新生活とお隣さん 4
「3番テーブル、ハンバーグセット入りました」
先ほどとったオーダーを、調理スタッフに伝える。
今の私は弧ヶ原学園の制服ではなく、白と黒でデザインされた喫茶店の制服を着ていた。
ここは学校の近くにある『ペリカン』という名前の喫茶店。原田さんに紹介されたこの店は、放課後すぐに行けるという立地の良さに加えてシフトに融通がきくという事もあり、私は少し前からここで、バイトをしている。
時刻は夜の七時を過ぎたくらい。いつもならこの時間はもう少しお客さんが多いのだけど、今日は少なめ。その理由はやっぱり、天気のせいかな。
昼ごろから曇り始めた空は、夕方にはすっかり雨空になっていた。こんな天気ではちょっと食事をしていこうという気にはなりにくいのだろう。
八雲、洗濯物とり込んでくれたかな?
朝寝坊をし、八雲にお弁当と朝食の用意をさせてしまうという失態を犯してしまってから、今日で三日が経つ。
極力八雲の手は借りたくはなかったけれど、洗濯物がびしょ濡れになるのはよくない。あーあ、ちゃんと天気予報を見ておけばよかったなあ。
あれ以来私は朝寝坊してはいないけど、だからといって家のことをきちんとこなせているとは言い難かった。
実は、八雲がこっそりと家の掃除や洗濯をしている事を私は知っている。手伝わなくて良いと言われている手前表立っては動き難いようで、私が見ていないところでやっているみたいだけど、一緒に生活しているのだ。すぐにわかってしまう。
結局、八雲にも気を遣わせてばっかりかあ。
八雲はいつも私が帰ってくるまで、夕飯を食べずに待ってくれている。
せめて今日の夕飯は、八雲の好きなものにしよう。あんまり高いものはできないけど、少しくらいなら大丈夫。そんなことを考えながら仕事を続けた。
やがて時計は八時を指し、交代の時間となる。
「お疲れ様。皐月ちゃんも毎日大変だね」
店長がそう言って店長はコーヒーを一杯サービスしてくれて、私はありがたくそれを頂く。
中肉中背で濃い髭が特徴の、どこか愛嬌のある店長は、その見た目通りとても気さくな人で、面接の時家の事情を聴いた店長は私を即採用してくれた。それだけでなく、学校終わりでも働きやすいようにシフトを組んでくれている。
ちなみにこの店の名前である『ペリカン』は、店長が子供のころになぜか好きだったので、店を開いた際に名前にしたそうだ。
「仕事ばかりじゃ大変だろう。今度弟さんも連れて、食べにくると良いよ。安くしておくよ」
店長の言葉に、それも良いななんて思いながら、ロッカールームへと向かう。
さて、雨が降っているけど途中で買い物して行くべきかどうか。そんな事を考えながらポケットからケータイを取り出すと、珍しく着信履歴があった。
バイトで帰りが遅くなることが多いから連絡が取れるようにと、今月の頭に買ったはいいけど、登録されている番号は未だに八雲と原田さんとペリカンだけで、実際電話したこともされたこともほとんどなかった。
ちなみにスマホではなくガラケーを使っているけど、これは少しでも料金を抑えるためだ。スマホにしたところで専用アプリやゲームをやるわけではないからガラケーで十分だ。まあそれはさておき。
ケータイを開くと、原田さんからの着信履歴が二件あった。
何かあったのかな?
原田さんはたまに私達がしっかりやっているか様子を見に来ることはあったけど、バイトの時間に電話を掛けてくることは無かった。なのに二回も掛けてくるだなんて。
妙な胸騒ぎを覚えながら、折り返し電話をかけた。3回コールが鳴った後、原田さんの声が聞こえてきた。
「皐月ちゃん、今どこ?」
「ペリカンにいます。今バイトが終わったところです」
「そうなの? 私今外に出ていて、途中で学校帰りの八雲君を見かけたんだけど、なんだか様子がおかしかったから電話してみたの」
「八雲が!? おかしいって、どんな風にですか?」
思いがけない言葉に驚き、返す口調もつい強いものになってしまう。
「なんだか足元がおぼつかない感じで、顔が火照っているようだったの。大丈夫かって聞いたんだけど、家で休めば平気ですって言って。バスの時間があるから部屋まで送れなかったのだけど、やっぱり心配になって電話してみたの。でも八雲君電話に出ないから、皐月ちゃんに電話してみたのだけど」
もしかして八雲、体調が悪いの? それなのに、こんな時間まで一人にしてしまっていたなんて……。
「八雲に会ったのって、何時ごろですか?」
「四時前くらい」
時計を見ると八時十分を回ったところだ。原田さんは二回も電話をくれていたというのに、私は仕事中ケータイをロッカーに入れていたのでそれに気付けなかった。
「すぐに帰ります!」
そう言って即座に電話を切る。その後すぐに八雲に電話してみたけれど、繋がらなかった。
八雲、どうして出ないの?
もしかして倒れていて出られないんじゃ。再び電話を切った私は、急いでロッカールームを飛び出した。
「皐月ちゃん、雨降ってるから、傘持って行くと良いよ」
店長が親切にそう言ってくれたのが聞こえたけど、それどころじゃ無かった。
私は大慌てで、雨の降る町の中を、全力で走って行くのだった。
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