基山side

非日常は突然に 7

「まずい!」


 気がつけば、僕は耳を澄ませるのをやめて立ち上がっていた。その様子に、傍にいた荒木さんが目を丸くする。


「どうしたんだ?」

「中にいる吸血鬼が水城さん――人質の血を吸おうとしています。早く行かないと!」


 この時、僕はまだ荒木さんに中の詳しい様子なんて伝えられていなかった。

 だけど荒木さんは僕の様子を見て事態が切迫していると感じたのか、すぐに無線で指示を出し、拡声器を使って店内の犯人に呼びかけた。


「犯人に告ぐ。こちらは要求をのんだ。車ももうすぐ用意できる。くれぐれも人質に危害を加えるな!」


 そう叫んだけど、果たして犯人は聞き入れただろうか。一度集中力が途切れてしまうと、もう一度神経を研ぎ澄ますのには時間がかかってしまうから、もう僕にも中がどうなっているかはわからなかった。


(まずいまずいまずい!)


 焦りだけが募っていく。僕は何もできず、ただ水城さんの無事を祈った。その時――

 ガラスの割れる音が辺りに響いた。

 集まっていた野次馬の悲鳴が飛び交う中、僕が目にしたのは割れた『ペリカン』の窓ガラスと、そこから飛び出してきた顔に傷のある男。そして――


「水城さん!」


 男の右腕には水城さんが抱えられていた。水城さんはこうべを垂れていて表情を見ることはできなかったけど、おそらくあれは……


(やっぱり、血を吸われているのか?)


 さっき聞いた話の内容とぐったりとしている水城さんを見ると、まず間違いない。そして、彼女を抱えている傷の男が吸血鬼なのだろう。

 最悪の状況が現実のものになったことに、僕は絶望を覚えた。


「取り押さえろ!」


 荒木さんの指示のもと、警官隊が瞬時に傷の男をとり囲む。水城さんを抱えているから警察は迂闊にピストルは使えないけど、それでもこの人数差だ。いくら相手が吸血鬼だからと言って後れを取ることはない……本来なら。

 男は余裕の表情で自分を囲む警察を見て笑っている。


「いいねいいね、力を試すには丁度良い」


 そう言った次の瞬間――男は駈けた。


「えっ?」


 男の正面にいた警官が声を漏らす。何が起きたのか理解できなかったのだろう。傷の男は右腕に水城さんを抱えているにもかかわらず、残った左手でその警官を掴み、宙に放り投げていた。


「なんだっ?」


 言葉を失う警官達。彼らが状況を理解しようとしている間にも、男は次々と周りの警官を殴り、あるいは蹴とばして行く。

 対吸血鬼課の警官達が驚くのも無理はない。男の動き、腕力は通常の吸血鬼は勿論、魔力を得た吸血鬼のそれと比べてもレベルの違うものだった。


 警官に対して、男は余裕だった。まるで向かってくる警官をなぎ払うのを楽しむかのように、男は笑いながら暴力の限りを尽くしていた。

 男と警察が交戦する中、僕は抱えられている水城さんのことが気がかりだった。

 どれくらい血を吸われたのかはわからないけど、吸血直後の水城さんの体調が良いものとは思えない。それなのに水城さんを抱える男はお構い無しに暴れている。あれでは水城さんにかかる負担は大きなものになる。


「やめろ!」


 気が付いた時、僕は飛び出していた。荒木さんからは隠れているよう言われていたけれど、そんなこと気にする余裕はなかった。

 僕も吸血鬼の端くれた。身体能力は常人を凌駕している。

 男は相手は人間ばかりと思って油断していたのだろう。一気に距離を詰めた僕は男の懐に潜り込み、腹に一撃をくらわせた。


「ぐぅ」


 男は小さく声を上げよろめく。今のうちに水城さんを助けようと手を伸ばした。だけど――


「お前、さてはお仲間か?」


 伸ばした手は、傷の男に掴まれ、水城さんに届くことはなかった。


「邪魔をするな!」


 男は掴んでいた腕を振り上げ、僕の体は宙に浮いた。次の瞬間には腕は振り下ろされ、そのまま力任せに地面に叩きつけられる。


「―――ッ!」


 痛みのあまり声を出すこともできない。それでも何とか体勢を立て直そうと体を起こした瞬間、抱えられていた水城さんと目が合った。


「基山!」


 水城さんの叫ぶ声が耳に届く。気を失っているのだと思っていたけど、どうやら意識はあったようだ。

 水城さんは必死そうに僕に向かって手を伸ばしてくる。僕もとっさに手を伸ばし、その手に触れる。だけど――


「こいつは渡さねえ!」


 男は僕の頭を蹴り、水城さんを再び抱き寄せる。再び重い一撃をくらった僕は視界が揺らぎ、まともに水城さんの顔を見ることもできない。


「やめて!コイツは警察じゃないでしょ」

「そうだな。お前が大人しくしてくれるんなら見逃してやるよ」


 そんな二人の声が聞こえた直後、男は水城さんを抱えて、野次馬の人だかり目がけて走りだした。まさかこっちに来るとは思っていなかった野次馬たちは悲鳴を上げながら逃げだす。男は人込みの中だと言うのに全くスピードを落とすことなく、かき分けながら走っていく。


「逃がすな。追え!」


 どこかで叫んでいる荒木さんの声が聞こえてくる。だけど僕にはわかっていた。本気で逃げるあいつには、ここにいる警察の装備では追い付けないことに。


(僕が…追わなきゃ……)


 そう思っても、体が言う事を聞かない。さっき頭を蹴られた時のダメージが思いの他大きいのか、立ち上がるどころか意識が朦朧としてくる。


(水城さんを…助けないと……)


 野次馬の悲鳴も、警察の声も、だんだんと小さくなってくる。助けたいという思いとは裏腹に、与えられた痛みが体を支配していき。僕はそのまま意識を失った。

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