01
薄ぼんやりとした光に慣れていたせいか、扉の向こうの明るさに目が痛む。
「なに? まぶしい」
ぎゅっと目を瞑ってしまったあいつを放って、手を目の上にあげて光を遮りながら、何が来たのかを確認する。
まず、見えたのは赤いヒールの靴と黒の足首まであるスカートだった。
視線をゆっくりと上に移動させる。
上半身は、チャイナドレスのような詰襟で横に深いスリットが入った膝くらいの長さの白い服を着ており、それには赤い牡丹の刺繍が胸から腰あたりまであった。
手は扉が閉まらないように、支えている。
最後に、健康的な白い肌、桃色の唇、すっと通った鼻筋、大きな目の可愛らしい顔を見て、知らない女だと確信する。
「ああ、よかった」
女が微笑む。
スポットライトのような光のせいだろうが、舞台に立つ役者のような雰囲気が女にはあった。
舞台の幕は上がったのだと言われても、違和感を覚えない。
「どこか、痛むところはありませんか?」
女の優しい言葉に戸惑いながら、首を横に振る。
「大丈夫です。ありがとう」
ぱちぱちと光に目を慣らしながら、あいつは答えた。
「それなら、いいのですが」と、女は不安そうに笑う。
その態度を見ていると、牡丹の艶やかさは、あまり似合わないように思えた。
彼女の雰囲気は、どちらかというと華美な花で飾り立てるよりも、柔らかく質素な花を持っているだけの方が似合っているように思える。
例えば、スミレのような。
そこまで考えて、あれ? と首を傾げる。
もう少しでパズルが完成しそうなのに、ピースが分からない時のような引っかかり。
ああ、分かった。
上から下まで見直して、どこに引っかかりを覚えたのか気が付く。
さっきまで、可愛らしいと思っていた顔だ。
人形の口を動かしているみたいに、表情が硬すぎる。
表情を作るのに慣れていないというよりは、動かせないように見えた。
顔の上から左右対称になっている作り物めいた何かをつけているような。
一枚、一枚、仮面をつけ変えているような不自然さがある。
女の顔に対して、そんな風に感じるのは失礼だとは思う。
思うのだが、よく見れば見るほど、そう思えてしまうのだ。
「どうかしましたか?」
さっきから、じろじろと観察するように見ていたから、女が問いかけてくる。
何を言えばいいのか分からなかったので、笑って、首を横に振る。
だって、「あなたの顔が作り物っぽくて見てました」だとか、女の人、特に初対面の人に言えるわけがない。
「そうですか」と、女は目を細める。
ああ、もしかして、人ではないのだろうか。
上の服だけ見れば中国の民族衣装に似ていると思うし、顔つきだって東洋人に近い。
だけど、誘拐でここに来たのではなく、違う世界に召喚されたのだとしたら、文化や人種だけでなく、価値観も歴史も何もかもが違うはずだ。
人の姿をしているからといって、本当に人だという確証はない。
自分で考えたことなのに、そのことにぞっとする。
何のために俺たちがここにいるのか分かってない状況だから、余計に怖い。
そんな俺の不安をよそに、隣まで移動してきた幼なじみは惚けたような表情で女を見ていた。
「綺麗な人だね。女優さんみたい」
ぽつりと呟いた言葉に、否定も肯定もしない。
「……十夜?」
返事をしないかったことが不満だったのだろう、少し拗ねたような声で名を呼ばれた。
それにも返事はしない。
むっと頬を膨らませて、分かりやすく不満を表す様子を見て、彼女は「可愛らしい人」と、笑った。
女に笑われたことで、幼馴染は頬を赤らめて、下を向く。
俺のいないとこで、イチャイチャしてくださーい。
そう言いたくなる空気に変わって、警戒していた気持ちが揺らぎそうになる。
幼馴染の警戒心の無さに、この件の関係者、もしくは呼び出した本人だと疑いを向けている俺がおかしいみたいだ。
扉の向こうから、この場所に来て、余裕を保っていることが何より怪しいと思うんだが。
緊張感のない幼馴染とクスクスと笑う女の姿を見て、堪えきれなかった溜め息がもれた。
まあ、幼馴染は昔から綺麗事が大好きなようだから、疑うなんてことができないのは知っていたけど。
本当、馬鹿だな、こいつ。
今さらどうしようもないことだと分かっている、いるんだが、少しくらい誘拐犯がここに来たのではと、疑うべきだろう。
人のことを微塵も疑ってない幼なじみには、そろそろ疑うことを覚えてもらいたい。
巻き込まれる俺が困るから。
いや、疑うことを覚えなくてもいいから、俺を巻き込まないでほしい。
今回のことも完全に巻き込まれだろうさ。
そう思うと、なんとも言えない気持ちになる。
ああ、本当に、こいつに巻き込まれて死ぬなんてことだけは絶対避けないと。
というか、こいつの傍から離れたい。
幼馴染と一緒にいると碌な事がない。
だんだん、怒りが沸いてきた。
上がっていた口元を、下げる。
それを誤魔化すように口を手で隠した。
自分が何をしに来たのか思い出したのか、幼馴染を見て笑っていた女が、こほんっと咳払いをしてから、コンコンッと扉を叩く。
「テテ、トト。扉を押さえなさい」
グルッとも、ガルッとも聞こえる鳴き声を耳にしたと思えば、女の膝ほどの毛むくじゃらの何かが、女の後ろから現れた。
猫っぽいが、犬っぽくもある。
二足歩行をしている、毛が多すぎて判断しづらい生き物。
茶色の毛に隠れているが、首に黄色の布が巻かれているのが見えた。
ペットではないだろうし、従者とか、奴隷とかか?
考え込んでいる間に、女が扉を支えている手を離し、するりと此方に入って来る。
ゆっくりと閉まっていく扉を押さえるために、その毛むくじゃらは両手で扉に手をついた。
女が押さえていた時よりも、少しだけ閉まった扉。
頑張れば逃げられるだろう隙間なのに、逃げ道がなくなったように見えて焦りがうまれる。
細くなった光からの錯覚もあるし、女の他にも誰かしらがいると分かったのもある。
女はゆったりとした足取りで俺たちの方へと歩いてきた。
あっと気が付く。
本人は気づかれないようにと思って、ほんの少しだけしか視線を動かしていない。
それでも分かってしまった。
あいつと俺を見比べる目をしていることに。
わざとらしい牛のような足取りは、その間を使って、向こうでもよく浴びせられた目で俺とこいつを見るための時間稼ぎのようだ。
慣れてしまった目の動きに、今更、何も言うことはない。
それよりも、目の動きから二人いることが不自然だという感情が見えなかったことの方が重要だ。
俺とこいつ、二人いるのは、「召喚の失敗」や「一緒にいたから巻き込まれた」というわけではないのかもしれない。
まだ、確定ではないが、選別して召喚したのではなく、ランダムの可能性の方が高そうだ。
女は俺たちから二、三メートルほど間をあけて足を止めた。
目の前まで来た女は、スカートの裾をつまんで軽くスカートを持ち上げ、丁寧な仕草で頭を下げるといった、フィギュアスケートとかで見たことある行動をする。
「うわぁ……お姫様みたい」と、はしゃぐような声で幼馴染が言った。
「そうだね」と適当に返事をしながら、本かインターネット上かで見たことを思い出す。
確か、メイドが主人に対してする挨拶の仕方でもあったんじゃなかったっけ、あれ。
口に出したら、失礼になりそうだから言わないけど。
その状態を保ちながら、女は「ようこそ、勇者様。この度は我々の声に応じてくださったことを心から感謝します」と、人を安心させるような柔らかな声で言った。
女の言葉に眉を顰めてしまう。
まるで、俺が同意してこの場にいるような発言だ。
そんなこと絶対に、神様に誓ったっていいくらい、ありえないのに。
女の言葉に反論しそうな口を強く結ぶ。
また、無意識に上がっていた口元が、元に戻った。
どちらにしてもこの女が俺にとっての「最悪」を運ぶ役割には変わらない。
そう身構える俺の隣で幼馴染は、意味が理解できないと言いたげな表情で女を見ていた。
「……えっと? 勇者、ですか?」
困ったような呟き。
その呟きを聞こえたらしい女は頭を上げると、幼馴染の方に視線を向けて可愛らしく微笑み、説明を始めた。
「ここは、東国のパーシャンと言う場所です。その中でも、私たちの一族が代々、治めている地域にこの建物はあります。我が国では、古くからの習わしで、我々で解決できない危機が起こった場合、召喚魔法で『勇者』を呼ぶことになっています。なので、勇者様と呼びました。召喚の陣には、危機を回避してくれる条件に合う人物が選ばれるよう魔法がかかっています。なので、二人がこの場にいるのは召喚魔法の条件に当てはまったからと言うことでしょう。どうか、お力をお貸しください」
まるで説明書を読み上げるかのような、感情を微塵も含んでいない言葉の羅列に、余計な情報は渡す気がないのだろうと感じとる。
苛立ちよりも、その行動に感心する。
情報の上で有利な状態を続けるには、余計なことは言わないに限る。
上からの口止めもあるだろうが、女の行動は正しいと思う。
むかつくけど。
「あ、あの……ここは、本当に日本じゃないんですか? それに勇者って言われても。何をすればいいのか分からないですし。勿論、力になれるのなら頑張りますが」
どうしよう、と俺を見ながら幼馴染は言う。
「ニホン……それが貴殿方の国ですか? 本当に、ここはニホンと言う国ではありません。聞きたいことは沢山あると思いますが、勇者の件は後日、王から詳しく話があります。ですので、今日はどうか体を休めてください」
幼馴染の質問にそう答えてから女はもう一度、頭を下げる。
「申し遅れました。私は
「あ、はい。よろしくお願いします。俺は
慌てて、幼馴染が言う。
最後に、笑顔をつけるのも忘れない。
自己紹介しなくてもいいのは助かるが、勝手に人の名前を教えるのは止めてほしい。
「慈恩寺 光助様……素敵な名前ですね」
大切なものを言うように名を呼んだ女と照れくさそうな幼馴染。
二人の世界を作り出しつつある二人を見て、よそでやれと思いながらも、ぎりぎり口には出さなかった。
「それでは、案内しますね」
俺の視線に気が付いた女が、仕切り直すように言う。
その言葉に、立ち上がった。
今、俺がやれることといったら、ただ、ただ、面倒なことが起こらないことを祈るだけでしかない。
この祈りが、神様に届くとは思っていないが。
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