016

演説のようなおっさんの話は終わったのか、静かな一分が過ぎる。

それを崩したのは女だった。

女は光助に駆け寄り、その手を握って「我等に手を差し伸べてくださる勇者様に感謝を」と頬を染めながら言う。

光助は困ったような笑みを浮かべて受け入れていた。

その様子をおっさんは満足そうに笑いながら見ている。

ゲームとか漫画の場面っぽいと思いながら、俺は真面目に話を聞く態度を止めた。

他の情報を話してくれる雰囲気じゃないし、姿勢を正すのも疲れる。

姿勢が悪いと注意される座り方をし、話を聞き流しながら机の下で指遊びをする。

「我が国に継承されている刀を持ってこさせましょう」と女が言い、

「まずは食事からだろう? 歓迎の用意もせねばなるまい」とおっさんが言っているのが聞こえた。

 剣道を習ったことも本物の刀を持ったこともないのに、刀なんて扱えるのか?

疑問に思いながら、指でコブラを作る。

 まあ、俺が刀を持つことはないだろうし、別にどうでもいいか。

そんな風に思っていると、顔を布で隠した男がノックもせずに慌てた様に部屋の中に飛び込んで来た。

「失礼します! 大切なお話中だと重々承知の上ですが、今すぐ王に伝えたいことがあります!」

 その言葉におっさんは不愉快そうな顔をする。

偉くもない相手に見下されて、馬鹿にされた時の叔父の顔を思い出した。

おっさんは取り繕うこともせず、布男にしっしっと追い払うような仕草をする。

布男はそれでも立ち去らず、「どれほどの罰を受けようと構いません! どうか、どうか」とおっさんに乞うた。

おっさんが何か言う前に、光助が

「大事なお話があるのなら、部屋に戻っていましょうか?」

 と、首を傾げる。

追い返すことができない状態におっさんは苛立ちを抑えようともせず、立ち上がった。

「……すまない、部屋で待っていてくれ。時間ができれば娘が呼びに行く」

 悔しそうな顔をして諦めの色を浮かべたおっさんは、光助にだけ謝罪を口にする。

光助はどうして謝られたのか分かってないようで、不思議そうな表情でおっさんを見た後、何かに気が付いたのか「大丈夫ですよ」と笑った。

おっさんは安心したように息を吐き、布男に案内されながら部屋を出て行く。

おっさんが呼び出されたせいで、一度解散する流れになったようだ。

 することないし、帰るか。

そう考えて椅子から立ち上る。

話し合いに厭きはじめていた俺は解散することに文句はなかった。

光助はまだ何か聞きたいことがあるのか、女を捕まえて話をしている。

「美羽さん、聞きたいことが」

「私で答えられる範囲なら」

 そんな言葉を聞きながら、二人の位置から見えにくいように歩いた。

俺も聞きたいことはあったが、興味よりも眠気の方が勝っている。

部屋に戻ってベッドの中にいよう、と欠伸一つ。

俺は一番乗りで部屋から出て行った因香の後に続くように部屋から出て行った。

彼女も光助に話かけると思っていたが違ったようだ。

光助の態度が苦手だったとか、嫉妬してたとか。

そんなことを考えつつ、部屋の中を横目で確認する。

二人とも俺達の行動に気が付かないくらい楽しそうに話している。

音をたてない様に気をつけながら、部屋の扉をゆっくり閉めた。

 人の気配がない廊下を歩きながら、欠伸を一つ。

「あー……ねむっ」

 たん、たん、たん。

長い廊下に足音が響く。

「寝てたら、また食いっぱぐれそう」

 そう呟きながら、頭の中で美味しい食事のことを思い浮かべる。

ここに来たせいで食えなかったオレンジパウンドケーキを思い出して、少し悔しくなった。

廊下の真ん中を歩き続けていると、ぐちゃり。

そんな軟らかい果物を踏みつぶしてしまったような音が聞こえた気がした。

慌てて靴裏を確認したが、何も踏んでない。

後ろを確認してみるが何も落ちてない。

軟らかい果物も野菜だろうが思いつくものは複数ある。

トマトとか、桃とか。

だが、似たような物がここにあるのだろうか。

止めていた足を一歩、踏み出す。

特に問題なさそうだ。

話し合いが終わって部屋に帰る道中だったせいか、気が抜けているのかもしれないな、と息を吐く。

注意深く回りを見渡して見るが、見えるのは白い壁だけで特に問題がある部分は見つからない。

自分の足の裏をもう一度見たが、やっぱり何もついていない。

「さっきの音、何だったんだ?」

 心配し過ぎか?

そう思いながら、もう一歩足を踏み出す。

普通に足を踏み出したはずなのに、ぐらりと視界がぶれた。

「……あれ?」

 電車の中で揺られているような不安定感を味わう。

地面に両足をついているはずなのに頭が、それを上手く認識していない。

ぐらり、ぐらり。ぐら、ぐら。

左右に揺られている感覚は、治まりそうにない。

足を踏み出すことができず、座り込んでしまいそうだ。

真っ直ぐ立っているつもりだが、分からなくなる。

「はー……最悪」

 地面にしっかり足をついていることを確認し、めまいが治まるまで足を止める。

だんだんと左右上下に揺られている感覚も治り始めてきた。

「進むか」

 速く部屋に帰って、ベッドに飛び込みたい。

そう思いながら、歩き出すために足を踏み出した。

「あれ? 何で動ける?」

 足を踏み出した瞬間、後ろからやる気が無さそうな声が聞こえてきて足を止めてしまう。

「性別で作り方、違った? 種族の違いか?」

 かっ、かっとヒールのような足音をたてながら、後ろにいるだろう人が近づいてくる。

それを聞きながら俺はため息を吐いた。

このまま逃げるか、振り返って相手をするか。

 面倒くさい。

俺が迷っている間にも、男なのか女なのか分からない声は言葉を溢していた。

「薬、間違った? 調合失敗? それとも敵国の人かな? だから、薬が効かない?」

 「敵国」と言う言葉から、スパイの可能性を疑われているのが分かる。

その言葉を聞いて相手をするのが、余計に面倒なことになった。

かっ、かっと音が近づいてくる音を聞きながら、逃げる様に足を前に出す。

「……何も言わないの? 弁解くらいは聞くよ?」

 ずりずりと足を引きずるように動かしていたが、すぐ後ろで足音が止まった。

「ねえ? 聞いている? 何も言わないの? ねえ?」

 かけられた言葉を無視するように、俺は黙る。

答えない俺に苛ついているのか、早口でかけられる声。

「聞いてないの? 聞こえていないの? 声、出ないの? だんまり?」

 振り返らずに、俺は相手の動きを待った。

攻撃される可能性は高い。

それでもよかった。

逃げたいという欲よりも、用意された物の性能を確認したい欲の方が高かったからだ。

相手は少しの間、黙る。

それからため息を吐いて小さな声で呟いた。

「……じゃあ、いいよ。弁解は聞かない。髪色からして他国だろ?」

 後ろからぽん、と右肩を手叩かれる。

驚きで心臓が激しく波打った。

近くにいることが分かっていたが、触れられるとは思わなかったせいか触られたところから鳥肌がたつ。

「国の秘密は聞かせてもらうから」

 相手が手を置いた部分にぬるぬるとしたスライム状の物体を置かれたような気持ち悪い感覚を抱いてしまった。

服を着ているはずなのに、どうしてそんな感覚がするのだろうか。

「触るな」

 その感覚を消したくて、左足を軸に一回転をする要領で回し蹴りをして相手を蹴る。

本気で蹴ったわけじゃないから、相手は近い場所に倒れた。

「……痛い! 急に何するのだよ!」

 相手がそう喚いているのを聞きながら、俺は相手を初めて見た。

相手は重い物を持てば折れてしまいそうなほど細い手足をしており、顔はやつれ、目の下には色濃く隈ができている。

ぼさぼさの髪の下から覗く瞳だけが、生きていると言う証のように不自然に光っているのは不気味としか言いようがない。

暗闇の中の猫の目みたいだ。

だけど、そのギラギラとした瞳は俺を写してはいなかった。

目線が合っていない。

焦点が合っていないのかもしれない。

 がり、と強く唇を噛んだ。

気持ち悪い、気味が悪い。どうして生きているのだろうか。どうして動けているのだろうか。死ねばいいのに。殺されればいいのに。

暴言を吐きそうになり、誤魔化すように唇を舐めた。

噛んだ所から溢れだしたのか、血の味がした。

ドロドロした黒い感情に戸惑いながら、落ち着くために息を吐き出す。

 どうして、こんな黒い感情をいだいたんだろう。

 初めて会ったはずなのに。

そう思いながら、じっと相手を見る。

相手はいまだに倒れたまま何かを喚いていた。

「何なのさ、急に! 僕を誰だと思っているのさ! あーあ、もう、いいや。君なんか死ね!」

 腰につけているポーチに手を入れ、選ばずに瓶を取り出したのが分かる。

たくさんの色が混ざった禍々しい色の液体が入っている瓶だ。

インク瓶くらいの大きさに見える。

手に取ったそれを俺にぶつけようとしたのか、床にぶつけようとしたのか、腕を振り上げていた。

その行動を認識した瞬間、視界が赤く染まる。

暗記のために使う赤いシートを目にあてたようだ。目の前の全てが赤い。

ぐちゃり。

さっき聞いたばかりの音が間近で聞こえた。

ぐちゃぐちゃという音が続いた気がする。

目を閉じ、座り込みそうになる体に力を入れた。

 さっきから不調が続いている。気持ち悪い。

ぴったりと聞こえなくなった声に疑問を抱き、相手の反応を確認するために閉じていた目を開けた。

視界は正常に戻っている。

そのことに安心したが、目の前が血の海になっていた。

ひゅっと息を飲んだ。

血の海に細かい肉の塊が浮いている。

白い棒のようなものに肉がまとわりついているのが、そこら辺に転がっていた。

服を確認してみれば、分かりにくいが赤い血がついている。

近くには割れなかった瓶が転がっていた。

それを拾う気にはなれない。

 何が起こったんだろう。

自分はいったいどうしたんだろう。

「意味が分からん」

 はあ、と息を吐き出す。

焦りから髪をぐしゃぐしゃとかき回した。

これが見つかったら、やばい気がする。

すぐに殺されてしまうかもしれない。

「……最悪」

 呟いた声はむなしくその場所に響いた。

どうして人が死んでいるのに気にしていないのだろうと、疑問を抱く。

「とりあえず、逃げた方がいいのかな?」

 その疑問はすぐに消えた。

どうするべきか考える方が先だと思えたからだ。

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