プロローグ 5

 隣に越してきたという男子から荷物を受け取った私は、彼を見送った後部屋の中へと戻って行く。


 無事に見つかって良かった。この忙しいのに、わざわざ業者に連絡して探すのも面倒だ。すると部屋の中から玄関の様子を窺っていた八雲が奥から顔を覗かせた。


「姉さん怪我。絆創膏貼らなきゃ」

「絆創膏かあ、どの段ボールにしまったっけ。けど大した怪我じゃないから、放っておいても良いよ」

「そう言う訳にはいかないよ。ちょっと待ってて。それから、荷物も置いて。そんなもの持ってたら余計に血が出るよ。手を心臓よりも上に持っていって」


 てきぱきと指示を出した後、私がどこにしまったか忘れていた絆創膏をすぐに見つけて、持ってくる八雲。

 そうして手当てをしていると、ふと思い出したように聞いてきた。


「そう言えばさっきのお兄さん、吸血鬼なんだよね」

「なんだ、話聞いてたの。そうらしいわね。八雲の小学校にはいなかったの、吸血鬼?」

「何人かは居たみたいだけど、話したことは無かった。だから、ちょっと珍しいかも」

「珍しがるのは良いけど、あんまり吸血鬼だって言って騒いじゃ駄目よ」


 そう言って注意はしたけど、それくらいは八雲も分かっているだろう。この子は興味本位で失礼な事をしたりはしないから、本当にただ珍しいと思っただけなのだろう。


 吸血鬼。それは人間の生き血を吸い、人間以上の身体能力を持ち、空を飛べるとも言いわれていた空想上の怪物だった。けれど、そう思われていたのは少し前のお話。

 私の生まれる何年か前、吸血鬼はおとぎ話の中の怪物ではなく、現実に存在する人間の一種だと言う事が世界的に発表されたのだ。


 政府や各国のお偉いさん達はもっと前からこの事を知っていたらしく、ある年の首脳会議で吸血鬼の存在を公に認め、共存していこうという話が、一般人の知らぬ間に決まったらしい。

 会議からしばらくした後のある日、テレビカメラの前に立つ日本の政治家たちは吸血鬼が実在することを公表し、時を同じくして世界各国では同様の発表があったそうだ。

 彼らいわく、吸血鬼は中々の数が存在していて、ありふれた学校や会社の中にも一人や二人は吸血鬼がいてもおかしくないそうだ。そしてその多くは自らが吸血鬼であるという事を隠して社会で暮らしていたという。


 最初このニュースが報じられてた時は多くの人が本気にしなかったそうだけど、やがてメディアに吸血鬼を名乗る人が現れ始め、百メートルを10秒代で走るのは当たり前。自らの手をナイフで傷つけ、その傷が瞬時に治っていく様を見せつけているうちに、人々は次第にその存在を認めていった。


 彼らの最も大きな特徴であり、名前にもなっている『吸血』についても、もちろんテレビで報じられた。

 とはいっても、死ぬまで血を吸われるというわけではない。少し傷をつけた血が流れる手に吸血鬼が口をつけ、少し血を吸わせてもらうといった内容だったそうだ。(ちなみに現在はテレビで血を見せるのはご法度となっているから、このような映像は放送されていない)


 随分少ないじゃないかと思うだろうけど、実際これで良いらしい。そもそも吸血鬼が血を吸う目的は血に含まれる『魔力』を吸うためだという。

 あ、断じて中二病発言じゃないから。ちゃんと公に認められている事実だから。とにかくその魔力を得るためには、献血の半分か、それ以下の量で十分らしい。


 吸血鬼の高い身体能力や傷を修復させるという人間離れした能力を発揮するにはこの魔力が必要となり、多くの魔力があれば常識外れの術を使うことも可能だと言う。

 こうして吸血鬼に関する新事実が連日報道されるも、伝承に残る悪いイメージからか、アンチ吸血鬼も現れ、大きな社会問題となった。


 それでも社会は徐々に吸血鬼を受け入れ、吸血鬼に関する法律が整備され、吸血鬼用の献血を行う団体が現れ、吸血鬼が犯罪を起こした時にはこれに対処する警察の部署、『対吸血鬼課』なんてものも作られた。

 こうした努力の甲斐あって今では完全にとはいかないまでも、吸血鬼は恐れられるわけでも迫害されるわけでもない、確かな地位を勝ち取ることができた。


 とまあ、これらは全て私の生まれる前に起きた出来事で、私自身は生まれた時から吸血鬼は実在するものなんだって教えられてきたから、吸血鬼に偏見も無ければさして特別なものだとも思っていない。

 幼稚園の頃同い年の吸血鬼の子がいたけど、別に怖くも何ともなかった。悪ふざけでその子のことをからかってくる男子はいたけど、私がぶん殴ってその子に感謝されたこともある。他の子と変わらない普通の子だった。

 だからお隣に住んでいるのが吸血鬼でも特に気にはならない。それは八雲も同じようで、最初の日以来彼が吸血鬼という事については話題に上がることは無かった。


「お隣のお兄さんから、引っ越し蕎麦を貰ったよ」


 私が買い物に行っている間にウチに来て置いて行ったという蕎麦を片手に、もう吸血鬼の事は忘れたように話す八雲。私も何かお返しをした方が良いかなと、吸血鬼とは全く関係の無い事を考える。

 当の吸血鬼君は正体が見抜かれて驚いた顔をしたけど、気にしすぎだよ。例え普通の人間でも吸血鬼でも、正直興味は無い。


 彼とはそれから外に出た時に何回か顔を合わせることがあったけど、互いに会釈するくらいで特に接点もなかった。ただ一度、原田さんと話している時に話題に上ったことはある。


「あの子、基山太陽君も今年から高校生だから学校に近いアパートを探したそうだけど、吸血鬼お断りってアパートがまだあったらしいわよ」


 まだそんなことを気にする人がいるのかと、正直驚いた。そして原田さんの話で、あの子が吸血鬼だという確かな証言を得た。まあ、どうでもいいんだけどね。

 原田さんは相手が吸血鬼だからといって部屋を貸すのに嫌な顔をするような人ではなかった。そう言えば母が生前よく私と八雲にこう言っていた。


『誰かと仲良くしたいと思ったら、風評や肩書に惑わされずしっかりとその人を見なさい。しっかり向き合わないと、その人がどんな人かなんてちゃんとはわからないから』


 そんな母の学生時代からの親友というだけはある。原田さんにとっても吸血鬼なんて肩書はあってないようなものだ。


「ちなみにあの子も今年から、皐月ちゃんと同じ弧ヶ原学園の一年生だそうだから」


 という事は、四月からは同級生か。

 だけど相変わらず、接点は無くて、そうしているうちに短い春休みはあっという間に過ぎ、八雲は近くの小学校へ編入。そして私は弧ヶ原学園へと無事入学を果たしたのだった。

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