい客層を掘り起こした。
「いいか。セカンドもサードも今まで以上にステージに出られるように企画を作っていく。出るからには売れる歌、踊り、演奏を身につけるんだよ」
劇場支配人兼寮長のようになった美千香はセカンドとサードのメンバーにハッパをかけた。
それは言葉だけではなかった。
それぞれのレッスンが設けられ、ファーストだけではなく、セカンドやサードも参加できるようにした。メンバーから要望があれば、内容を検討して講師が呼ばれるようになった。
潤沢な資金に国税の調査が入ったが、法に触れることは見つけられなかった。
笑美子のギターと歌は目玉になり、新しいファンがついた。
「うちではベストプレイヤーだけど、よそと比べたらベターでしかないからね」
「はい!」
美千香に言われ、笑美子は気をひきしめるように答えた。
「新しいマネージャーが、その辺を鍛えてくれるだろう」
笑美子がキョトンとした。
「新しいマネージャー、ですか? 誰の?」
「ポテコ、おまえのだよ。今日の午後に顔合わせだって言っといただろ! 部屋に服を用意させたから、着替えて、十三時に寮の入り口集合」
「はい!」
部屋に戻ると、ベッドの上に革の黒いジャンプスーツとブーツ、グローブが置かれていた。
「何を練習するんだろう?」
時間になると、笑美子は着替えて寮の入り口に向かった。
そこにはジャンプスーツ姿でヘルメットを抱えた亜美が立っていた。
「亜美先輩!」
笑美子は亜美のそばに駆け寄った。
「どんなマネージャさんが来るのか不安だったんですよ。良かったぁ」
「アイドルが外でそんな情けない顔をしない」
「いてッ!」
そうは言ったものの、久しぶりのデコピンはそれほど痛くなかった。
亜美は笑美子にフルフェイスヘルメットを渡した。そして、先にメタリックブルーのトライアンフストリートトリプルに乗った。
「さ、乗りな」
「大丈夫ですか?」
ヘルメットをかぶろうとしていた亜美が手を止めた。
「へぇ、バイクに詳しいんだ。リコール箇所は直してある。大丈夫だよ」
「いえ、そうじゃなくて…… 運転……」
「車より運転歴は長い。心配するな」
笑美子はヘルメットをかぶった。ヘルメットにはインカムが付けられていた。
亜美の後ろに座り、笑美子が聞いた。
「どこ行くんですか?」
「琴音の実家。琴音がおまえを連れて来いって、うるさいんでね」
「なんでしょう?」
「どんくさくて見てられない。自分の身は自分で守れるくらいのわざを教えてやるって言ってたよ。ついでにギターの変な癖も取ってやるってさ」
「何日くらい? 学校は?」
笑美子は恐る恐る尋ねた。
亜美は涼やかな声で伝えた。
「学校はドアトゥドアで三〇分くらいだ。泊まりの部屋は琴音が用意してくれる。純子には2週間か3週間、道場に預けるて言っておいた。ま、琴音が納得するまでかもね」
「修行ですか……」
「私も毎日行くから。一日二時間は柔軟のエクササイズだ」
「ギャッ!」
「叫んでないで、しがみついてろ」
笑美子の悲鳴を聞き、亜美は楽しそうに笑った。その笑い声にエンジン音に重なった。
そして……
初センター曲の舞台に笑美子は立っていた。
演奏が始まり、笑美子たち、二十四人が踊り出した。
ジャンプして…… 前進……
観客のうねりが波のように動いた。
「柵を押さないでください! 危険です! 柵を押さないでください!」
演奏と歌にかぶさるように、必死の警告が聞こえた。五色沼開悟とヨリンアム・剛次が、ケガをさせないように注意しながら客をさばいている姿が見えた。
笑美子はクスッと笑った。
『そんなことで、この波の流れは止まらない』
人の手がさざなみのように見えた。
ライトが強くなった。
ジャンプして…… 前進……
ライトの強烈な光でステージから客席が見えなくなった。それにもかかわらず、笑美子にはファンたちの動きが見えるようだった。
欲望をあらわにした顔は、あの時に見た顔とよく似ていた。
ジャンプして…… 前進……
れぞれの欲望に合わせて、ファンたちは「運」を吸い出されていた。欲自体が「運が流れだす穴」のようだった。
ジャンプして……
その時…… 誰かが……
ワタシの…… 背中を……
押した……
ダイブした笑美子を観客たちが支えた。
たくさんの手のひらが笑美子に触れた。
ファンたちの「運」が吸い出されていく。
ファンたちの心に欲望という暗い穴がある限り、運は簡単に吸い出された。見ているだけでさえ吸われてしまう運はアイドルに直接触れれば急速に流れ出してしまった。
多くのアイドルが「よりわら」になって、ファンたちの運を吸い出していた。
たくさんのアイドルたちが吸い取った運と共に、笑美子自身が吸い取った運も笑美子の中にとどまる。
ある程度溜まると、運は一気にどこかに流れ出していった。
それを笑美子が感じることはなかった。ただ、「そんな気がする」程度でしかない。まして、それが何を意味しているのかなど、まったく分からなかった。
吸い取った運の使い道を知っているものは、たぶんオキナとオウナの二人だけだった。
二人が自分たちで使うわけではない。
誰かのために、いにしえの昔から……
『自分たちは運を吸い上げるポンプだ。そして、私は…… ダムだ』
笑美子は思った。
その想像は正しかった。
歴代の「早乙女」とは比較にならないほど、ということを除いては……
笑美子から流れる運の発する風は、それぞれのアイドルたちにも届き、それぞれの想いをそっと満たしていた。
波が客席の奥から舞台に流れ始めた。
笑美子の体が舞台に戻されていく。
吸い取った運と共に。
たとえ道具だろうと、笑美子はゲームに参加したことを悔いてはいなかった。
純子に感謝し、亜美に感謝し、アリサとサライ、琴音や瑠奈、大勢の仲間に感謝する気持ちでいっぱいだった。
ステージも戻った笑美子が仲間に向かって左手を突き上げた。呼応するように、全員が左手を突き上げた。
「ポテコ!」
「ポッ・テッ・コッ!」
ファンの歓声に、振り返った笑美子は手を振って応えた。
笑美子は晴れ晴れとした顔をファンに向けた。
『今は以前より、もっと感謝しているよ』
その思いが伝わるように、と……
心の底から、本当に心の底から、笑美子はファンたちに頭を下げた。
- 了 -
口・口・口! 口死ア~ン・ルーレットッ! 久遠了 @kuonryo
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