新生活とお隣さん 8

「そういえば水城さん、夕飯まだだよね。簡単なものなら用意してあるけど、食べる?」


 照れ隠しをするように、基山は話を反らす。言われて台所を見ると、そこには買い置きしてあった食材で作られた夕飯があった。


「これ、基山が作ったの?」

「八雲のご飯を作るついでに。食材は八雲が使って良いって言ったから使ったけど、よかった?」


 それは別に良いけど、なんだか至れり尽くせりだ。

 用意されているおかずはとても美味しそうで、基山はいつも隣の部屋でこうやって自炊しているのかと思うと、私ももっと頑張らなくちゃという気持ちになる。

 そんな私をよそに、基山は夕飯をレンジで温め、急須に茶葉を入れ始めた。


「私がやるわよ。だいたいここは私の家、基山はお客さんなんだからおかしいでしょ」

「あ、ゴメン」

「謝らなくてよろしいっ」


 そう言っている間にも基山は湯呑にお茶を注いでいる。妙に慣れた手つきだけど、もしかしたら引っ越してくる以前にも家で家事はやっていたのかもしれない。男の子の一人暮らしというとずぼらなイメージが強いけど、基山にその心配はなさそうだ。むしろ私の方が、手抜きが多いかも。


 そんなことを考えながらも、せっかく入れてくれたお茶を無駄にするわけにもいかず、私はありがとうと言いながら基山の持つお茶を受け取ろうと手を伸ばした。瞬間――


「――ッ」


 湯呑を取ろうと私の指が基山の手に触れた瞬間、彼は持っていた湯呑を落としてしまった。


「あっ」


 思わず声が漏れる。幸い私には掛からなかったし、湯飲みも割れることは無かったけれど、基山の手には少しお茶が掛ったらしく、熱そうな表情を浮かべた。


「ゴメン、すぐに拭くから」


 けれど基山は自分の手よりもお茶のこぼれたテーブルのほうが大事だったようだ。すぐさま台ふきを手に取ると、こぼれたお茶をふき始めた。


「いいよ、私がやるから」


 そう言って私は基山に手を伸ばした。すると。

 ビクッ。そんな擬音がよく似合いそうな勢いで基山は手を引っ込め、私から距離をとった。

 ちょっと、何もそんな逃げなくてもいいじゃない。


 どうしていきなりこんな反応をしたのか、一瞬その理由が分からなかった。だけど、やがてある考えが浮かぶ。もしかして……。


 私はテーブルを迂回し基山に近づき、距離を縮めた。するとそれに合わせるかのように、向こうはは後ずさる。

 再び詰め寄たけど、基山は私が近付くと、そのつど後ろに下がり、離れていく。

 ここまでくれば間違いない。基山は私から逃げている。


「あ、あの、水城さん。どうしてそう、迫ってくるの?」

「それじゃあ基山は、どうして逃げるのよ?」

「それは……」


 お互いに答えを言わない会話をしながら、追いかけっこは続く。

 だけどここはさほど広くない、2Kのアパート。近づかれては離れを繰り返していた基山だったけど、ほどなく退路を壁に阻まれ、逃げ場を失ってしまった。


 怨めしそうに背中の壁に目をやっているけど、逆に私はここぞとばかりに距離を縮める。

 途端に、基山の表情が目に見えてひきつった。それを見た私は、左右にも動けないよう、彼を囲うように両手をドンッて壁についた。


「――――ッ‼」


 その時の基山の表情ときたら。まるで猛獣を目の前にしたチワワのような怯えた表情で。その顔を見ていると、なんだか癖になりそうだ。

 できることならケータイで写真を撮って待ちうけにでもしたかったけれど、それよりもまずは疑問をぶつけてみた。


「もしかして基山、女の子苦手?」

「それは――ッ」


 そう言った瞬間、基山は顔を真っ赤にさせた。

 瞬時に私から目を反らし、項垂れる様に俯く。おかげで顔は見えなくなったけど、きっと今は目が虚ろにでもなっているんだろうなと勝手に想像する。そして基山は観念したように、小さく呟いた。


「…………はい」


 やっぱり、思った通りだった。

 だから指が触れただけで動揺してお茶をこぼしたり、近づくと距離を置こうとしたのだ。普段の学校での優しくて紳士的だと言われている基山はどこへ行ったのだろう。小さく震えながら、怯えたようなまなざしを私に向けている。


 意外な弱点があったものだ。急に変わってしまった基山の態度には素直に驚くばかり。とはいっても。


「別にそんなに恥ずかしがらなくても良いのに」


 基山がうつむいたまま赤面しているのが分かる。顔を見なくても分かる。最初会った時に吸血鬼だとわかった時もそうだったけど、どうやら基山は気持ちが態度や表情に表れやすいようだ。

 ほら、顔は見えなくても耳まで真っ赤になっているもの。


「あの……水城さん。できれば、そろそろどいてもらえると助かるのですが……」


 絞り出すような声を聞いて、ようやく基山を壁に追い詰めたままになっていたことを思い出す。いけない、つい怖がらせ過ぎちゃった。

 退路を塞ぐために壁に押し当てていた手を引っ込めてようやく離れると、基山は力が抜けたようにへなへなとその場に座り込んだ。

 どうやら相当女の子が苦手のようだ。


「ゴメン、何かやり過ぎちゃったみたい」

「いや、いいから。僕が苦手なのが、悪いだけだから……」


 八雲がお世話になったというのに、悪いことしたかな。これは下手に介抱するより、そっとしておいた方がいいかも。


 しょうがないからお茶を淹れ直しながら、座り込んだまま動けないでいる、基山の回復を待つのだった。

 

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