第2話 もしも俺が結婚してなかったら
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あのとき他の道をえらんでいたら、後悔のない人生を送れただろうか。
松山観光港に向けて出港する高速船を見送りながら、ふと俺の頭にそんな考えが浮かんだ。
別の道を選んだ自分の姿なんて想像もできない。
今の俺はなるべくしてこうなったとしか思えなかったから、今よりマシな人生とか、今より酷い人生なんてあるわけがない。ただこうしてある人生だけが俺の人生であり、どうあっても避けられなかった人生なのだと思う。
夜の二十一時を回って、妻からLINEが入る。
俺の帰りよりも、子どもたちへのプレゼントの方を気にしている。
クリスマスじゃ仕方ない。
車内は煙草と香水の匂いで充満していてそれでなくとも息がつまりそうだった。中途半端に乱れたネクタイを解いて、ひとまず深呼吸する。手近にあるコンビニのビニール袋に灰皿の中身を移してから、オープンカーの屋根を開けた。むき出しになった運転席と助手席に冬の潮風が容赦なく吹き付ける。
でもなんだか、それが逆に心地よかったりもする。
シートに背を預けて、空を見る。港の光が強すぎて星なんて見えやしない。
今夜は雪が降るらしい。
積もれば子どもたちも喜ぶだろうけど、俺の田舎と違って街には大した量は降らない。
いつかの冬の朝。家の塀に小さくていじらしい雪だるまが数個並んでいたことをふと思いだす。薄ら積もった雪さえ見逃さず、子どもたちはもこもこの防寒着を着込んで姉弟仲良く雪の球をぶつけ合っていた。餅を焼いてやるとスニーカーを脱ぎ捨てて、びちょびちょの靴下のままで競うように廊下を走ってきた。砂糖醤油で口の周りを汚しながら、母親に叱られていた光景はなかなか滑稽だった。俺がそれを笑うと今度は俺も子どもたちの列に加えられてこっぴどく怒られた。霜焼けが痒いって飯の間も騒いでいた。行儀が悪いんで注意するとむずむずと我慢しながら、それでも指を掻きたいもんだから大急ぎで餅を小さな口に詰め込んで、。
今年もまた同じ光景が見られるだろうか。
そう考えてすぐに、あと何回同じ光景が見られるだろうか、とも考える。
親なら誰だってそうだろうけど、子を持つ教師はもっと深刻だ。多感な年ごろにある高校生たちを迎えては指導し、送り出す。長くても三年のサイクル。それを何度も目まぐるしくこなしているうちに、長女があっという間に小学校に入学。長男もそれに続こうとしている。はっきり言って自分の子どもより生徒たちと関わっている時間の方が長い。他人の子どもの通知表は何百枚も書いたけど、じゃ自分の子どもの得意不得意についてはどれだけ理解しているかというと……妻には幾分も劣る。
仕事にかまけて、家庭を蔑ろにする父親。今だってそうだ。
そういう父親にだけはなりたくないって、子どもの頃は思っていたのに。俺も親父と同じ轍を踏んでいる。鏡に映るくたびれた顔が年々親父に似てくる。そこでふと気づく。俺はとっくにあの頃の親父と同じ年齢になっていた、って。
粘着シート付きのローラーをシートの上で転がせる。
プレゼントは一か月前から用意できている。後部座席にリボンつきで乗っかっている。
こういうことに彼女は五月蠅い。
スケジュール帳にはつけないものの、子どもの誕生日とクリスマスだけはいつも一月前から目を光らせ、口すっぱく俺に言うのだ。
これが最低限の「愛している」というメッセージになるから、と。
子どもたちのイベントだけは絶対に欠かしてはダメ、と。
車内の掃除を済ませ、コンビニ袋にゴミをまとめる。車の屋根を元に戻す。オーディオの電源を入れると、リー・ワイリーというジャズミュージシャンの曲が流れてきた。なかなか古い歌だ。僕が入れたものではない。毎小節の最期に唄われる「MORE THAN YOU KNOW」という節だけがなんとか聞き取れるだけで、全体の内容がどんなものかは英語の教師じゃないからわからない。
あなたは知らないでしょうけれど。
そういう意味だと思う。
オーディオをFMに切り替え、妻にLINEを返して家路についた。
教師になって十年が過ぎる。学生のころは、まさか自分が高校の教師になるなんて思ってもみなかった。なんとなく、将来の選択肢を増やせるように大学の一年で教員試験に必要な授業も取ってみたりしていたけど、明確にそれになろうっていう展望があったわけじゃない。
教師は、夢じゃなかった。
当時の俺はもっと別の職業に就きたいと思っていた。漫画家とか脚本家とか、あるいは映画監督。小説はてんで読んだことがなかったから眼中にも入ってなかった。とにかく何か物語を作る職業に就きたい。そう漠然と思っていた。
でも思っていただけじゃ何も生み出せやしない。
絵はそれなりに描けたが漫画を描くほどの根気もなかったし、脚本を書くための知識やルールも知らなかった。映画監督に憧れておきながら、入った大学にはそれに準じるサークルがなかったし、かといって自分で映研を立ち上げることもしなかった。映画会社に就職して丁稚奉公する気にもなれなかった。
つまり、実際のところはただ単にやる気がなかったのだ。
やる気があれば、頑固であれば、食えはしなくとも何でもできたはずだ。
なのに、しなかった。
それはひとえに、俺に創作に対する真摯な情熱がなかったからだ。
大学三年の春を迎えた俺は受験できる条件がそろっていたことや、当時付き合っていた人のアドバイスもあって教師になることを決めた。結局その人とはすぐに別れたけど、教師としての人生は彼女が俺に齎してくれたもののなかで、もっとも長く、俺の手の平に残ることになった。それ以外は服も、指輪も、写真でさえも手元には残っていない。
彼女は人生で最初の人だった。
が、終わってしまった恋が常にそうあるように、あまり良い関係じゃなかった。当時の俺は気分屋だったし、一方の彼女にもちょっとしたことで火がつくヒステリックな性分があった。よくよく付き合ってみれば会話のリズムも合わないし、好きな音楽も違う。一か月もしないうちに違和感を持って、なのにそれから五カ月も一緒にいた。別れたのは十二月のはじめ。クリスマスを待たずに別れたのは、聖夜を二人で過ごしたくなかったからだ。
別れると案外未練を感じない自分に気付いた。
あらゆる可能性が彼女との間になかったのだと、わかったからだろう。あっさり結果を受け入れて、割り切ることができた。
逆に試してもいない事柄に関してはいつまでも尾を引く体質があった。
例えば中学時代の片思いとか、浪人するのが怖くて諦めた第一志望の大学とか、頭のなかでは傑作とわかっていたのに遂に一行も書かなかった小説とか。
たまに、あのとき一歩踏み出していたら、と考える。自分の人生は今と何か変わっただろうか。いまさら変えられる過去だとは思ってない。でもそういうどうしようもない未練や後悔を抱えて、実りのないシミュレーションを繰り返していると、いざ新たに未来を選択する場面に遭遇したとき、いずれ後悔するであろう未来を思って、慎重な態度をとることができた。後悔の少ない未来はどちらか。おかしな意地や義務に突き動かされてないか。自分の気持ちを冷静に分析して、よりよい未来を選び取ることができるようになった。
人生で三人目の女性との結婚を決めたときも、俺は極めて慎重だった。
「ただいま」
戸を開けるとき、俺は無意識のうちに一呼吸を置いていた。
ここから先は教師ではなく、父親としての領分だ。
我が家に帰ってくると、嗅ぎ慣れた家の匂いが自分の役割を思い出させる。仕事のことはほとんど忘れる。というより、家は家での問題があるから、学校での問題はほとんど気にならなくなる。
帰宅の挨拶は冷え切った玄関を抜け、薄明りの廊下の上にひっそりと落ちるだけで、ドアを抜けて暖房の利いたリビングにまでは届かない。結婚八年目だ。お迎えのキスなんてガラでもないし、ポーチの明かりを消さずにいてくれただけで御の字だ。でなきゃ、鍵だって満足に開けられない。子どもたちが脱ぎ散らかした靴を丁寧に揃えてから、やっと俺も靴を脱ぐ。右手に見える階段の奥からひそひそ話のようなものが聞こえる。「違うよ。お父さんだよ」そんな風なことを言って、まだまだ修練の足りない忍び足が子ども部屋に消えて行った。
プレゼントを車に残してきて正解だった。
彼らが寝付くまで俺も今夜は眠れそうにない。
リビングに寄る前に寝室でスウェットに着替え、スーツとパンツをクローゼットに仕舞って念のために消臭剤を吹き付ける。くたくたになったシャツと靴下を洗濯機に放り込んでから、ようやく暖房の効いたリビングに入る。
「ただいま」
微かに漂うシャンプーの香りで寝間着姿の妻の姿が浮かんだ。案の定、リビングの奥のソファーに緑の寝間着を身につけて黙々と本を読む彼女の背中が見えた。おそらく挿絵の入っているような、少し若者向けの本だ。
流しを見ると漉し終わった後のコーヒーのパックがある。
子どもたちの入浴を済ませ、ベッドに追いやり、シャワーを浴びて、顔のケアと身体のストレッチを終え、コーヒーを入れて一息をつくまでに一時間はかかるだろう。冷めきったバスタブを思って、俺はインターホンの脇にあるバスルームの遠隔パネルに触れた。大きな音で『追い炊きをはじめます』とアナウンスが流れる。
そこではじめて、妻は本から顔を上げた。
メガネのせいで普段より少し小さく見える瞳が俺をちらと見る。結婚前は宝石のように輝いていたそれも、今はくすんでる。「あら、帰ってたのね」という顔こそすれ、すぐには口に出さず、本に視線を戻してからやっと「おかえり」と返事があった。
無視されていなかった、という安堵が沸く。
聞こえなかったのは点けっぱなしにしているテレビと、読書に対する集中力からだったのだろう。しかし、帰宅に対する関心は年々希薄になっている。
俺も俺で、特にそれをことさら嘆くわけでもない。
きっと楽なのだ。
結婚してから八年。過度な関心と干渉も今は昔。両親の間に見ていた家族としての適切な距離感が俺たちにも生まれつつあった。
俺は妻の横には腰掛けず、ダイニングテーブルの方でボトルに入った無塩のカシューナッツをつまみに、セールで箱買いした缶ビールを煽る。
しばらくの間、そうしていた。
俺はテレビを、妻は本を。キリのいいところまで読んだらしく、妻はしおりを挟むと、いつものように些末な夫婦の会話がはじまった。
「プレゼント、もう置いてきたの」
「子どもが起きてる間は車から出せないよ。玄関から入ったのが俺だったから、二人ともがっかりしてるみたいだった」
「まだ起きてるの」
妻は目を丸くして天井を見た。
「サンタさんが来るの待ってるんだろ。頑張ってるけど、すぐ寝るだろ。夜更かしなんてしたこともないだろうし」
「させたことがないもの。発育に良くないし。近所にいるのよね。子どものころに散々夜更かしさせて外に連れ回しておいて、子どもが成長して同じように夜遊びをはじめるようになると『不良になった』って嘆く親が。自業自得だと思わない。自分たちで夜に出歩くような身体に育ててるんだから」
「まぁ、言えてるかも」
教師としては精一杯の相槌だ。
子どもは親の育てた通りに育つ、というのが十年教壇に立った俺の感想だ。読書家の子どもは活字を読むことに抵抗がないし、やんちゃな親の子は威張り散らして街中を歩くことが大人の男のやることだと信じて疑わなくなる。自由奔放な親の子は自由奔放な子に。神経質な親の子は神経質な子に。勉強嫌いな親の子どもは、勉強嫌いに育つ。目の前にいる手本から子どもはどうやっても逃れられない。親は子どもの人生の道筋を照らす松明であり、未来の姿そのものだ。ならば、俺の子どもはどんな人間に育つのか。
最初の子どもが産まれてから、この考えは良い意味でも悪い意味でも頭を離れなかった。そして、何度か眠れぬ夜を過ごした。
「生徒会のパーティー、どうだったの」
足の指を揉みほぐしながら、妻が聞く。視線は親指に落ちたままなので、まるで自分の足に話しかけているように傍からは見える。
俺はさもうんざりした様子で、
「終わったよ。学校でクリスマス会なんて、何が楽しいんだろうね。唄って、遊ん で、ケーキ食べて。遅くまでつき合わされたよ」
「こんな夜中まで。女の子たちはどうしたの」
「家の遠い子は送って帰ったよ。そしたら男子が一人くっついてきてな。『先生が変なことしないように見張っとく』て。断る理由もないし、しょうがないから女の子たちを送ったあとで、その男子も送って帰ったよ。だから、この時間」
「何、その子たち付き合ってるの」
「多分まだ違うと思うけど、男子の方は気がある感じだったね。高校生はわかりやすいから」
「駆け引きは必要ないものね」
確かに。大人の恋愛は子どもほど単純じゃない。子どもの頃は不良とかオタクとかいうコミュニティの違いが、さも人種や国籍を隔てるように同性や異性の間を引き裂くのみで、相手の経済力も将来性も大して問題視されない。
というよりそれ以前の問題として、彼らはまだ何者でもないから、容姿や性格以外に交際相手を図る物差しを持たないのだ。
さらに高校三年間という制限時間が彼らをより純愛に対して率直にさせている節もあった。彼らは心のどこかでこの恋が長続きしないことを知っている。だからその表情には包み隠すところがなく、声は希望に満ち、瞳は相手への憧れに爛々と輝く。言葉はずっとまっすぐ自分の気持ちを言い表し、それゆえにむき出しの感情で傷つけあい場面も少ないが、そうしたぶつかる瞬間も恐れない「勢い」が彼らの恋にはある。
それに比べて大人の恋愛は単に「好き」だけではまかり通らない。互いの社会的立ち位置とか、生活の基盤とか、生理的な相性とか。結婚とその後の共同生活を見越して、より妥当な相手を見つけ、交際し、熟慮を重ね、最期には決断を下さなければならない。
未だ独身の友人たちの前で家族を持つことの苦労と、未婚であることの尊さを切々と語ることもあるが、正直本当のところは心底ほっとしてる。
就職し、結婚し、子どもを持った。
あとはその子どもを無事に育て、巣立たせるだけ。
もっとも困難な課題だが、子どもを持つことはおろか、就職も結婚もせずに、夢ばかりを追う人生に比べたら、孤独でなくていい。
「そうだ」
あくびとほとんど見分けのつかないような声で妻が振り返る。俺は壁にかけてある家族写真を見つめていた。去年の夏に俺の両親と妻と子供で東京ディズニーリゾートに出かけたときのものだ。よく撮れていたから、去年は同じ写真で年賀状も作った。
妻の話もまさしくそれだった。
「これ。今年の分の年賀状。もう出来てるから。あとで確認しておいて」
「ありがとう」
ひらひらと宙に翳したそれは百枚ほどの束で、ほとんどが現在の職場の教職員や、担当生徒たちに宛てたものだ。年賀状の作成は例年、画像加工に長けた妻が請け負っていたが今年は刷り上がった枚数が特に厚く、妻は目を細めた。
「去年より増えてない。ちゃんと出す相手はしぼってるの」
「一応」
「去年より多いし、去年届いた量よりも明らかに多いわ」
「面倒なら来年から俺がやるよ」
「そういうことじゃなくて。ハガキ代がバカにならないって話。時代錯誤じゃない。いい加減メールでもいいんじゃないの」
「でも、自分だって年賀状が来なかったら寂しいだろ」
「別に」
それは多分本気だった。彼女にとって年賀状の作成は、自分の画像加工の腕を磨くための口実にすぎず、伝統や風習を尊重するためのものではない。
「っていうか、いつから意見が変わったの」
「なにが?」
「去年同じ話になったとき、私に賛成してたじゃない」
「そうだっけ」
「そうよ」
些細な会話なはずなのに、不意に向けられた妻の視線は執拗な追求の色を帯びていた。もちろん気のせいであるに違いないが、何故か俺は、彼女の目が怖かった。
「思い直したんだよ。風習とか季節行事は、やっぱりちゃんとした方がいいって」
「誰の影響?」
「前言わなかったけ。人付き合いにうるさい年寄りの先生が赴任してきたって」
「あぁ」
妻は眉をしかめた。
「言ってたわね。私たちに御中元とかお歳暮の習わしを思い出させてくれた人」
「そんなに嫌なの。黒毛和牛、貰ったばっかなのに」
「貰ったけど、そのせいでこっちもそれなりのものを送る羽目になってるじゃない。ああいうのが嫌だから、スーパーのパートだって辞めたのに」
以前、妻は生鮮食料品店でパートをしていたことがある。
広島を中心に展開している一大スーパーで、売上をあげるために7月と12月の年に二回。自社で働くスタッフに、自社のギフトセットを購入させる習わしがあった。ノルマ達成という大義名分の下に、給料のうち万単位のお金を掠め取っていく上層部のやり方に、妻は常々愚痴をこぼしていた。中古本屋のアルバイトに転職しても、愚痴という名の不味い晩酌のつまみがなくなる気配はない。
「だったら年賀状だってその人にだけ出せば済む話でしょ」
「それは、あれだよ。生徒会の顧問やるようになったから。同じ学年とか、同じ教科同士の繋がりだけで済ませるわけにもいかなくなったというか」
「今年からだっけ、顧問についたの」
「今年からだよ。だから帰りも遅くなってんじゃん」
「ふぅん」
しまった、と思った。帰りも遅くなってる、なんていかにも言い訳じみた文句だ。そりゃ仕事は増えたけど、その分、家のことをおろそかにしているんだ。子どもたちや家事の分担を巡る口論に発展するのは目に見えていた。
けれど、
「そういえば、そうだったわね」
そう言っただけだった。おまけに「ご苦労様」のおまけつきだ。
特に嫌味らしい嫌味もなかった。
クリスマスだから、遠慮しているのだろうか。もしくは下手に口論になって、子どもたちを起こしてはいけないと思ったのかもしれない。
「先に寝るわ。サンタさんのお迎えよろしく」
「了解」
そのときだった。不用意に持ってきたスマートフォンが缶ビールの傍で鳴動した。ちょうど妻が俺の後ろを通りすぎる瞬間のことだった。
メール受信の通知はFACE BOOKからのものだった。
妻はいちいち夫のメールになんて関心を示さない。欠伸をかきながら、自分の分のコーヒーカップを洗うだけだ。俺もいちいち誰からメールが来たかなんて報告もしないけど、今夜のメールはいつもと違った。
「フェイスブックからだ。友達リクエストが来てる」
「なに、まだやってたの」
「ほとんど放置してた。MIXIとかツイッターも」
「で、誰からなの」
「早乙女甲太、から」
「はぁ?」
毎晩飲んでるサプリメントの粒を取り落として、妻は小さく悲鳴をあげた。
「なんであなたの名前で送られてくるのよ」
「同性同名みたいだ」
相手のプロフィールを開きながら、足下に転がってきた琥珀色の粒を拾う。
「嘘でしょ。DMとか、出会い系サイトの釣りじゃないの。ほら、昔あったじゃない。自分のメールアドレスから届くおかしなやつ」
「どうだろ。生年月日に、地元まで同じだ」
「なにそれ、気持ちわる」
拾った粒を渡してやるも、彼女は「気持ち悪い」の言葉と呼応するように一度床に落ちたそれを無下にもゴミ箱に放った。
「あ、でもそれ、聞いたことあるわ」
突然、さっきまでの態度を翻すように妻の声が跳ねた。
「なにを」
「別の自分なんだって、それ」
「はぁ?」
二度聞きの癖はこの八年ですっかり彼女から伝染してしまった。
「パラレルワールド」
もう二度と同じ質問は受け付けないと言わんばかりに妻ははっきりと発音した。
「パラレルワールド。別の人生を生きてるもう一人の自分のことなんだって」
「『ifもしも』みたいな?」
「そう」
九十年代に、わずか半年の間放送されていたテレビ番組のタイトルを例にあげるとたちまち俺と妻の間で共通認識が生まれた。
同世代ゆえだ。
「あなたも見てたの?」
「再放送でね。で」
「最近高校生とか大学生の間で流行ってる都市伝説らしいんだけど、自分の名前で検索すると、別の人生を生きてる自分がヒットするときがあって、友達申請をするとその別の自分と交流ができるらしいの」
「交流、してどうするんだよ」
「さぁ。どんな職業に就いてるか、とか、年収はどうだ、とか。そういう情報を交換しあうんじゃないの」
「自分と喋って楽しいか」
「違う自分だもの。楽しいんじゃないの」
「やったことあんのか」
「検索くらいはね。でも、私の旧姓ってありふれてるでしょ、苗字も名前も。同姓同名の人が多すぎて、まともに探す気にもならなかったわ」
確かに、妻の旧姓と名前はどこにでもあるようなものだ。いつか妻が彼女の友人たちに俺との結婚で良かった点は、と聞かれて一番に『苗字が早乙女になったこと』と答えていたのを思い出す。平凡な苗字がよっぽど退屈だったのだろう。
俺は引き続き、『早乙女甲太』を名乗る不審者のプロフィールに目を通した。
「職業、小説家だって」
「あなたが? 本も読まないのに」
鼻で笑うように妻は言った。カチンときたがいちいち噛みつくのもバカらしい。
妻は純文学からエンターテイメント、ミステリーやライトノベルと言われる高校生向けの読み物まで活字とあれば何でも読む乱読家だった。
「止めておいた方がいいわよ」
だが、空想小説が好きだからといって、ロマンチストであるとは限らない。
「そんなことありっこないんだから」
「わかってるよ。お前の言った通り、どうせ出会い系サイトかなんかだろ。プロフィールだって俺のを丸写ししただけだろうし。大した手口じゃないよ」
「ひっかかる人なんているのかしら」
「いるからやってるんだろ。アダルトサイトの振り込め詐欺だってなくならないし」
「なに、使ってるの?」
「生徒で被害に遭うやつがいるから、ネットとの付き合い方をしっかり指導しろって」
「ああ、はいはい。生徒のことよね、生徒の」
都合が悪くなるとすぐ生徒のせいにする。とでも思われているのだろう。呆れたように手を振って一方的に会話を打ち切って、妻はリビングを出て行った。
「プレゼント、よろしくね」
おやすみの代わりにそれだけ言い残して。
廊下に出てすぐ右手の寝室に引っ込んだ音を聞き、少し緊張がほぐれるのを感じた。
別の人生を歩んでいる自分か。
普段の俺なら見ず知らずの相手からの申請なんてプロフィールを覗くまでもなく却下したはずだ。けど、本も「読めない」とバカにされたことや、「ありっこない」と妻に断定されたのが気に入らなかった。
妻は知らないのだ。
俺がかつて漫画家や脚本家の類を夢見ていたことを。
実家に帰れば、押し入れの奥の煎餅の缶々の中に小学生のころから書き溜めていたアイデアノートが眠っていることを。
言ってないのだから知らなくて当然だし、打ち明けるほどのことでもない。
そもそもそんな過去の子どもじみた夢なんて俺自身忘れていた。
天使のくれた時間。
ふとそんなタイトルのクリスマス映画を思い出した。
俺はもう一人の俺、かもしれない『早乙女甲太』からの友達申請に『承認』を与えた。
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