第3話「浮かない顔が気になった」


 夜中まで動画を見ていた俺は、見事に寝坊した。


「有依子ちゃん待ってるんだから早くしなさい!」

「わかってるよっ!」


 おかんに叩き起こされ、急いで顔を洗ってもう一度部屋に戻る。

 六月半ば。まだ梅雨には入っていないのか、いい天気が続いている。今日も晴れていて暑いくらいだった。これなら薄着で良さそうだ。

 適当に服を選んで着替え、居間に顔を出した。


「すまん、有依子!」

「はぁ~お茶が美味しいわ~」


 うちの居間は和室で畳敷き。有依子は座布団の上に正座して、すました顔でお茶を飲んでいた。

 トレードマークと言える明るい茶色の髪は、腰まで届く長さ。こんな風にぴしっとした姿勢でお茶を飲んでいると、どこかのお嬢様のようだ。

 服装はゆったりしたベージュのブラウスに、ネイビーの八分丈タックパンツ。左手の裾からはブレスレットがちらりと見えた。結構お洒落に気を遣っている。俺なんかTシャツにパーカー、ジーンズなのに。

 台所にいたおかんが入ってきて、朝飯をテーブルに並べていく。


「ごめんね~有依子ちゃん。うちのバカが」


 有依子は湯飲みを脇にどけて、ニッコリ笑う。


「いつものことですから。大丈夫ですよ」

「ぐっ……」


 家が隣ということもあり、有依子はおかんとも仲が良い。二人揃ってしまうと俺は逆らうことができないのだ。


「ほら、待ってるから朝ご飯食べちゃいなさいよ」

「いやそんな時間ないだろ、行かないと」

「別に急いでないでしょ」

「晃太。あんた、食べなかったら晩ご飯抜きよ」

「……はい。食べます」


 という具合だ。

 手を合わせ、いただきます。テーブルに出されたご飯と味噌汁、鮭の切り身を急いで口にかっ込む。


「そんなに慌てて食べなくてもいいのに」


 有依子はそういうと、電気ケトルに残っていたお湯を急須に入れて、俺の分のお茶を用意してくれる。


「お、さんきゅー」

「おばさん、お茶飲みますか? お湯なくなっちゃったんで、水入れてきますよ」

「あら、ありがとう。お願いね」


 有依子は立ち上がり、ケトルを持って台所に入っていった。勝手知ったるなんとやら。


 これだけうちのことを知っている有依子だが、実は付き合いは三年とちょっとだ。昔から隣りに住んでいたわけではなく、中学入学と同時に有依子が引っ越してきた。だから俺たちは幼馴染みというわけではない。

 有依子の家が引っ越してくると、まず両親たちが仲良くなった。お互いの家で食事会が開かれるようになり、俺たちも同い年同じ学校ということで、話も合い……気が合い、今のまるで幼馴染みのような関係になっていった。学校でも幼馴染みと勘違いされているみたいだが、もう否定するのも面倒でそのままにしている。


「ちょっと晃太。今日の有依子ちゃん、気合い入ってるんじゃない?」

「そうか? いつもあんな感じの格好だろ」

「わかってないわねぇ。まったく、あーんなカワイイ子を待たせるなんて。あんた本当にうちの子かい?」

「正真正銘ここの子だ。ごちそうさん!」


 これ以上妙なことを言われても困る。俺は残っていたご飯と味噌汁を口に詰め込んで、食器を持って立ち上がった。


「あら。晃太、お茶もう飲まない?」

「飲まない。早く行こうぜ」


 台所に入ると、有依子がケトルに水を入れ終えたところだった。俺は食器を食洗機に入れ、素早く玄関に向かう。


「ちょっと待ってよ。もう……」

「照れてるのよ。有依子ちゃんがカワイイから」

「え、えぇ?! か、カワイイ? あの晃太が照れてる?!」

「有依子ちゃん、それ振り回したら水こぼれるわよ? ほらケトル貸して。お茶は自分で淹れるから」

「す、すみません! ……じゃ、わたしもお茶を飲んで……いってきます!」


 俺は玄関で靴を履きながら、ふたりのやり取りを聞いていた。

 ようやく出てきた有依子の顔をじっと見る。


「? なによ、ど、どうかした?」

「どうもしないって」


 カワイイっていうのは、認めよう。でも俺は別に照れてなんかいない。……はずだ。




                  *




 ダイブゲームセンター。

 ダイブグローブデバイスでゲームができる場所の名称だ。

 以前は普通のゲームセンターだった所が、数年前にダイブゲーム専用の店に改装された。

 外見はほとんど変わっていないが、中はがらりと変わった。ゲーム筐体はすべてなくなり、一人だけ入れる個室――ダイブブースがずらりと並んでいる。ブースの中は殺風景で、椅子とグローブに接続する電源ポートしかない。利用者はこの個室に入り好きなグローブでゲームをし、利用時間に応じた料金を支払うという仕組みだ。


 現在、ダイブグローブデバイスを使用できるのは、ダイブゲームセンターのみ。ここにしか電源ポートが無く、ゲームをしたければここに来るしかない。

 というのも、ダイブしている間、その人は完全無防備になるからだ。襲われても気付けない。もちろん安全装置はあって、なにかが起きると強制終了するようになっているが――なにかが起きてからでは遅い場合もある。それを考慮して、こういった個室でのみダイブ可能になっているのだ。

 もっとも、ここまで厳しく規制されているのはゲームだけだ。単純なネットダイブはもう少し緩い。公式には推奨されていないが、ネットダイブ専用のグローブならばサードパーティから別売りの電源ポートが発売されていて、家でもダイブできる。

 ネットダイブの場合、フルダイブと違い外の様子がわかる。危険は少ないと判断されているわけだ。ただモバイルバッテリーなどを使用すれば外でもダイブできてしまうので、それは危険だからという理由で推奨されていない。

 長距離移動の列車や飛行機、喫茶店などでもネットダイブ用の電源ポートが用意されるようになってきているし、外でも使用できるようにセイフティーシステムを強化する流れもある。そのうちフルダイブのゲームも家でできるようになるかもしれない。



「はぁ……結局買っちゃったじゃない」

「有依子、早く行こうぜ。駅前のゲーセン」


 無事グローブを購入した俺たちは、さっそくダイブゲームセンター、略してゲーセンに向かっていた。

 ちなみにゲーセンは普通のゲームセンターと言い分けるために、ブースと呼ぶ場合もある。もっともゲームセンターが減ってきた今、ゲーセン=ダイブゲームセンターで十分通用してしまうが。

 単純に場所を指す時はゲーセン、ゲームをやろうという意味の時はブースと呼ぶのが一般的かもしれない。


「わたし、まだやるって言ってない」

「せっかく買ったのにやらないつもりかよ」


 ここに来てもまだ、有依子は渋い顔をしていた。

 なんだかんだでグローブも買ったし、やる気になったと思っていたんだが。

 俺は立ち止まり、後ろの有依子に向き合う。


「なぁ、有依子。もしかして――――おわっ?」


 ドンッ。


 急に立ち止まって後ろを向いたもんだから、前から来ていた人にぶつかってしまった。

 慌てて前に向き直り頭を下げる。


「あっ、すみません!」

「ん……こっちこそ、ごめん」


 そこに立っていたのは、ジャージ姿の……女の人。黒髪ショートカットでボーイッシュな雰囲気があったから、一瞬男かもと思ってしまった。胸の膨らみが主張してくれなければ本当にわからなかったかもしれない。

 足がスラッと長くて、背は俺より少し高いか。

 歳はたぶん同じくらい。顔はちょっと幼い感じがするが、美人だと思う。あまり感情を顔に出さないタイプなのか、ずっと無表情で怒っているのかどうかわからなかった。


 ……あれ? この人、どこかで見たことがあるような。


「ちょっと晃太、なにしてるのよ……」

「いやぁ、うん……ほんとに」


 後ろから有依子の非難の声が聞こえてきたが、俺は相づちだけ打って女の人の顔をじっと見る。

 うーん……だめだ、わからない。


「…………」


 一方、女の人は女の人で、なにかをじーっと見ていた。

 視線を辿ると……俺と有依子の、手元?


「あの、すみません。こいつがなにかしました?」

「……ううん、なにも。それじゃ」


 有依子が声をかけると、女の人は軽く手を挙げて、脇を抜けて駆けていってしまう。ジョギング中だったようだ。

 結局最後まで表情が変わらなかったな……怒っていなかったとは思うが。


「なぁ有依子、今の人どっかで見たことないか?」

「どっかって、なに言ってるのよ。清崎きよさき先輩じゃない」

「清崎、先輩……? あぁ、あの人が!」


 そうだ、学校で見たことがあるんだ。

 彼女は学校で有名人なのだ。クールでボーイッシュな美人の先輩。クラスのヤツに引っ張られて、一回見に行ったっけ。


「確か、運動神経抜群、スポーツはなんでもできる。色んな運動部から引っ張りだこなんだろ? 助っ人マスターなんて冗談みたいなあだ名がついてるって聞いたぞ」

「そうみたいね。そんなのマンガとかだけかと思ってたわ」

「だよなぁ……」


 俺は先輩が駆けていった方を見る。もう背中も見えないが、とんでもない人がいたもんだと嘆息した。



「ほら晃太。行くんでしょ? ゲーセン」

「おう……そうだったな」


 そうだ、俺たちはこれからキャストマジシャンズをやりに行くんだ。

 しかし……。


「でもいいのか? なにか……」

「グローブ、もう買っちゃったしね。晃太は言い出したら聞かないし。いいわよ、付き合ってあげる」

「……さすが有依子。俺は初心者だからさ、よろしく頼むぜ」

「はいはい。まったくしょうがないんだから」



 キャスマジでなにかあったのか?


 本当はそう聞くつもりだった。

 でも有依子はやると言ってくれた。無理に聞く必要はないだろう。


 だけど……やっぱり有依子は、どこか浮かない顔をしていた。

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