新生活とお隣さん 5

 私はひどく焦っていた。ただの風邪だろうからそう心配することもないと言う人もいるだろうけど、とても楽観視することができなかった。


 私が小学校に上がる少し前、父が体調を崩した。最初はただの風邪で、すぐに治るだろうとだれもが思っていたけど、そうはならなかった。熱は一向に引かず、すぐに良くなると言われていた父は何日も苦しみ、そして亡くなった。

 つい四か月前には母も無くなり、八雲は私に残された唯一の家族だ。八雲にまで何かあったらと思うと、私は落ち着いてなんていられなかった。


 店長が言っていた通り、日の落ちた町は雨で濡れていて。降ってくる雨粒が傘を持たない私を容赦なく襲ってくる。

 雨はそう強くは無かったけど、それでも傘を差さずに歩くには辛い。だけど、今の私はそれを気にする余裕すら無い。ただただ八雲が心配で足を速める。


 すれ違う人達は、傘もささずに歩く私を見てどう思っているのだろう。服は濡れて肌に張り付き、靴の中までびしょ濡れ。だけそれを気持ち悪いと思う余裕すら無く、ただただ家路を急いでいた。


 自分では気がつかなかったけど、どうやら母が死んでから、大分臆病になっていたらしい。

 八雲と連絡がつかないだけで、こんなにも不安になってしまうなんて。


 やがて、八福荘が見えてくる。

 201号室に目をやると、明かりがついているのが見えた。


 体調が悪そうだったと言っていたけど、八雲は起きているのだろうか。階段を駆け上り、自宅のドアに手を伸ばすも、鍵がかかっている。いつも鍵はちゃんとかけるように言っていたから八雲が掛けたのだろうけど、私の方はそれを失念していた。


 慌てて鍵を取り出すも、慌てているせいでうまく鍵穴に刺さらない。そうやって私が焦っていると、どうだろう。私が開けるよりも先にドアはこちら側に開かれた。

 八雲――そう思って私は開かれたドアの奥を見たけれど……。


 え、なんで?

 目の前には、なぜかそこにいるはずのない隣人、基山太陽の姿があった。

 最初、部屋を間違えたかとも思ったけど、いくらなんでもそれはない。ここは私の部屋のはずだ。いや、この際なぜ基山が家にいるのかなんてどうでも良い。それよりも大事なのは。


「八雲は?」


 掴みかからんという勢いで詰め寄る。他に聞くべき事があるのかもしれないけれど、今の私にはそれしか浮かばなかった。


「すみません。ちょっとお邪魔しています」


 私の質問に、基山は見当はずれな返答をしてきけど、聞きたいのはそんな事じゃない。


「八雲はいるの⁉ 大丈夫なの⁉」

「水城さん、まずは落ち着いて。八雲なら、大丈夫たから」


 そう言って基山は部屋の奥に行って、私も靴を脱いで、それに続く。

 寝室となっている部屋の引き戸をそっと開くと、そこにはすやすやと寝息を立てている八雲の姿があった。


「八雲っ!」


 急いで八雲に駆け寄る。するとそんな私を落ち着かせるように、基山が言ってきた。


「心配しないで、眠っているだけだから」


 確かに寝息を立てる八雲の表情はとても穏やかでこれなら何も心配することは無さそうだ。そう思った途端に何だか気が抜けてしまい、私はそのままその場にぺたんと座りこんだ。


「………良かったぁ」


 大袈裟だとか心配症だとか言うだろう。だけど私は本当に不安で……穏やかに眠る八雲を見て、私はようやく安心することができた。


「少しだけどご飯も食べたし薬も飲んだから、あとはゆっくり休ませてあげよう。それと……」


 基山は少し言い難そうに言う。


「まずは着替えた方がいいよ。でないと今度は、水城さんが風邪ひいちゃうから」


 言われてようやく、雨の中濡れながら帰って来ていたことを思い出した。

制服はぐしょぐしょ、髪からは水滴が滴り落ちていて、そんな自分の姿を見て、カッと頭の中が熱くなった。

 

「……シャワー浴びてくる」


 本当は他にもっといわなきゃいけないことがあったのかもしれないけど、失態を見られた恥ずかしさを隠すため、急いで着替えとタオルを用意し、逃げるように浴室に入って行った。

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