二 天つ風(2)
海の民を交えての救助作業と瓦礫撤去は速やかに進んだ。町へはエドワルドの付き人で、いかにも武人といった風体のホークを長とする一団が向かい、眼光鋭く海の民を監督しつつ、住民たちの求めに応じて力仕事を手伝った。
竜舎にはリフィジが率いる一団が派遣され、別邸にはエドワルドのほか、クレムという名のふっくらした補佐官だけが留まり、情報を総合し、必要な判断を下した。
クレムはリフィジの妻だそうで、生まれつき心臓が弱く、海には出ずに群島の事務作業を統括しているのだそうだ。こちらを見るなり「可愛らしい方ですこと」と微笑んだのには絶句するほかなかった。肝が太い。
「事務作業、ですか」
補佐官を名乗る直属の部下の仕事ではないのでは、と首を傾げるナターシュに、やはりクレムはにこにこと笑っている。体つきと相まって、人当たりが良さそうに見えた。
「帳簿をまとめたり、新しい人員を雇い入れたり、事業の計画を立てたり。細かい仕事だと、ここに花を飾ろうとか。何でも屋ですね。ざっくり言うと、エディ様のためにあくどい計画を立てては実行してるってわけですよ」
「そこでどうしておれの名前を出す必要があるんだ」
事業の計画、という言葉の含みには気づいたが、黙っていた。つまりは「悪辣な計画」、通常の貿易だけでなく、海賊行為も含むのだろう。
『リフィジもだけど、エドワルドさまのことをエディって呼ぶんだね。開けっぴろげすぎない? あとさ、このクレムって人、なんか不思議な感じがする。魔法使いかも』
シャナハの評を心に留めておいて、屋敷での会議に加わった。海の民らの協力を得て進捗がはかばかしい。今後の予定の見直しと繰り上げが必要だった。
「ティレをもう一度都に遣りましょう。殿下には一筆したためていただくことになりますが」
「構いませんよ。このやり方がまっとうでないことはこちらも承知している。火種となりうる事柄は、早めに潰しておくべきでしょう」
「恐れ入ります」
マグリッテは深々と頭を垂れた。
『お風呂、洗ってもらって気持ちよかったよねえ。誰かに髪洗ってもらうのって最高じゃない? だからって、コーティにやってもらうとかじゃないんだけどさ』
聞こえないのをいいことに、シャナハは好き放題である。お熱の相手がダリンからエドワルドに変わったようだった。いいのだか悪いのだか。
「都にも助力は惜しみませんが、南大陸の国々から救援の船が着いているようですから、ひとまずはこちらの復興に力添えしたく思います。人はもちろんですが、竜もできるだけ助けたい。マグリッテ様、私にできることであれば何なりとお申し付けください」
別邸ではあれほど傍若無人に振る舞っているエドワルドが猫の皮をかぶって神妙にしているのが腹立たしい。
マグリッテとエドワルドはあらかじめ打ち合わせでもしていたかのように話を進めてゆく。それだけ当地の被害、エドワルドが提供するもの、それを受けてマグリッテが返すものの読みが的確だったのだろう。飛竜五十頭を譲渡せよとの要求も、女領主は顔色ひとつ変えずに呑んだ。
狼狽しているのはマリウスで、エドワルドを信用していないことが丸わかりだ。みっともないと思うが、ゆくゆくは領主となって治めるべき領地が被災し、それをきっかけに他国の介入を許したとなれば平静を保てずとも致し方ないのかもしれなかった。
ナターシュは王女で、王妹マグリッテと並ぶ身分であるが、高山地帯を預かっているのは領主であり、王の嫡子とはいえ何の決定権もない。一年のほとんどをこちらで暮らし、都には行事に合わせて顔を出すくらいだから、王に代わって何らかの約束をするわけにもいかない。返す返すも、中途半端な立場だった。
エドワルドとの婚姻は改めて、申し入れをする形となるだろう。王が断る理由はない。
「ナターシュ、具合が優れませんか」
エドワルドの問いかけにはっと顔を上げる。ぼんやりしていた。
「いえ……大丈夫です。すみません」
「毎朝早くから竜を飛ばしているし、ずっと気を張りっぱなしでお疲れなのですよ。マグリッテさまもマリウスも、今日はもう休まれてはいかがですか」
「みな必死で働いているのに、我々ばかりがのんびりしていられるわけがないだろう」
苦々しく噛みつくマリウスの目にもくまが浮き、疲労の色が濃い。彼も働きづめで、死者の埋葬という重役も担っている。かなりこたえているはずだ。
「民らの士気にも関わります。休養も仕事のうちですし、あなたがたが休まねば民も休めない。違いますか?」
「それは……」
言葉に詰まるマリウスを見遣り、マグリッテが頷いた。
「では、そうさせていただくことにしましょう。マリウス、あなたも休みなさい。眠れなくとも横になって目を閉じていること。ナターシュもね」
最低限の事柄だけ了解をとりつけ、エドワルドの書状を携えたティレが都に出立するのを見送ってから、ナターシュはコーティを伴って散歩に出た。彼の言い分は正論だと認めざるを得ないが、とても休める気分ではなかったのだ。
ダリンに呼び止められたのは厨房の側で子どもらの相手をしている時で、屋敷に避難してきた町の子どもたちは突然の災害に混乱しているだろうに、みな大人の言うこ
とをよく聞いて細々と働いていた。
「姫様、ちょっと……よろしいですか」
「何かあったの」
改まった様子のダリンは、周囲を窺ってから声を落とした。珍しいことだ。
「ええと、エドワルド様かリフィジ様からお聞きですか」
「飛竜を海峡群島に引き渡す話?」
「いえ、エドワルド様がファゴに乗ると仰って、その、騎乗の訓練をつけてくれと」
『本気だったのかな、この前の』
ダリンは別段迷惑がっているふうではない。竜舎ではすでに崩れた瓦礫の下敷きになって傷ついた竜や人の救助と、死骸の埋葬が終わっている。明日からは竜舎の再建に向けて整地を行い、必要な資材の算出にかかるとのことだった。
「そう……ダリンがついてくれているの?」
「私がずっと、とはいきませんので、手の空いた者をつけるつもりです。やはり、お聞き及びだったんですね」
先日のやりとりをかいつまんで話すと、彼はわかったようなわからないような吐息を漏らした。目の奥には隠しようもなく、楽しげな光がある。
「ということは、エドワルド様は本気でここの君主になるおつもりなんでしょうね。竜のことを知らないでは、長にはなれませんでしょうから」
「それが複雑なところなんだけど……。わたしを妻にしたって、この島の統治者にはなれないでしょう。無駄な努力だと思うけど」
「無駄なものですか。北王国の力を持ってすれば、こんな小さな島を占領し、支配するのは簡単なはずです。援助の形を取ってはいるけれど、これは明らかな侵略ですし、大義名分なんて必要ないはずだ。それだけ国力の差があるわけですからね。姫様だっておわかりでしょう。そこへもってして竜に乗りたい、しかも一番気難しいファゴを指してそう言うんですから、酔狂なんかじゃないと思いますね」
率直なダリンの言うことはもっともだ。そうであればいいと思うが、情けをかけるなんてことは止めてほしいのだ。無慈悲に、冷酷に、一片の希望すらも塗りつぶし、蹂躙して、絶望させてほしかった。もしかすると話が通じるのではないか、話せばわかりあえるのではないか――愛し合えるのではないかと期待させるのは残酷だ。それさえも計算のうちなのだろうか。
「やる気があるのはいいことだと思いますよ。意地や矜持ならもちろん、単なる負けん気であったとしてもね。竜は人とは違いますし、心を通わせるための言葉を持ちません。あの方がファゴを手懐けるまでに、私らのこともいくらかはご理解いただけるでしょう。まつろわぬ存在を認めざるを得ないかもしれない」
「そう……そうだね。忙しいところ申し訳ないけど、頼みます。リフィジさまも騎乗を?」
尋ねると、ダリンは唇の端で笑った。
「あの方は勘がいいし、要領が良くて器用ですね。気の大人しいやつにすぐ騎乗されましたよ。それをご覧になって、またエドワルド様がお怒りになって。ファゴがすぐ慣れるとも思えませんし、しばらく経ってからおいでください」
「そうする。ごめんなさいね、大変なときに仕事を増やして」
「とんでもない。海の方はみんな、エドワルド様が下手を打っても腹を抱えて笑ってらっしゃいますし、うちの者がつられて笑っても咎めることはなさいませんでしたし、むしろぴりぴりしていた雰囲気が和らいだくらいで」
人間ができていると印象づけたいだけでは、とは言えず、曖昧にダリンを労うことしかできなかった。
『どういうことだろうね? 竜を持ち帰るときに、自分はこれだけ乗れますって見せびらかすのかな? それとも、あたしたちへの人気取り?』
「どうだろう。そんなことしてくれなくてもいいのに」
シャナハの声はナターシュにしか届かないが、ナターシュは声に出さないとシャナハに言葉を届けられない。端からは独り言にしか聞こえない彼女との会話は人前では憚られるが、コーティには何の遠慮もなかった。
『エドワルドさま、ファゴに乗れると思う? ダリンとあたしらくらいしか乗れないじゃない。ファゴを乗りこなしたら、竜使いたちはどう反応するかな。大した奴だって思うか、それとも、生意気だって思うか』
「どうだろう……あんまり悪い印象はないみたいだったから、たぶん受け入れるんじゃないかな。ダリンもその気だし」
『まあ、みんなからしたら、暮らしぶりが変わらないのであれば誰が統治者かなんて、そんなに重要な事じゃないよね』
「だね……」
別邸へ戻ると、コーティが湯を汲んできてくれた。手と顔の汚れを拭って衣服の埃を落とす。休めとエドワルドは言ったが、この後また彼と差し向かいの夕食が待っている。都に呼ばれた時と同じくらい憂鬱だった。
『あたし、出るよ。ナターシュは休んでなよ』
「じゃあ、そうさせてもらうね」
食事まではまだ時間がある。久しぶりに庭でも見て回ろうかと、コーティに断って裏手に回った。
エドワルドが我が物顔で別邸に居座っているのは気に食わないが、高山地帯において最もよそゆきの手入れがなされているのがここの庭である。滅多に使う機会がないにも関わらず、手入れを怠らぬ庭師らには頭が下がる。もちろん、不意の客にも不便のないよう気を配り続けるコーティたち使用人にもだが。
別邸を使っているのはエドワルドとリフィジ、クレム夫妻のみで、ホークら他の海の民は魔法の帆船で寝起きしている。双方気を遣わずに済むのに越したことはないでしょう、とはリフィジの提案だった。
屋敷にも別邸にも海の民全員を受け入れる余裕がないことは明らかだし、避難生活を余儀なくされている民らの心境を重んじてくれたのかと思うと、エドワルドが「蹂躙するつもりはない」と言ったのは本心なのかもしれなかった。
――いいや、人道ではなく、効率だ。人心を握るには、鞭よりも飴、身を凍えさせる冷風よりも陽光ののどかさを用いるべしというのは、少し考えればわかることだ。侵略に見えぬ侵略は、彼の印象を輝かしいものにするだろう。
となれば次に彼が欲するのは縁戚関係、王女の誰かで、それだけならばナターシュに白羽の矢が立ったとしても不思議ではない。けれども、国交のない北王国に、高山地帯に引きこもっているナターシュの存在が知られていることが不思議だった。
『都に間者の一人二人、いるのかもね』
「じゃあ、前々からここを狙ってたってこと? いつから?」
『だって、準備がなけりゃあんな大きな船とたくさんの物資を急に揃えて運んでくるなんてできないよ。都じゃなくてこっちに来たのも、北王国の王子が乗り込んでくるには手頃だったからじゃない? ええと、橋頭堡っていうんだっけ?』
侵略の足がかりに例えておきながら、シャナハは自分の発言にひどく落ち込んだ。
「わたしたちが呑気すぎただけかもね。だとすれば、次は」
『結婚。子ができればなお良し、なんだけど……父さまに挨拶する前にってのはちょっと品がないかな。まあ、外からはすぐわかることでもないし、既成事実を作っておくのは大事かも。理想は、復興援助活動のなかでエドワルドさまとあたしたちの距離が縮まって、うまくまとまる……かな。そんな嫌そうな顔しないでよ』
草花のにおい、手入れの行き届いた景観はささくれだった心をいくぶんか慰めた。要人が宿泊する別邸だが、裏庭のすぐ向こうは断崖絶壁である。海抜があるので海の匂いは薄いが、ふとしたときに届く波の音、潮の香りは体になじんでいて、山の上でさえこんなに海を意識するのだから、周囲を海に囲まれ、船を自在に操って海原をわたるとなればどれほどのものかと、遠い気分になった。
庭師たちは花壇、植木の手入れを続けているが、現状、新しい種や苗を購って植えることは不可能だろう。海の領主とその補佐官が急場の不調法を咎めるとも思えないが、庭師らの気持ちを思うと一刻も早く暮らしを立て直したいし、都との連絡を密にしなければと気が引き締まる。
『あっ……白の時間が来る』
「え、早くない?」
『あたしに言われても……。そんなことより、急いで』
シャナハの言葉が終わる前に急激な眠気に襲われ、足がふらつく。寝台まで戻る時間はない。視界の隅に入った東屋まで何とか体を引きずっていった。
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