第13話22時間後

 純子は眠りの中にいた。


 そこは純子を恨むモノたちが満ちた冷たい世界、のはずだった。


「これは?」


 暗闇の中で、純子は異変を感じ取っていた。「早乙女選抜」の代表になってから気がつくと感じていた、どこかからか吹いてくる冷たい微風が消えていた。


「早乙女の資格がなくなったからだ……」


 弱い風だったが、その風は常に純子を責め続けていた。恨みや苦悩だけで生み出された風を、純子は「早乙女選抜」の代表になれないアイドルたちやそもそも選ばれないアイドルたち、運を吸い取られている大勢のファンたちからの呪いのように考えていた。


 それでも、その風もまた、純子にとってはアイドルたちやファンたちとの絆だった。それが消えたことで安堵を感じるより、切なさを純子は感じた。が、すぐに戸惑いに変わった。


 冷たい風と同様に、それも注意しなければ気づかないくらい弱い風だった。


「暖かいわ……」


 冷たい風に代わって、優しい暖かな風が吹き始めていた。


 暗闇の一部が明るくなった。


 ステージで笑美子がエレキギターを構えていた。ニコニコと笑っている笑美子が純子を手招きした。


 純子が困って躊躇していると、暖かな風が背中を押した。


「あッ!」


 弱い風は純子を持ち上げ、ステージに運んだ。


「ポテコちゃん、どうだった?」


 純子の問いには答えず、笑美子はマイクを差し出した。


「私に?」


 ふと見ると、美千香がドラムの席についていた。それだけではなく、自分を目の敵にしていた琴音やアリサ、瑠奈、童夢がステージの上にいた。


 純子は小さな声で尋ねた。


「一緒に…… いいの?」


 それぞれが笑みで答えた。


 純子はマイクを受け取り、客席の方を向いた。


 客席の中央に座っていた亜美が、軽く右手を上げて挨拶した。


 スティックが鳴った。


 ベースとギターの音にキーボードの音色が重なる。


 始まった曲は純子のセンターデビュー曲だった。


『起きれば忘れてしまう夢だわ。だけど、神様! この気持ちだけは残して!』


 純子の歌声にバックコーラスの声が重なった。


 幸せな微笑みを浮かべてベッドで眠る純子の両目から、大粒の涙が溢れた。


 

 笑美子がドアを抜けると、ホールも壁もなく、そこには階段があるだけだった。


「このブーツじゃ、落っこっちゃうよ」


 笑美子はブーツを脱いで、素足で階段を降りた。降りた先は狭い踊り場だった。そこにメイドが待っていた。


「おつかれさまでした。こちらへどうぞ」


 メイドはすぐそばのドアを開けた。


「お預かりしたお召し物とお荷物は中にございます。着替えが済みましたら、空いたカゴの中にプレートをお納めください」


 笑美子は純金の鎖に手を当てて、少し意地悪く言った。


「これ、持ってちゃうかもしれないよ」


 メイドが微笑んだ。


「そんなことで運をお試しになりますか?」


 以前だったら試したかもしれない、と笑美子は思った。だが、今はそんなことで運を使う気にはなれなかった。


 笑美子は大人びた様子で肩をすくめた。


「そう。バカバカしいよね」

「ご協力、ありがとうございます」


 メイドが頭を下げた。


「出口は反対側にございます。そのドアから、お帰りください」


 笑美子は部屋に入った。亜美の姿はなかった。すぐに。テーブルの上に置かれたカゴの中を確認した。


「いかがでしょうか?」

「うん。全部ありました。ありがとう」

「どういたしまして。それでは失礼します。


 メイドがドアを閉めると、そこは白い壁になった。



 自分の服に着替えると、笑美子は何かホッとした。夢の世界から現実に戻れたような気分だった。


『悪い夢みたいだったけど…… それほど悪くもなかったのかな? いろんな人に会えたし、キレイなものも見たし』


 笑美子には、そう思えた。


 笑美子はDパックを肩にかけ、ドアを開けて部屋から出た。


 出た先は豪華なロビーだった。


 高い天井に飾られたシャンデリアの下に、車椅子のオキナと龍の杖を持ったオウナが待っていた。


「おじいちゃん! おばあちゃん!」


 笑美子は二人に駆け寄った。


 オキナがうなずいた。


「良かったのぉ。無事に終わって」


 笑美子は一瞬考えてから言った。


「私は無事だったけど…… みんな、大丈夫なんですか?」


 オキナが笑美子を見上げた。


「みんな? ああ、ゲームに負けた娘たちかね」

「ええ。あのゲーム、勝ち負けは本当に運だけだったから。自分もああなっていたかもって思うと……」


 最後に人間離れした動きで悶え狂っていた諸積の姿が、笑美子の脳裏に浮かんだ。


 オキナとオウナが顔を見合わせた。二人とも少し困ったという表情を浮かべていた。


「お嬢ちゃんはクチが固いかね?」

「え? 余計なことは言いませんよ。っていうか、忘れます」


 笑美子の返事にオキナは苦笑した。


「そうじゃなぁ……」


 オウナが助け舟を出した。


「よろしいんじゃないですか。この子を信用しても」


 オキナは笑美子を手招きした。笑美子は誘われるまま、体をかがめた。オキナが小さな声で言った。


「お嬢ちゃんたちが使っていた銃弾の中身は、最初から最後まで普通の一味唐辛子の粉末じゃよ」


 笑美子は体を起こした。


「普通の? 超激辛じゃなくて? ちらっと見た子はひどいことになってましたよ」

「人とは思い込みが激しい生き物でな。しかも、今回はリュウが不届き者を使って神がかった演出をしおった。いつも以上に心理的な効果的が出たんじゃ。世の中に役立たずはおらんというのは真実じゃな」


 オウナも満足そうに言った。


「リュウの語りが見事じゃったから恐怖が心に刷り込まれたのじゃよ。なに、みんな、ゲームのあとにはちゃんと手当したでな。心配には及ばんよ」


 それが真実かどうか、笑美子には分からなかった。だが、本当であれ、嘘であれ、笑美子には調べる手段はなく、調べるつもりもなかった。


 オキナが笑みを浮かべた。


「わしらが早乙女たちを害することはないんじゃよ。わしらは喜んでもらうためにやっておるでな」

「喜んでもらう?」

「いにしえからの伝統じゃ。ほれ、祭りでもあるじゃろう。神様の前で踊る…… 『うずめ』の話を知らんか?」

「神楽とか、薪能みたいな?」


 オキナはうなずいた。オウナが続けた。


「わしらは、いにしえからの伝統に従っておるだけでな」


 笑美子はふと思いついたことを尋ねた。


「私、ずっと早乙女をやってなければダメ?」


 オキナは面食らったように笑美子を見つめた。


「優勝者にいきなりそう聞かれるとは思わなんだ。イヤかの?」


 笑美子は少し困った表情になった。


「イヤっていうか…… あの、ね…… 好きな人ができて結婚できないんだと困ったなって…… まだ相手なんていないんだけどね」


 オキナとオウナが笑った。


「誰も幸せを邪魔することはせんよ。お嬢ちゃんも、ほかの早乙女たちも、いつかは早乙女を引退する日は来るんじゃ。そして、次の早乙女に代わる」


 笑美子は老人たちの言葉を信じた。


「分かりました。いろいろとありがとうございました」


 オキナとオウナはホッとしたようだった。


「純子先輩のことも心配だったんです」


 オキナの表情が真面目なものになった。


「あの娘も収まるべきところに収まるじゃろう。バカどものおかげで早乙女の資格をなくしはしたが。あの子がバカなわけではないからの」


 オキナは目を細めた。


「心配せんでも大丈夫じゃよ」


 おずおずと、笑美子はもう一つの気になることを聞いた。


「亜美先輩も、ですか?」


 オウナが微笑んだ。


「ほんに自分のことはあと回しじゃね」

「お世話になったから……」


 オキナが手を振った。背後からアタッシュケースを二つ持った田中が現れた。


 オキナが笑美子に言った。


「あの娘は純子を助けたように、お嬢ちゃんを助けてくれるじゃろう。さしあたっては、これを預けるがよい」

「これは?」


 笑美子は不思議そうにアタッシュケースを見た。


「どんなゲームでも勝者には褒美が出るもんじゃ。全賭け金と比べたらわずかじゃがな。二億二千万円がお嬢ちゃんの取り分じゃ」


 笑美子が目を丸くした。


「そんなに…… でも、いきなり持って帰っても、父ちゃんと母ちゃんが受け取ってくれないかも!」

「じゃから、それを預けるように言ったんじゃよ。あの娘は賢いからな。上手い手を考えてくれるじゃろうよ」


 オキナに言われ、笑美子は何とかなるような気がした。


 笑美子はオキナとオウナに頭を下げた。


「オキナ、さま。オウナ、さま」


 オキナとオウナは笑った。


「そう言われ続けて久しいが…… どうも本当はわしらには似合っておらん気がしてきた」

「ほんに」


 オウナが笑美子を見た。


「その名を使わんでもええよ」


 笑美子が人懐っこい笑みを浮かべた。


「そうする。おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう! 火事で帰るうちがなくなっちゃったって聞いてから、本当はずっと心細かったんだ。これで帰れるうちを作ってもらえます」


 オキナが目を細めた。


「帰るうちか。そうじゃな。よかったの」


 オウナも嬉しそうに言った


「よかったのぅ」


 笑美子は涙ぐみながらうなずいた。


 オキナが声をかけた。


「さぁ、それでは自分の世界にお帰り」


 笑美子はアタッシュケースを一つ持った。


 オウナが田中に言った。


「手伝っておあげ」


 田中がケースを持って先に歩いた。笑美子はその後に続き、ドアの前で振り返った。


 オキナとオウナの姿はなかった。


「それでは、こちらもどうぞ」


 田中に渡されて、笑美子はアタッシュケースを両手に持った。


「おつかれさまでした。お気をつけて、お帰りください」


 田中がドアを開けた。


「ありがとうございました」

「どういたしまして。あとは外の者が手伝ってくれるでしょう」


 笑美子が外に出ると、亜美が立っていた。


「亜美先輩!」


 亜美がにこやかに微笑み、手招きした。笑美子は両手にアタッシュケースを持って走った。


「遅いぞ! ノロマ!」

「いてッ!」


 涼やかな声と共にデコピンされたが、それさえ笑美子には心地良かった。


 亜美がアタッシュケースの一つを手に取った。


「寮に住んでるんだろう。送ってくよ」

「いいんですか」

「無事に連れ帰るまでが、今回の私の仕事だからね」


 亜美は笑美子をジッと見つめた。


「なんですか?」


 亜美はニヤッと笑った。


「なんでもない。行こう」


 広い駐車場に一台だけ残っている車に近づいていくと、背後から轟音が聞こえた。


 振り返った笑美子は目を丸くした。


「館がない!」


 館のほとんどは、すでに消えていた。最初に入った左側の入り口付近は、すでになくなっていた。


 いま出てきた部分、最初にオキナとオウナ、亜美が入っていった来客用の扉があるエントランス部分だけが残っていた。その後ろから轟音は聞こえていた。


 二人が見ていると、巨大なショベルカーの先が壁を破って現れた。豪奢な建物が崩れ落ちていく。大理石の柱も砕かれていった。


 巻き上がった埃の向こうから、さらに数台の重機が出てきた。残骸を巨大な爪で挟み、あるいはシャベルですくい、何台ものトラックの荷台に手際よく放り込んでいった。


 駐車場の入り口にも重機が現れた。ヘルメットをかぶった作業員の一人が笑美子たちに近づいてきた。


「すまんね。お姉ちゃんたち。この駐車場、コンクリはするから、車、出してくんないかな」

「はする?」


 笑美子がつぶやくと作業員が笑った。


「はがしちまうんだよ」


 亜美が愛想よく言った。


「今、出します。あれの横を抜ければいいんですね」

「急がせて悪いね。後ろのヤツは出ていくまで停めとくから」

「ありがとうございます」


 作業員は会釈がわりにヘルメットのふちに手をあてた。そして、重機のそばに走っていった。


 亜美がつぶやいた。


「一夜の、うたかたの館だ。場所が分かっても、次に来た時は何も残っていない…… さ、乗りな」


 笑美子は助手席に乗った。重機を見ながら小声で言った。


「寮に着く頃には、なにも残ってないのかぁ……」

「記憶以外は」


 亜美の返事に、笑美子は小さくうなずいた。


 駐車場を出て走り出して、亜美が言った。


「アタッシュケースだけど。私に預ける気ない? 悪いようにはしないからさ」


 中身が何かを知っているような口ぶりだった。


 笑美子はすぐに答えた。


「はい。お願いします」


 笑美子の声に、亜美はホッとしたようだった。


「お前のおかげで稼がせてもらったからね。その分の礼はするよ」


 亜美は笑った。


 笑美子が興味深そうに聞いた。


「先輩のお金は? アタッシュケース何個分ですか」

「持ちきれないから、カードにしてもらった」

「持ちきれないって?」

「アタッシュケースだと、あの重機のトラックで運ばなきゃならないんでね」


 笑美子はポカンと口を開けた。


「ど、どうするんですか。そんな大金」

「さぁ…… どうしようかねぇ」


 亜美は面白そうにチラッと笑美子を見て、アクセルを踏み込んだ。

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