あの子は象牙の橋から飛び降りた

両目洞窟人間

あの子は象牙の橋から飛び降りた

 象牙で作った橋を渡った町で17歳になった私は、自転車を漕いで夕日に照らされた図書館に本を返しに行く。

 大半が埃をかぶった本ばかりの図書館に読みたい本はもう無くて、私は何度も何度も好きな本を借りてはそれを読み返す。

 頭の中に浮かぶ黒板にその本の言葉を初めから最後まで書けるくらいまで読んでしまって、好きな本にも飽きてしまって、私はいよいよ埃のかぶった図書館で孤独になってしまった。

 孤独になるとどうでもいいことばかり気がついてしまう。

 毎日、見かけるおじいちゃんの歯が残り4本であること。

 壁に貼られたこの町の地図をじっとよく見ると、小学校の裏にあった謎の施設がただの浄水施設であったこと。

 そしてスティーブン・キングのItが置いてある棚の後ろに謎の扉があることに気がついてしまう。

 私はその扉をじっと見る。高さ30センチにも満たない小さな扉。

 何のための扉なんだろうか。

 どうせ読みたい本もないからその扉のことを考える。

 それで思いついたのは安易だけども「不思議の国のアリス」のことだった。

 あの扉の向こうには不思議の国が広がっている。

 私は似合わない青いドレスを来て、背が縮んだり、気の狂った帽子屋とお茶会をしたり、トランプの兵士に首をはねられたりする。あの扉の向こうにはそれが待っている。

 どうせここにいてもつまらないし、いっそのこと首をはねられてもいいななんて思う。



 竹宮先生が家にやってきたのは図書館でそんなことを考えた二日後だった。

 「海野ー。元気にしてるか」

 はい、先生。元気ですよ。

 「そうかー。これ、各教科のプリントまた持ってきたから、来週までにやっておくんだぞー」

 そう言って分厚いプリントの束を渡す。私は今週分のプリントを竹宮先生に渡す。

 「おー。お前はちゃんとやるなー。どうだ、わからないところはあったか?」

 はい。最後のページに、今回わからなかったところをまとめています。

 「じゃあ、これ、また先生聞いてくるから。あ、英語なら俺答えられるな。これはな」

 紙にしてもらえた方が助かります。

 「海野、そんな冷たいことを言うんじゃないよー。先生も一応英語の先生だってところを見せたいわけよー」

 ごめんなさい。でも。

 「あーわかってる。わかってる。ちょっと冗談を言っただけだよ。先生あんまり面白くないから。すまんな」

 いえ。全然。

 「・・・どうだ。学校へは戻れそうか」

 私はしばらく黙って、それで、次に何を言うか考える。

 「はい!戻れます!」違う。

 「もう少し、かかりそうです」違う。

 「先生、早く出ていってください」違う。

 私はしばらく悩むが言葉は出てこない。だから別のことを聞く。

 ・・・竹宮先生、清水さんはどうしてますか?

 「清水か。まあ・・・元気にしているよ」

 嘘つき。



 「こんな町大嫌い」ってあと1年我慢すれば出て行けたのに、清水さんは耐えられなくなって象牙でできた橋から飛び降りてその下を流れる川に着水。

 でも、死ぬことができなくて、町の真ん中にある病院で飛び降りてからずっと入院している。

 その病院からは清水さんが飛び降りた象牙の橋と川が見える。

 自分を殺してくれなかった橋と川を清水さんはどんな風に見ているんだろう。

 逃げ出したかったのに、町の真ん中に縛られている清水さんはどんな気持ちなんだろう。

 「清水さん、よくなるといいですね」

 私は本心を言う。

 竹宮先生も笑って「そうだよな」って言って、そして家から出て行く。

 清水さんにはよくなって、この町から逃げ出してほしい。

 でも、当分の間、この町に縛られたまんまだ。




 今日も昼前には図書館に行って、プリントを仕上げていく。国語数学科学歴史英語。

 ザラ紙のプリントを仕上げながらスティーブン・キングの「It」の隣にあるあの小さな扉のことを考える。

 30センチの小さな扉。

 私は14時前に科学のプリントを仕上げて、かばんを椅子に置いたまんまにして、その扉の前に向かう。

 この扉の向こうには不思議の国が広がっていて、私の首ははねられる。そんな期待が広がる。

 扉に手をかけて、開いてみる。

 そこには不思議の国は無い。でも、ヒモがぶら下がっている。

 蛍光灯を消せるようなヒモが。

 引っ張ったらどうなるんだろう。そんな疑問が頭に浮かんで、それで、私は実行する。

 カチっと音と確かな手応えを感じる。



 何も起きない。

 図書館には何も起きていない。

 もう一度引っ張るけどもやっぱり何も起きない。

 私はどうでもよくなって扉を閉めて席に戻って、世界史のプリントを解くことにした。





 17時になって家に帰ろうと思い席から立つ前に携帯を見ると、清水さんからLINEが入っていることに気がついた。

 「橋 壊れた」

 何を言っているかわからなくて私は返信をせずに自転車に乗る。自転車で町を駆け抜けていると家に帰る途中で人だかりと車が沢山集まっているのに気がつく。

 なんだろうと思うと、いつもなら見えているものが見えていないことに気がつく。

 象牙でできた橋が壊れて落ちている。

 清水さんが飛び込んだ川に象牙の橋がばらばらになって散らばっている。

 誰かが大きな声で言う。大変なことになったぞー。

 ヘリコプターの轟音が響き渡っている。

 私は携帯を取り出して清水さんに返事をする。「そうだね」

 清水さんから返事。

 「海野 橋 壊したでしょ」

 何言ってるの?と返すが、返事はそれから返ってこなかった。



 数時間後、清水さんは容体が急変して亡くなる。




 竹宮先生がまた山のようなプリントを抱えてやってくる。

 「海野-。元気でやっているか」

 ええ、まあ。

 「そうかー」

 そしていつも通りの会話を竹宮先生と交わす。一通り話した後に竹宮先生が私に言う。

 「あの橋、そろそろ新しいのができるらしいな」

 もう、半年ですもんね。

 「半年か、遅すぎたくらいだよなあ」

 半年。

 橋が壊れて、清水さんが亡くなって半年。

 橋が壊れても、清水さんが亡くなっても、私は何も変わらなかった。この町も何も変わらなかった。

 清水さんの「海野 橋 壊したでしょ」って言葉が怖くて、私はその後に、図書館に行ってあのヒモのことを聞く。

 すると「これは換気用のスイッチでして」とくだらない回答が返ってきて私はほっとする。

 じゃあなんで清水さんはあんなことを言ったんだろうと思うが、何かが清水さんに見えたんだろうと思う。

 清水さんはベッドで横たわりながら、あの橋が壊れるのを見た。

 そのとき、清水さんの目に映った私はどんな風に橋を壊したんだろうか。


 「次の橋、何で作られるか聞いた?」竹宮先生が言う。

 いえ。知らないです。

 「真珠だって。くだらないよな」

 そう言って先生は家を出て行く。

 もうすぐ私は高校3年になるはずだけども、まだ学校にはいけそうにない。


 私はまだ図書館に通っている。昼前の光を浴びる図書館に。

 図書館の机でプリントを解く。国語数学科学歴史英語。

 世界史を終えた頃には17時になっている。

 家に帰ろうと思ったが、その前になんとなく思い立って今日は本を一冊借りようと思う。

 埃を被った本がずらっと並んだ棚の間を歩く。

 この町に住む老人たちに向けてチューニングされた図書館だから、たいていは興味のない本ばかりだ。

 その中でも、じっと見ていると何冊か興味があるものが出てくる。 1冊、2冊手にとる。

 すると誰かが見つめている気がする。

 振り返ると、遠くに清水さんが立っている。

 清水さんは笑顔で手招きしている。

 私は清水さんに近づいていく。

 清水さんは「It」の隣にあるあの小さな扉に前に移動していく。

 私は清水さんを追いかける。

 清水さんは扉を開けて、あのヒモを握る。

 清水さん、それは、換気用のスイッチだから何に意味もないんだよ。

 清水さんがヒモを引っ張る。

 カチ。図書館が停電する。

 カチ。どこかで何かが壊れる。

 カチ。どこかで誰かが死ぬ。

 カチ。どこかで誰かの叫び声が聞こえる。

 カチ。カチ。カチ。カチ。カチ。

 清水さんはヒモを引っ張り続ける。

 そのうちに、この町は全て壊れる。

 何もかもなくなって、砂になって、風が吹いてどこかへ飛ぶ。



 カチ。


 最後の音の後に、図書館の明かりがつく。

 そこに清水さんの姿はなくて、閉館を告げるアナウンスが館内に反響する。

 私は自転車を漕いで家まで帰る。

 その道中、あたりを見回す。

 この町は何も壊れていない。

 それにほっとしながら、どこかつまらなく思ってしまって、そんな自分のことを少しだけ嫌に思う。

 すると腰に違和感を感じる。

 清水さんが荷台に腰掛けて、私の腰に腕を回している。

 清水さんは泣いている。

 清水さん、何にも壊れなかったね。

 清水さんは泣きながらうなずく。

 私たちはそのまましばらく何にも壊れなかった町を自転車で走る。 元象牙の橋の近くを通ったら真珠の橋がまさに工事中で「来月開通予定!」とでかでかと書いている看板が目に飛び込む。

 その看板から清水さんを少しでも遠くへ離してあげるために自転車のペダルを強く漕ぐ。

 すると腰に回された腕がぎゅっと力が入った気がする。

 清水さん。

 「何?」

 せっかく死んだんだから、この町から出て行きなよ。

 「あはは。それもそうだね」

 そう言って、私たちは坂道を下っていく。

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あの子は象牙の橋から飛び降りた 両目洞窟人間 @gachahori

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