ー04

 風が強く吹いているせいで、アルネ姉さんが植えてくれた木々が揺れているのが窓から見えた。巣を作っていたのか枝を口に銜えていた鳥が木の周りを飛んでいるのが分かる。遠くから誰かの笑い声のような葉の擦れる音が聞こえてきた。外は沢山の音で溢れているのに、部屋の中は私のいつまでたっても慣れない動作のせいでカチャカチャと食器がぶつけて音をたてる音と呼吸音しか聞こえてこない。

外に比べたら、あまりにも静かだと思った。

自分の主は目の前で自然な仕草で食事をとっている。

もしかしたら、いまだに食事の時に音をたててしまう自分を不愉快だと思っているのではないだろうか。

人のように食事をすることができない私に呆れていないだろうか。

そんな風に考えながら主であるセオドアを盗み見つつ、食事を続ける。

だけど、すぐに視線をそらすことになった。

主が視線に気が付いて、料理から視線を此方に向けたからだ。

私と主の動きが止まり、少しだけ気まずい雰囲気になる。

「……ねえ、ラルス。何か変わったことはないかい?」

自然な動作で食事をとっていた主は、フォークを弄びながら優しく微笑み言った。

沈黙がなかったかのようないつも通りの態度で主が言葉を紡いだのだから、ぱちりっと瞬きをしてしまう。

驚いている場合じゃない。返事をしないといけない。

そもそも嘘をついても、何故か分かる主に無駄なことをする気にはない。

私はわざとらしく思い出していると分かるように視線を動かしてから、その質問に言葉を返した。

「最近、夢見が悪いんです。悪いと言うよりはいつも同じ内容の夢ばかり見るんですよ」

 そこで言葉を切ってから下に視線を動かした。雑に置かれているカトラリーが目の前にある。それから目を背ける様に目を閉じた。

主は何も言わないで、私の行動を見守り言葉の続きを待っていてくれている。

そんな主の様子が予想出来て、夢の内容を言うべきか迷ってしまった。

言ったら確実に、主は私を、私達を助けてくれる。

だけど、それに縋っていいのだろうか。

夢の内容は思い出す努力をしなくても、すぐに口に出すことができる。

「お兄ちゃん」と妹が私を呼びながら笑っている一見穏やかな夢。

だけど、私は彼女の名前を呼ぶことができない。

大切な可愛い妹なのに、その名を口に出すことができない。

一度だって忘れたことなんてない妹の名前が、その夢の中だとどうしても思い出せない。

顔も姿もその記憶の中では曖昧で靄がかかっている、影がかかっている。

まるで思い出すことを嫌がっているように。

私は迷ってから、目を開けた。

「……妹の夢」

 小さく呟く。

主はその言葉に何か考えるように黙り込んだ後、いつもの様に笑顔で言葉を返してくれた。

「妹の夢を何度も見るのか。妹がいた、その記憶からそんな夢を見るのかも知れないね。もしくは、いまだに助けることができてない後悔からか。……ああ、君を傷つけたくて言ってるんじゃないよ。可愛い子、その苦しみから救う手立てができるまで、もう少しだけ我慢してね」

 助けることができなかった、という言葉にぐっと唇を噛む。

今でも思い出せる悲鳴と泣き声、そして怒鳴り声と笑い声。

あの暗くて汚くて血の臭いがこびりついた部屋の記憶。

嫌なことを思い出したと、その記憶を振り払うように頭を何度も横に振る。

主は全て分かっていると言うように笑いながら私の頭を撫でた。

少しの間、その手に擦り寄るようにして撫でられ続けていたが、すぐに夢の話をしないといけないことを思い出した。

「……その夢なんですが、妹がいるだけというわけではないのです。灰色の背の高い壁に囲われた二人だけの世界に僕たちはいて、その中で僕たちは幸せだ、と言いながら笑みを交わしている。そのはずなのに、まるで作られたような違和感が拭えない」

 頭を撫で続けられながら僕は夢の話をする。

頭の中に夢の景色を思い浮かべながら口に出すと、その夢の中に戻ったかのような錯覚を覚えた。

「作られた違和感、ねえ」

 主は興味なさげに、そう言葉を口に出す。

自分から聞いておいて主はもうこの話に興味がないのだろうか。

もしかしたら、自分には分からない存在を思い出しているのかもしれない。

僕は言葉を続けて、夢の内容を口に出す。

何か、手助けになればいいが。

「少しの間、微笑みあってから細い腕が僕の方に伸ばされる。僕はその腕を拒まないと教えるために何時も目を閉じるのです。妹の安堵した雰囲気を感じながら僕は彼女が動くのを待つんですが、それにも違和感を抱くのですよ。僕はそんなことをしていただろうか、と」

 そもそも彼女は僕にそんな風に気安く触っていただろうか。

彼女は本当に僕に微笑みかけてくれるだろうか。

「昔からしていたわけではないのだね。それとも、忘れているだけかもしれない」

 主様は笑みをこぼしながらそう言う。

本当に忘れているだけなら、あんなに違和感を覚えるものだろうか。

その言葉に僕は何も答えず、夢の話を続けるために口を開く。

「体温の低い妹の腕が腹に回されて、手が僕の背中の服を握る。そこで僕は、妹が甘えてきただけなのに恐怖を感じたんです。背中を冷たい何かで撫でられるような気持ち悪さも感じました。気が付いたら、そこにいたのは妹ではなく人の形をした黒い靄のようなものに変わってました。顔が見えないはずなのに、笑っているのは分かったんです」

 主は撫でていた手を机の上に戻し、含みがある笑い方で此方を見る。

ああ、嫌な予感がする。

「人型の靄……黒いもので人型ということは人影ともとれるね。人影ならば、人に知られたくないことや後ろめたい気持ちがあるという意味だし、靄ならば先の見通しが立たない状態にいることを示す。それは困難な状況から抜け出せなかったり、何か疑わしいことがあったりするという風に考えることもできる」

 トントン、と机を人差し指で叩きながら主は言う。

その言葉は僕に説明しているというよりは、少しずつ追い詰めていくような何かを感じた。

「……そうなのですか。それは、初めて聞きました」

 視線を主から逃げるように逸らしてそう答える。

「まあ、私の知識も彼女からの受け売りだけどね」

 ふう、と短く息を吐いて、主は机を叩いていた指をぴたりと止め、小さく呟いた。

「彼女……あの国の巫女ですか。いつも思うのですが、どうやって会いに行っているのですか?」

 主はまた机を指で叩く動作を再開しながら、私の言葉に首を横に振る。

「ラルスが気にする必要はないことだよ」

 その言葉に、首を絞めつけられるような圧迫感を覚える。

頭を強く殴られたような気持ちになった。

突き放されたのではないと分かっていても、そういう言葉は聞きたくない。

「それより、夢の続きを話してくれると嬉しいな」

主は私の様子に気が付いて、すぐに話題を夢の話に戻そうとした。

分かりやすい行動に思わず、苦笑する。

「話を逸らしましたね。まあ、いいですけど。……人型の靄を見た僕は小さく悲鳴を上げ、それを突き飛ばすのです。自分で言うと、どうも情けないですね。突き飛ばされたそれは、地面に座り込むような姿になり、その姿のまま口などないのに笑いだすんです。その声はどこか聞き覚えがあるようでない感じでした」

 あれはいったい誰の声なのだろう。

自分が作り出しただけのものなのか、それとも……。

「へえ」

 にっこりと笑みを作って主は、少し苛立ったように相槌を打つ。

何か気に障ることを言っただろうか。

分からない。

主はいつも気まぐれだ。

「何て顔をしているのですか。その怒っています、とでも言いたげな表情を止めてください。苦手なんですよ、その顔」

 目を逸らし、だんだんと小さくなっていく言葉を口にする私に主は柔らかい笑みを浮かべる。

すぐに機嫌が元に戻ったことに、ほっとする。

「そんな顔をしていたかい、私は」

 ぺたりと自身の手を頬にあてて、主は首を傾げる。

その動作に私は頭を何度も縦に振ってしまいそうになったが、すんでの所で止める。

ああ、本当、無意識とかよけいたちが悪い。

そんな風に考えながらじっと主を見ていると、その視線に気が付いた主に微笑まれる。

「嫌、彼女から教えてもらったことで、笑われるということは自分に自信が持てない状態で、周囲の目が気になっている様子だと言っていたからね。まだ、獣人であることを悪く言う奴が近くにいたかと思って」

 言い訳のような言葉に僕は口を閉じる。

その言葉は本心からの言葉ではないだろう。

その心の内で何を考えているのだろうか。

それとも、何も考えていないのか。

「勘違いしないでくださいよ。そんな人はこの近くにはいません。巫女の言葉でも間違えることくらいありますよ。……夢の話の続きに戻しますね。その靄を突き飛ばしてから僕はようやく自分の身体に起こり始めた異変に気づくのです。皮膚が黒く染まり剥がれ落ちていることに。呆然と僕はそれを眺めていました。身体中の肉や皮膚が、ぼろぼろ、ぼろぼろと地面に落ちていく様子をただじっと見ているのです。痛みはありませんでした。肉が剥がれ落ちる嫌な感覚が、皮膚が剥がれ落ちる気持ち悪い感覚が伝わってくるだけで。最後の何かが落ちて自分がなくなった時、いつもそこで目を覚まします」

 主の中ではこの話は終わったようだろうが、嫌がらせの様に夢の続きを話す。

主はその話の続きに退屈そうに息を吐いて、また笑った。

「そっか、変な夢だね。何かが溶けるのかで解釈も変わるらしいけど、溶ける夢は意欲の喪失や無気力感を示すらしいよ。熱中していることや愛情から冷めていくことなのかもしれないし、何かを失うことを暗示する場合もあると言っていたね。完全に溶けてしまう夢ならあっけない終わり、大切なものを失ってしまう恐れがあるとも言っていたな」

 夢の説明をどうでもよさそうに続ける主の言葉に、くだらないことをしたと反省する。

「……そうなのですか。ありがとうございました。こんな下らない話を聞いてもらって」

 ぶっきらぼうになった返答にセオドア様はクスクスと笑みを漏らした。

本当に何を考えているのか分からない。

「いいよ、いいよ。ラルスは私の息子みたいなものなのだから何でも言ってくれて」

 にこにこと笑いながら此方を見る主に嫌な予感がした。

主が何を言いたいのか理解したからだ。

「そんな私から一つ提案があるのだけど」

聞きたくないと言っても言葉を続けるだろうことは予想できて、しぶしぶ返事を返す。

「なんですか?」

 主は満足そうに笑う。

「さっきから気になっていたのだけどね、僕って言うのは止めないかい?」

前々から、言われていることにため息を吐きたくなった。

やっぱり、考えていた通りのことを言われた。

「……何故ですか?」

理由が分かっていても一応、聞いてみる。

「人に使われる男のことや下男、しもべを表す単語だから」

いつもと同じ理由に、いつもと同じ言葉を返す。

いい加減に諦めて欲しい。

「…………考えときます」

 その言葉に主もまた同じ言葉を返す。

「考えるだけ考えておしまい、という結果にならないことを祈るよ」

 その言葉を私は聞き流す。

これもいつもと同じことだ。

「そう言えば……勇者を見に行かれたのですよね。どうでした? 今回の勇者は」

 少し言葉を探す様にして、一番気になっていた勇者の話を持ち出す。

主はその言葉に笑みを浮かべるのを止めて、此方を見た。

その顔にはどこか面白がっているように見えた。

「無理矢理、話を変えようとしなくても責めているわけじゃないからね」

 その言葉に言い訳のように言葉を口に出す。

「………………気になっていたのは本当ですよ。見に行くと言っていた時に拐ってくるのかと思っていましたから、手ぶらで帰ってきて驚きましたし」

 これは本音だった。

その言葉に主は、ああ、と何かを思い出す様に声をあげた。

「そう言えば帰ってきた時、驚いていたね。不思議に思っていたけど、そんな風に考えていたのか」

 本当は何もかも分かっているくせに、そうやって普通の人のように言葉を口にするのは主の癖なのだろうか。

「それでどうだったのですか? 期待はずれでしたか?」

 私の言葉に主は首を横に振る。

「期待はずれと言うよりは期待以上だった、かな。きっとラルスも気に入るよ」

 その声はどこか嬉しそうに聞こえた。

いや、実際に嬉しかったのだろう。

「そうですか。貴方がそれほど言うなら、一度見てみたいものですね」

 本当は微塵もそんな風には思わなかったが、そう口にする。

主が気に入らなければよかったのに。

「すぐに、会えるんじゃないかな?」

 その言葉に首を傾げる。

「……拐ってくるといった荒っぽいことはしないでくださいね」

 本当にしてほしくはない。

これ以上、この場所に人が増えるのは嫌だ。

「しないよ。あの子は自分から逃げるんだから」

 ふふ、と楽しそうに笑う主。

ああ、嫌だな。

「貴方が言うと洒落にならねぇから嫌だ」

 主には聞こえないくらい小さな声でそう言う。

「何か言ったかい? ラルス」

 本当は聞こえていたかもしれない。

「いいえ、何も」

 それでも知らないフリをするのなら、話すことはない。

「それに今、拐ったら家族が増えるチャンスを自分で壊してしまうようなものだしね」

 その言葉にぐっと手を握りしめる。

「……はあ」

 興味なさそうに聞こえるように、そう返事をした。

主は気にした様子もなく、勇者のことを思い出しながら笑う。

「後、物理的に痛い思いしそうだし」

 その言葉に本心から嫌だという顔をする。

「…………どこまで分かっているのですか?」

「さあ? いったいなんのことかな」

そう言って、クスクスと笑う主を見て背筋が寒くなった。

ああ、本当に嫌だ。

セオドア様の考えが分からないのも、ここにこれ以上、家族が増えるのも。

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