第18話 まさかの邂逅

 そんなはずはない、と否定したかった。


 しかし目の前に立つ夜刀上ゆらの口調が、仕草が、話す内容が、疑いなく事実を突きつけてくる。


 この、少し諦観の滲む笑顔。

 今ここにいる夜刀上ゆらは。

 間違いなく、ユウなのだ。


 「な……何で。どうしてなの。分からないよ!何でユウがそんな姿でここにいるの!?ねえ、教えてよ!」


 先ほどまでの抱きつかんばかりだった感情も忘れ、ゆらは問い詰める。しれっと直ってる神社には目もくれない。

 訳が分からなかった。何でユウが夜刀上ゆらになっているのか。


 ユウはその反応を予想していたのか特に反応を示さず、仕方なさそうに笑った。


 「はいはい、別に隠しやしないから焦んなって。いや、驚いて当然だとは分かってるけどな。俺もこっち来て自分の格好に気づいたときは盛大に混乱したし」

 「ユウ、ちょっと!」

 「焦るな焦るな。俺もこんなのは全く予想してなかったけど、どうしてこうなったかは、大体想像ついてる。……はあ、まっさか、こうなるとはなぁ」


 ほんと、まいったよ、と。

 その言葉通り、僅かではあれど疲れ切ったような弱々しい素振りを見せる。元々が華奢な女の子の姿になっているため、些細な隙でも余計に弱っているように見えてしまう。

 そんな憔悴した様子に、ゆらの気勢がそがれた。

 ユウとて、平気でいられる道理はない。既に状況を理解し、受け入れているとは言え、一番動揺しているのは彼のはずで。


 「まあ……そうだな。それより先にこの場所のことだけど、ゆらももう分かってるか?」


 目を泳がせるゆらを気にせず、ユウが地面を指差しながら尋ねた。


 「え……え、ここ?神隠しの中だよね?なんか……前来たときと変わってるけど」

 「いや神隠しに遭ったのは確かなんだけど、多分前に遭った神隠しとは性質が全く異なってる」

 「性質?」

 「そう。紛れもなく現実の出来事だった前とは違って、ここは夢の中みたいなモノなんだと思う。ほら、神隠しに遭ってる間は昏睡になるかもってわざわざ虫除けを準備しただろ?その予想通り、俺たちは今、体を置いて精神だけでこっちに迷い込んでるんだ」


 ……一応可能性を考えてはいたのだ。

 自分たちが神隠しに遭ったときは特に意識を失った自覚は無かったが、他の例を聞くと一度気を失い、記憶を失って目を醒ますというプロセスを辿っている。ひょっとすると気付かなかっただけで、意識を失っていたのか、はたまた隠れんぼで入る神隠しは自分たちが経験した物とは別物なのか。

 考えても答えは出なかったが、どうやら後者が正しかったらしい。


 「現実と全く区別がつかないけど、ここはあの夢と同じようなところなんだと思う。だから一つの体を共有してるはずの俺たちが別々に行動できているんだろうな。あの夢の中でも確かそうだった」

 「あ、だからはぐれちゃったんだ。んー、そう言えば疲れてない気がするかも。転んでも痛くなかったし……」

 「考えてみれば、三歳児がこの山を歩き回れたのはそれが理由かな。周りの様子的に、一見すると前の神隠しと似てるけど、ところどころ違うところがある。まあ、疲労やら筋力やらまで反映されて無くてよかったよ。こんな棒きれみたいな足じゃ、まともに歩けなかっただろうし」


 ユウは自身の細すぎる足を擦りながら自嘲気味に笑う。そう見せまいと普段通りに振る舞うも、体の変化を厭っている事は明白だった。

 悲しそうなユウの言葉に、ゆらも最初に聞きたかったことを思い出す。

 肩を落としている様子を見ると、真っ向から尋ねるのが少々憚られる事ではあるが、遠慮がちに質問を口にした。


 「……その、はぐれた理由は分かったよ。でも、肝心の所が分からない。じゃあ何でユウがその格好をしているの?」

 「そりゃ、ここには精神だけ来てるわけだから、本来の姿に戻っててもおかしくはないだろう?」

 「そうじゃなくて……!姿が戻るのは分かるけど、それはボクの方でしょ!?ボクが夜刀上ゆらだったんじゃ……!?」

 「俺もてっきりそう思ってたんだけどな。……なあゆら、そのリュックの一番外側に写真が入ってないか?」

 「え?写真?」

 「そう、この前アルバムから抜いて、そのままだよな?」


 精神だけとは言え、服装や持ち物はそのまま持って来れるようで、ゆらはきっちりリュックサックを背負っていた。

 突然の指示に首を傾げながらも、ゆらは言われたとおりリュックのポケットを探り、数枚の写真を引っ張り出す。幼い頃の葛葉悠一と夜刀上ゆらが写っている写真だ。


 「出したけど」

 「確か、食事中を撮った写真がなかったか?多分それも入れたはずなんだけど」

 「あるよ。これでしょ?」

 

 一枚の写真をヒラヒラ振り、ユウに見せる。

 この前最初に案内されたリビングルームで、幼い二人が仲良くご飯を食べている。

 メニューはシチューだろうか。スプーンを持って楽しそうに食べている。まわりは少し汚れてしまっているが、そんな様子も微笑ましい。

 

 特に変わったところのない昔あった日常の一遍に見える。しかしそれを見るユウは納得したように頷いた。


 「……だよな」

 「え?」

 「ゆら、利き腕確認してみろ」

 「え……あ……?」


 そう言われ、慌てて写真を確認する。

 少年がスプーンを持つ手は左。

 そして、


 「夜刀上ゆらは、右……?」


 ゆらはゆっくりと写真から目を離し、少女の姿のユウを見た。

 ……動物園での一幕を思い出す。

 スマホの持ち方からそんな話題に発展したはずだ。確か、ユウが右利きで、そして自身が左利きだ。

 

 「ボクたちと、逆……?じゃあ……」

 「俺もお前も記憶を失ってる時点で、入れ替わりを疑うべきだったよ」


 どこか虚ろな目をしたユウが、遠回しに肯定した。

 思い出すのは二回目の夢。参道を歩き、ふと隣を見れば、そこには並んで歩く葛葉悠一の姿をしたゆらがいた。

 朝起きて問うてみれば、ゆらはこちらを見なかったと言う。しかし、もし何かのきっかけで目をやっていたならば。


 ーーーー間違いなく、その目には夜刀上ゆらが映っていたのだろう。



 「まったく……数奇な運命ってのは、こう言うモノをいうのかね。はぁ、質が悪いぜ、ホントに」


 ぼやきたくなるのも、仕方ない。

 厄介で、残酷で、救えない事態になった。


 ヨーロッパの民話に、チェンジリングというものがある。幾つか種類があるが、曰く、妖精が子供を攫い、別の子供と入れ替えてしまうそうだ。

 そんな遠い地のフェアリーテールとも、妙に通じるものがある。


 迷い込んだ子供は、一人は囚われ、もう一人も自分の親の元には帰れなかった。


 すなわち。


 妖精ならぬ狐の神の手によって、神隠しから戻った子供は入れ替えられていた。


 

 「十五年前、お前が隠し狐に攫われて……それで空いた葛葉悠一の体に俺が滑り込んだってとこか」


 記憶がないのなら、入れ替えられても気づくまい。

 まるで自分に言い聞かせるように、不自然さを感じるさせほど平坦な声で、少女はそう言った。

 天地がひっくり返ったかのような気持ちで、ゆらは呆然とユウの言葉を反芻する。


 「入れ替わった……?何で、そんなことに……。もしかして、ユウの願いが原因なの?」

 「いや、何というか……俺の願いとお前の願いが変に噛み合った結果だと思う。なあ、俺の願い以外にも、もう一つまだ分からなかった事があっただろ?」

 「え?何だっけ?」

 「……『何で神隠しに遭ったお前が、十五年後に現れたのか』」

 「ああ、それ!」


 さすがに呆れたようなユウのジト目。

 誤魔化すような元気な指差し。


 ……あまり考えて来なかったが、非常に重要な要素である。


 『もっと長く遊びたい』と願ったとするなら、十五年もの空白の説明がつかない。というかむしろ、一緒に過ごせていない。

 何より、ゆらが十五年もの歳月を失った原因にあたる。一番理不尽といって良い部分かも知れない。

 ゆらは気にしていなくとも、ユウはそれなりに心を痛めている。


 「内容の分からない願い事と十五年のブランク……ここまで来れば難しくないよな。多分、お前の願いは恐らく、『早く大人になりたい』とか、その辺りだろ」

 「あ……!なるほど、だからボクは一度いなくなって、今になって突然出て来たってわけか!」

 「それも、お前が現れたのは俺の……いや、葛葉悠一の十八歳の誕生日だ。間違いなよな」


 十八歳。

 二十歳と並んで、大人になる節目と言われる年齢だ。

 ここまで来て、ようやくゆらの頭の中でも繋がった。


 「十五年前、俺はゆらと……つまりは葛葉悠一ともっと長く遊びたいと願い、お前は早く大人になりたいと願った。しかしその結果はーーーー」

 「ボクは十五年後まで意識を失い、キミは空いたボクの体に収まって葛葉悠一になったってことか!」

 「……そうなんのかなぁ。はぁ、絶対おかしいだろここの神様。祟り神かよ」


 納得した様子のゆらとは対象的に、ユウは納得いかないと眉根を寄せた。子供の純粋な願いをどう受け取ったらそんな形になるのかと、口をへの字に曲げて吐き捨てる。


 「……って、いや、駄目だな。こんな場所で神様の悪口とか。特にこれからお礼参りやらお参りやらするってときに機嫌を損ねてもらうと困る」

 「そうだね……いやちょっと待って。お礼参り?」

 「なんだ?」


 ゆらはピタリと動きを止めた。

 ちょっと待って欲しい。

 さも当然のように言ってるけど、それは。


 こうなると、前提が大きく変わってくる。

 今の状態で予定していたことを実行すれば、結果は逆になる。

 それは、つまり。

 

 ユウが夜刀上ゆらの体に戻り。

 ゆらが葛葉悠一の体に戻ると言うこと。

 …………一人で。


 「…………」


 ゆらは答えず、呆然と立ち尽くす。


 理解が追いついていなかった頭が、ようやく追いついてきた。タネが割れたところで現状は変わらず、ゆらはようやく今置かれている状況と、その後のことを認識した。

 天地がひっくり返ったのなら、後は重力に引かれて落ちてゆくのみである。信じて立っていた場所がガラガラと音を立てて崩れていくようだった。自分とユウの未来が大きく様変わりしたことを今更ながら理解し、ゆらはその足を半歩下がらせる。

 

 「まっ、待って……。それはつまり、ユウが夜刀上ゆらの体に入るってこと、なんだよね……?」

 

 言うのが恐い。

 聞くのが恐い。

 それでも掠れた声で問わずにはいられない。


 「まあ、そうなるよな」

 「な、何で……ユウはそれでいいの!?」

 「……いや、そりゃあ……良くはないけどな。十五年生きた体を棄てるとか、もちろんイヤに決まってるってもんだ。でも、仕方ないだろ?こうなっちまったんだから」


 噛み付くようなゆらの問いに苦々しい顔を見せながら、ユウは自身の少女のものとなった体を見下ろした。


 「愛梨ちゃんは明日には神隠しを試すつもりだ。現状維持ってのは選択肢にない。今やんなきゃ駄目なんだよ。……まぁ、そう悲観的に見るもんでもないぞ。どちらにせよ大学に入れば、一人暮らしを始める気だったし、今の家から離れるのが半年ほど早まっただけと思えば……」

 「そんな簡単な話じゃないでしょ……!?大学には行けなくなるし、その……今の家族とは……」

 「縁が切れる、と思うか?別にそうとは限らないって。今生の別れって訳でもあるまいし、こっちから出向けば今の家族とも、その内会う機会は来るだろ。特に母さん辺りは見舞いに来てくれるかもな。ああ、お前の紹介があれば友達ともまた話せるだろうし」


 あいつらもこんな美少女相手なら、鼻の下伸ばして仲良くしようとするだろうさ、と少しおかしそうに笑う。


 「大学にも、体が回復すれば何とか入れるんじゃないか?高校行けてないけど学力ならそれなりに自信あるし」

 「でも、それは……」

 「……まあ、」


 反論しようとしたゆらを、少し大きな声での前置きで遮り、ユウは体を半回転させ後ろの本殿を見た。

 ……表情を見られたくなかったのかも知れない。


 「そもそも全部、お礼参りが成功したら、の話だけどな。……駄目だったら記憶を失って、まっさらの夜刀上ゆらに戻ってから目覚めるしかない」

 「う……」


 声は、少しだけ震えていた。

 押し黙るゆらに、ユウは静かに本音の部分を吐き出し始める。


 「そりゃ嫌だぜ俺も。つーかさっきは家族とまた会えるとか言ったけど、その時はもう家族じゃないし。友達と再会したところで、もう気安い関係でバカ騒ぎなんて出来やしない。性別まで変わる上に衰弱した体って言うおまけつき。出来れば避けたいよな、そんなの」


 建前を作るのを諦めたのか、表情を見せないまま胸の内を曝け出す。恐らく、ゆらに言うつもりなど本当は無かったのだろう。しかし一度漏れ出した心の内は止まらなかった。


 「もし記憶を犠牲にしたとすれば、そう言った悲しみは無くなるわけだが、まあ、そっちだと今までの俺が丸ごと消えて、別人として改めて育てられるんだろうなぁ」


 しばらく本殿の方を向いていたが、やがてゆっくりと振り返る。

 そこには無理矢理作ったかのような笑顔が貼り付いていた。


 「けどまぁ、それでもこれは俺の体で、俺の問題なんだろうさ。この体、違和感バリバリの癖して妙にしっくりくるし。やっぱり俺が夜刀上ゆらで、さっき言った諸々は俺が負うべき事なんだ。お前に押し付けていいことじゃない」

 「ユウ……」


 さっきのも本音なら、これも本音。

 思うことは数あれど、その言葉に偽りはない。


 「まあ、そうそう割り切れるもんでもないんだけどさ。……何とか、ここに来るまでに折り合いをつけたつもりだよ。だから、ゆら、お前は気にしないで欲しい。何も気にしないでーーーー」


 ユウは、最後の一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 伏せ気味だった目を真っ直ぐゆらにむけ、最後の未練を断ち切るように言葉を贈る。



 「ーーーー自分の体に、葛葉悠一の体に戻って欲しい」



 自分の体を明け渡すと……いや、受け取って欲しいと、そう言った。


 ……絞り出すような声だった。

 未練はたらたら。断ち切れてはいない。夜刀上ゆらとして生きること、もしくは記憶を失うことに関して、不安も不満も大きく、それは短時間で割り切れるものではない。

 最後まで言った後も未練がましく口をモゴモゴと開こうとしては閉じる様子を見れば、葛藤が続いているのは明白だ。


 しかしそれを上回る理性と忍耐で、彼……否、彼女はその決断を下した。



 ……そして、それに対する、ゆらの返答であるが。


 「あ……う……」



 残念なことに、その尊い希望に反して。

 もしくは、内心に隠した秘かな希望通り。

 


 「ごめん……ユウ……。それは無理だよ。ボクには出来ない。……無理だ」


 何かに怯えたような顔で、首を横に振った。

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