−02

 ラルスと話しているのも嫌いではないが他の家族にも会いたいな。

家とパーシャンにある一際目立っている障害物、城を隔てるかのように存在している森の空中を歩きながら思う。

アルアリアの花の臭いを、湖に咲く花月の花の匂いで中和しつつ、誰に会いに行こうかと考えてみた。

少しずつ臭いを落としてはいるが、鼻のいい子なら分かるだろう。

「……外の子達に会いに行くのは、止めておいた方がいいだろうな」

目的は新しく家族になるだろう彼に会いに行くことだから、あの城の中にいる子達にしないといけないなのが少し残念だ。

まあ、外にいる子達には今度会いに行けばいいか、と思いなおす。

「あ、そういえば……」

少し前に彼女の部屋を訪ねると約束していたのを思い出した。

彼女はあの城の中で、彼を支えてくれる大切な存在になるかもしれない子だ。

これからのことをふまえながら話すのもいいかもしれない。

彼女の部屋は魔力が漏れ出さないように術式が描かれているから無断で遊びに行くのが一番楽な場所だと私は思いながら、右足で地面を蹴るように動かして足元に移動魔法の術式を浮かび上がらせる。

まあ、魔法を使う時に魔力が漏れることがない私にはどこだろうと関係ないことだな、と考えると笑えてしまった。

その考えを誤魔化すように、浮かび上がった術式を蹴り、普段使っている目的地の場所の中から必要な場所を選び、魔法を起動させて彼女の部屋まで移動する。

彼女の部屋の床に足をつけた時、彼女は私に背を向けて退屈そうに本を読んでいた。

いつもなら私の訪問が分かっているため出迎える準備をしているので、その姿が少し新鮮だった。

都合よく、近くにあった椅子に座ってから彼女に話しかける。

「やあ、久しぶりだね」

 私の声に彼女はゆっくり振り返り、はあっと呆れたように溜息を吐いた。

「……これでも女の部屋なので、少しは無断で来ることを遠慮してください」

 少し不機嫌さが混じっていることから、嫌な事でもあっただろうと思いながら「ごめん」と形だけの謝罪をする。

彼女はそれで満足したのか、読んでいた本を閉じて机の上に置き、此方に体を向けるように椅子を動かしてから座りなおしてくれた。

何から話そうかと思いながら、彼女の瞳をじっと見つめる。

彼女は私がじっと見つめることが苦手なのか少し目を伏せてから、微笑みながら言った。

「あなたは大変なものを背負っていらっしゃるのね」

 赤く色づいた唇から漏れだした言葉に私は、気にせず彼女の瞳を凝視した。

元々抑揚がない彼女の口調と言葉の内容に冷水を突然背中にかけられたような感触を味わったが、彼女が突然こういったことを言い出すのは何も今日が初めてはないので笑う余裕は持つことができた。

だけど、自分の気のせいだと分かっていても“彼女”の言葉がぞっとするほどに恐ろしかった。

彼女の言葉に少し微笑みながら返事を返す。

「……何のことだか、私には分からないな」

ようやく言葉をひねり出したのに、彼女は顔色一つ変えずに「分かっているくせに」とあっさり言葉を返してきた。

「私にはあなた達が今を見ているように未来も過去も見えますから」

ごまかさなくてもいいのですよ、と彼女はくすくすと笑う。

 その表情に私はすぐに諦めることにした。

亡き母も彼女のような力を持っていたのを知っているからというのもあるが、母と同じような愛しさを込めた表情をされては嘘を紡ぐことを躊躇してしまう。

ならば、早々に降参して彼女が満足するまで話をしてやればいいと思ったが故の諦めだった。

何百と過ぎた年の中でも、彼女のような何もかも見透かしてしまう者は苦手だと思いながら、まず彼女の言葉に返事をする。

「君が背負っていると言っているのは、私がもし子どもを作った場合、その子どもを私は文字通り捕食してしまう呪いのことだろうか? まあ、この大きすぎる魔力では今さら子どもを作ることの方が難しいが」

 嘘はついていない。

だが、彼女は少しだけ呆れたように目を細めて此方を見た。

だが、口に出したことも確かに私が背負っていることだからか、彼女は何も言わない。

呪いと言えば簡単なことだが、これはかつて大罪を犯した自分に与えられた罰なのだ。

解くことのできない、生涯背負い続けなければいけない私自身の罪。

そっと眼帯の上から左目を撫でながら、彼女に向って微笑む。

私の顔がそんなに酷かったのか、彼女は椅子から立ちあがって私の側まで歩み寄り、私の右手を握ってから頭を撫でてくれた。

私よりも年下なのだが、家族のこういう心遣いは嬉しいものだ。

「……君の言葉で落ち込んだわけではないから、安心して」

 彼女の気持ちは分からないが、しっかり彼女のせいではないと告げておく。

そう、これは彼女に言われて思い出した私自身が悪いのだ。

「私は都合が悪くなったという理由だけで、祖国を祖国に住んでいた人々を、地図からも人々の記憶からも消してしまったのだから」

目蓋を閉じ、近くにいる彼女の視線を感じながらも忘れられない過去を思い描いた。




 幼い頃、すでに自分が持つ力が人より強大なことを自分は気づいていた。

怪我をした時に痛みを消す魔法を皆が使っている中で、自分は怪我そのものをなかったことにできることに気付いていた。

嫌いな食べ物を皆が我慢して食べている中で、自分はその嫌いな食べ物そのものを世界から消すことができることに気付いていた。

頭に思い描くだけで、自分は詠唱も魔方陣も無しに魔法が使えることに気付いていた。

指先一つで魔物も精霊も自分の意思通りに操れることに気付いていた。

自分の命を持って世界を作ることができ、自分の血や肉を持って新しい生き物を作ることができることに気付いていた。

記憶も人の命も何もかもが自分の思いのままにできることに気付いていた。

そのことを理解していたと同時に、その力を隠さなくてはいけないことも回りと同化しなくてはいけないことも気づいていた。

人は人と違う生き物を否定し、排除したがる生き物だから。

だから、周りと同じように魔法を習いもしたし、周りと同じように失敗もしてみせた。

周りと同じように苦労してみせたし、周りと同じように王様の下で働いている者に憧れているフリもした。

そのおかげか、母以外で自分の魔力の強大さに気づく者はいなかった。

あの日までは。

 十九の誕生日が少し過ぎたくらいだったろうか。

十になる前に事故で死んだ父の二つ下の弟が、遠いところから誕生日を祝うためだと泊まりに来た日があった。

どうして、今まで会いに来なかった父の弟が誕生日を祝いに来たのか分からず、私はその男を始終警戒していたが母が喜んでいるので何も言えずにいた。

 その日の深夜、ふと目覚めた自分は母の寝室から男の怒鳴る声と女の悲鳴が聞こえることに気づいた。

聞き間違えるはずのない母の声だと思うと不安になり、物音を立てないようにと、足音を忍ばせる。

体の周りだけを覆うように、音を魔法で消して、ゆっくりと母の寝室の扉の前まで歩み寄る。

「やめて、ください……こんなこと。いや!……はなして!」

「……あんたが悪いんだ! 俺より兄貴をとるあんたが!」

「いや! やめて!」

 母の寝室から聞こえてきた嫉妬にまみれた男の声と怯える母の声。

母の声は驚くほどに悲痛で、泣いているのが分かる声音だった。

叔父の声も、さっきまで聞いていた違和感を覚えるほど優しい声音ではなく、苛立ち、怨みがこもったものだ。

 思わず、母の寝室の扉を勢いよく開けてしまう。

男が驚いた顔でこちらを見るのも気にせず、母だけを視界にいれて目を見開いた。

ぼろぼろになった服、叩かれて腫れ上がった頬とその上を流れる涙、縛りつけられた腕、心臓に突き刺さったナイフ。

 母は見透かすことが得意でも魔法は苦手だった。

そんな母が抵抗らしい抵抗をすることができる訳もなく、男に用済みとばかりに殺されていた。

無理心中でもする気だったのだろうか、と今では考えることができるが、昔の自分はまだ幼かった。

自身の母が死んでいる驚きと怒りで冷静に考えることなんてできなかった。

「セレストを殺した俺を恨むか? ロレンシオ」

 父の名を呟きながら自分を見る男の目は何も映していなかった。

真っ黒な闇が、どこか遠くを見ていた。

「……エルヴィス、叔父さん」

 冷たくなった母。

死んでしまった母。

もう全部、取り返しがつかない。

元通りにはできない。

死んだ人を生き返らすことは誰に頼んでもできない。

本当に?

本当にできない?

だって、実際にしてみたことはないのに?

その考えが間違っていることは幼い私でも分かっていたが、私は育ててくれた母が大事だった。

優しく包み込んで守ってくれる母が大事だった。

ただ、それだけだった。

「『おはよう』母さん」

 自分は魔力を込めて、ただ「おはよう」と言っただけ。

それだけで、母は目を開ける。

たったそれだけで母は生き返ってしまった。

 ひっ、と叔父が悲鳴を上げて母から距離をとり、慌てて逃げ出したが、どうでもいいと叔父をただ眺めていた。

逃げ出した叔父を見送ってから、母の方に体を向けて勢いよく母を抱きしめた。

その時、死者を蘇らす禁忌を犯した私は、その時を止めた。

元々魔力の強大さのせいで年をとりにくかったから、幼い私はそのことを気にもしなかった。

だけど、母を抱きしめながら気づいた。

もし、この行動が周りに知られたら大変なことになると。

母が傷つけられてしまう。

自身も傷つく。

もしかしたら、父の存在も傷つけられるかもしれない。

その周りに知られたくない強い思いが祖国を消した。

存在の抹消。

これで母が死んだことを知る「周り」はいなくなった。

海の上で母を抱きしめながら私は罰を背負った。



「愛しいが故に憎み、守りたいが故に禁忌を犯した」

 彼女が呟いた言葉にセオドアは黙って頷く。

「母は怒ったよ。悲しんだし苦しんだ。だけど、見えていたから結局は諦めてもいた」

 君もそうだろ? 声に出して問いかければ彼女の表情が強ばる。

彼女の手を握って、今度は私が彼女の頭を撫でる。

優しさと愛を込めて、彼女の瞳を覗き込んだ。

「過去も未来も見えるから君たちは諦める。私の呪いのように子どもが望めないわけでもないのに、何もせずに諦める。諦めるなとは言わないよ。だけど、この世界ではない者の未来や過去まで見えないのだから、それに賭けてみる気はないのかい? 大丈夫、きっと君の望む結末を彼は運んできてくれる。今回、召喚された少年、宵野十夜。きっと彼が君を助けてくれるよ」

 彼女はただ、黙って俯くだけだった。

何も言わず何も答えなかったが、私の言葉を頭の中で繰り返しながら、その言葉に希望を少しだけ抱こうと思っているのが手に取るように分かった。

それだけ、確認できれば十分だ。

私は彼女から手を離して、椅子から立ち上がり笑う。

「それでは、私は彼の元に届け物をしてくるからね。もう行くことにするよ、神楽木因香(かぐらぎよるか)ちゃん」

 彼女は何も言わずに、黙って私を見送ってくれた。

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