一 落暉に映ゆ(2)

 屋敷には目立った被害はなく、安堵の息をついたのも束の間、伝令が行き交ってもたらされた報告によれば、被害は町の家々で大きく、楽観視できないものだった。いわく、倒壊、半壊の建物が十以上、火事も出ている。怪我人、行方不明者も多数で、崩れた家の下敷きになっていると推測される。竜舎も同じく、どれほどの竜と人が瓦礫の中に取り残されているのかまだ把握しきれていない。

 屋敷を開放する。領主マグリッテの判断は迅速だった。厨房で炊き出しを行い、屋敷は領民らの寝床にする。

 もとより、小さな領地である。領主とはいえマグリッテの屋敷もこぢんまりしたもので、使用人も少ない。飛竜の繁殖と訓練のための土地だから、町に住む多くが竜舎で働いていて、互いに顔見知りであることが幸いした。不明者の名前が書き出されては消され、迷子は知人が預かった。

 マリウスは行方不明者の把握、コーティら使用人は怪我人や病人の介抱に当たり、竜舎は平時と同じくダリンを頂点に動いた。子どもらが真摯に職務をつとめ、マグリッテに情報を運ぶ。そのどれもが厳しい現実を突きつけた。中でも飛竜を率いた一行の報告が「全島で被害甚大」であったことは皆の表情を険しくした。


「誰が都に向かったのでしたっけ?」

「ティレ、ダリンの妹です。周りがよく見えて気がつきますから、そつなく働いてくれるでしょう。ご心配には及びません」


 ナターシュの答えに一息ついて、マグリッテは車椅子の上でぐんと伸びをした。水を注ぐと、ありがとうと一息に飲み干してしまう。茶を淹れたいところだが、そうもいかない。

 都にも地震の被害が及んだなら、救援のための人手や物資の到着は期待できない。平野部との行き来が不便な立地であるがゆえに、ある程度の田畑は維持しており、牛や鶏、羊に山羊、馬などもいるが、行商人が来られないのは死活問題だ。小麦や米は平地から買いつけている。

 麦の収穫は終わっているから、食料庫にはいささかの余裕がある。けれども領民全員で分けるとなれば、ほどなく蓄えは底をつくだろう。幸い、井戸に異状はなく、飲み水は確保されているが、水で腹は膨らまない。

 誰もが不安を押し殺し、ぎりぎりの我慢をしている。竜舎とマグリッテのもとを往復するナターシュも、できれば竜舎につきたかった。飛竜たちを宥め、導く魔法はこんな時のために有しているのだから。


「魔法は控えなさい」


 焦りを見越したように、マグリッテは命じた。


「あなたの魔法は血を失います。食事も十分ではないのに、倒れては皆の心持ちに影響します。シャナハも、わかっているわね?」

「はい、おばさま」

「では竜舎に行ってきて。あなたがいるだけで皆の士気が上がるのですからね、うまく振る舞いなさい」


 はい。頷いて竜舎に駆けてゆく。動ける竜はすべて屋敷の前庭に移されていて、梃子を用いて瓦礫を除き、生き埋めになっている竜や人を救助する作業が続いていた。そこかしこで助けを求める必死の声や懸命の呼びかけ、竜の唸りが聞こえる。

 端屋の竜たちが安定していることだけが救いの、壮絶な光景だった。たちまち全身は埃まみれになり、細かい砂や木っ端が入る目には涙が浮かんだ。咳き込んで作業にならず、詰め所から手拭いを拝借して口元を覆い、涙を流しながら作業にあたった。

 太陽が慈悲なく西の山の端に姿を消すと、いくら途中であっても作業の手を止めざるを得なかった。断腸の思いで屋敷に戻る。

 誰もが疲労困憊しており、切り詰めた食事は薄いスープとパンのみ。灯り油は貴重で、明日以降も作業が続くことを考えると、動ける者の体力を温存するのは当然だった。無力感と不甲斐なさを抱えながらの食事は無言で進んだ。

 町の火事は夕暮れ頃に消し止められたが、まだ燻っていて建物を検あらためるどころではないと聞く。ひとまず延焼の恐れがなくなっただけでよしとせねばならない。火元は惣菜屋で、切り盛りしているマシカの行方が知れない。誰もが彼女の安否を考えないようにしていた。

 領民らは屋敷の居室や廊下で横になり、竜たちは前庭で丸まって夜を過ごすこととなった。とても眠れぬだろうと思われたが、閉じた瞼を開けば薄明のころだった。

 竜舎の下敷きになり、重体だった熟練の竜使いの死から二日目が始まった。

 朝食時にはマグリッテが激励の声をかけた。惣菜屋の焼け跡からマシカのものと思われる遺体が見つかり、シャナハはこっそり腕を切って竜を落ち着かせながら、瓦礫撤去と救出作業、暴れる竜の治療にあたる。

 どうにか瓦礫を除いても、もう明らかに息がない潰れた遺体や、助かったと泣きながら息を詰まらせて死んでゆく者が増え、マリウスは遺体の埋葬にも頭を悩ませることになった。とても一つずつ墓穴と棺桶を用意することはできない。もちろんそのまま放っておくことも。端屋の傍らに大きな穴を掘って遺体を並べ、夕刻に油を注いで燃すほかはなかった。平時であれば、竜の爪や牙は道具類に加工するが、その余裕がない。竜の遺骸も同じく、燃やされることとなった。

 夕暮れ前には疲労困憊のティレが戻ってきた。王族はみな無事だが、都も建物の倒壊や火災の影響で今すぐの救援を約束できない。きっと向かうから、それまで何とか耐え忍んでくれ、と激情滲む筆致の書簡を携えてきたが、山道は地割れや落石などでとても荷馬車が通れる状況ではないという。マグリッテの顔色が一段と悪化した。

 瞬く間に二度目の夜が来て、その頃には誰もが表情をなくしていた。ナターシュやマリウスはつとめて穏やかでいようと心がけ、声をかけあったが、多くの死と破壊を目の当たりにした重みに抗えるものではなかった。

 三日目の朝、再度空に上がった竜使いが一通の封書を持って戻った。

 そこには北王国の王子エドワルドの名前で、自分は海峡群島の領主である、地震があったと聞いたが様子はどうか、我々の国には国交がないが支援を行う用意があるゆえ、受け入れていただけるのであれば東の峰で狼煙のろしを上げて下さるよう、とあった。

 海に出ていた船が光信号を寄越すものだから何かと思えば、これをエドワルド王子から直々に手渡されたのだと、年若い竜使いは早口にまくしたてた。


「野蛮と名高い北の悪魔たちに助けを乞うなどもってのほか。王族たちが玉座を巡って血で血を洗う争いを繰り広げているそうではないですか。支援の見返りは飛竜の提供でしょう。連中の内乱に関わるのは……」


 真っ先に反対したのは例によってマリウスだったが、彼らしくない読みの浅さだった。王子が都ではなく、高山地帯に直接支援を申し出たのは、竜の提供はもちろんのこと、もうひとつ高山地帯が抱くものを差し出せと言っているのだろう。

 すなわち末王女のナターシュである。

 マグリッテはナターシュを見つめ、ナターシュはマグリッテを見つめた。ようやく書簡の真意に気づいたマリウスがはっとした様子で息を呑む。


「皆が助かるのであれば、それが最善ではありませんか。群島の領主であれば、本土からも遠いですし、政争にも関わりが薄いと見てよいでしょう。飛竜があれば山脈を越えて内陸部に侵攻できますが、侵攻部隊を組織するだけの人的資源があるとも思えません。南大陸との貿易の中継点として栄えている土地ですから、欲をかくのは下策と……仮にも王子、領主を名乗るのであれば読むはず。わたしは構いません、助力を願いましょう」


 ナターシュが口を開けば、誰に止められるはずもない。すぐに東の峰で狼煙を上げた。

 そして西に沈む太陽を背負って、空飛ぶ船が山岳地帯西部のわずかな平地に着陸した。

 スピカから下り、護衛もつけずたった一人で船を出迎えたナターシュに応じたのは、燃える赤毛の男だった。単独で船を下りた彼は白い礼装を風になびかせ、我は王子エドワルドである、と名乗ったのである。



 エドワルド配下の者は何につけ手際が良く、予め分担を決めてきたかのように屋敷、竜舎、町へと散っていった。戦利品の分配、と頭に浮かぶ言葉を必死にかき消す。

 竜王国の公用語でもある、南北大陸共通語を滑らかに話す彼らと意思の疎通は易く、救いの手を差し伸べる海の民を胡乱な目で見る者はなかった。彼らが船に積んで持ち込んだ食事や着替えなどの日用品が警戒を解いたこともあるだろう。

 長身の文官はリフィジと名乗り、エドワルドの補佐官であると告げた。海峡群島と竜王国間の折衝を担うと堂々と言ってのけ、マリウスが鼻白む。

 他の男女と違ってエドワルドとリフィジは陽灼けも薄く、立ち居振る舞いが洗練されている。北の内陸生まれで、陽射しと海風に耐えられるはだではないのだろう。

 彼らの求めに応じ、マグリッテは賓客用の別邸を提供すると約束し、早速ナターシュがエドワルドとリフィジを案内することになった。


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