十 南風来たる(1)

 竜使いにシュトルフェを押しつけ、屋敷への坂道を駆け上がる。玄関先にいたのはよりにもよってカラディンで、相手をする時間も惜しいのに、異国の魔法使いはのんびりと慇懃な礼を寄越した。


「今日は早いお戻りですね。ちょうど良かった、魔法のことでいくつかご報告……」

「後にして、急ぐの」

「おや、現場で何か事故でも? それとも変わったものでも見えましたか」

『余計なとこで鋭いよねえ……』

「お気づきならわきまえて下さいません?」


 つれないなあ。悪びれず肩をすくめ、カラディンは折り畳んだ便箋を差し出した。


「確実ではありませんが、ほぼ間違いなかろうと思われる、北の魔法と竜の魔法の由来と比較です。走り書きですが、差し上げますよ」


 一方的に言うなり、便箋を押しつけふいと背を向けて竜舎へと坂を下っていった。何なのあいつ、とぶうたれるシャナハにおざなりに同意し、便箋を上着の隠しに突っ込んでマグリッテの執務室に飛び込む。


「おばさま、王宮に弔旗が……!」


 挨拶も省略して伝えた一言に、マグリッテの血の気が引き、唇が真っ直ぐに引き結ばれた。


「誰なの」

「わかりません。遠くに竜が見えましたから、使者が来るでしょう。きっと……」

「しっかりしなさい、ナターシュ。滅多なことは口にしないように。殿下にお知らせして、北への連絡ははっきりしたことがわかるまで待っていただいて」


 はい、とどうにか声を絞り出し、別邸までの小道を駆ける。エドワルドとクレムが執務室として使っている娯楽室に転がり込むと、ふたりがぎょっとしたふうに椅子を蹴った。


「どうなさったの、ナターシュ様。顔色が良くないわ」

「何があった」


 差し伸べられたエドワルドの腕に縋って息を整える。すっかり馴染んだ翠玉の眼が頼もしかった。呼吸を整えて、ことさらにゆっくりと発音する。


「王宮に、弔旗が上がりました」

「弔旗……誰か亡くなったのか」

「この国では王族が亡くなったときにのみ弔旗を上げます。つまり、父か、きょうだいの誰かか、伯父一家のうちの誰かが亡くなったのですが……」


 先にエドワルドと都を訪ねたときはみな息災だった。父は気の病を患っているとのことだったが、病死か事故死かまで弔旗は語らない。そのような事情は胸が詰まって言葉にならず、立ち尽くすナターシュに椅子を勧めてクレムは茶を用意に立ち、エドワルドは震える手を握ってくれた。ふたりとも状況は把握している。


「使者が、こちらへ向かっています。正確なことは報告を待ってからですが……北王国は動くでしょうか」

「きっとな。ここのところ魔法院にも王国内にも目立った動きはない。何せ冬だ、動こうにも動けん。逆に言えば、春までは猶予がある。カラディンは油断ならないが、あいつ一人では何もできないさ。悪い想像ばかりするんじゃない」

「……はい」


 使者の到着までにはまだしばらくかかるだろう。何もしないでいることが耐えられず、隠しに入れた便箋を取り出した。角が折れてくしゃくしゃになっている。カラディンが魔法の由来をある程度掴んだそうです。説明した声も便箋を開く指もまだ震えている。


 ――創世ののち神はこの世を去った。神の力を由来とする、万物の理に働きかける術を北王国では魔法と呼称する。神の力は世界中に満ちており、魔法の行使は擬似的な神となるに等しい。それゆえヒトの身には負担が大きく、使用のたび肉体的・精神的に消耗する。限界の拡張のため、装身具や杖に魔力を蓄えておくのが一般的。


 ――竜の国で用いられる竜魔法、こちらは始祖竜の存在を由来とし、竜に働きかける術である。それ以外の用途は不明。過去にもヒトを対象に使用した例はない。術者の血肉を媒介とする場合が多く、必然的に使用の機会は限られる。理由、対策ともに不明。竜の国において特に強い効果を発揮する。竜を統べる為の術? 血筋に関係なく行使できると報告あり、王家筋であっても魔法の適性は様々。


 ――南北で神話に差異はあれど、神と竜の存在を否定できるものではない。竜もまた神に酷似した存在と仮定すれば、魔法と定義されるべき同種の力がヒトに与えられたと考えられ、神と竜の魔法が似通っていることにも説明がつく。(神と竜はまったく異なった存在であるが、我々が観測可能な範囲においてのみ似通っている可能性については、認識外であるため考慮しないものとする)


 ――つまるところ神と竜の関係は?


 北王国語の読解力を試すかのような崩し字、続け字でびっしり綴られていたものを、エドワルドの力も借りて何とか通し読む。


『えーと、北の魔法と竜の魔法は由来が異なるからまったく別のものだけれども、神様と始祖竜が近い存在だから何となく似ている、ってこと?』


 そんなところだろう。シャナハの見解を話すと、隣のエドワルドも重々しく頷いた。


「魔法については自分が使うし勉強したからそこそこ理解してるけど、竜の魔法についてはよくわかりませんってことだ」

『ふたつの魔法の違いを知りたければ、神様と始祖竜の関係を調べなきゃ、ってことだよね。なら、最後の一行だけでいいじゃない。驚きの発見をしたわけでもないのに、なんでいちいち勿体ぶるのよ、この忙しいときに!』


 シャナハの怒りももっともだ。竜の魔法についてはマリウスの話と書物の記述を総合しているのだろうが、ナターシュの知識を超えるものではなかったし、火急の用件を抱えていたのを呼び止めてまで知らせるべき内容とも思えなかった。

 ミンシャ以外の天敵を持たぬカラディンがこちらの事情を斟酌するとも思えず、怒りは収まらぬが仕方ない。足を止めたのがまずかったのだ。

 不愉快だが、忌々しい魔法使いに怒りをぶつけていると不安が和らぐのも事実だった。クレムが茶器を揃えて戻ってきたときには深呼吸ができるようになっていた。


「始祖竜は確かに存在してるんだろう? 鱗をくれたんだものな。直接会ったことはあるのか? どこにいるんだ?」

「わたしは会ったことはありません。国王は始祖竜の託宣によって選ばれますし、鱗を授けて下さったのですから、どこかにはいらっしゃると思います」


 ふーん、とエドワルドは首を傾げた。


「少なくとも、国を見守ってはいるってことか。積極的に介入してくるのかどうかはともかく……第一王子が王位を継ぐわけじゃないんだな」

「はい、父には兄がおりますし、先の王は祖母で女王でしたから。祖母が亡くなったとき託宣を受けたのは長兄の伯父ではなく、父だったそうです。すべて聞いた話でしかありませんが。始祖竜の託宣ならばと、兄弟で王位を争うこともなかったとか」

「ん、じゃあナターシュもシャナハも、託宣を受けるかもしれないってことか? 王位争いには関わらないって言ってただろう」

「それは……そうですけど」


 ふたりでひとつの体を分け合って生まれ、王妃を死に至らしめ、王宮を追われた自分が玉座に収まる姿が想像できなかった。万が一にもナターシュかシャナハが指名されれば、いくら託宣とはいえ、きょうだいたちが黙っていないだろう。

 過去、長子が王に選ばれなかったことも多いが、始祖竜が何をもって託宣を下しているのかも謎に包まれている。人知を越えた存在ゆえだと、疑問に思うこともなかった。


「でも、わたしはここと海とを繋げたい。王宮のしきたりも政治も何も知らないわたしが王になっては国を損ないます」

「ナターシュ様、そんなふうに仰るものじゃありません。いいですか、エディ様と一緒にいたい、と言うんです」


 不謹慎だとクレムを咎めるも、頬が熱くて説得力は皆無だった。そういうことか? 自分自身に尋ねるも、肯定しか返ってこない。恐る恐る見上げれば、海の王が唇の端に笑みを浮かべている。


「そういうことなのかな、ナターシュ?」

「……はい、そう……です」

「ではおれは愛しい妻の祖国のために、何でもできることをしようじゃないか。案ずるな、下心などない。国政がきちんと立ちゆくようになれば、貸したものはきちんと返してもらうさ。我々が得るものも大きいからここへ来たんだ、遺恨のない取り引きをしに行こう」

「はい。ありがとうございます、エドワルドさま」

「水くさいことを言うな。……うん、だいぶ手がぬくもってきたな。恐れるな、誰しもいつかは生を終えるものだ。生を讃え、死後の旅路の安らかなることを祈るのが、死者へのはなむけだし、その繰り返しだ」


 海辺では呆気なく人が死ぬ。泳ぎの得意な者が波に攫われ、熟練の船乗りが消息を絶つ。子どもは突然の深みに落ち込んで沖に流され、あるいは磯遊びのさなかに姿を消す。そういうところなのだと、彼は静かな表情で語った。


「別れを悲しむこと、死者を悼むことが悪いとは言わない。だが、引きずられすぎるな」


 ナターシュは頷く。高山地帯でも人は死ぬ。竜も死ぬ。その代わりに新しいいのちも生まれた。両方を見てきたから、繰り返しであることはわかる。死が、自分たちにもいずれ訪れるだろうことも。


「もしもわたしが先に死んだら、エドワルドさまは悲しんでくださいますか」

「高山地帯が海に沈むほど泣くだろうな。だからおれより先に死ぬな」

「エドワルドさまが先に旅立たれたら、わたしだって泣きますよ。北王国の氷がぜんぶ溶けちゃうくらい」

「なに子どもみたいな言い合いをしてるんです。のろけるのは止してください、こんな時に」


 クレムの声に、ようやく気持ちがほぐれた。


「クレムだってリフィジが先に死んじゃったら、泣くでしょう」

「そりゃあ当然です。大陸ぜんぶが海に沈むくらいは泣くでしょうね」

「誰も彼も道連れかよ、やめろよ、そういう怖い発想は」

「言い出したのはエディ様じゃないですか!」


 都からの使者が到着するまでは、そうして他愛ない話をして過ごした。

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