第29話 終幕

 いつか遠い昔にやっていたみたいに手と手を繋ぎ、忘れ蛇に二人で向き合う。

 

 忘れ蛇はまだ、動かない。何とか起き上がったものの、本当は動けるような状態ではなかったのだろう。

 それでも、相手が逃げ出すようなら無理矢理にでも飛びかかるであろう気迫と、怒りがそこにあった。


 息の詰まるような睨み合い。しかし、それももうすぐ終わる。


 

 「あの蛇……怖い……。ねえ、わたしはどうすればいいの?」 


 「大丈夫だよ。キミは勝てる。うん、それじゃあ、やろうか」


 ユウが繋いだ手を強く握りしめる。その感触を感じながら、ゆらも覚悟を決めた。

 どうすればいいのかなんて自分も分からないけれど、とにかくやってみるしかない。

 不思議と、失敗する気はしなかった。


 「あの蛇は、悪い蛇だ。あの蛇がキミの記憶を奪ったんだよ。……あの蛇を倒したいって強く思って欲しい」


 「思う……?それだけで、いいの?」


 「うん、それでいいよ。強く、強く、そう思うんだ」


 それで良いのかなんて、ゆらにも分からない。本当は合ってるか不安だったが、微塵もそれを感じさせず、自信満々に頷く。

 二人で正面の忘れ蛇を見つめたまま、更に強く手を握り合った。


 「さあ、やってみて。倒れろ、倒れろって、念じてみて!」

  

 「は、はい……た、倒れろ、倒れろ……」


 「いいよ、もっと強く!大丈夫、キミにはそれが出来る力がある!」


 「倒れろ、倒れろ、倒れてっ!」


 ゆらに導かれるまま、ユウが必死に叫ぶ。

 ふわり、と柔らかい風が肌を舐めた。


 二人の思いに呼応するように、彼女の回りで風が渦を巻く。それと同時に、忘れ蛇が発していたような神威をユウが纏い始める。彼女の回りの空気が歪んだように見えた。


 「ひゃあっ!?なにこれっ!?」


 「落ち着いて!これはキミの力だよ!そう、これだ。これなら行けるよ!もっと、もっと強く!」


 「う、うん。……倒れろ、倒れろっ!!」


 渦を巻く力が強くなる。

 その光景に、忘れ蛇が怯んだ。何をするつもりか察したのか、首を弓なりにしならせたかと思うと、こちらに突進してくる。その目には怒りだけではなく、恐れがあった。


 「倒れろ、倒れ……ひぃっ!」


 「くっ。あいつ、まだ動けたのか!」


 弱っている事を示す、不格好な動き。それでもなり振り構わない突進は猛烈な勢いで距離を詰めていく。



 “ーーーーーーーーッ!!”



 「ひっ、わああっ!こっちに来たぁ!!」


 「頑張って!キミはあいつを倒せる!あと少し、踏ん張って!あいつを倒したいって、自分の力を信じて、強く願うんだ!」


 「う、わああっ!た、倒れろっ!倒れろっ!来ないでっ!消えてぇっ!!」

 

 白い巨体が目前に迫る。

 がばり、と忘れ蛇が大口を開けた。

 丸呑みにするつもりか。

 ゆらとユウの体が強張った。


 しかし…………もう、遅い。



 「大丈夫……いける、よ!!」


 「お願い……わたしに、倒されてっ!!」




 びゅわりと、ひときわ強い風が吹いた。

 

 冷たくて、しかし熱い何かを内に秘めた生き物のような風。手をこそ離さなかったものの、ゆらはすぐ傍で巻き起こったそれに思わず目を覆う。


 一瞬の後、手を握る少女を見たゆらは、驚きに息をのんだ。


 「ユウ……その、姿は……?」


 少女の姿が、変わっていた。

 白い肌はそのままに、黒かったはずの髪の毛がすべて目の覚めるような純白に変化している。そして、果断に前を見つめる目は、朱く染まっていた。


 白い白い、アルビノのような姿。

 まるで、白蛇のようだった。



 “ーーーーーーーッ!?”



 見れば、忘れ蛇はその動きを止めていた。

 いや、違う。動きたくても動けないのだ。忘れ蛇はユウの朱い瞳に睨まれ、その動きを封じられていた。


 そして、



 「これが、わたしのちから……!」


 

 その声に応じるように、無数の白蛇がそこに現れた。


 空気に溶け込んでいたかのように、何もないところからスルリと這い出し、次々と増える。滲むように白がその場を支配し、忘れ蛇を取り囲んでゆく。百匹や千匹では効かないような数の白蛇が呼び出され、そのすべてが頭を忘れ蛇に向ける。


 動けない忘れ蛇は、それをただ見ていることしか出来ない。その姿は部下に裏切られ追い詰められた、哀れな王様のようだった。



 「これで……倒れてっ!!」



 ユウが叫ぶ。

 同時に、白蛇が忘れ蛇に殺到した。

 先を争うように忘れ蛇の巨体に群がり、登り、噛み付き、その姿を覆い隠してゆく。


 まるでアリに集われた昆虫のようだった。

 次々と増える蛇で、やがて忘れ蛇が見えなくなる。白く、細長い、蛇の塊のようなものに変わる。



 “ーーーーッ”


 

 動けないまま蛇に襲われる神が、声にならない悲鳴を上げた。悲痛な、耳を塞ぎたくなるようなが声が響いた気がして、しかしそれもすぐに弱くなっていく。のたうちまわる事すら許されず、身を削られてゆく。


 

 “ーーーー……”



 凶悪な力が、かつての主に牙をむく。

 それは鬼を祓ったとされる破邪の力。

 弱りきった忘れ蛇が息絶えるまで、そう時間はかからなかった。


 

 “…………”



 凄まじいような、あっさりしていたような、そんな最後だった。やがて、辺りに聞こえていた悲鳴のような何かが途絶える。

 同時に、蠢いていた白蛇たちも、一様にその動きを止めていた。



 境内が一気に静かになった。

 誰も動かない、嵐の後のような沈黙がその場を包み込む。



 そして、白い塊と化していた白蛇たちが、現れたときと同じように空気に溶けるように消え去っていきーーーー



 ーーーーそこには、何もいなかった。



 「あ……消えてる……」


 蛇たちが消え去った場所を見る。


 残ったのは無数の、蛇がのたうった跡。

 少し離れた所に、ぐったりした子狐。 

 そして白く光る蛇の抜け殻のような何か。



 痕跡はそれだけ。

 そこにはもう、忘れ蛇の姿はなかった。



 因果応報。

 人の願いを弄んだ神様は、人の願いによって倒されたのだ。














 そよそよと風が穏やかにそよぐ音が、耳に聞こえてくる。

 まるで何事も無かったかのように、宮白神社は静寂を取り戻していた。



 「これで……終わった、のかな……」



 半ば呆然と立ち尽くしながら、ゆらが呟く。それは単なる独り言で、答えを期待するものではない。

 ……しかし、その問いに答える者がすぐ傍にいた。



 「……ああ、間違いなく終わったよ。これで、忘れ蛇は滅びた」

 

 「え……」



 答えたのは手を繋いでいる白い少女。

 しかし、さっきまでとはまったく違う、芯の通った落ち着いた声だった。ほんの少しの間失っていた、心強くて頼れる、彼女の声。


 胸に、熱いものが溢れるのを感じた。

 ゆらは勢いよくそちらを振り向く。


 「ユウ!記憶が……!!」


 振り返った先に、求めていた彼女がいた。

 いつの間にか元に戻っている黒髪黒目に、落ち着いた微笑み。

 いつものように、いつものような顔で、穏やかに笑う彼女が、そこにいた。

 

 「ああ、戻ったよ。あの蛇が倒れた瞬間に、全部思い出した。頑張ったな、ゆら。助かったよ…………おっと!」


 最後まで聞いてられなかった。

 ゆらは握った手を離さないまま、もう一方の手を少女の背中に回して抱きしめる。

 もう二度と、離さないとでも言うように。


 「ユウ!ユウ!良かったぁ……」


 「はは、悪かったな。いろいろ役目を押し付けて。でも本当に助かったよ。俺が思ってた以上にずっと、上手いことやってくれた」


 「そんなこと、ないよぉ……」


 「謙遜するなって。正直、かっこよかったぞ?記憶が無かった俺は、お前をとても頼りにした。……お前はすごかったよ、ゆら」


 抱きついてきたゆらをしっかりと受け止めたユウは、背中をポンポンと叩きながら労いの言葉をかける。

 背中を震わせるゆらに優しくかける言葉は、お世辞ではない。記憶を失った自分から見た彼は、とても頼りになって、まるで父親のように見えていた。

 ……何も分からない自分にとって、光を与える道しるべになってくれた。


 「もっと自身を持てよ、ゆら。お前は自分が思ってる以上に、良くやったよ」


 「うん……。キミがいなくなって、ボク、すごく悲しかった。でも、あの時キミの目を見たら、何だか勇気が出たんだ。それでもう、後はがむしゃらに……ねえ、ボクは一人でも、葛葉悠一として動けてたかな」 


 「そりゃあもう!と言うか、俺なんかよりずっとかっこよかったよ。忘れ蛇を倒せたのも、お前のおかげだ。ありがとうな」


 「言い過ぎだよぉ……」


 褒めちぎるユウに、ゆらは涙ぐみながら否定する。

 ピンチに駆けつけてきてくれたときの彼女の方がよほどかっこよかったし、忘れ蛇を倒したこともすべて彼女が道筋をつけた。「俺なんかより」の部分は断固として否定させて貰いたいところだ。


 しかし確かに、忘れ蛇が起き上がっても果敢に向き合い、ユウを導いたゆらがいなければ、この結果は無かっただろう。

 

 「ありがとう、ユウ。そう言われると、とっても嬉しいよ。でも、これを言うのは本当はボクの方だよ。危ないところを助けてくれて、ありがとう」


 「ん、どういたしまして」


 やがて、ゆらはそっとユウの体を離す。

 正面から向き合ったその顔には少し涙が滲んでいた。ユウが苦笑し、目元のそれを指を伸ばして払う。

 ようやくゆらは落ち着いたようで、少し恥ずかしそうに顔を赤くした。

 ……そして、

 

 「……お帰り、ユウ」

 

 「……ああ。ただいまだ、ゆら」


 短い一言を言い合って。 

 それたけで心が暖かくなる。


 ユウは、ゆらの元へ帰ってきた。


 









 「……じゃ、ボクはちょっと篠原さんと隠し狐を見てくるね。まだ起きてないみたいで、心配だし」

 「あ、おう……頼んだ」

 「それじゃあごゆっくり……頑張ってね?」

 「はは……」


 そう言ってゆらは左手を軽く上げると、小走りで本殿の方へ向かってしまった。

 本当はまだまだ話したいことが有ったのだが、気まずさに耐えかねて逃げ出したのだ。


 親友との再開を果たしたゆらさえ容易く退けた、その気まずさの原因。

 それは、ぶすっとした顔で少し離れた場所に立っている少女だった。


 「……お姉ちゃん?」

 「……ハイ」


 冷や汗ものだった。

 彼女の名は夜刀上愛梨。姉を起こすために神隠しに挑んだ、ユウの妹。

 

 彼女は剣呑な目で姉を睨む。長年留守にしていたツケが回ってこようとしていた。


 「あ、えーっと、その……」


 「何か、言いたいことある?」


 「……ごめんなさい」


 「なにが?」


 「その……長いこと眠ってて……」


 後ろめたさに視線をさまよわせながら、詰問を受けるユウ。別に眠りたくて眠っていた訳でも無いのだが、愛梨の内心を考えればそんなこと言えるはずもない。


 しばしの無言。

 愛梨は目を伏せ、肩を振るわせた。

 ……かと思うと、


 「本当だよ!このバカーーーーッ!!」


 「うおわぁ!?」


 大声を上げ、ユウに思いっきり抱き着いてきた。不意を打たれた彼女は受け止めきれず、後ろに尻もちをついてしまう。

 しかし、愛梨は倒れた姉にすがりつくような姿勢のまま、声を荒げる。


 「いったい今までどこ行ってたのさ!ずーっと眠ったまんまで!こっちがどんな状況だったか分かってる!?」

 「……ほんとゴメン」

 「分かってないでしょ!?っていうか何でわたしの事とか知ってたのかな?……まさか自分からここにいた訳じゃないよね!?」

 「そ、それは違う。いやホントに。本当だって!」

 「じゃ何で戻ってこなかったの!?そもそも、あの神様にどんなバカなこと頼んでこうなったのさ、お姉ちゃん!?」

 「いやあそれは……なんというか……一言では表せないのっぴきならない事情が……」

 「言い訳しない!」

 「はい……スミマセン……」


 べしべしと相手の胸を叩きながら、今までの鬱憤を晴らすように責め立てる。

 ……昏睡状態にあった姉の扱いとしては少々理不尽な気もするが、実際自分の願いによって事態を拗らせ、かつ葛葉悠一としてのうのうと暮らしてきた自覚のあるユウは何も言えず、しおらしく項垂れるしかない。

 甘んじて文句を受け入れる。


 「本当に、何でこんな長く帰ってこなかったかなぁ!?いくら何でも寝すぎだよ、このねぼすけ!!まわりにバカみたいに心配かけてさぁ!!……ねぇ、お母さんがお姉ちゃんの傍に居るとき、どんな顔してたと思う?毎日毎日お姉ちゃんに話しかけてたんだよ?」

 「…………ごめん」

 「それを……それを何とかしたくて……わたし、お姉ちゃんを目覚めさせるためにここに来たんだよ?そのためにどれだけの覚悟をしたか、分かる?」

 「……うん。それは分かるよ。本当にごめん。辛い決断をさせたよね……」


 愛梨の声が段々と涙声になっていく。

 ユウは優しく彼女の小さな体を抱き締め、そっと背中をさすった。愛梨が自分を助けるためにどれ程の覚悟を決めてここに来たのか、それはよく分かる。自分も一度は覚悟したことだ。

 だからこそ、余計に申し訳ない。


 「わたし……もう自分が戻ることはないんだって、こっそり家族にお別れまでしたんだよ……?」

 「うん……そうなんだ……」

 「それで上まで上ったらあの蛇がいてさ。ねぇ、すっごく恐かったよ。食べられちゃうかと思ったよ……?」

 「そりゃそうだ……とんでもないことに巻き込んだ」


 心が痛む。

 改めて聞かされると、罪悪感がつのる。

 そこまで、思い詰めさせてしまったのか。


 「もうっ!ぜんぶ、ぜんぶお姉ちゃんのせいだよ……っ!本っ当に大変で!恐かったんだからぁっ!!」

 「ごめん、ね……でも、ありがとう。迎えに来てくれて」

 「うう……わああぁぁっ!バカ!お姉ちゃんのバカ!う、わああぁぁんっ!!」



 緊張の糸が切れたのか、とうとう愛梨は泣き出してしまった。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにする少女の背中を撫でながら、ユウは思う。


 ……思えば、しっかり者とは言えまだ小学生の女の子に、随分と酷な事をしたものだ。


 三歳の自分の迂闊な願いで意識をなくし、家族に負担をかけた。

 自分の考え無しな発言で、記憶と引き替えに姉を起こす道を教えてしまった。

 神隠しに遭うことを止められず、危うく忘れ蛇に襲われる危険を冒させてしまった。


 ……道のりは長いが、埋め合わせはきっちりとしていかなければならないだろう。



 「……うん、本当に悪かったよ、愛梨。でも、それも今日までだから。ここから帰ったらちゃんと、目を覚ますよ」

 「グスッ……ホントに?」

 「本当に。と言うかさっき一度は目を覚まして、お婆ちゃんと少し話したんだ」

 「そう……神隠しのお兄ちゃんが言った通りだったんだ。絶対だよ?絶対起きてよ?」

 「うん。大丈夫、約束するよ」


 少し落ち着いた愛梨は、赤くなった目を擦りながら念を押す。

 しっかりと頷く姉を見て、ようやく彼女は表情を緩めた。少しは気が晴れたのか、次はどこか拗ねるような顔に変わる。


 「……帰ったらお母さんにちゃんと謝りなよ」

 「うん」

 「お父さんにも、お婆ちゃんにもだよ」

 「うん……分かった」

 「それに、後でどこで何してたのか隠さず教えること!」

 「あー、ごめん。それはちょっと……全部は話せない」

 「なんでよ!?」

 「複雑な事情があってね……そこだけは、見逃してくれないかな」

 「むう……勝手なこと言っちゃって」


 愛梨には悪いけど、ゆらとの関係はさすがに話せない。夜刀上家だけの問題ではなくなってしまう。これ以上話を拗らせるつもりはなかった。

 ……都合の良いことを言っている自覚はある。重ね重ね申し訳ない。

 

 「ごめんね、勝手なこと言って」

 「まったくだよ、もう」

 「……本当に長いこと迷惑かけたと思うよ。どうか許してほしい」

 「ふん、そんな簡単に許す訳ないじゃん。何言ってんの?」

 「うぐ……」


 ……だよね。

 呻く姉を見て、愛梨は仕方ない、と言う風に頬を膨らませる。


 「……まずは帰って皆に謝ってよ。話はそれから」

 「うん……」

 「そのあとは……それから次第だよ」

 「うん……ありがとう」


 これは手厳しい。

 でも、それはこれから次第で許して貰えるということか。それなら、頑張らないとな。


 そっと目を閉じる。

 厳しくはあれど希望の持てる妹の言葉を、ユウは穏やかな心持ちで受け入れた。





 

 「はぁ……」


 そんな風に穏やかに笑う姉を見て、愛梨はまた拗ねたようにそっぽを向いた。

 しかし今度はさっきよりも棘のない声で、かつ恥ずかしそうに口を開く。



 ……実はあともう一つだけ、言いたいことがあった。ちょっとだけしゃくだけど、凹んでいる姉に伝えてあげたいことが。



 「……あの、さ。お姉ちゃん」

 「ん?」

 「……お姉ちゃんの事で色々あったけど、でも、でもだよ?一応言っとくと……その、さっき来てくれたのは…………」

 「愛梨?」

 

 彼女は、照れ隠しのように目をそらしながら、ぼそぼそと呟く。



 「……あの蛇から助けてくれたのは、その、ありがと。来てくれたのは嬉しかった。……それだけ」



 「…………!」


 「あれ?お姉ちゃ……わぷっ」

 

 嬉しい事を言ってくれる。

 目だけではなく頬まで赤くなった顔で、照れながら言ってくれる妹が可愛くて、ユウは思わずまた抱き締めていた。

 少し驚いた愛梨も、ツンとした顔ながらどこか嬉しそうにされるがままになる。



 「ありがと、愛梨。お姉ちゃんもこれから頑張るよ」

 「むう、あんまり子供扱いしないでよ……」



 ……妹を可愛がる姉と、恥ずかしそうに甘える妹。


 二人が姉妹として会ったのは今日が初めてのこと。しかし端から見ればその様子は完全に、仲の良い姉妹のそれだった。














 「んう……」


 ゆっくりと目を開けると、少し前に見た天井が目に入った。目を動かせば背の高いクローゼットや本棚が見える。

 そのまま横の方に目をやると、お見舞いの品らしき小物が並べてあった。


 「つ……っ」


 とりあえず体を起こそうとして、動けない体になった事を思い出す。

 そこは和室に置かれた医療用ベッドの上だった。つまりは現実の夜刀上ゆらの部屋の中。神隠しから抜け出し、戻ってきた。

 すっかり日が暮れてしまったらしく、部屋の中はかなり薄暗い。



 ……あれからどうしたんだっけか。


 無理に動くこともせず、さっきまでいた宮白神社でのことを思い出す。

 そう、篠原さんが目覚めたから、愛梨と一緒に先に帰って貰ったんだ。

 で、その後はこちらも目を覚ましていた隠し狐と、幾らか相談する事があって……


 と、そこまで思い出したところで、いったん思考を中断した。



 「(……あ、帰ってきたかな?)」



 玄関の方が騒がしい。

 一足先に帰らせた愛梨が、両親と一緒に帰ってきたのだろうか。


 寝たままで出迎えるのも格好がつかない。

 体を起こそうと試みる。普通ならもちろん動かせるはず無いのだが、


 「(……ん、やっぱ行けそうだな)」


 さっきの神隠しが単なる夢でなかった最大の証拠として、忘れ蛇の力はしっかりとユウの体の中に存在していた。

 蛇は再生の象徴でもあるという。そんな蛇の神様の力を引き出し、体に満たしていく。

 得体の知れない力が行き渡ると、既に体の重さは消えていた。


 「ん、こんナ……ア、あー、うん。よし、こんなところかな」


 体を起こし、最後に咽の調子を整えて声の掠れを取り除く。

 同時に、ドタバタと言う音が近づいて来ていた。


 ーー本当に?本当にゆらが起きたの?


 ーー本当だよ!約束したもん!


 ーーさっき一度は目を覚ましとったんよ。何故か祟り神がどうのって聞いてきてねぇ。



 バタバタと廊下を走って来るのは、愛梨だろうか。

 部屋の前で止まったかと思うと、バンっと扉が壊れそうな音を立てて入ってくる。


 「ーーお姉ちゃん!起きてる!?」


 ユウはせっかちな妹に苦笑しながら返事を返した。


 「ああ、うん。大丈夫、起きてるよ、愛梨」


 「お姉ちゃんっ!!」


 「わっ!」


 さっきと同じように、愛梨が勢いよく飛び込んでくる。

 ユウがそれを受け止めると、後ろから他の面々が入ってくるのが見えた。

 先頭は智惠さん……いや、「母さん」だ。



 「ゆら……本当に……!!」



 母さんは入ってくるなり目を見開き、信じられない、と言うように肩を震わせる。目尻には涙が浮かんでいた。

 

 その涙を見ると、申し訳ない気持ちが湧き上がる。自分のせいで、この人にはどれだけの心労をかけてしまったのか。妹に注意されるまでもなく、謝り倒したいような気持ちにさせられる。


 ……しかし今は、それよりも先に言うべき事がある。


 妹から目を離し、母に向き直った。

 せめてこの瞬間くらいはと、出来るだけの微笑みを作る。



 そして、



 「はい。長らく留守にしてごめんなさい。ゆらはただいま戻りました……お母さん」



 そっと、薄く微笑んで。

 随分と遅くなってしまった「ただいま」を、家族に伝えた。



 ……そのときの自分はどんな顔をしていただろう。ちゃんと笑えていただろうか。

 鏡がないから分からないけど、多分申し訳ない気持ちを滲ませながらも、待って居てくれた感謝を伝えるように、控えめに笑ったんじゃないかと思う。



 その言葉に応じるように、固まっていた面々が相好を崩した。

 それぞれが一斉にベッドのまわりに駆け寄ってくる。



 そしてーーーー








 その日の夜は、色々と大変だった。


 泣き笑いの面々に囲まれ、ユウもつられて泣いたり笑ったりした。

 夜だというのに大騒ぎして、話したり抱き合ったりした。

 智惠さんは娘の傍をまったく離れず、愛梨も何だかんだで姉と多くを話そうとした。


 この家の人々はこの日が来るのをずっと待っていた。十五年の月日を埋めるように、長女の目覚めを祝う。


 ……結局その日は病院に行くことはなく。


 その騒がしさは翌日まで続いていた。

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