行きはよいよい、帰りは同じ

@esm0106

第1話 突然できた同居人



 『夢』というものは、かつて大きな意味を持っていたらしい。

 


 昔の考えでは、夢は紛れもない現実だった。

 曰く、睡眠時に魂が体から抜け出て、実際に体験したことを夢として見ているのだと。夢魂、なる言葉が存在する程度には、知られた考え方だ。



 もし本当に、そんな風に魂が夢を見るたびにどこかに飛び去っているとすれば、それはまさしく、夢のある話だと思う。

 知らない場所を旅したり、いつかの友人や恋人と再会したり、子供の頃の思い出を垣間見たり。それらが現実で起こり得るなら、それはロマンチックで、素晴らしい体験になるだろうな、と。


 しかし同時に、何とも恐ろしい話じゃないかとも思うのだ。魂が抜けてどこかに行ってしまうなんて、もし戻ってこられなくなったら、どうなってしまうのか。

 少なくとも、朝になっても目を開けることがないことくらいは想像できる。

 

 幽体離脱を信じていた昔の人は、今の人以上に悪夢を怖がった違いない。もしかしたら、目を覚ました後に神様にお祈りでも捧げたかもしれない。

 もし夢でどこかに迷い込んだり、何かに襲われたりでもすれば、もう戻ってこられなくなるかもしれないからだ。

 

 

 そして、俺の場合は完全に前者だった。


 人が居るべき所ではないどこかにいて。

 現実であるかのような感覚があって。

 帰り道など分からなくて。

 むしろどんどんと引き込まれるような。


 そんな夢の中に、迷い込んでいた。













 ーーーーどこかの山道を下っていた。


 周りは木々がうっそうと生い茂り、前を見ると木々の合間にある粗末な道が下に続いている。

 参道なのだろうか。年季の入った石畳の階段だった。特に疑問も持たず、その階段を下りていく。


 薄暗い木々の中を、ただ歩く。その内、いくつかの鳥居が見えてくる。夢にしては妙にリアルだと思った。連続して何本も建っている鳥居を潜り、先へ進む。


 五感もはっきりしていた。森の中のひんやりとした空気を肌で感じ、心地よい自然の匂いすら微かにあった。

 しかし同時に、その光景はどこか現実味が薄い。見慣れない山奥の参道には何故か深い霧が出ていて、まるで別世界にでも入り込んだようだった。


 軽く息をつくと、森林特有の澄んだ空気が肺を満たす。何故だろうか、それは同時に澱んだような閉塞感を感じさせる。

 そこで初めて、どこに向かっているのだろうという、疑問が胸の内に生じた。

 

 


 「ーーーー」


 

 ふと何かが聞こえたような気がして、そちらに注意を向ける。そこに居たのは二人の幼い子供。手を繋いだ少年と少女が、先導するように、自分の前を歩いていた。


 その二人を見ていると、どこか懐かしさを感じた。加えて引き込まれるような感覚があり、何故か心地よい。

 ……だからもうちょっと長く見ていたかったのだが。



 前を歩く子供が立ち止まる。  

 そこに少し大きな鳥居が建っていた。


 いや、それだけではない。鳥居の前で誰かが待っている。


 誰だろうか。

 子供の後に続いてそちらに近づく。



 ……しかし、顔を見る前に急に目の前が遠くなった。耳障りな音が聞こえ、意識が引っ張り上げられる。


 夢が終わる。

 あと少しだけ、続きが見たい。そう思って抗おうとする俺だったが、そう思っても一度目を覚ましてしまったら既に後の祭りと言うものだった。

 一気に現実が戻ってくる。










 ……無常にも朝が来た。

 ジリリリリリーーーー、と耳障りな音を立てる目覚まし時計を胡乱な目で見つめる。


「………………」

『…………うん?』


 さすがに少し恨めしく思ってしまうのも、仕方あるまい。ガンッといつもより心なし乱暴に音を止める。


 「……ふぁ」

 『…………っ!?』

 

 そのまま手を目元まで移動させ、目を閉じ、朝の光を遮断する。別に二度寝を決め込むつもりはない。しかし少しだけ今見た夢を思い返したいと思った。体の力を抜き、目の前の闇に吞まれるように思考を沈める。


……そのときだった。


 『えっと』


 何か聞こえた。


 とっさに目を開け、窓から差し込む日の明るさに慣れないまま、ベッドの周りを確認する。少し散らかり気味の机、積まれた着替えが目に入った。いつも通りの自室だ。俺の他には誰も居ない。

 目をしょぼしょぼさせながら首をかしげる。今、確かに人の声が聞こえたと思ったのだが。


 気のせいだろうか、などと思うまもなかった。その声は続いてやってくる。


 『あれ?なに、これ?えっと……ええ?』

 「…………えっ?」


 このとき思わず思考を止め、絶句した俺を笑える者などいないだろう。背筋がぞくりとし、手に汗が滲んだ。

 頭が真っ白になる、なんて陳腐な表現かも知れないが、まさにそんな状態だった。間の抜けた声が口からこぼれ出るが、気にする余裕など微塵もない。


 とても驚いた。信じられなかった。そして信じたくなかった。


 しかし、耳を通さず響く声に最早間違いようはなく。


 「な、な……」

 『あ、あの。これは……』


……その声は俺の内側から聞こえていた。


 「な、おわあああっ!?」

 『へっ?うわあっ!?』


 このとき、思わず大声を出してしまったのも仕方ないと思う。








 一分ほど時間を無駄にして、ようやく落ち着きを取り戻して、同時に理解不能の現実まで戻ってきた。ベッドに腰掛け、混乱する頭を抑えながら、それでも事態の把握に努めんとする。

 朝起きた。そしたら頭の中に自分の物ではない声が聞こえるようになった。なんだそれ。

 頭痛を堪えるようにもう一方の手でも頭を抑える。つまり頭を抱えた。


 『えっと、その……ごめん、これって、どういう状況なのかな?』

 「え、さあ?」


 いや、それはこっちが聞きたい。

 もはや疑いようもなく頭の中に響く声に、思わずそう返す。


 『ご、ごめん。ボクにも何が何だか分からなくて。えっと、どうしよう……』

 「いや、俺に聞かれても……」


 この謎の声の主も俺に負けず劣らず混乱してるらしく、動揺しているのが伝わってくる。役に立たない、と感じてしまうのは理不尽だろうか。


 『そ、そうだよね、ごめん。そ、それじゃあ、えっと、えっと……』

 「や、別に責めてるわけでは……。とりあえず少し落ち着け」

 

 少し控えめで、かつオロオロとした声に自分との差違を感じる。少々意地の悪い返し方をしてしまったか。

 しかし、とても分かりやすく狼狽える彼?の声を聞く内に少しは冷静になれた。突然俺の気が触れた、なんて事はないと思いたい。考えたくもない。

 だとすれば、これは何か。

 考えつく可能性は一つくらいだ。


 「もしかして……二重人格ってやつなのか?」

 『え、そうなんだ。これが……』

 「いや、わかんないけど。でも多分そうなんじゃないか。他に思いつかないし」

 『なるほどー』


 二重人格。一つの体に複数の人格が宿る、精神障害の一種。


 それくらいしか考えられる可能性は無いだろうと言う俺に、その声は気の抜けるような返事を返してくる。

 自分同士で会話と言う何とも奇妙な状況。普通はもっと狼狽えるような事ではないかと思うが、しかし相手(自分?)に乗せられてなのか、意外なほど落ち着いて話せていた。


 「いや、でもなぁ……」

 『うん?』


 少しは冷静になれた頭で、改めて考えてみてみる。


 二重人格で間違いないとは思う。

 しかしやはり、疑問が残る。いくら何でも、唐突すぎやしないだろうか。そんな恐ろしい精神障害が、何の前触れもなく起こるものなのか。

 そして何より、原因が分からない。


 「それだよな。本当、じゃあ何でこんな突然に二重人格者になったんだ?昨日は特に異常無かったよな。いや、なんか変わったこととかあったか……?」

 『え、ええと。普通にいつも通り、部活動に行って……それくらいじゃない?』

 「だよなあ。と言うかこれ、本当に二重人格なのか?」

 『え?違うの?』

 「いや、まあ、それくらいしか可能性を考えられんけど」


 分かったことは何もない。が、話す内に動揺は収まってきた。

 そうだ、落ち着け俺。ただ人格が一つ増えただけだ。大したことでは……あると思うけど、今すぐどうこうと言う話ではないはずだ。


 ……しかし落ち着きを取り戻したところで現状が変化するわけもなく。


 『えーっと、じゃあ結局どうすれば』

 「いや、どうするって言われても……」


 朝起きたら二重人格になっていたときの対処法。分かるかそんなん。


 『…………………………』

 「…………………………」


 俺が黙ると、ソイツも黙った。

 沈黙が痛い。何か言ってくれ。


 気まずい空気から逃れようと、俺はさっき止めた目覚まし時計に目を向けた。7時半少し過ぎ。そう言えばそろそろ起きないとまずい時間だと現実逃避気味に考える。


 「と、とりあえず下、降りるか。そろそろ飯食わないと遅刻だ」

 『あ、うん。そうだね』











 俺の家はごく普通の一軒家で、俺の部屋は二階の奥にある。リビングのある一階に降りると、ちょうど父親が出勤するところだった。


 「あ、起きたか。おはよう。のんびりしてないで急げよー。今日も朝から練習だろ?」

 「おはよ、父さん。まあ、試合近いからね」

 『明後日で最後なんだもんね。頑張って!』


 少しぞんざいに「いってらっしゃい」と言い、洗面所に向かう。

 ちなみに練習というのは部活のことだ。俺は高校で陸上部に所属している。そして今コイツが言ったとおり、明後日が引退試合だ。


 『しかし、そうか。当たり前と言えば当たり前だけどお前も俺の記憶をちゃんと持ってるんだな』

 『あー、うん。バッチリ記憶はあるよ。でもこれ、性格はどう考えてもボクじゃなくてキミだよねって思う』

 『あ、その辺の自覚とかあるんだ』

 『まあ、うん。そりゃね。一人称からして違うし』


 下に降りてからは声を出さず頭の中だけで会話する。リビングには母もいるため、あまり独り言を言うと変な目で見られるだろう。本当なら二重人格らしき症状のことを親に相談し、病院なりを訪ねるのが正しいのかも知れないが、少なくとも今ここでバラす気にはなれなかった。

 あまり知られたいことではないし、変に気遣われるのも避けたい。そういうのは何か困ったことが起こってからで良い、それまでは話し相手が出来た程度に思っておこう、と判断した。騒ぎにしたくなかったし、心配をかけるのも嫌だったのだ。

 まあ、そもそも病院で治せるかと言えばかなり怪しいだろうとも思う。ついでに言えば、案外明日になれば消えているのではないかという希望的観測もあったりする。


 そんなことをつらつらと考えながらキュッと蛇口を捻り、ザブザブと顔を洗う。冷たい飛沫と共に眠気が飛んでいった。

 顔を上げて鏡を見るといつも通りの自分の顔が映る。そこそこ整ってはいても地味な印象は拭えない目鼻立ちに、少しきつめの表情。いたって普通の髪形。中肉中背……だったが最近身長が伸びた、少し高めの上背。特徴が無い、と言われてしまうこともある。

 何の異常も無い、いつもの俺だ。


 『しかしボクって、我ながら落ち着きすぎのような。キミもだけど。割と緊急事態だよね?これって』

 『あ、それ俺もさっき考えてた』

 『え、やっぱりそう思う?』

 『思う思う』


 言ってるそばからこれだもんな、と思いつつ、顔を拭き、リビングに入る。既に母親が朝飯の準備をしてくれていた。

 いつも通り、おはようと言い、席に着く。誕生日よねおめでとさん、と返された。そういや誕生日だったと、今さら気づく。父さんは言ってくれなかったな。

 箸を右手に持つと同時に、少々行儀が悪いが左手にスマホを持ち、検索エンジンを開いた。もちろん調べるのは二重人格について。


 『うん、おいしい!うわあ、幸せだよ。お母さん、料理上手いんだねぇ』

 『ああ、味覚は共有なのな。しかし単なる目玉焼きだぞ。おいしいとは思うけどぶっちゃけいつも通りの味じゃないか?』

 『いや、確かに食べた記憶自体は有るんだけどね……何というか、実感みたいな物はなくって。だからちょっと感激してる、かな』

 『ある意味、生まれて初めての食事って事か』


 頭の中で会話しつつ、目玉焼きを口に運びつつ、同時に二重人格についての記述に目を走らせる。


 二重人格ーーーー乖離性同一性障害。

 過度のストレスが原因となり発生する精神障害。その辺りまでは知ってる。しかし現状、精神障害を発症するレベルのストレスを受けた覚えはない。勉強をそう苦にする訳でもなく、部活もキツいが楽しんでやってるつもりだ。


 む。

 いや、そうか。二重人格は現実逃避の一種。嫌なことがあったけど、もう一つの方の人格に押しつけて俺は忘れている可能性があるのか。

 俺が気づいていないだけでイジメに遭っていた、とかなら中々に恐いが、しかし。


 『なあ』

 『んー?』

 『最近すごくショックを受けた事とか、嫌だった事ってあるか?』

 『え、ないよね?少なくともボクが覚えている限りではそんな出来事無かったと思うよ。あ、この前部活に遅刻して走らされてたけど、それのこと?』

 『違う』


 そんなんで二重人格になってたまるか。

 やっぱりコイツが覚えている事は俺と同一のようだ。まあ、そもそも記憶が途切れているような事も無いので当然なのか。


 画面をスクロールさせ他の記述を探す。

 

 ふむ。二重人格になっても長期間それに気づかないこともある、と。

 もう覚えてない子供の頃に原因があり、今コイツの存在に気づいただけと考えればまだ何か分かるかも知れない……か?


 『なあ、いっそのこともっと昔でもいい。何かショックな事は無かったっけか』

 『だからボクの覚えている事ってキミと同じだよー。そりゃ18年生きてくれば色々あったと思うけど、それに書いてあるような事は無かったんじゃないかな』

 『一応の確認と思ってくれていいよ。しかし、やっぱそうだよなあ……』

 『ネグレクトとか虐待とか書いてるけど、ないでしょ』

 『ないな』


 飯に感動しつつも、俺の手元にも意識を向けていてくれたらしい。

 コイツの言うとおり、うちはごく普通の家庭だ。俺は一人っ子なため、自分でも可愛がられて育ったと思う。

 アルバムもあるし、その手の可能性は考えづらい。


 『んー、それじゃあ』

 「ちょっと、手ぇ止まってるじゃない!ご飯のときにスマホを弄るのはやめなさい。遅刻するわよ!」

 「おっと」


 なおも会話を続けようとするが、鋭く飛んできた母親の声に中断させられる。いつの間にかスマホに意識を集中させすぎていたらしい。

 確かにあまり時間に余裕もない。気になる気持ちを抑えながらスマホを脇に置き、朝食に集中する。それでも脳内会話は続ける。


 『とりあえずお前の認識としては、今日初めて目覚めた。俺の記憶はある。しかし実感はないって事で良いのか?』

 『うん、そんな感じ。知ってはいても、ガラス越しって言うか。うーん、大長編ドキュメンタリーをみたような?』

 『二重人格ってそんなんなのか……?』

 『う、ごめんね、大して力になれなくて。ボクも本当に何も分からないから、その』

 『いや、別に責めてる訳では無いんだけどな』


 不安そうにそう言う声に、思わず苦笑する。知識は俺と一緒だが、純粋で、素直な性格だ。呼びかけてくる声も、透きとおった、と表現したくなる心地よさがある。

 俺とは違う。ちょっとまぶしい。


 『でも、急に出て来たボクって、迷惑じゃない?当のボクですら得体が知れないのに』

 『いや、元々の原因は俺にあるんじゃないか?少なくとも、お前が気にすることでは……って言うか、何でもう一つの人格がそんなこと気にするんだ?』


 そんな風に返しつつ、今さら思う。


 俺がいきなり二重人格者になるという事態になって、こんなにも落ち着いていられるのは。10分後にはいつもと変わらず、呑気に朝食を食べていられるのは。

 ……恐らく、コイツの邪気のない性格に毒気を抜かれたからなのだろう。


 『そ、そう……?ありがとう。そう言ってくれるとすっごく嬉しい。あのさ、ボクね、実はとても、わくわくしてるんだ』

 『ふうん』


 人格としては、生まれたてということか。

 これでもかと言うほど喜色のにじむ声で、ソイツは自身の胸の内を語る。悪意など欠片もない、まっすぐな言葉で。


 『これがボクの家なんだなって。お父さんに声をかけられるのはこんな気持ちなんだって。お母さんのご飯ってこんなに美味しかったんだって。全部、知ってるのに、新しくて、とてもドキドキする。まだ生まれて数十分ってとこなのに、おかしいよね』

 『……』


 朝起きたら突然二重人格になって、よく分からないままによく分からない声と四六時中過ごすことになった。

 はっきり言ってとてもショックだ。何とか落ち着いたふりをしていても、まだ頭の整理が出来ていない。

 しかし、


 『だからその、ね。もし許してくれるなら、……その、ボクがいても良いなら……』

 『あー、大丈夫だから。続けて』


 この短時間でも分かる。コイツは良いやつだ。子供のような純粋さと、相手を優先できる優しさを併せ持った、凄いやつだ。

 だから、


 『もう少し、一緒に居させて貰えると、嬉しい……です』

 『……いいよ。どっちにしろ、これを解決する方法なんて分かんないんだし』


 コイツとは仲良くなれる。仲良くやれる。


 『ありがとう!』という言葉と共に、特大の感謝と歓喜を伝えてくる。そんな様子に知らずと口の端を上げながら、自然とそう思った。


 コイツとなら、この奇妙な共同生活も、案外楽しく過ごせるのかも知れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る