013
「全部がうまくいくなんて考えてないから楽観的ではないと思うのだけど。周りの皆と協力したら危ない状況でも大丈夫だと思っているから、どんな行動をしてようと疑いたくないだけで。十夜は心配しすぎだよ。優しいから仕方ないと思うけど」
光助は嬉しいことがあった子どもの様に喜びを浮かべた顔をしながら俺に言った。
俺が光助のために心配しているとでも思っているのだろうか。どんな行動でも疑いたくないという気持ちは分かるが、無条件で信じて、助けてもらえると思っているのは楽観的だと思うんだが。
「馬鹿だな、お前」と、言ってしまおうかと口を開いたが、結局、口に出すことをせずに終わった。
こいつに嫌われるのが怖かったとか、言う勇気がないとか、信用や信頼を失いたくないとか、そんなくだらない理由で言わなかったのではなく、俺が言おうとした直前に幼い少女の声が聞こえたから口に出すタイミングを逃したのだ。
「お父様、いらっしゃいますか?」
鈴を転がすような声は、まだ声変わりをしていない子どものようなソプラノに聞こえる。
「いらっしゃいませんか?」
優しさを含んだ声音は、気のせいだと思うが、聞き覚えがあるような気がした。
その声にどう返せばいいのか分からず、俺は黙りこんでしまう。彼女には悪いが、警戒しないわけにはいかない。王様をお父様と言っているのだから、あの女の親族なんだろうし、確証はないけど。もしかしたら、お父様は王様のことじゃなくて違う人のことかもしれないが、王様の関係者であることは間違いないだろう。この部屋に来ることができる立場の人なのだから。
あの女が面倒くさい性格だっただけかもしれないが、彼女も同じ性格の可能性はある。ここで面倒なことを引き起こす気にはなれなかった。
光助はどうすればいいのか分からず、意味もなく周りを見渡している。声をかけてもいいのか、怯えられないか、そんな心配が顔に出ていた。光助がこんな状態なら彼女が入ってこない限り、かかわることを回避できるだろう。
「お父様?」
扉の前で立っているだろう幼い少女と思われる彼女は、何も聞こえない空間に何度も問いかけていた。
なかなか諦めないな、と思いながら、ぼうっと扉を眺めていた俺とは違い、ようやく返事をすると決めた光助は顔と体を扉の方に向ける。余計なことをするなよ、と光助を止めようとしたが、光助や俺が口を開く前にゆっくりと扉が開かれた。
返事がなかったのに、焦れたのだろうか。それとも、部屋の中に誰もいないのか気になったのだろうか。
彼女は扉を両手で押しながら、顔の半分だけで此方を覗き込んでいた。中に人がいることを確認して安心したのか、ほっと体から力が抜ける。彼女は自分が入れるだけの隙間だけ開けて、部屋の中に入ってきた。
入ってきたのは小学校を卒業したばかりの中学生くらいの背丈をした、まだ幼い顔立ちの少女だった。肩までの黒髪に眉毛が少しだけ隠れるほどの前髪。あの女はヒールだったが、彼女は茶色のベタ靴を履いている。神楽木が着ていたような服に足首の長さほどまであるスカート。服が黒で、スカートは白の違いはあるが、同じような服を着ているということは仲がいいのか、それともあの服は何か意味があるものなのだろうか。よく見れば、彼女の両目の下には青緑色の丸を三つ描くといった化粧をしている。
どこかの民族のような化粧だと思ったが、どんな意味があるのか思い出せない。
変な恰好だとは思ったが、それよりも気になったのは彼女の雰囲気の方だった。
一言で言えば、異質。次元が根本的に違うような、そんな雰囲気が彼女にはあった。俺たちとも、この世界の人とは何かが違う気がする。魔法使いがいたのだし、特別な職業があっても不思議じゃないけど。
監視の意味も込めて、失礼にならない程度に彼女の姿を見ていたから分かったが、彼女の口が「なんで」と動いたのを見てしまった。どういう意味だろうか。俺たちが此処にいることが彼女にとっては予想外だったのだろうか。
光助は気づいていないみたいで、彼女が動かないのを見ながら不思議そうに首を傾げていた。彼女は諦めたように溜め息を吐いた後、俺達を見ながら小さな声で言う。
「……どちら様でしょうか?」
俺と光助の顔を交互に見てから、訝しげに問いかけてきた少女はどこか苛々しているようにも見えた。目当ての人がいなかったせいだろうか、俺たちがここにいたのが気にくわなかったせいだろうか。他の理由かもしれない。でも、どうして苛々しているのかは分からないままだ。
彼女も呼び出されたのだろうか。それで苛々しているのなら、俺達だって呼び出されたのだから我慢してくれと言いたい。王様の関係者なのだとしたら俺たちのことを聞いていてもおかしくないが、勇者のことが嫌いだったりするのだろうか。
そんな風に考えながら口を閉ざしていた俺とは違い、光助は少し迷った後に、彼女の側まで歩み寄って笑いかけた。人を安心させるような笑みと雰囲気に、彼女は光助に対しての警戒を解くだろうと思う。だが、彼女は光助に対しての警戒を解かず、逃げる様に少しだけ体を引いた。少しだけ驚いた。俺の周りにいた女の反応と違っていたから。
「えっと……俺は慈恩寺光助といいます。君の名前は?」
彼女の目線に合わせるように屈んでから優しく問いかける光助に、彼女は少し考え込んだ後に小さな声で答えた。
「私は因香。……神楽木家が三女、因香にございます」
何かを故意に言わなかったような、そんな違和感を覚える。だが、自己紹介なら名前しか言わないのは当たり前だ。何に引っかかったのか、俺自身も分からない。
光助は何も不信に思わず、満足そうに笑いながら言葉を続けている。
「よるかちゃんか。可愛い名前だね」
その言葉に首を傾げそうになった。
言葉を聞いただけなら可愛く聞こえるかもしれない。だが、「よるか」と言う名前の字がどうか知らないが、どう考えても可愛いとは無縁の名前だと思えた。
例えば、預流果だったら悟りの初門に入った聖者を言うし、ヨルカだったらドストエフスキーの『キリストのヨルカに召された少年』を連想し、陰鬱な雰囲気になる。
「素晴らしい」とまでは言わないけどさ、可愛いとは少し違う気がした。俺の変な思い込みもあるのだろうけど、今時の子どもにつける名前ではないような気がする。まあ、ここ異世界だけど。これは偏見だと注意されるだろうが、そう言う風に思うし、感じるんだから仕方がない。
そう心の中で言い訳しながら、二人の様子を眺める。動く必要もない場面で、動きたくないし。
光助は、いまだに彼女と話を続けているようで此方の様子には気がついていないから絡まれる心配もない。彼女には悪いけど、そのことに安心した。あいつと話すのは面倒で、疲れる。
「因香ちゃんは、何歳なの? お姉さんと年離れているよね?」
「今年で十三になります。一番上の姉とは十ほど違います。真ん中の姉とは五つです」
「へー……随分と歳が離れているのだね。俺には兄弟がいないから分からないけど大変でしょう?」
繰り返しいろんなことを聞かれる彼女に少し同情するが、情報が得られる時に少しでも得たいので彼女には悪いが我慢してもらおう。まあ、俺が聞いてるわけじゃないけど。見ている奴も加害者になる事があるから、彼女に恨まれることはあるだろうが。
彼女は何を考えているのか分からせないようにしているのか、それとも純粋にどうでもいいのか、表情を変えずに返事をしていた。俺とは正反対な子だな、と漠然と思う。笑ってないからと言う理由では無い。彼女の中で興味と言う概念が、感情と言う存在があまりにも薄っぺらいのだと感じてしまったのだ。
「全てを諦めているような感じだよな」
小さく口に出した言葉はパズルのピースを嵌めたかのように、しっくりときた。少しだけ彼女の本質を見たような気分を味わい、笑みを深める。まだ、幼いのに自分の意志がないなんて可哀想。そんな同情めいた、上から目線の考えが浮かんでしまった。俺も彼女と変わらないのに。
小さく口に出した言葉は彼女達には聞こえていないようで、どちらも俺の方を見ない。二人だけの世界と言うよりは、俺の方が違う場所にいるのではないかと錯覚してしまいそうになる。
台本のない劇を繰り広げている様を画面と言う壁に拒まれている気分になった。テレビ越しの様子を見ているようだ。どうせなら、菓子を食べながら観賞したいが。そう考えながら笑う。
テレビ越しならまだ、砂粒程度には愛せるんだけどな。
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