第3話 パラレルワールドの証明

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 氏名:早乙女甲太(33)。

 誕生日:昭和五十九年九月十一日生まれ。

 出身校:広島修道大学法学部法律学科。

 出身地:広島県廿日市市。

 勤務地:阿品台高校。

 職業:高校教師(歴史)。


 さぁ、どうしようか、と途方に暮れ、僕は炬燵の卓に顎を預けた。

 同姓同名の『早乙女甲太』から友達申請の『承認』を貰った僕は、自分から申請を出したにも関わらずそれが受理されたことに当惑し、最初のメッセージを送ることもできず、思考だけを繰り返しながら自宅に帰った。

 次の一手をどうするべきか。それを考えあぐねていた。

 名前や誕生日、出身校、出身地も一緒。違うのは職業と家庭を持っているかどうかということだけ。これっぽっちの情報で相手が別の世界の自分だと確信するほど、僕はバカじゃない。担当編集者の手の込んだいたずらってことも考えられるし、新手の出会い系サイトの勧誘手口かもしれない。

 現時点ではこの『早乙女甲太』が赤の他人、もしくはまったく架空の人物である確率は99.9%。残りの0.1%はホーキング博士が理論として提唱しているに過ぎない。

 要するに、パラレルワールドの存在だ。

 中高生向けのパルプフィクションを書いている身で言うのはなんだが、馬鹿げてる。小説のネタとしては面白いけれど、一個人の人生の分岐程度で世界がネズミ算式に広がっていたら、この宇宙は容量オーバーを起こして、とっくにぶっ壊れているはずだ。

 だから、ありえない。

 とはいえ、この『ありえない』という姿勢が科学的でないことも知っている。

 本物の科学者は宇宙人や幽霊の存在を安易に否定はしないのだという。

 現時点では立証できないというだけで、それが科学の進歩や新たな発見によって立証できるようになる可能性があるからだ。目の前にある事象を検証もせずに、古くからの考え方に固執していたら、科学の進歩はなかった。進歩がなければ、僕らの地球は依然として宇宙の中心にあり、平らな大地で、西の海の向こうに太陽が落っこちては、また新しい太陽が東の空から昇ってくるような、そんな世界に生きていたことだろう。

 別に科学者でもなんでもないけど、作家も似たようなものだ。

 怪しいものを見たら、見るだけで留めず、手で触り、匂いを嗅いでその正体を確かめるべきだ。それについて物語を書きたいのであればなおさら。自分の肉体と心で体験し、検証することで語りはより豊かになり、読者への説得力は強固になる。

 もちろん、倫理に反していたり、法に触れる場合にはこの限りではないけれど。

 この場合の検証とはつまり、僕と同姓同名の『早乙女甲太』が本当に別世界の僕なのかということを確かめること。公表している名前や誕生日、出身校や出身地が事実であることを客観的な物証でもって確認することだ。

 これはことのほかハードルが高い。

 彼に『承認』してもらったことで、公開範囲が友人限定となっていた画像や投稿記事が閲覧可能になったものの、そこに『早乙女甲太』本人の写真はなかった。身の回りで起きた出来事の記事もアカウントを取得した初年度に数回あっただけで二年近く途絶えている。どうもSNSを小まめに管理するのがあまり得意じゃないらしい。

 次に登録されている友達の顔ぶれに注目してみた。驚いたことに見知った学生時代の友人や知り合いが僕の登録している数と同じか、それ以上にいた。

 はじめは友人たちが僕と勘違いしてこちらの『早乙女甲太』からの申請に承認してしまった結果なのでは、と思った。友人たちのページに飛んで、『早乙女甲太』が二人登録されていないか確かめようとした。ところが、何故か『早乙女甲太』のページから彼の友人たちのページに飛ぶことはできなかった。

 そのページは存在しません、とメッセージが出て、僕を弾いた。

 おかしいと思い、僕は一旦自分のページに戻って、僕が登録している友人たちのページに飛んでみた。これはなんなくできた。友人たちのページにちゃんとアクセスできた。

 どうやら、もう一人の『早乙女甲太』のページを経由して飛ぶことができない、というだけみたいだ。念のために友人たちの友達リストを粒さに見て回ったが、どこにも僕以外の『早乙女甲太』はいなかった。

 彼のページから掴める情報はあまりにも少ない。

 鑑賞した映画の感想や出版社のパーティーに出席した模様を記事にしては、自己啓示欲求を満たそうとしている僕とはえらい違いだ。これだけでも同じ人間とは思えない。

 共通点があるとすれば自分の顔をプロフィール写真にしないことくらいだ。

 もう一人の『早乙女甲太』のプロフィール写真は、彼の子どもの写真だった。一才かそこらの男の子と彼をあやしている女の子のツーショットだ。二人とも目元のあたりがどことなく僕に似ている、ような、気がする。

 時刻は深夜二時を回ろうとしていた。

 夜型人間の僕はともかく、昼間の太陽を浴びて生きているであろう『早乙女甲太』にメッセ―ジを送るには、今しかチャンスはない。

 でも、どうやって話を切り出せばいい。

 まずは挨拶。

【どうもはじめまして。夜分遅くに失礼します】

 次に承認してくれたことへの謝辞。

【リクエストを承認していただき、ありがとうございます】

 そして、同姓同名であることをきっかけに都市伝説の話題を切り出す。

【あれって本当なんですかね。偶然あなたを見つけて、勢いでリクエストを出してしまったんですけど、僕自身半信半疑です】

 共感を誘って、相手の警戒心を解いて、身分証明書を提示してもらえる流れを作る。

【免許証を拝見させてもらってもいいですか】

 なんて。都合がよすぎるな。

 自分から提示するのが筋だろうけれど、友達リクエストを承認した相手からいきなり免許証の画像を送られてきて、さぁ、どうだ。あなたのそれも見せてもらおう、なんてそれはそれで無礼極まりないし、怪しすぎる。

 そう。僕ならそう思う。

 僕なら、思う。

 そうだ。本当にこの『早乙女甲太』が別の人生を生きている自分なのであれば、相手は僕自身も同然だ。それなら自分が受け取って、不愉快に思ったり、警戒したりしない文章を考えればいいはずだ。僕が「こいつなら信用できそうだ」とか「なるほど、本当に別の世界の自分らしい」と信じられるメッセージを僕自身に向けて書けばいい。

 少なくとも善人だと感じるメッセージであれば、向こうの僕も同じ感性でそう受け止めてくれるはずだ。

 いや、果たして同じ感性だろうか。

結婚して、子どもを持って、毎日一〇代半ばの子どもたちと接している彼が、アルバイトで食いつなぎながらなんとか作家としてやっている僕と「同じ感性」を持っているのか。結婚すると人生観が変わるというし、子どもを持てば尚更だ。

だいたい向こうの僕は童貞じゃない。この時点で今の僕との感性の置き所は丸っきり違うはずだ。

 無職であることの負い目や女性に対する苦手意識、両親に対する罪悪感や、同級生たちへの劣等感。そういったものを一切抱えていないであろう向こうの自分が、そういったものを丸ごと抱えてすっかり捻くれてしまった僕と同じものの考え方をするとは思えない。

 それならば、やはり相手は赤の他人同然と思った方がいい。

 そもそも前提を見直すべきかもしれない。

 同姓同名の僕からの申請を承認したのだから、相手も例の都市伝説については知っているはずだ。それなら前置きはいらない。単刀直入に本題に入ればいい。

 画面を凝視して、僕はキーボードを叩いた。


                 ***


 免許証を提示しろときたもんだ。

 俺は同姓同名のもう一人の俺が考えぬいたであろう要求に、呆れ返った。

 俺じゃなかったとしても大馬鹿ものだ。

 誰が赤の他人においそれと免許証を見せるっていうんだ。しかも、ネット上に画像データ何て形で。相手が相手なら、どんな犯罪に使われるかわかったもんじゃない。そりゃマイナンバーを見せろってよりはマシだけど、マシなだけで、決して賢い要求じゃない。

 百歩譲って、こういうのはまず自分からすべきじゃないのか。

 俺なら、そうする。

 そう思って、キーボードに目を落としつつメッセージを打とうとした矢先、タイムラインに新たに画像データが上がってきた。

 免許証だ。

 丁寧に免許証番号は紙で隠してあった。

 確かに名前も生年月日も一緒だ。

 本籍こそ実家のままだが。

 ってことはまだ結婚してないってことか。

 三十三歳にもなって。

 まぁ、いい。

 そこまで確認してから、一旦このことは脇に置いて、俺は子どもたちが起きてこないよう注意しながら、免許証とプレゼントを取りに車に向かった。長女と長男の分のプレゼントを自分のクローゼットに隠し、改めてリビングに戻って、例の画像と対峙する。

 問題は顔写真だ。

 そこに映っていたのは紛れもなく、俺の顔だった。

けれど、実際の俺の免許証の写真とはまるで感じが違った。髪は短めで清潔な印象を受けるし、眉も細くはないがしっかり手入れがされている。俺も昔は同じようにしていたが、生徒指導をする手前、髪にワックスをつけることもなくなって、眉もすっかりいじらなくなった。作家だから徹夜続きなのだろうか目元に隅みたいなものが見えるし、頬がこけてもいるが、何より今の俺より若々しい。

 結婚や仕事に疲れている俺とはえらい違いだ。

 着ている服も今の俺の趣味とはだいぶ違う、ピンクのポロシャツだ。

 俺が、ピンクを着てる。

 信じられない光景だった。けど、案外似合ってた。歳を考えて、黒とか茶系に落ち着きつつある自分よりいくらか攻めの姿勢が見える。

 俺のことだ。

 結婚はしてなくてもそれなりに恋人はいて、私生活に不自由はしてないはずだ。

 印税暮らしならなおのことだ。

 公務員ほど安定はしてないが、一発当てればデカいと聞く。

 気がつくと俺はこの本物かどうかも未だ定かではない『早乙女甲太』という男の人生について、与えられる情報を真に受けて、想像を巡らせていた。

 まだ写真が俺の写真を加工して作られたものと言えなくもなかったが、そこまで手の込んだいたずらを仕掛ける知り合いや業者に俺は心当たりがない。そこまでして俺から掠め取れるものなんて何もない。

 あるのはこの家と二人の子どもだけだ。

 少し、この男の話に乗って見てもいいかもしれない。キャッシュカードの番号を教えろと言われているわけじゃないんだ。名前と住所と生年月日、それに顔写真を同じように見せてやればいいだけだ。スマホのカメラを起動させて、免許証を取ろうと構えたとき、別の妙案がふと浮かんだ。

 もっといいものがある。

 俺が間違いなくお前とは違う人生を歩んでいる『早乙女甲太』だと証明できるものが。


                 ***


 僕は唖然とした。

 免許証の画像を送ったわずか五分後。お返しにと、向こうの『早乙女甲太』から画像が送られてきた。

 要求、というか要請通り、彼の免許証の写真だ。

 僕に倣って、免許証番号はメモ紙か何かの紙片を使って隠されていた。まだ僕のことを信用しきっていないのか。本籍地も伏せられていた。しかし、それ以外の名前や生年月日や発効年月日は僕の手元にあるものと寸分たがわない。

 違うのは顔写真だけだった。

 髪は僕よりも長くて、前髪が広い額の上でうねっている。肌は僕よりも陽に焼けていて、肉付きもしっかりしているが、母親譲りの丸い目や大きな鼻、耳の形から首筋のほくろまで、確かに、見紛うこともなく、僕そのものだった。

それなのに、まるで見覚えがない顔、とも感じた。

 早い話、雰囲気が違う。

 いつも鏡の前で見ている顔と違うし、この三十三年という長いスパンで見てもこんな精悍な顔つきであったこともないから、姿形こそ自分であっても、まるで双子の片割れを見るような感覚だった。

 とはいえ、唖然としたのはこの免許証のせいじゃない。

 添えられるように写った一枚の写真のせいだ。

 日差しの量と涼やかな格好でそれがすぐに夏のものだとわかった。

場所は千葉にある遊園地。アメリカの西部開拓時代を思わせる川縁のエリアで、茶色のTシャツと黒いパンツを履いた向こうの『早乙女甲太』が立って写っている。

その横には、付かず離れずの距離で並び立つ女性が一人。

僕は女性の姿を食い入るように見つめた。

 背は頭ひとつ低く、肩までかかって髪は明るく、大きな目は眩しげに弧を描いている。おそらく彼の奥さんだろう。歳まではわからないが、僕の知っている人ではなさそうだ。笑顔が印象的な可愛らしい女性だ。

 これが向こうの僕のお嫁さんかと思うと、不思議な気持ちになった。

 彼女の両手の先には二人の子どもがいる。プロフィール写真に写っていた女の子と男の子だ。あれよりもずっと成長している。女の子――お姉ちゃんと思しき子の方はティアラを頭に差し、ピンク色のドレスに身を包んで、さながらプリンセスのようだ。

 一方、そんなお姉ちゃんの好待遇が腹に据えかねたのか。男の子の方は唇を尖らせ、目を赤く腫らしながらこちらを睨んでいる。片手で母親の手を握り、もう片方の手には買ってもらったばかりと思しき、探検家姿のアヒルの人形を抱いている。

 と、まぁここまで見ても、僕に瓜二つの男が撮った家族写真だと言い切ってしまえば、できないこともなかった。プロフィールも、僕を真似て書いただけだと考えられなくもない。いまだ人類が知覚しえていないパラレルワールドの可能性を信じるよりも、そっくりさんの成りすましと考える方がずっと現実的だ。

 しかし、それはどだい無理な話だった。

 なぜならこの微笑ましい家族の傍らに、僕の両親が写っていたからだ。

拗ねた男の子をあやすように膝をついて抱きしめる母と、そんな母の後ろで不器用な笑みを浮かべている白髪交じりの父。二人から向けられる眼差しの温度は、写真を通しても十分に伝わった。間違いない。二十二年も同じ屋根の下で生活していたんだ。

 疑える要素は微塵もない。

 ホーキング博士は正しかった。

 これは僕だ。結婚して、家庭を持った、もう一人の僕だ。


                 ***


 寝静まった子どもたちのベッドにプレゼントを置いて戻ってくると、あちらの『早乙女甲太』から返信が来ていた。

【ありがとうございます。あなたがパラレルワールドの僕だという確信が持てました。お返しにあなたに倣って、僕がもう一人のあなただという証明を送ります】

 メッセージと一緒に添付されていた画像を開く。

 そこに映っていたのは漫画風のキャラクターが描かれた一冊の文庫本と一枚の色紙。真ん中には『甲ちゃん、デビューおめでとう!』の文字がでかでかと書かれている。そのメッセージを取り囲むように周りには何やら見覚えのある名前の数々が、ある一人の人物への応援の言葉とともに寄せられている。

 色紙の右下に送り主の代表者と思わしき女性の写真が貼られている。場所は本屋だろうか。嬉しそうに平台に積まれている本を手に取ってこちらに向けて満面の笑みを見せている。久々に見る顔だ。いやに懐かしい感じがする。小学校時代からの付き合いになる俺の幼馴染だ。今は結婚して、子どもも二人いる。毎年、お互いの家族写真を年賀状で交換しあっている。彼女が手にしているのは、色紙の横に添えられた文庫本と同じ本だ。

 小学生のころ、よく彼女に自分は将来漫画家になるのだと豪語していたことを思いだす。こちらの俺はついにその夢を果たせず、大人になってしまったが向こうの俺は、夢の形は変われども、彼女に豪語した未来を幾分か実現したらしい。

 幼馴染の功績を誇るような彼女の笑顔が、それを証明している。

 そして、色紙の左上には向こうの俺と思わしき男の写真が切り抜きのような形で貼られていた。どこかの温泉旅行にでも行ったのか。浴衣を着て、満足げな表情だ。

 なるほど。これが向こうのあいつの証明ということか。

 俺は家族を。あいつは夢を手に入れた。あまりに違う人生だけど、両親と親友までは変わったりはしない。それこそが俺のルーツであり、根本なのだから。

パラレルワールド、か。

 この期に及んで俄かには信じがたく、少し恐ろしくもあるが、少し興奮もしてきた。さっきまで心の奥底で巣食っていた憂鬱な気分が、今は嘘のように晴れて、非現実的な現象に久しく失っていた胸の高まりさえ感じつつある。

 読んでみたい。

 画像の向こうに写っている、もう一人の俺が書いたという小説を。そこには多分、すべてが書かれているはずだ。処女作を書き通し、クリエーターとして、艱難辛苦の人生を歩んできた別の自分の、恋とか、仕事とか、世界の見え方。そのすべてが。

『新天地ライタホリック』。

 それが例のデビュー作のタイトルらしい。

 ワードのデータくらい残してはいないだろうか。世界が違うから現物を送ってもらうことは無理だとしても、データを転送するくらいなら今こうやって画像をやりとりしてるように可能なはずだ。そう思って返信の編集に入ろうとして、タイトルの下に書かれた著者の名前に目が止まった。

 早乙女甲太じゃない。ペンネームだ。

 蒼宙勇。

 俺は思わず小さな悲鳴を上げた。さっきまで心の奥底深くに鍵をかけて閉じ込めていた記憶が、この奇怪な名前の読み方とともにまざまざと蘇ったからだ。

 あおぞらゆう。

 口にするだけで寒気がする響き。

 本名にかすりもしないその名前は俺が中学生のころ、はじめて作った自作の漫画の表紙に得意げに書いたペンネームそのものだった。なぜ苗字が『あおぞら』で名前が『ゆう』なのかという根本的な疑問に対する答えは、長年これに関する記憶を封印していたがために風化してしまって跡形もないが、なぜ『あお』を単純な『青』ではなく『蒼』とし、『宙』と書いて『そら』と読んでしまったのかという理由についてなら、漠然と覚えている。

 かっこいいからだ。

 画数が多かったり、珍しい読み方を当てることが『かっこいい』と中学生のころの自分が思ったからだ。そのセンスを責める気はない。俺も若くてバカだった。年頃の男子中学生は若くてバカなことが資本だ。でも大人は違う。大人は過去の失敗に学ぶものだ。学生時代の痛々しさからは脱却し、世間に対してはあくまでスマートに装うものだ。これをペンネームにして、本を出せる向こうの早乙女甲太の神経を疑った。こんな名前で古い友人たちに『本を買ってくれよ』と喧伝しているかと思うと……。

 俺と同一人物だなんて、少し疑わしくなってきた。

 提示された証拠を見る限り、今の俺を元にしては捏造することなどできない代物ばかりなのは認めざるをえないが、それにしたって夢を追うか諦めるかで、感性がここまで変わるものだろうか。生き別れた双子の弟って方がまだしっくりくる。

でも、そうだとしても幼馴染まで一緒ってことはまずありえない。

 だから、パラレルワールドはあるのだ。

 多分。

 この宇宙のどこかに。

 そう信じよう。

 疑うのはATMへの振り込みを要求されたときからでも遅くはない。

 処女作の原稿のデータを添付するようお願いするとともに、俺は向こうの早乙女甲太にささやかなアドバイスを送ってやることにした。


                 ***


【そのペンネームは変えた方がいい】

 しばらくして返ってきたメッセージを見て、僕は苦笑した。

 ださいことは承知の上だったけど、今更変える気はなかった。どのみち、あと一冊書けるかどうかの作家生命なのだ。しかし、それを彼に伝えて何になる。彼に真相を確認する術はない。誠実である義務もない。

 言うほどダサいかな、とその程度の返信に留めて、自分が作家として崖っぷちに立っている現状については伏せておくにした。

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