第3話 24時間前
◆
如月沙良衣(きさらぎ さらい)は壁にかかっているカラクリ時計を見た。透明なガラスの向こうで、組み合わされた歯車たちが黙々と動いている。
『大きいギアがお姉ちゃんで、隣の小さいギアが私だ……』
いつものように、サライは歯車を見ながら思った。
十一時には空港行きのタクシーが来る。待たせる分には構わないが、羽田行きの飛行機に搭乗できない事態は避けたかった。
『今日の仕事は休める仕事じゃないからね』
サライは小さくため息をついてから、ベッドに向かって声をかけた。
「お姉ちゃん、用意しようよ。タクシー、来るよ」
呼びかけても、如月亜里沙(きさらぎ ありさ)は掛け布団をかぶったまま、顔を出しもしなかった。
「行こうよ」
サライはもう一度呼びかけた。アリサがベッドから出る様子は全く感じられなかった。
『時間かかりそうだなぁ……』
サライは時計を見た。
『それでも、あと一日と数時間経てば…… 全ては終わってるんだけどね』
サライは焦らなかった。姉が不安定なことは双子の自分が一番知っていると思っている。だからこそ、両親でさえ諦めた姉のマネジメントを買って出ていた。
「ねぇ、お姉ちゃん。もう起きて用意しないと」
「うるさいッ! 私、行かないからね。あんなとこ」
ふとんの中から、くぐもったアリサの声が聞こえた。サライの表情が明るくなった。
『返事した! 案外、早いかも』
サライは姉の声が好きだった。「天使の声」と言われるガラス細工のような繊細な声を聞くことは無上の喜びだった。
もう一度、サライは声をかけた。
「私も一緒に行くんだから」
「また今年もくだらないゲーム、やらされるんだわ」
「でも、そのゲームに出られるだけでも凄いんだよ。お姉ちゃんは」
半分本心からサライは言った。
ご当地グループ「joujoux(ジュジュ)」は元々は札幌在住者だけのガールズ・バンドだった。その名残りで初期メンバーはオフを札幌で過ごすことが多かった。
名前が売れ出した頃、大手のゴライアス・コーポレーションに会社ごと買われた。その時に、アリサとサライもアイドルグループ「vingt-deux joujoux(ヴァンドゥ ジュジュ)」に初期メンバー五人と共に移っていた。
五人だったグループが、二十二人の大所帯になったが、仲間たちは初期メンバー同様にハーフやクォーターが集められていた。
人数が増えた中で、今でもアリサとサライはツートップを誇っていた。日本人の父とフランス人の母とのハーフを持つアリサとサライの容姿は、母の血筋が強く出ていた。
二人とも、ほっそりとした体つきで手足が長かった。肩までの白に近いプラチナブロンドに、緑がかった瞳も、ひと目を引いた。
他人には見分けがつかないほどよく似ていると言われたが、サライの方がやや瞳が黒く、家族と本人たちは簡単に見分けられた。
『外見は似ているのに…… 私は選ばれたことがない』
姉に対して、サライに嫉妬心がないわけではなかった。
ダブルボーカルとしての自負もある。だが、毎年姉のアリサにだけしかカードは送られてこなかった。それでも、ギリギリのところで爆発しないでいられたのは、姉を尊敬し、愛していたからだった。
『自分にはチャンスさえ無い。だから、姉をトップに、一位にする!』
サライは自分に気合を入れた。
そのためには、まずアリサを部屋から出さなければならなかった。
サライは落ち着いた声で話しかけた。
「一年に一度のパーティじゃない。ゲームだってすぐ終わるんだし」
「あなたは毎年見ているだけ…… 見ているだけだから!」
サライは姉に気づかれないように、うつむきながら唇を噛んだ。
『私も出たいのに!』
サライの苦悩を知らずに、アリサが上半身を起こした。
「あのゲーム…… 神経をすり減らして、笑いものにされて…… 屈辱しか残らない」
『屈辱? だったら、大丈夫ね』
アリサの勝ち気を知っているサライはホッとした。
サライはさりげない口調で言った。
「去年も純子に持ってかれちゃったもんね」
サライの目論んだ通り、アリサは怒って枕を投げつけてきた。
「言わないで! あのブスのことなんか!」
「でも、運は強いよ」
「それは認めるわ。あんなゲームに三年連続で勝ってるんだもん」
サライもマネージャーとしてアリサのそばにいて、閲覧者として「あんなゲーム」についてはよく知っていた。
「そうよね。あのゲームは体力をつけるとか勘を磨くとか、練習で鍛えられるもんじゃないもん」
姉の絶望する表情を見るのは辛かった。だが、だからこそ、双子の妹である自分以外に姉のサポートはできないとサライは信じていた。
サライは唇を舐めた。
『怒らせるけど、怒らせすぎないように……』
言葉を慎重に選んで、サライは言った。
「この一年でジュジュは人気急上昇だった。ヴァンドゥの仲間の何人かは番組持てたし。みんな、お姉ちゃんのおかげよ。たとえゲームに負けたとしても、私たちにも運のおこぼれがあったってことよ」
一瞬で、アリサから表情が消えた。人形のような美貌が、さらに人形めいた。サライはアリサの顔をゾクゾクしながら見ていた。
「あのブスのおこぼれで、一年食いつないだってこと?」
低い声でアリサがつぶやいた。プラチナブロンドの髪が怒りで逆立つように見えた。
「そうは言わない。だけど、ファンもアンチも、そう思ってる」
「私たちがナンバーワンアイドルだわ。歌舞伎町のブスたちじゃなくて」
「それを証明しに行かなくちゃ」
「そうね…… あなたとフラワーショップを開く資金も稼がなきゃならないし」
それはアリサとサライの夢だった。
アリサがベッドから出た。
ただの白いネグリジェを着ているだけだったが、それだけでも気品の感じられる美しさだった。
「今年こそ早乙女になるわよ」
「そうよ。お姉ちゃんは世界一なんだから」
初めてアリサは笑みをこぼした。
例えようもないほどの美しさだった。
「ありがとう! 頼むわね」
アリサは嬉しそうにサライに抱きついた。
◆◆
アリサとサライが羽田に到着した、ほぼ同時刻。
清水琴音(しみず ことね)は大学での琴の稽古を終えて、帰途についていた。
琴音と名付けたのは、今は亡き祖母だった。生前、祖母は小さい琴音に琴と三味線を教えていた。
生まれたての赤ん坊を見て、どうして適正が分かったのか分からない。ただ父や母に「この子の手は演奏のためにある」とよく言っていたらしい。
最初は祖母から、祖母亡きあとは母から琴と三味線、日舞を習った。母も祖母の薫陶を得ていたが、琴音ほどには才能がなかった。
母の手に余るようになった頃、大学に入学する年令になっていた。
ためらうこともなく琴音は雅楽を選択した。
琴音の手は確かに演奏する手だった。今では生田流の奏者としてだけではなく、チターとカーヌーンの演奏者としても知られ始めていた。
雅楽器仲間を募って「Sonic Youth」の「Anti-Orgasm」を演奏してYoutubeにアップしたところ、世界に広がった。三日で五〇〇万アクセスしたことで、それが音楽事務所の目に止まった。
黒髪の、少しつり目がちの少女は、仲間と共にアイドルの世界に参入した。古典芸能の先達たちは眉をひそめたが、若い奏者、それに観客は新しい音に熱狂した。
琴音は和裁も得意だった。祖母の着物を仕立て直した服もまた、世界のファンにはウケた。
今日も、琴音は自作の服を着ていた。
薄水色のガウチョパンツの足元では金魚が泳いでいた。黒のハーフ丈の革コートを脱げば、ブラウスの背で手ぬぐいをかぶった猫の踊る姿を見ることができただろう、
『この格好もリーダーだから仕方がない。ま、好きだけど』
いつもの風景の中に、わずかだが異質な動きを琴音は感じた。何かに気づいたことを素振りに出さず、頭を動かさずに目を左右に走らせた。
「今日だったの…… 忘れてた」
つぶやいて、琴音はいつもの帰り道を外れた。住宅街の奥に入っていく。細い道の先に、ひと気のない神社があった。境内に入ると、黒のブーツの下で玉砂利が鳴った。
広い場所で、琴音は足を止めた。
「毎年毎年ご苦労なことです」
その声に呼ばれたように、こつ然と六人のサングラスをかけた黒服の男たちが現れた。
五人が半円を描くように琴音の前に立ち、一人が正面に立った。男の左ほほには一本の深い傷があった。男は軽く会釈して、琴音に話しかけた。
「帰り道のお邪魔をして申し訳ございません」
柔らかい口調だったが、琴音は不愉快そうに目を細めた。
「山田さん…… でしたっけ?」
「山田芳雄(やまだ よしお)です。覚えておいでとは恐れ入ります」
「まぁ…… 傷をつけたのは悪いと思っていますから」
山田は手を伸ばし、傷に触った。
「今年はお手柔らかに。招待に応じていただければ、私どもも無粋な真似をしなくて済み、助かるのですが」
「行く気がないことをご存知?」
「カードを破り捨てられたでしょう」
琴音がうめいた。
「なぜカードを破り捨てたことをご存知なんですか」
「企業秘密です」
琴音の後ろで玉砂利の鳴る音がした。後方にも男たちが立っていた。肩越しに見ると、八人が道をふさぐように並んでいた。
「走って逃げるわけにはいかないようですね」
「去年は危なかったですから。人数を増やしました」
「十四人とは大げさですよ」
「ご謙遜を」
すり足で琴音は少しずつ動いていたが、男たちは一定の距離を保ったまま琴音に近づかなかった。
山田が静かに言った。
「わざわざひと気のない神社にお誘いいただいたので、お礼にご提案するのですが」
琴音は微笑んだ。
「なんでしょう?」
「何もしないで、大人しく一緒に来ていただけないでしょうか?」
「イヤです」
琴音の即答に山田は苦笑した。
「『早乙女選抜』は誰でも参加できるわけではありません。清水様にとっても悪いことではないと思いますが」
「ご利益があるとでも?」
「事実、清水様の『和曲集団みやび』も短期間で人気を得ているではありませんか」
琴音が目を見開いた。形の良い赤い唇から、かすれた声が漏れた。
「運の残りカスで人気が出ていると……」
「そうは申しません。運も実力のうち……」
「言うな!」
琴音の声に、山田は首をかしげた。
「来ていただけませんか?」
「しつこい。あんなゲームをやる暇はない」
「それでは仕方がありません。恒例ではありますが、お付き合いいただきます。このことは迅雷企画様には通達済みです」
琴音はうつむいた。
『だから弱小プロダクションはダメなんだよ!』
心の声が舌打ちに出かかった。
そんな下品な真似は祖母が許さなかった。そう考えて、琴音はため息に変えた。
ハーフコートのポケットに用意していた生田流の角爪を模した銀製の爪を、素早く右手の人差し指と中指にはめた。カバーを外すと、爪の先はカミソリのように鋭かった。
山田が警告した。
「全員右手に気をつけろ!」
琴音があざけるように言った。
「あなたほどの手練でなければ使いませんよ」
するすると左の男が近づいて、琴音の手首をつかんだ。琴音はわずかに腰を落とした。
「フッ!」
琴音が鋭く息を吐くと、男の体が一回転して地面に落ちた。
「フッ!」
琴音の右足が男のみぞおちを踏みつけた。男の伸ばした手がパタンと落ちた。
琴音の脳裏に祖母の笑顔が浮かんだ。
「女も戦えねぇど。我が身は自分で守りらんしょ」
祖母の言葉に、母もうなずいていたものだった。
祖母と母から習い、受け継いだことは、歌舞音曲だけではなかった。琴音は御留流として伝えられていた武術を習っていた。雅楽器の演奏には才能がなかった母だが、武術では祖母を凌駕していた。
琴音は母に感謝しながら、男たちに素早く目をやった。
右から姿勢を低くして、タックルする者が見えた。琴音はジャンプして避けた。長い黒髪を逆立ってながら、左手で男の右耳の後ろを叩いた。軽く撫ぜただけのように見えたが、男は白目をむいて玉砂利の中に顔を突っ込んだ。
着地した琴音の背後から一人の巨漢が突進してきた。両腕を琴音の脇に入れ、そのまま持ちあげた。百七十五センチの琴音の足が浮いた。
「うかつに前に立つな!」
山田が苛立ったように言ったが、すでに遅かった。近づいて前に立った男の胸と顔の上を琴音が「走った」。走り切る寸前に、左つま先が男のあごに突き刺さった。男は奇声を上げて後ろに吹っ飛んだ。
体をひねると、琴音の体から巨漢の腕が抜けた。
そのまま、琴音は巨漢の頭上で膝を曲げた逆立ちの格好になった。頭を中心に体を回転させて、背に膝を落とした。巨漢は背中をそらして口を大きく開けたが、声も出さずに昏倒した。
物理現象を無視したような琴音の動きに、男たちは一瞬たじろいだ。
山田が口笛を吹いた。四人の男たちがロープを出して小さく回した。一人の投げたロープが琴音の左手に絡まった。
琴音が右手を動かすと、爪があたったロープが切れた。その間に両足にロープが絡まった。さらに二人が琴音の左右の腕にしがみついた。
「離しやがれ! このクソムシどもがッ!」
祖母が聞いたら確実に説教される、と琴音は一瞬思った。
「ひと気のないところでようございました。我々の目的はあなたをご招待することで、辱めることではありませんので」
「ふざけるな! この卑怯者! 一対一で勝負しろ!」
「それはコリゴリですよ」
山田は再び顔の傷に手をやった。
「しかし、たいしたものです」
無事だった者たちが倒れた者を介抱している様子を見ながら、山田が感心したように言った。
「一つ聞いておきたいのですが」
「なんだ。言ってみろ!」
「アイドルをやめて、うちに就職する気はございませんか?」
「ない!」
「それは残念」
近づいた山田が、何か硬いものを琴音の脇腹に押し当てた。
琴音の意識は、そこで途切れた。
山田はスタン警棒を腰に戻した。
「丁重に扱うように」
男たちは壊れ物のように琴音を扱った。
男の一人が近づいてきた。
「隊長」
「なんだ」
「佐藤班、任務終了の連絡がありました」
「今年の被害は?」
「新人二人が前歯を折られたと……」
「狂犬姉妹も遠慮がないからな」
山田は苦笑した。
「それだけで済めば、いい方だ。戻るぞ」
山田の声のあとには、境内には誰もいなかった。
◆◆◆
琴音が気絶をした、ほぼ同時刻。
新コマ劇場から数分の場所にあるKDT24センターのトレーニングルームに明かりがともった。
元は小学校だった建物だが、トレーニングルームは防音壁と防音ガラスで補強されていた。そのため、外部にはほとんど音が漏れなかった。
ブラックのスポーツブラにライトラベンダーのキャミソールとジョギングパンツを身につけ、後ろで髪をまとめた高瀬川美千香(たかせがわ みちか)はジョギングマシンに近づき、スイッチを入れた。低いモーター音をあげて、ゆっくりとベルトが動き出した。
美千香は慣れた手つきでタイマーを二〇分にセットした。
並んで置いてあったリモコンに手を伸ばしてスイッチを押すと、天井のスピーカーから「Katy Perry」の「Peacock」が流れ出した。美千香はゆっくりとベルトに乗って走り出した。
黙々と足を動かす。
『少しは気が晴れるかと思ったんだけど……』
身体を動かしても、美千香の心の底にあるモヤモヤは晴れなかった。
「健全な肉体に健全な精神が宿るなんてウソだ……」
美千香が吐き捨てるように言うと、隣から返事があった。
「今頃気づいたの?」
いつ来たのか、隣りのベルトで黒のTシャツにデニムのショートパンツ姿の貴臣純子が走っていた。
それだけで、言葉を交わすこともなく、二人は黙々と走った。
タイマーが鳴った。
美千香はゆっくりと止まったジョギングマシンから降り、首にかけたタオルで汗をぬぐった。息を整えながら軽く柔軟をして、バタフライマシンに移った。
すぐに純子が隣のマシンに座った。
美千佳がゆっくりとバタフライマシンを動かした。細く見える腕に筋肉が盛り上がった。
「なぜ、あのバカに従った」
歯を食いしばるようにして、美千香が尋ねた。バタフライマシンの圧力で押さえつけなければ、怒りが噴き出しそうだった。
同じように押しつぶした声で、純子が答えた。
「よく分からない。あの時はそれでいいと思ったんだ」
美千香が訴えた。
「あんた、KDT24の中心ってだけじゃないんだよ。『早乙女選抜』を勝ち抜いたアイドルの中心なんだ。ほとんどのリーダーたちの倒すべき目標だったんだ」
美千香は顔をしかめた。再び筋肉が盛り上がった。
「それに…… よそのグループのことだけじゃない。私はどうしたらいい? 亜美は消えた。あんたは降りた。二人のお情けをもらうために自分を鍛えていたわけじゃないんだ!」
少し前まで純子がナンバーワン、高柳亜美がナンバーツーだった。美千香はナンバースリーに甘んじていたが、二人の性格を知るにつれ、自分に実力がつくまではそれでもいいと思うようになっていた。
「あんたと亜美、それに私。三人で作ってきたんじゃないのか。亜美はいきなり退団。あんたは…… いきなり失格だ」
二つの目標をなくした美千香は、どこに怒りをぶつけていいのか分からなかった。
「あんたたちのおかげで私は欲求不満だ」
美千香はレバーから手を離した。純子も手を離した。ゆっくりと息を整え、純子が静かに頭を下げた。
「ごめん」
美千香は憎々しげにつぶやいた。
「ホスト上がりのクズに夢を壊されるとは思わなかった。今、あのバカに会ったら、握りつぶすか、へし折るかもしれない」
美千香の目にうっすらと涙が浮かんだ。
「『早乙女選抜』であんたたちを倒してナンバーワンになることが夢だったんだ。あんたたちを目標にしてきた私はどうしたらいいんだよ……」
うなだれた美千香を純子は痛ましそうに見つめた。
「私は器じゃなかったんだ。三年の間、早乙女をやったけど…… これ以上できないと思った」
「だから、あんなのに身を任せたのか」
「手近にいたからね。誰でも良かったんだ」
「バカだよ。あんた」
美千香はため息をついた。
「どうするつもりなんだ。オキナ様やオウナ様の怒りを買うよ」
「仕方がないわ。自分でやったことだから」
「私にできることがあったら言って。これ以上、内緒は、なしだ」
さりげない言葉に純子の瞳が潤んだ。
「ありがとう」
純子は美千香を見つめた。
「私の代わりが『早乙女選抜』に行く。その子を守ってもらえる?」
純子の不意の言葉に美千香は混乱した。
「純子の代わりができる? そんなヤツ、うちにいたっけ? 誰?」
「サードのポテコ」
意外な名前に美千香は目を丸くした。
「イモ?」
「そう」
背が低く、いつまでたってもあか抜けない、そのくせ退団することもなくKDT24に居座り続ける少女を美千香は思い浮かべた。
「なんでまた」
「何の気なしに、部屋に来た時にカードを渡したの。別に私の代わりとは言わずに、チャンスをつかんできなさいって言って」
美千香は息をすることも忘れた。すぐに大笑いし出した。悪意のあるカラ笑いだった。美千香は純子をにらみつけた。
「イモを『早乙女選抜』に送る。そりゃあ、処女という資格はあるだろうさ。それだけで早乙女になれるわけないだろう。なめてんの? 参加者を」
純子は謎めいた微笑を浮かべた。
「資格をなくした私のところに真っ先に来たのよ。そして、チャンスをものにした」
純子の静かな声に美千香の笑みが消えた。
「本当の本気か」
「もちろん。でも、運を持っているかどうかは正直分からない」
「そりゃあ、あんなゲームだからね。訓練でどうこうできるもんじゃないし…… 運さえあれば、イモでも勝てる、か」
美千香は深いため息をついた。
「それにしても、イモねぇ」
「せめてポテコって呼んであげなさいよ」
純子が苦笑した。
それを見て、美千香はホッとしたように笑った。
「純子が笑えるのがイモのおかげだって言うんだったら、ポテコに昇格してやるよ」
「そうね…… それほどつらくないのも、あの子のおかげなのかもしれない」
「分かった、誰から守ればいい」
「あの子、この業界に慣れてないわ。あの子の邪魔をしようとするヤツらから守ってほしい」
「やってみるよ」
「ありがとう」
「いいさ、長い付き合いだし。ただ……」
「ただ?」
「勝負は別だよ。わざと負ける気はない」
「わざと負けることなんてできないじゃない、あれは」
「運か…… おかげさまで、あんたのそばにいたから運だけは有り余ってるよ。たぶんね」
美千香は不敵な笑みを見せた。
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