第3話

タヌキは、なんと変化の術を持っていた。

自分がなりたいと思ったものに、見た目だけ変化することができるのだ。


現代は遺伝子やらDNAやらが改造されたりなんやかんやで、この術の適正をもつタヌキは少ない。


本来タヌキが化けるのは、

敵から逃げたり、人間社会に溶け込むためのものだ。

現に、このタヌキ以外の数匹のタヌキたちは、変化の術を極め、人間社会に馴染んでいる。


クマをも殺すタヌキ。

こいつが変化の術をもっている。

しかし、このタヌキは力が強すぎるだけであり、普通のタヌキなのだ。


……そう。

変化の術は、他の変化タヌキに無理やり吐かせて得たものだ。


とにかく、このタヌキは異常なのだ。


タヌキは、聞いたことの無いような発音で、謎の呪文を唱えた。

これが変化タヌキのみに伝わる術である。


たちまちタヌキは、婆さんの姿へと変貌を遂げた。

タヌキだったとは思えない。

どこからどう見ても婆さんだ。


だがその顔は、優しい婆さんの顔とはかけ離れた恐ろしい顔だった。


いや、顔自体は婆さんと全く同じなのだ。

しかし、隠しきれない禍々しさが溢れ出ている。

変化の術とはいえ、中身まで変わることはできない。


タヌキはまた、ニタァと笑った。

婆さんの笑顔とはすべてが違う。

ひたすら恐ろしい笑顔だ。


部屋に散らばった肉片を集め、

血のついた箇所を軽く拭く。

そして、婆さんの遺体を鉈でぶつ切りにしてゆく。


ドカンドカンと、鉈が乱暴に降り注ぐ。

婆さんはたちまち、ただの肉塊へと姿を変えた。


死体の隠蔽だろうか。

いや、違う。


切った婆さんの肉を、なんと鍋の中に投入した。

なんという事か。

タヌキは婆さんを鍋に入れたのだ。


婆さんの肉は、鍋の中を泳ぎながら肉のいい匂いを放つ。


赤かったのが段々と白くなり始めた。

素人が見れば、売っている肉と判別はつかない。


タヌキは笑いが止まらない。

あのババアをついに殺してやった。

そして鍋にして、これから食ってやる。


目を背けたくなるような残酷な場面。

そんな事が起こっているとは露知らず、

爺さんは畑仕事を続けていた……





「ただいま!遅くなってしまったな。できているか?」


爺さんが帰ってくる。

実に清々しい顔だ。


タヌキを捕まえて、

完全に油断してしまっている。


その警戒心ゼロの表情を見て、

タヌキはまたしても残酷な事を思いついたのだ。


「おかえりなさァい……料理、もうできてますよォ〜……」


思わずタヌキの口元が緩む。

お前はこれから地獄を見ることになる。

俺を貶めた代償だ。


「おぉ〜できてるできてる!元はただのクソタヌキだが、肉は美味そうじゃのう。さっそく食べるとするか」


「どう……ぞ……召し上がれ……ック、クヒヒッ……」


タヌキは笑いが抑えられない。

爺さんに笑い声が漏れないように、

台所の片付けをするフリをして後ろを向いた。


爺さんは、未だに何も気づいていない。

婆さんはそっくり。肉も何かは、素人目では判別できない。

異常を察知できないのも無理もないだろう。


爺さんが箸を手に取った。


「いただきます」


爺さんはなんの疑いもなく、肉を一つ摘んで口に運んだ。

咀嚼し、ちょっと曇ったような顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。


「うん、ちと塩っぱいかもしれないが……美味い!」


タヌキは、バレないように笑うばかりであった。





その後も爺さんは鍋を食べ続け、

ついには完食した。


婆さんも食べたらどうかな?


そう言った瞬間、婆さんが物凄い勢いで

鍋の半分を吸い込んだ。


こんなに食欲あったかなぁと思いつつも、

もうタヌキの脅威に怯えなくていいと思えば、その他は何だっていい。

そう考えてすらいた。


今日は、爺さんは疲れているのだ。


今までの苦痛から解放された。


タヌキを捕まえ、

畑仕事をこなす。


さすがの爺さんも、今日は疲れてしまったようだ。

段々と眠くなってくる。


「ごちそうさまでした」


そう言って爺さんは寝室へ向かおうとした。

タヌキの脅威はなくなった。


明日からは平穏な日々が待っている。

安心して眠ることができる。


ありがとう神様、仏様。


だが、その思いは神様にも、仏様にも通じなかった。


待ってましたと言わんばかりに、

婆さんの姿をした悪魔は、爺さんの肩を掴んだ。


ありえない力が、爺さんの肩を締め付けている。


「ど……どうしたんじゃ、婆さん」


「ジジイ……食っちまったな……クヒヒッ!」


タヌキは本性を露にする。

そっくりだった婆さんの顔から、

動物のヒゲらしき毛が生え始める。


「なんじゃお前は!?まさかっ……」


たちまち婆さんは、

あの忌々しきタヌキの姿へと変貌を遂げた。


タヌキは大きく大きく息を吸い込んだ。

これまでの恨みをのせて。


「その鍋はなァ、ババアを殺して入れてやったのさァ!!名付けてババア汁!!イーヒャヒャヒャァーーーーッ!!!」


「ああ……あ……あ……」


「食ったよな?食ったよな?仲良い夫婦の夫が、妻を鍋にして完食しちまったなァーーーー!?おンもしれェー!!イーヒャヒャヒャァーーーッ!!!」


タヌキは扉を蹴破り、夜の森を駆けていった。


そんなタヌキの背中を追うこともせず、

爺さんはがっくりと膝をついた。


扉の向こう側には、見事な満月が顔を出していた。


タヌキが思いついたこととは、

爺さんに、婆さんの肉を見せるだけではない。

それら全てを完食した上で、

このように真実を打ち明けるのだ。


爺さんは、もう追う元気など残っていなかった。


大切な日々。


大切な人。


全てを失った。


何故タヌキは縄を解けたのか?

そんなことどうでもいい。


あの大きな満月すらも、自分のことを嫌っている気がした。


爺さんは、床の上に溶けていった。

感情を失った目からは、最後の涙がこぼれ落ちた。


月に照らされ涙が煌めいた。

その光は鈍く、

海の底のような悲しみを含んでいる。


畳に落ちた悲しみの粒は、

爺さんの膝元に染み込んだ。





「お邪魔します、お爺様」


次の日の朝のこと。

老夫婦の家に来客があった。


……今となっては爺さんしか住んでいないが。

二人分用意された部屋や布団、家具は、爺さんたった一人には広すぎる。


婆さんを失った爺さんの心は、

家なんかよりも大きな穴が空いていた。

この穴を埋めることはできない。


「何があったのですか」


家を尋ねたのは、ウサギ。

筋肉隆々のウサギだ。


若かりし頃の老夫婦が散歩の途中、

まだ小さかったウサギが罠に引っかかっていた。


見殺しにするのは可哀想だと、

老夫婦はウサギを助けてやった。


ウサギは心から感謝し、

弱い自分から抜け出すために体を鍛え始めた。


それからというものウサギは家によく来て、話をしたり食べ物を持ってきたりしていた。


爺さん、婆さんと長年付き合った、

心優しき親友である。


「話は長くなる。そこに座ってくれ」





話を聞き終えたウサギは、

目を瞑ったまま、怒りに顔を震わせる。

床を思い切り殴りつけた。


「あの……クソタヌキめっ!!」


爺さんは淡々と語った。

もう涙は一滴も残っていない。


はずなのに。

いくらでも涙が溢れてくる。

婆さんの事を思い出すと、

爺さんの非情な心は消えてしまうのだ。


「ウサギさん……頼む。この老人の、最後の、最後の願いじゃ……」


「ええ、わかっております、お爺様」


爺さんは今まで見たこともないような、

恐ろしい顔だ。

目を見開き、赤い稲妻が目の端を走る。

立ち上がり、狂ったように叫んだ。


「あのタヌキに、最大限の苦しみを!!制裁を!!生きていることを後悔するような、絶望的で惨たらしい最期を!!!」



ウサギは立ち上がった。


爺さんの願いを叶えるため。

婆さんの仇を討つため。


タヌキを殺すのだ。


気づけば、ウサギの握り拳からは血が流れ出ていた。


煌めく朝日の下。


二人の怒りの心の矛先は、タヌキの首元に突きつけられていたのであった……

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