第9話 4時間後

 用意されていた服に着替えて、笑美子は部屋を出た。


 次々と少女たちが部屋から出てきた。誰もが目を合わせないようにして押し黙っていた。


 廊下で待機していると、黒服が現れた。


「こちらへどうぞ。そのままの順で構いません」


 黒服が先頭に立って歩き出した。


 再び扉の前に立った。


「二列にお並びください」


 笑美子は美千香とアリサに挟まれるように、左側の列に並んだ。


 メイド二人が左右の列の人数を数えて、黒服に報告した。黒服がうなずくと、一人がドアを開けるスイッチを押した。


 ドアが半分開いたところで、黒服は慌てた様子でメイドに指示を出した。メイドがスイッチに手を伸ばし、ドアを止めた。


「申し訳ありません。順番を入れ替えますので、少々お待ちください」


 ドアから哀しげなスローな曲が流れてきた。


「『Velvet Underground』の『venus in furs』だ」


 笑美子の声に、隣にいた琴音が小声で言った。


「意味分かって聴いてるの?」


 笑美子はきつい視線の琴音を見ながら、恐る恐る答えた。


「セヴェリンって名前の毛皮を着た美人の女王様がムチで叩かれてる奴隷を助ける歌、ですか?」


 わざとらしく琴音は大きなため息をついた。後ろにいたアリサがクスクス笑った。琴音が睨むと、アリサは舌を出した。


「『Femme fatale』だって知ってますよぉだ」

「それはそれで、ませてるんだよ」

「お静かに」


 黒服に注意されて、三人は黙った。


 黒服がメイドたちに指示して、並びを入れ替えた。美千香が二人前方に移動し、アリサは一番前に連れていかれた。


 隣にいた琴音が笑美子の前に来た。


「いい順番だ」


 琴音は笑美子を見下ろして凄みのある笑みを浮かべた。


 黒服が再度確認してから声をかけた。


「お待たせしました。それではご入場よろしくお願いします」


 再び静寂から喧騒の渦の中に笑美子は送り出された。。


 笑美子の斜め後ろに移った真志喜瑠奈(ましき るな)は浅黒い肌の精悍な表情に苦笑を浮かべていた。


『琴音もお子ちゃま相手に大人気ない。それにしても、この子、うちにいないタイプね』


 瑠奈が所属する「沖縄可憐演奏団(ウチナー・ファンシー・オーケストラ)」にもおっとりした仲間はいたが、笑美子ほどではないと瑠奈は思った。


『アイドルにしては…… 浮世離れしてるわね』


 自分の考えた「浮世離れしたアイドル」に笑いそうになり、瑠奈は表情を引き締めた。


 楽器を扱う者同士で感じるところがあったのか、瑠奈は琴音からそれほど「きつい扱い」を受けたことはなかった。ただし、ギリシャ神話の時代からの伝統とでもいうように、弦楽器奏者の琴音は管楽器奏者の瑠奈を見下しているところがあった。


『まったくアポロン並みにプライドが高いんだから』


 それでも、瑠奈にとって琴音は数少ない業界の友人だった。


 小さな声が聞こえた。


「ちびすけ、ちゃんと歩けよ」


 琴音に一言言われた途端、笑美子は右手右足を同時に出して歩き出した。


 瑠奈は気の毒そうに笑美子を見つめた。


『しょせんヤマトの人間は操り人形か』


 プロデューサやマネージャに言われないと自分たち自身をプロデュースできず、マネジメントもできないアイドルたちを、瑠奈は心の中では侮蔑していた。


 気の毒ではあったが、それで「どうしてあげる」というものはなかった。参加者が笑美子に何かを「してあげられる」ことは何もない。


 瑠奈自身そうだし、琴音もアリサも、また美千香も、それ以外の参加者も「気が弱い」というタイプではなかった。誰もが負けず嫌いで向上心の強い性格だった。それが「早乙女選抜」参加者の特長とも、瑠奈は考えていた。


『ある程度気が強くなければ、自分のグループだけではなく他のグループのアイドルまで従えて束ねることなんてできないからね』


 瑠奈が知る限り、貴臣純子は激情型ではなく、物静かなタイプだった。だが、気の強さと向上心は誰にも負けないものを持っていて、それを隠そうともしなかった。「早乙女選抜」の参加者の誰もが純子を目指したのは当然だった。


 瑠奈も、その一人だった。


 純子が不参加ということを知り、最初は愕然とした。目指していた島が突然消え、広大な海のまっただ中に放り出されたような感覚だった。


 だが、第一戦を勝ち抜けたところで欲が出ていた。島がなければ、自分が島になればいい話だった。


 瑠奈もまた「早乙女選抜」の上位常連で、強い運の持ち主と思われていた。


 そういう瑠奈から見ると、笑美子は異物だった。ほかの者もそう考えていることは、「犠牲になる羊」のように憐れみの目で笑美子を見ていることで分かった。


 ことあるごとに右往左往して覚悟が決まっていない笑美子は、瑠奈から見ても歯がゆいばかりだった。


『第一戦を勝てたのも運だけだし……』


 その考えの意味に気づき、瑠奈は立ち止まりそうなほどショックを受けた。


『ここで必要な素質は運の強さだけで、それ以外は必要ない…… この子が、ある意味ではもっとも目指しているものに近いのかもしれない……』


 その思いに至った時、初めて『弱い風』を感じた。


『何の風?』


 自然に吹く風ではなかった。気を抜けば気がつかない、そよ風とも言えない弱い風が吹いていた。


 瑠奈の背筋がゾクゾクとした。


『琴音は気づいているかな?』


 瑠奈は目を凝らして、前にいる者たちを見つめた。琴音だけではなく、参加者全員が気づいている様子はなかった。


 ふと、ラウンジでアリサが笑美子に懐いていた姿を瑠奈は思い出した。


『あの子たち、何か感じ取ってたのかな』


 アリサとサライの「クレージー・シスターズ」「狂犬姉妹」の噂は瑠奈も知っていたし、その片鱗を見たこともあった。


 例年、「早乙女選抜」でもゲームが開始されると、アリサの目元に狂気が浮かんでくる。ゲームが進むと、アリサを抑えているサライも狂気に陥ってしまう。


 プラチナブロンドを振り乱して暴れる二人は、陽の光に当たって狂乱するバンパイアさながらだった。


 その双子が今年は穏やかなままだった。


 他人を寄せつけず、常に二人のカラの中に閉じこもる姉妹が、笑美子には心を許しているようだった。


『あの子たちも、この風の中にいるのかもしれない』


 瑠奈はそう思った。


 風がどこから吹いてくるのか。


 そして、どこに吹いていくのか。


 瑠奈は営業用の笑顔を張り付かせたまま集中した。



 二度目の会場でも笑美子は上がり気味だった。直前の琴音の言葉に気圧されていた。


 それでも、ざわめきとしか聞こえていなかった音が、次第に意味を持って聞こえてきた。


 再び、穂積が入った水槽が上がってきた。水槽は掃除されていた。目の下にくまができ、げっそりとしていたが、穂積も汚れのない服に着替えさせられていた。


 リュウは高みから、赤と白に彩られたピエロ姿の諸積に声をかけた。


「少し休んで元気が出たかな? ブラザー」


 親しげな呼びかけに、諸積は恨みがましい視線を向けた。


「おお! まだ顔を動かせるか! 元気で何よりだぜ、ブラザー」


 モニタにスコヴィル値の図が表示された。


「1回戦で使ったプリッキーヌーは10万スコヴィルだったな。あれはビギナーのためのお情けの銃弾だ」


 諸積がぼんやりとリュウを見ていた。次の話に移らずニヤニヤ笑うリュウを見ていた諸積の表情が変わった。


「気がついたかな。のんびり屋さん。そう。これからが本番・だッ! さぁ、35万スコヴィル! ハッバネロの登場だぁぁぁッ!」


 諸積が立ち上がって逃げようと悶えたが、手足を封じる鎖が揺れただけだった。


 諸積の横にいた黒服が、客席によく見えるように銃をかかげて銃弾をセットした。


 黒服が銃口を諸積に向けた。諸積は頭が外れるのではないかというほど頭を後ろにねじ曲げた。


 その耳元で、黒服が何かを囁いた。


 諸積の全身から力が抜けた。


 金の鎖にぶら下がるような姿勢のまま、諸積が顔を動かし、銃口をくわえた。


 黒服がトリガーを引いた。


 諸積の体が、後方のX型の十字架のくぼみに吹っ飛んだ。


 笑美子からは上半身がちぎれたように見えるほどの勢いだった。


 穂積の体がくぼみから跳ね返ってきた。その反動で体が折れ曲がっていた。


 客席からは大きな拍手と笑い声が起こった。


 諸積の口からハバネロ混じりのよだれが流れ出ていた。


 あるいは血だったかもしれない。


 水槽が消えると、五分間の賭けの時間になった。


 黒服たちが銃と銃弾を配った。


 リュウが笑美子たちを睨んだ。


「休憩でやり方を忘れてないだろうな」


 各自が小さくうなずいた。


「13番!」


 いきなり自分の数字を呼ばれて、笑美子は慌ててリュウを見た。


「なぜコールされたか分かってるだろうな」


 リュウが大きく目を見開いた。笑美子はカクカクと頭を振った。


「いいな。二度とさっきみたいなことをするなよ。おまえは、ここに、トリガーを、引きに、来てるんだぞ。アンダスタン?」


 笑美子は大きくうなずいた。


「オーケー、オーケー…… じゃあ。シリンダーに銃弾を込めろ」


 笑美子は失敗しないように、思い出しながら銃弾をセットした。


「シリンダーを戻せ。ハンドガンを構えろ」


 笑美子たちは顔の前に銃をかかげた。


「シリンダーを回せ! グルグルと! 回せ! 回せ! 回せッ!」


 リュウの掛け声に笑美子は必死でシリンダーを回した。


「ストップ! ハンマーを起こせ!」


 カチッという音が響いた。


「右手を横に伸ばせ! 左を向け! 目の前の銃身をくわえろ!」


 琴音の手は震えていなかった。しっかり銃を持ち、笑美子ののどに狙いを定めていた。


 場内の照明が暗くなり、カウントダウンが始まった。


「ファイブ・フォウ・スリー・ツー・ワン・シュート!」


 バタバタという音がして、泣き声と叫び声が笑美子の耳を打った。


 琴音が振り返り、笑美子を見ながら外れた銃身を床に吹き飛ばした。


「運がいいヤツ」


 そうつぶやくと、さっさとドアに向かって歩き出した。


 周囲に悪臭が広がり出した。


 後ろにいた精悍な顔立ちの健康そうな焼けた肌の少女が、笑美子の背中を叩いた。


「行こう。ここにいてもなんにもならないからさ」

「え、ええ」


 誘われるまま、悶える犠牲者たちをあとにして、笑美子もドアに向かった。



 会場から出ると、亜美と美千香が待っていた。


 笑美子と一緒に出てきた少女が笑った。


「さすがは貴臣さんの代わり。もうマネージャがついてるんだ」

「先輩たちはマネージャじゃないですよ」


 笑美子が抗議するように答えた。


 亜美が不審そうな表情で首をかしげると、少女は慌てて自己紹介した。


「はじめまして。ウチナー・ファンシー・オーケストラの真志喜瑠奈です」


 亜美はニヤッと笑って挨拶した。


「よろしく。マネージャじゃなくてボディガードの高柳亜美です」

「よろしく。KDT24の高瀬川美千香。ファンシー・オーケストラって、ブラスセクションとコーラスグループがいる、あの大所帯の?」

「そうです。ご存知でしたか?」


 瑠奈は嬉しそうに尋ねた。亜美のあとに続きながら美千香は答えた。


「ああ、那覇の劇場で拝見したよ。私たちより派手で、歌も演奏も凄かった」

「そんなことないですよ」


 瑠奈は手を振った。


 ラウンジのそばまで近づいた時、ドアが開き、心配そうなアリサとサライが顔を出した。笑美子を見つけると走って近づき、両側から抱きついた。


 アリサが嬉しそうに言った。


「遅いから心配したよ」


 笑美子が驚きながら答えた。


「大丈夫でした。みんな良かった」


 亜美が呆れながら、ハグしあっている三人を見ていた。


「ずいぶんと好かれたもんだな」


 笑美子がどう答えようか迷っていると、アリサが先に言った。


「友達だもん」


 亜美が分からないというように頭を振った。


 笑美子はこわごわとラウンジの中を覗き込んだ。


 瑠奈が笑った。


「琴音だったら、たぶんこの休憩時間には来ないわ。安心して」

「え! な、な、なんで分かったんですか」

「そりゃあ、あれだけ脅されてたらね。琴音は前の子が倒れたのを受け止めて、もろに浴びちゃったから」


 瑠奈がアゴから鼻に向けて、開いた右手を動かした。


 美千香が苦笑した。


「それじゃ、ギリギリまで風呂から出てこないね。潔癖症だから。あいつ」


 ラウンジの中でテーブルを三つ近づけて話す笑美子たちは異彩を放っていた。ソファに座っている者たちのほとんどは一人だった。二人で座っている者たちもいたが少なかった。


 アリサとサライは瑠奈とは顔見知りだった。


 サライが亜美に説明した。


「毎年『北と南の合同演奏会』っていう企画をやってるんです。それでご一緒させてもらって」


 瑠奈が吹き出した。


 アリサとサライが瑠奈を睨んだ。


「いや、ごめん。人間、変われるんだってことを信じる気になった」


 美千香が同意した。


「だろう。どういうわけか、うちのポテコが気に入ったみたいで。今年はクレージー・シスターズの暴れっぷりは見れないらしい」

「少し残念、かな」


 アリサとサライが抗議した。


「そんな人聞きの悪いこと言わないで」


 笑美子がカウンターの上の表示を見た。


「九人減ったんだ」


 その声に亜美以外の全員が表示を見た。美千香がつぶやいた。


「残り三十二人か」


 笑美子がぼんやりと言った。


「このペースだと、まだまだかかりそうですね」


 瑠奈が美千香とアリサを見た。


「ポテコちゃん、ほんと、なんにも知らないのね。誰も教えてないの?」


 美千香は肩をすくめ、アリサはうなずいた。


「このくらいだったら教えても大丈夫でしょう」


 瑠奈が笑美子を見た。


「次からは銃弾二発になるわ。そのあとは適当に増えていく。もっとも、私たち三人は三回戦とか四回戦止まりだから、その先は知らないんだけどね」


 美千香が意外というように聞いた。


「琴音から教えてもらってないの?」

「そんな親しくないもの」


 あっさりと瑠奈は答えた。


「それに聞いても教えてくれないと思う」

「まぁ、そうかもね」


 笑美子はふと思いついて、隣のアリサに聞いた。


「全滅したことないの?」

「全滅?」

「全員大当たりで失格っていうこと」


 アリサは首をひねった。


「私が知る限りではないよ」


 美千香も同じだった。


 瑠奈が言った。


「こんなこと私が言えることじゃないけど。貴臣さんって尋常な運の持ち主じゃなかったから、ここ三年は全滅なんてことなかったと思う」


 亜美がさりげなく周囲を見て、小さな声で教えた。


「少し調べたことがある。純子の前に御影あやってアイドルがいて結婚するまで七年間無敵だったらしい」


 瑠奈が思い出そうとするように眉を寄せた。


「その人、ママドルで『アヤーズ』って子供服ブランド出してなかったっけ?」

「そう。子供服の『ドラゴンキッズ』社長」


 美千香が面白くなさそうに言った。


「最近よく目にするから気がついたんだけど。さっき、下にいるのが見えたよ」


 亜美と瑠奈はハッとした様子で口を閉じた。


 笑美子とアリサ、サライはアイスクリーム付きのパンケーキと飲み物を頼んだが、あとの三人は飲み物だけを注文していた。


 瑠奈が呆れたように言った。


「パンケーキなんて食べるの?」

「勝つ気マンマンだから」


 アリサが切り取った一切れを口に入れた。


「美味しいわよ」

「勝つ気はあるけどね。やめておく。ダイエット中だから」

「そんなに細いくせに」


 アリサに言われ、瑠奈は笑った。


 食事をしていると、亜美とサライのそれぞれにメイドがやってきた。


「なに、それ?」


 瑠奈は興味深そうに亜美の封筒を見た。


「ボディガードは賭けに参加できるんだ」


 サライもすまして言った。


「マネージャも参加できるんですよ。ほら、またポテちゃんに稼がせてもらっちゃった。もう一〇〇〇倍なんて景気のいい数字じゃないけど、充分」


 サライは嬉しそうに手紙をアリサに見せた。アリサは指で数字を数え、サライに抱きついた。


 瑠奈は悔しそうに言った。


「醜態を見せるのがイヤで知り合いなんて連れてくる気がなかったんだけど…… 今まで大損してたのかな」

「負けたら全額没収だからね。今まで運が良かったのかもしれないよ」


 亜美が慰めた。


 笑美子がパンケーキの最後の一切れを飲み込んで言った。


「お金は大事にしないと。ファンの人たちの心だから」


 瑠奈がコーヒーフロートのアイスをスプーンでつつきながら、笑美子を見た。


「なんとなく、アリサとサライがこの子を気に入ったのが分かった。ポテちゃん、なにも知らないけど、いい子だね」


 笑美子はほめられたのかどうか判断できずに、微妙な表情を見せた。


 瑠奈が亜美に聞いた。


「言わなくていいけど。ひょっとしてポテちゃん一点買いで凄いことになってない?」


 亜美がうなずいた。


「さすがに連続して1000倍ってことにはならなかったけど。それでも、美千香が1,8倍、アリサが3,2倍、あなたが4.6倍のところで、ポテコは30倍だからね。ちょっとイヤな汗が出てきた」


 美千香が慌てて亜美を見た。


「ポテコ一点買い?」

「いや、美千香に1、ポテコに3。あんたに賭けないと悪いからね」

「この際、私はいいよ。好きに賭ければいい」


 美千香の声も、わずかに震えていた。


 瑠奈が笑美子に言った。


「こういう金額を平然と動かせる人ばかり集まってんの。『早乙女選抜』は。下にいる人たちから比べたら、ベストセラーマンガ家の爺ちゃんとか、美容整形の大病院の息子なんて貧民貧民」


 笑美子は金額が大きすぎて話を把握できなかった。笑美子は瑠奈に言った。


「だって、ファーストの人たちは握手券、何百とか何千枚ずつで買ってもらってますよ」


 瑠奈が肩をすくめた。


「それでも、下の連中から見たらド貧民なのよ。客席で大笑いしている連中の一人ひとりが、私たちをプロダクションごと買えるくらいの金持ちなの」


 サライが消えそうな声で言った。


「私なんて幾ら稼いでも、おこぼれをかすめてるくらいにしか思われてない。オキナ様とオウナ様から見たらゴミクズみたいなもの」


 サライが言い過ぎた、というように慌てて口をつぐんだ。


 オキナとオウナという言葉に全員が黙り込んだ。それぞれがわずかに恐怖の色を浮かべている。


 ただ笑美子だけは、親切な老人たちがなぜそれほど恐れられているのかが分からなかった。



 三回戦の時間が来た。


 二回勝ち抜き、笑美子にも少し気持ちに余裕ができ始めていた。三回戦目のステージに立って落ち着いて客席を見ると、熱狂する男女の姿が見えた。


 その姿は笑美子には不愉快で不潔な生き物に見えた。


 今までなかった気持ちを笑美子は感じていた。


 それは静かな怒りだった。


 幾らか空いたものの、客席はいまだに盛況だった。だらしなく倒れている者もいたが、多くの男女がステージを歓喜の表情で見上げている。


 リュウの声も、今では耳障りに聞こえた。


「さぁさぁ、第三回戦、スッタートだぁぁぁッ」


 リュウの呼びかけに観客たちは大声援を送った。

「まだ早乙女たちはサーティワン残ってる。そうそう終わりそうにないんで、今回はブラザーには休んでもらうことにした」


 ブーイングが起こった。


 リュウは押さえるように片手を動かし、得意そうな表情を浮かべた。


「ノー・プロブレムだぜ! 実はクソ野郎はもう一人いたんだッ! そいつもとっ捕まえてるんだ。これからつぐないをさせる・ん・だ・ぜッ! イエーイ!」

「イエーイ!」


 リュウの声に観客が答えた。


 大きく手を振り回してから、リュウが正面のモニタを指さした。それを合図に、四面のモニタが同時に西村の顔をアップで映し出した。


 歓声や拍手に混じって、悲鳴混じりの声が聞こえた。


 笑美子は耳を澄ませたが、何を言っているのか聞き取れなかった。


 リュウが耳元に左手を当てた。場内が次第に静かになった。それに合わせるようにスピーカーの音が大きくなっていった。


「やめろ! ボクを誰だと思ってるんだ! テレビ局に顔が効くプロデューサーだ! 警察に訴えでやる!」


 はっきりと聞こえた西村の第一声に観客が嬉しそうに笑った。


「貴様ら、こんなことをしてタダで済むと思ってるのか! 日本には法律ってものがあるんだ!」


 西村の頭の下に、固定するようなくぼみがある枕が押し込まれた。足先を見下ろすように、西村の頭が窮屈な角度に曲がった。


 西村の口調が変わった。


「な、な、金ならあるんだよ。ボクが売れっ子だって知ってるだろ? それをおまえたちにやるからさ。ここは見逃してくれよ」


 客席から大爆笑が起こった。


 西村の資産など米粒のような人たちなんだろう、と笑美子は思った。


 笑美子に取ってプロデューサーの西村は支配人の諸積以上の「神」だった。笑美子がサードとして所属してから西村に会ったことは入所時の挨拶くらいで、それ以降は顔を見かけたこともなかった。


 その西村の哀れな声は笑美子には信じがたいものだった。


「な、な、ここにはボボボクと君たちしかいないじゃないか。ちょっと目をつぶってくれれば大金が手に入るんだよ。悪い話じゃないだろ。な? な? な?」


 西村は画面からは見えない者たちに向かって必死に話しかけていた。


「考えても見ろよ。オキナとオウナなんて先が短いんだ。ボクに投資しても損はないだろ」


 布が裂ける音がした。


 どこかで金属がぶつかる乾いた音が響いた。


 西村の顔色が変わった。


「すみませんすみません。調子に乗りすぎました。オキナ様とオウナ様には逆らいません。ボボボクがやったことは警察に言います。罪をつぐないます。やっちゃった子たちにはお詫びします。全財産で賠償します」


 画面の外から手が伸びて、西村のずれていたメガネを外した。少ししてキレイに拭かれたメガネがきちんとかけ直された。


 西村が足元を凝視した。すぐに西村の額や鼻先に汗が浮かび上がった。


「つままないで…… つままないで…… やめてやめてやめて……」


 西村の顔が恐怖で歪んでいく。 


「やめてやめれやめやめや……」


 あごが外れたのではないかというほど、西村の口が大きく開いた。


 絶叫が口から溢れる前にモニタは消えた。


 不満の声が客席から漏れた。


 リュウがバカ丁寧にお辞儀をした。


「勘弁してくれ。この先は十八禁なんだよ。あそこにガールやベイビーがいるからね」


 リュウは笑美子たちを手で示した。


「あとで参加者のみんなには、ぜ・ん・ぶ映ってるブルーレイを送るからな。家でじっくり見てくれ! くれぐれもボリュームは小さくしろよ! イエーイ!」

「イエーイ!」


 リュウの声に再び観客が答えた。


「じゃあ、本番のはっじまりだぁぁぁッ!」


 照明が点滅して、客席の視線が笑美子たちに戻った。


 黒服たちが銃と銃弾を配る。


 リュウが説明した。


「今回は銃弾二発だ。並べてインサートしてもいいし、離してインサートしてもいい。おまえたちの好きなようにインサートしろ」


 笑美子は二発を並べて入れて、シリンダーを戻した。


「よし! 全員ハンドガンを構えろ!」


 笑美子は顔の前に銃をかかげた。


 もう手本を示す黒服たちの姿はなかった。


「シリンダーを回せ! グルグルと! 回せ! 回せ! 回せッ!」


 笑美子は二発の銃弾が来ないように必死に回した。


「ストップ! ハンマーを起こせ! 右手を横に伸ばせ! 左を向け! 目の前の銃身をくわえろ!」


 笑美子は銃身を口に含んだ。


 場内の照明が明滅し、薄暗くなってからカウントダウンが始まった。


「ファイブ・フォウ・スリー・ツー・ワン・シュート!」


 倒れる音。


 倒れたものたちを晒し者にするかのように照明が明るくなった。


 手足をばたつかせる音


 必死に吐き出そうとしている吐瀉音。


 かすれた泣き声。


 いろいろな音が聞こえる足元を見ないように、笑美子は少し上に目をやった。


『もし自分が倒れてたら、ほかの人に見られたくないもんなぁ……』


 うめき声に顔を向けないことは、暗黙の礼儀なのかもしれなかった。


 笑美子はできるだけ下を見ないようにして、ドアに向かった。

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