02

 毛むくじゃらが扉を大きく開き、彼女が先に外へと出る。

「足元に気をつけてくださいね」という言葉を聞きながら、あいつが部屋から出た。

その後を追いかけて、俺も扉をくぐる。

まぶしさに目を細めた。

「すっごく、きれい!」

 光助の興奮したような声に、心の中で同意する。

俺も部屋の外に出て驚いた。

長く横に伸びた黒のタイルの廊下は、汚れが一つも見えない。

等間隔で並べられた大理石のような柱は、さっきまでいた部屋の柱とは違って、複雑な模様が彫られている。

丸い窪みには、宝石が埋め込まれている。

それだけ見れば、西洋風の建物なのだろうと思うところだが、女の後ろにある窓からは京都で見るような石や木、水を使った日本庭園が見えた。

ちぐはぐ過ぎて、この世界がどんな歴史を持っているのか凄く気になってしまう。

 先行する彼女から少し距離をとりながら、突っ込まれない程度に周りを見渡す俺とは違い、光助は隣に立ちながら積極的に女に話しかけていた。

好きな食べ物だとか、よくある話題から、話を広げている。

彼女と光助の会話には、共通するような単語が出てくるが、全く違うものだったりするようで、女か光助が不思議に思って問いかけ、説明するというのを繰り返していた。


 神楽木美羽と名乗った女は、光助に向って笑いかける時だけ、自然に見えた。

作り物っぽさは無くなってないが、その中から演技っぽさがなくなっている。

光助の話を聞きながら、楽しそうに相槌を打つ姿から、さっきまでの警戒心は既になくなったらしい、光助に対してだけは。

その証拠に、時々、向けられる彼女の目の奥にはぎらぎらとした敵意が揺らめいている。

別に、むかつきはしない。

その態度の違いを見て、俺は笑い出しそうになるのを抑えるのに必死だった。

主人公様は異世界でも通常運転みたいで、早々に好感度を上げ終わったらしい。

もう呆れを通り越して笑うしかない。

漫画やゲームの中から、本当に出てきたのではないかと疑ってしまいそうだ。


 光助が彼女に向って笑いかける。

その笑顔を見た彼女は、頬を赤らめて視線を逸らす。

はい、はい、はい。

二人の世界を作るのはいい。

どうぞ、そのまま、ごゆっくりっと言いたい。

だけど、これ以上、距離をとれない状況でいちゃつくのは止めてほしい。

そう心の中で文句を言いながら、微笑ましいと言いたげな笑みを作って、二人を見る。

笑みを作るのは簡単だ。

どんな気持ちだろうと、笑みを浮かべるのは既に癖になってしまっているからかもしれない。

照れたことを誤魔化すように視線を逸らしたまま、「そろそろ、着きますよ」と彼女が言った。

ようやく、二人から離れられる。

少しだけ、足取りが軽くなった。


 そろそろ着くという言葉通り、思ったよりも早く女は足を止める。

「ここが、宵野様の部屋です」

 銀のドアノブを回し、女が部屋の扉を開けた。

部屋の中が見える。

王族が使っているような豪華な部屋ではなく、一般市民が使っていそうな、良く言えば簡素、悪く言えば質素な部屋だった。

一般市民がと言っても、そうは見えないだけで、一つ一つは高価な物なのだろう。

だけど、木で作られたシングルベッドや柔らかそうな羽布団、木の机に木の椅子、床に敷かれた絨毯を見ていると、値段を下げてしまえば、それっぽいのを揃えられそうだと思ってしまう。

ここにあるくらいだし、高価な物だとは思うんだけど。

一般市民が普通に持っていそう。

まあ、ここはその程度の位の者に与えるための部屋なのだろうな、と簡単に想像がついた。

「ありがとうございます」

 お礼を言って中に入る。

部屋の中に入ったことで、外からは分からなかったことが分かった。

掛け布団と床に敷かれた絨毯には同じ模様が描かれている。

柱にも同じような模様が彫られていたことから、国に関する模様だろうか。

木と言っても何も描かれていないと言う訳ではなく、細かな花の模様が彫られており、茜色や萌黄のような色がその模様の部分に塗られている。

窓の縁、よく見れば家具の縁には、水晶が埋め込まれていた。

だが、それくらいしか装飾はない。

金や銀。

それでなくてもルビーやエメラルドみたいな宝石が使われている豪華な部屋を予想していたが、随分と普通で拍子抜けだった。

召喚された部屋や歩いて来た西洋のお城のような廊下と比べれば、ランクが二つくらい落ちている。

まあ、それで、いいんだけど。

こういう身近な感じの方が落ち着くし。

光助は知らないが自分の部屋としては十二分すぎる部屋だ。

「召喚のせいでお疲れでしょうから今日はここで体を休めてください。この部屋の物は全て貴殿の好きなようにお使いくださって構いません」

 「貴殿に神のご加護がありますように」と、部屋の外で彼女がぺこりと頭を下げて、扉を閉めた。

返事を聞く気がない速さに、唖然とする。

彼女は光助を連れて去っていったのだろう、足音が遠ざかっていくのが聞こえた。


 「神のご加護を」と言って去った神楽木に疑問がないわけではないが、ここで休めと言われたのを無視して動き回る気にはなれない。

この世界にも宗教がありそう、という情報だけ覚えておこう。

ベッドにダイブするような勢いで寝転がり、枕に顔を埋めてから、左耳をくっつけるような横向きの体制に変える。

その体制のまま、目を動かすだけで部屋の中を見ていると、この部屋の扉とは違う扉があることに気づいた。

部屋に入った時、右奥になるような場所なのと、扉と壁の色が同色だったせいで、入ってきた時には気づかなかったのだろう。

気になったので、ベッドから降りて、その扉に近づいて開けてみる。

「風呂とトイレか」

 開けた先に見えた光景に呟きが漏れる。

洋式トイレと風呂が、カーテンのようなもので区切られている。

ユニットバスだ。

ホテルなどで見る光景が、そこにはあった。

この世界の風呂やトイレが自分たちのいた世界と似たようなものなのだと知って、安心する。

昔の西洋で使われていたようなトイレがあったらどうしようかと思った。

そんなことを思いながら扉を閉めて振り返った時、俺と目が合う。

「鏡……」

 部屋の扉近くに立つと、死角になるような場所に、等身大の鏡があった。

風呂とトイレに繋がる扉にも気が付かないほど部屋全体をよく見てなかった自分が、それに気づかなかったのも無理は無いと思う。

部屋に置いてある、どの家具よりも豪華に飾り付けられている鏡。

不思議に思いながらも近づいてみた。

こんなところに鏡を置いても邪魔だろう。

何か特別な意味でもあるのだろうか。


鏡に近づきながらふと、再度、自分の姿を視界に入れて、顔をしかめてしまう。

自分の「悪癖」がでていたからだ。

やっぱり治っていない。

鏡に映る自分は顔をしかめているはずなのに、口角が上がり、笑みを形作っている。

廊下を歩いていた時と同じ言葉を心の中で繰り返す。

笑みを作るのは簡単。

癖になるくらい、「笑顔」でいたから。

 勢いよく鏡に手を叩き付けて、俺は「笑った」。

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