06
ギシリッと何かが軋むような音で、一気に目が覚めた。
体を起こして部屋の中を見る。
部屋の中が少しずつ暗くなってきたこと以外は、特に変わったところはない。
異常がないことを確認して、ベッドに沈んだ。
「……くそが」
さっきから、足音や声が聞こえると、すぐに目が覚めてしまう。
誰かが来たんじゃないか、何かが起こるんじゃないか、と身構えては、足音が通り過ぎるのに安心する。
知らない場所でぐっすりと眠りにつけるとは思っていなかったが、少しも休んだ気にならない。
熟睡できないことが、こんなにも辛いとは思わなかった。
起きては、目を瞑って、うとうとしては起きてしまう。
その繰り返しだ。
眠ろうとしている方が辛いことは、三度くらい繰り返したあたりで気が付いている。
それでも、起きていたくないのだ。
ぐっと目を閉じて、枕に顔を埋める。
今度こそ、深く眠れればいいが。
また、足音がして目を開ける。
部屋のほとんどが薄暗い。
窓から光が差し込み、机や椅子がある部分だけを鮮やかな茜色に染めていた。
もうすぐ、夜だ。
「あーあ……もう、こんな時間だ」
ここに来たときは昼くらいの明るさだったことを思い出して、息を吐く。
頭はすっきりしていないが、いつまでも寝転んでいても仕方がない。
体を起こして、ぐっと伸びをする。
ヌイグルミを抱いて眠るほどの子どもじゃないと言いたいが、家に置いてあるミミズクの丸いヌイグルミが恋しい。
「お腹すいたな」
晩御飯を食べている時間でもおかしくないのだろう。
体が食べ物をよこせと訴えてくる。
買い食いしながら帰るのが習慣だったから、余計にひもじい。
「今日、発売だったトマトまん、食べたかったなー」
薄暗くなった部屋の一点をぼうっと眺めながら呟く。
また、コンッと音が聞こえた気がした。
もしかしたらセオドアが何かを忘れて戻ってきたのかもしれない。
いや、あの魔法使いなら音もなく、この部屋にいるか。
回りを見渡しても、魔法使いがいる様子はなく、特に変わった所もなかった。
ということは、部屋の外だろう。
ぐにぐにっと頬をマッサージしながら息を止める。
十を数え終わったあたりで息を吸う。
それを二回、繰り返したから、扉に近づいた。
「戻れたら、なんて都合よすぎだな」
つい漏れた本音に気付き、笑いそうになる。
片手をポケットに入れた。
中には、帰り道でいれていた物がある。
それだけが、今の救いだった。
「違う世界でも使うとは思わなかったけどな」
俺が扉のノブに触れるより前に、トントンッとリズムよく扉が叩かれた。
「夕飯の支度が整いました。広間の方までご案内します」
男性のような女性のような、どちらの声にも聞こえる声が扉の向こうから聞こえた。
「勇者様? いないのですか? お返事をくださいませ」
トトトッと音が速くなる。
「今、開けます」
扉の前まで近づいていたので、すぐに扉を開けた。
「ああ、よかった。いらっしゃったのですね」
扉を開ければ、俺の胸ほどの大きさの服を着た猫っぽい動物がいた。
黒猫っぽいが、手足は白い。
驚きで言葉が詰まる。
猫っぽい動物は、こちらを見ながら笑った。
「お腹、すいていらっしゃるでしょう? ささ、案内しますよ」
そう言いながら、するりと近づいてくる。
白色の手が俺に伸ばされたが、後退ってしまった。
あ、やってしまった、と後悔する。
手を伸ばされたから退いただけで、特に意味はなかった。
「ありゃま」
後退したことに気が付いた猫っぽい動物は、特に気にした様子もなく、俺に歩み寄る。
「ささ、勇者様。行きましょう」
あなたの墓場に。
その言葉と同時に、ぐわっと白い手が振るわれた。
慌てて、後ろに避けたが、服を掠める。
大きな動物の爪で引っ搔かれたような跡がついた。
沈黙。
先に動いたのは、向こうだった。
「勇者が二人いた場合、どちらかが不必要だと思いません?」
自分の顔よりも大きな爪を見せびらかすように掲げながら、ニヤニヤと、猫っぽい動物が笑う。
どうやら、あの爪を使って攻撃してきたようだ。
顔をそむけない様にしながら、部屋の中に逃げる。
殺されかけたというのに焦りはなかった。
波紋一つ起きない水面のように、心は凪いでいる。
そういう考えの者がいても可笑しくないなっというくらいだ。
向こうは俺が後ろに下がった分だけ、こちらに近づいてきた。
俺は、背中が壁につくまで、後ろに逃げる。
「さてさて? 生きるか死ぬかは、あなたの返事によりますよ?」
「……別に、何も言うことはありませんが?」
俺に近づいた相手は、片手の爪を突き立て、俺の体を壁につなぎ止める。
逃がさないようにして、猫っぽい動物は問うた。
それに、本当に何も言うことがないので、そのままを口にする。
また、沈黙。
「おや、つれない言葉。それなら、仕方ないですね」
きゃきゃっと猫っぽい動物が笑う。
壁に穴が開いているのが、俺のせいにならなきゃいいんだけど。
ああ、でも、死ぬのなら関係ないか。
そう思いながら、その笑みを眺めていた。
「さようなら」
その笑顔のまま、首が飛んだ。
ごとんっと、首が床に落ちて転がる。
俺を殺そうとした相手の首が、床から俺を見た。
「ありゃま」
猫のような動物が口にした言葉を言ってみる。
うん、言いやすいな。
二度と言わないけど。
白い手を掴み、ぐいぐいっと上や下、右や左に揺らしながら、壁から爪を引き抜く。
「結構、深く食い込んでいたんだな」
全部は引き抜けなかったが、壁から離れることができる隙間は作れた。
「我が君の命により、お助けに参りました」
「……はあ、どうも」
二人しかいなかったはずの空間に響く第三者の声に、適当に返す。
飛び散った赤に染まった顔が気持ち悪かった。
助けてくれたのは有り難いが、首をはねなくても殺せたんじゃないのかな。
そうだと俺が殺されてたか。
返り血を、袖の綺麗な部分で拭いながら思う。
「怪我はないでしょうか?」
「ない、ない」
ひらひらっと、手を振って答えた。
どこも痛まないし、多分、ないだろう。
「で? 俺を助けてくれたあんたは、どこの誰さんで?」
忍者のように、黒い布で体や顔の半分を隠した人物は、扉の近くで声をかけてくる以外は何もしようとしない。
殺して、決まりきったことを聞いて終了という感じだ。
小刀を握ったまま、突っ立っている。
誰? と聞いてみたが、答える気はないだろうな。
無駄な質問をしてしまったかな。
そう思っていたが、「お初にお目にかかります。私は
その行動は、忍者が主などに対してする行動や騎士が跪く行動に似ている。
「はあ、よろしくお願いします? しずめさん」
変な名前。
日本人っぽいような、そうでもないような名前だ。
声からして男なのだろうか。
小柄な彼が足元にいるからか、更に小さく見える。
血が跳ねて服を汚しているけど、気にしている様子ない。
まあ、黒い服って、そのための服だろうし、気にしないか。
勝手に納得しておいた。
「それで、その主さんの名前を聞いても?」
にっこりと笑いながら問うた。
起動させておいたボイスメモが、しっかり今の発言や死んだ奴の発言を録音してくれているように祈りながら、ボイスメモが入っているポケットとは逆のポケットの上を軽く撫でる。
やっぱり、写真も撮っておくべきだろうか。
新調した携帯が壊れるのも見たくないし、止めておこう。
「それはお答えできません」
「何故?」
沈黙。
頭を下げたまま動かないが、内心では文句を口にしているだろうな。
「我が君から許しを得ていませんので、お答えできません」
「ああ、そう」
そう言われるだろうと思っていたので、それ以上、追及はしない。
どうしてだろう。
さっきの猫っぽい動物の時も、今も、随分と心が落ち着いている。
「それなら、別にいいや」
口角が上がるのが分かった。
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