九 天泣(4)

 翌日、大工のハシャを竜に乗せ、再び現場に向かった。

 上空から見る高山地帯は、地震の直後に比べればずいぶん落ち着きを取り戻している。瓦礫を撤去して整地を終え、更地に新しく家屋を建て始めているが、なにぶん物資が足りない。

 冬のあいだ、家を失った人々はマグリッテの屋敷で過ごすことに決まった。気候に慣れた竜は多少の寒さなどものともしないが、これまで屋根のある環境で暮らしていたかれらを露天に放り出すのも気が引ける。産卵の兆候を示している雌も多くおり、環境が激変するのも良くなかろう、と竜舎の再建が優先されたのである。

 石材、木材などは海峡群島の魔法船が運び込み、ハシャ一家の指揮の下、竜使いやら海の民やらが力を合わせて作業を進めている。竜舎は民家に比べれば簡素な建物であるから、皆がこつを掴むとぐんと進捗が良くなった。ナターシュが留守にしていた間に再建はほぼ終わり、続いて民家に取りかかろうかというところへ山道の話を持ちかけたものだから、ハシャ親方は皆に休暇を与え、視察に付き合ってくれたのだ。


「わっしらは建物をつくるのが仕事ですから、ご期待に添えるかはわかりませんけども」


 けして大柄ではないのにみっしりと締まった体つきのハシャは髪にも髭にも白いものが混じっていて、高山地帯の民では高齢の部類である。竜に乗るのも久しぶりだと言うが、背筋を伸ばして鞍に跨がる姿は堂に入っており、同乗するハルトが驚いていた。高さや風に怯えて体を縮められてしまうと、支えにくいのだ。


「高いとこや足場の悪いとこには慣れてますんで」

「なるほど」


 上空から、そして崩れた山道の近くから状況を観察したハシャは、書き込みのなされた地図を睨み、ハルトに指示して何度か山道に近づき、書き込みを増やした。


「何にせよ、まずは埋まった道を掘り出すことが先決でしょうな。土砂を除ければいいだけの話です。道幅が狭いですし、数は頼りにできんでしょうから、手に余るほどの大岩には発破をかけるのがよろしいかと」

「発破……というと、火薬ですか」

「よくご存じで。ただわっしどもは詳しくありませんで、海のほうに得意な方がいるなら、そちらに聞いてください」


 薄焼きパンに干し肉とチーズを挟んだ軽食を摂りながら、ハシャは続ける。


「陥没と隆起は、段を刻むか埋めてやりゃあよろしいでしょう。これからの季節、滅多に天気が崩れませんから、寒さはありますが作業には向いてるやも知れませんな。除けた土砂をどこに運ぶかって問題が解決して、まめに人員を交替させてやれば、そう難しいことじゃないでしょう」

「わかりました。ありがとう、ハシャ」


 人員はうちからも出す、と彼は請け負ってくれた。


「やっぱりね、下から買い付けないと。海の方の厚意はありがてえんですが、どうにも気が引けて……アッ、すいやせん、余計なことでしたでしょうか」

「え? 全然。支払いや、今回の恩をどう返してゆくかはわたしとエドワルドでよく話し合いますし、決して無理な負担を押しつけるようなことはしませんから、大丈夫。みなにも伝えてください。ナターシュがすべての責を負いますと」

「恐れ多いことです」


 午後は町に戻り、海の民らを率いるホークを交えて計画を詰め、火薬と人材の提供を約束させてから実際の作業を想定した人員配置を考えることとなった。とはいえ、ハシャとホークらが見積もる数字に頷いていただけだが。


「土砂は竜に運ばせるしかなさそうですね。休憩所……作業基地をここに作って、風下のこのあたりにまとめておきましょう。竜使いも何人か余裕をみた方がいいかしら。慣れた者と経験の浅い者を組にして。そうだ、休日も必要ですね。悪天候の日と、それから四日に一日、すべての作業員に休息を命じます」


 ハシャ一家の者と、海の民数名が現地に赴き、作業工程に無理はないか実際に確かめてもみた。結果、飛び続ける竜にとっても負担が大きいことが判明し、作業に当たる竜を増やさねばならなかった。加熱したものしか受け付けぬ竜の餌を基地まで運ぶのは現実的ではなく、朝から作業員を乗せて現場入りする番と、昼過ぎにやって来る番を交替制にすることになった。

 多数の竜の動員にラクチは渋ったが、山道の復旧には替えられないと、最終的には理解を示してくれた。無理をさせないようにと念押しするだけではなく、ついには自らも交替要員として現場入りすると言い出したことには誰もが驚き、姿勢を正した。

 竜使いの作業は輸送と上空からの監督が主で、専門性はないから数さえ揃っていれば誰が顔を出そうと問題ないのだが、細やかで口うるさいラクチが夜空の色の竜を駆って現れると、竜使いたちの背筋がわずかに伸びるのが面白い。

 カラディンの相手で忙しいはずのマリウスが作業を手伝ってくれたのも有り難かった。南北大陸共通語の読み書きをあらかた覚えたカラディンは、マグリッテが所有する数々の書物を読むことに夢中で、学術交流どころではないらしい。

 時間を持て余したマリウスが山道の復旧を手伝ってきて良いかと尋ねると、その方が気が散らなくて良いと言われたのだと頭から湯気を噴かんばかりに怒っていた。


「やっぱり、竜の魔法と北の魔法は似てるよ。北の魔法は何でもできる神秘の力で、竜の魔法は竜に対してのみ、って差はあるけど、カラディンの魔法の気配が何となくわかるし、母さんもわかる気がする、って言ってた」

「あ、あたしもそう。動きを縛る魔法をかけられたんだけど、それを破る方法がどうしてかわかって……。もう一回しろって言われると、できるかどうかわかんないけど」


 シャナハが頷くと、だろ、と彼は首を傾げる。


「神話に食い違いはあるけど、北の魔法は神の存在が力の源で、竜の魔法は始祖竜が力の源みたいだ。神と竜は近いものだから、魔法も似てるんじゃないかって。向こうのはがちがちに体系立ってるけど、体表面積が大きいほど威力が強まるって言われてるみたいでさ、そこだけ迷信混じりで、おっかしいんだ。でもさ、僕たちは血肉を代償に魔法を使うだろ、それに通じるところがあるのかなって」

「体表……ああ、だから髪を伸ばしてるの」

『ぶくぶくに太ればいいのに。木にぶら下がって背を伸ばすとか』


 ナターシュは辛辣だ。太ったカラディンなんて、想像が追いつかない。

 マリウスもまた北王国語を学び、魔法院が作成している子ども向けの教科書を読み込み、続いて魔法院の指導者の教本を読み、魔法の効果の多彩さ、体系立って管理されていることに驚いたという。そうでしょそうでしょ、と調子を合わせると、怒られた。


「悔しいけどさ、魔法に関しては北王国は圧倒的に進んでるよ。竜魔法について尋ねられたけど、経験でしか答えられないんだもの。そりゃあ使い手も減るって話だよ」

「そうだよねえ。あたしたち、おばさまがいたから素質を見出されたようなものだし、そうじゃなきゃ見過ごされてたに違いないわ」

「だからさ、早くに魔法の使い手を見つけることができて、その人を高山地帯に招くことができれば、竜の訓練や治療も少しは楽になると思うんだ。北王国みたいに、全員を調べることはできないにせよ……何か方法があればなあ」

「もっと都と行き来を密にできないかな。歩きだと一日かかっちゃうのは仕方ないけど、もっと竜が身近な存在になって、気軽に竜舎を見学したり、騎乗体験をしたり……そうだ、山道の行き来に竜を使うのはどう? 渡し船みたいに」


 彼と国の将来についてあれこれ語り合うのは、ずいぶん久しぶりだった。周囲が目に入らぬ幼い頃には幼稚で煌びやかな理想を掲げ、もう少し長じてからは実現可能性を考慮したつまらぬ政策を提案しては「子どもでも思いつく政策が実現されていない、つまり欠陥があるのではないか」など賢しらに意見をぶつけ合った。利権が絡む国政の複雑さを知るにつけ、あちらを立てればこちらが立たぬ、諸外国を刺激するのでは、などと臆病になり、次第に夢を語るに等しいそら言でしかなくなっていた。

 もちろん、ここで話し合っていても国政には何も影響せず、そればかりか都の者は魔法院の存在さえ知らないから、高山地帯の独断と翻意と見られる恐れもあった。

 エドワルドが手を差し伸べ、ナターシュを欲したときのようにはゆくまいが、国を開く利を説き、きょうだいたち、大臣たち、そして父王の同意を取り付けねばならない。それができなければ、いくら山道を復旧させようが高山地帯は都の敵と考えられ、溝は広がり、深まるだけだろう。それだけ魔法院は、北王国は、強大で得体が知れない。

 傾いた太陽に照らされたマリウスの頬は興奮に染まっていて、思わず微笑んだ。昔はこうして、一日じゅう一緒に遊んでいたっけ。

 思慮深い紫の眼がシャナハから逸らされ、作業現場を見下ろした。今日も崩落した岩を砕き、土砂を撤去する地味な力仕事が続いている。ハシャ一家も海の民らも、文句も言わずつるはしや梃子、もっこに取り付いていた。

 日中は陽射しが強く汗ばむが、夕方になれば急速に気温が下がり、陽が落ちると吐息は白く凍る。気温差に体調を崩す者も出ていた。休暇を与え、代わりの人員を手配しているが、満足に手当ても与えていないのに、と胸が縮む思いだった。くつろげていた上着の前を閉じて、首巻きを整える。


「だからさ、ナターシュとシャナハがみんなを指揮して山道を拓くなら、僕はカラディンからできるだけのことを吸収しなきゃな。そうしないと、説得力ないもんね。あいつ、話は面白いんだけど、何につけこっちを見下してくるし、ここには解明されてない秘密だとか神秘だとか真理だとかがあるんだって決めてかかってるふうでさ、母さんもそれを逆手にとって煽るようなことを言うから、こっちはもう冷や汗ものなんだぜ。あんまり知りません知りませんって繰り返すのも馬鹿みたいだし」

「知識欲だけはすごいものね。リフィジとクレムを脅迫までしてカラディンを……よその国を味方につけても、ボロが出ればお終いだし、マリウス、責任重大だね」


 遠くを見ている視線が陰った。こちらを振り仰いだ表情はひどく硬い。


「それはさ、いちばん先によその国の男に尻尾を振ったって、思われたくないってこと?」

「し……」


 尻尾を振った。このあたしが。エドワルドさまに?


「先に帰るよ。食後はカラディンの相手をしなきゃなんないからさ」


 シャナハの答えを待たず、マリウスは手綱を操って身を翻した。声をかけることもできずに思考に沈む。ナターシュの存在が心強かった。


「あたしたち、エドワルドさまにおもねってるの?」

『そんなことないと思うけど……今は、与えてもらってるばかりで何も返せるものがなくて、そんなときに自分の存在が代価になるなら差し出そうって思ったのも間違ってたってこと? わたしたち、蔑まれるようなことをした?』


 ふたりでどれほど話しても、自分を守るためにはエドワルドかマリウスを貶めることになり、彼らを擁護するには自分を貶めねばならなかった。

 違う、とエドワルドは言ってくれた。

 あなただからだ、とナターシュとシャナハをふたりとも受け入れてくれた。

 エドワルドの言葉を頼りに、望まれた結婚だと胸を張っていたけれども、そう見てくれない者も確かに存在していて、筆頭が気安い間柄のマリウスであったことが衝撃だった。

 南大陸のどこかの国に嫁いでも、結果は同じだったはず。国の安寧を買うために嫁ぐのだと幼い頃から自分に言い聞かせてきたではないか。

 信頼し、恋心を抱いたひとに望まれて、身を委ねたことをおもねると評価されるなら、どうすれば清く正しく、望まれた花嫁であれたのだろう。

 エドワルドは群島と密に連絡を取り、これまでと同じく復旧のための資材や必要な人員を手配すると同時に、エリザベスに頭を下げて魔法院を牽制するなど書類仕事に忙殺されていた。山道の現場に出るナターシュらとはまったくの別行動で、ナターシュが眠ってからも彼は起き出して忙しくしているようだった。

 招かれた寝台は広い。労いの言葉もないほど憔悴した様子の胸はいつもと同じ熱を有していたが、マリウスの声が耳に響いて、知らず肩に力が入った。

 垣根を作るように熱を隔てたナターシュの腕に、エドワルドは力なく微笑んだ。


「……そうだな、疲れてるものな」

「あ、違、そうじゃなくて……」


 何をどう説明すれば伝わるのか、わかってもらえるのか、役立たずの舌は凍りついて動かない。


「いいさ、気分の乗らないときもある」


 額と頬を掠めて去ったあたたかい唇が、罪悪感をよりいっそう強く焼きつけた。

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