第13話 モルモット
そこは一見、病院の談話室のようだった。
テーブルや椅子がいくつも並んでおり、そこで病衣を着た者達がそれぞれ思い思いの時間を過ごしている。
天井から吊り下げられたテレビからは穏やかな自然番組の映像が流れており、一見すると何の変哲もない光景だった。
だが、そこは普通の病院では無いのだろう。
窓には鉄格子が付いていて、他の階への入り口にも金属製の二重ドアがあり、自由に移動が出来ないようになっている。
精神病院。
一応、そういう名目の場所だった。
あくまで一応、だ。
実際は、この島の中で行われる非人道的な実験に使うモルモット達を閉じ込めておく、牢獄だ。
モルモット達がここに来た経緯は様々だ。
本来の名目通り病気が原因でここに入った者。
別な実験に使われたのだが、一部壊れてしまっただけでまだ使い道があるからとここに保管されている者。
裏の世界で問題を起こして処分される事になったが、ただ殺してしまうよりは何かに使った方が得だと連れてこられた者。
等々、だ。
だが、理由はどうであれ一度来てしまえば皆平等だ。
使い捨ての実験動物として、殺される。
救いは無い。
ここで暮らす者達は、確定した死を待つだけの死刑囚のような気持ちで日々を過ごす。
まともな神経を持っている者ならば、そんな境遇に怯え、暴れる。
そういう者は個室に拘束され、一切の自由無く自分の最期の日を待つ事になる。
つまり、今椅子に座ってくつろいでいる者達は、そういう恐怖心が無い者か、暴れる以前にそもそもとして自分の境遇を理解していない、理解出来ないような者達だ。
「…………んむ」
モルモットの中には高校生位の少女もいた。
ぼけーっとした魂が抜けたような顔をした少女だった。
肩にかかる位の髪が、ぼっさぼさに乱れている。
目も寝ているんだか起きているんだかわからない程度の半端にしか開いていない。
顔のつくりは整っているのに、女性としての魅力を全く感じない少女だった。
テーブルの上には何故か沢山の落雁が乗っており、椅子に座りながらそれを手に取ると無表情のままパキパキと音を立てて食べている。
顔を見ても落雁が好きなんだか嫌いなんだか、美味しいと思っているのか不味いと思っているのかさっぱりわからない。
「それでね、私知ってるのよ」
そんな少女の横には中年女性が座っていて、一生懸命何やら喋りかけていた。
「あの見張りの浜田いるでしょ? あいつね? あの……うふふっ、あの、あの山伏とよ? あのっ、山伏とっ、付き合ってるのよっ」
「はぁ」
「ねぇ、凄いわよねぇ? わからないものよねぇ。うふふふ」
「そうですね」
返事はしているがいかにも興味無さそうで、視線すら合わせていない。
「あと、」
「はい」
だが中年女性はそれでもいいらしい。
気にせず楽しそうに話を続けている。
彼女の話を少女が聞き流すのは当然だ。
何故ならこの話題、全く同じ内容が何度も語られていて、もう聞き飽きているのだ。
最初にこの話を聞いてから、もう一月は経っている。
その間毎日語られているのだ。
「やぁめぇてぇよぉ」
中年女性のつまらない話を耳障りなBGMとして垂れ流させていると、どこからか泣きそうな女性の声が聞こえた。
少女がそちらの方を見ると、二十歳そこそこの女性が男性職員をバシバシと手で叩いている。
テーブルの上にはトランプが散らばっていた。
少女は彼女の事を知っていた。
彼女はトランプタワーを作る事を趣味とする女性だった。
どうやら作っていたタワーを男性職員に壊され、怒っているらしい。
「やぁめぇてぇ、やぁめぇてぇよぉ」
年齢にそぐわず、怒り方、言い方がまるで子供のようだった。
「おいおい、暴力はよくないなぁ」
トランプタワーを壊したのはわざとだったのだろう。
男性職員はにやけ顔だった。
「こっちに来い、お仕置きだ」
そう言って女性の腕を持って無理矢理立たせると、奥へと連れていく。
これはいつもの事だった。
あまり深く物事を考えられない女性を狙い、ちょっかいを出して怒らせる。
そして怒った女性の態度に難癖をつけて人目のつかない場所へと連れて行き、仕置きと称して体を弄ぶのだ。
「やぁだぁ、やめてぇ、やめてぇ」
目に涙を浮かべて嫌がっている女性の姿を見て、男性職員が嗜虐的な笑みを浮かべる。
途中、ナースステーションにいる女性職員に、財布から出した札を一枚渡した。
口止め料という事らしい。
女性職員は口角を上げてそれを受け取ると、何事も無かったように雑誌を開いて読み始めた。
「あと、これ知ってるかしら? この間の夕飯に出てたアスパラガスあるでしょ?」
「はい」
女性職員だけではない。
連れていかれた彼女に対して、この場にいる誰もが何もしなかった。
少女も一連を目で追っていたが、男性職員と女性の姿が見えなくなると、テーブルの上の落雁に視線を戻す。
こういう事は日常茶飯事で、今更反応するような事でも無いのだ。
落雁をもう一個食べようと手を伸ばすと、バンッ、という大きな音が聞こえた。
「頂戴って言ってるじゃない! 頂戴よ!」
「うぅ……うぅうううーーーー!」
またも何か揉め事らしい。
今度は病衣を着た者同士だ。
一人がビニール袋に入った赤い錠剤を守るように抱え、もう一人はそれを寄越せとテーブルを叩く。
「あら? 赤えんどう? ……赤えんどう!? ちょっと! それ、赤えんどうじゃないの!」
少女に同じ話を延々と語り続けていた中年女性が、赤い錠剤を見た瞬間話を止めて嬉しそうな顔で立ち上がった。
「それ、それ誰から貰ったの!? 頂戴! 頂戴よ!」
そしてテーブルを叩いている者同様、頂戴頂戴と言いながら奪い取りに行く。
「赤えんどう?」
「欲しい! 赤えんどう欲しい!」
更に、赤えんどうという単語を聞いた者達が興奮した表情で続々と後に続いていく。
「こら! あなた達! 止めなさい! 落ち着きなさい!」
騒ぎを見たナースステーション内の女性職員が慌てた声を出すが、誰も聞かない。
「何なのよ!」
すると彼女は病院には似つかわしくないごついトランシーバーを手に取り、怒鳴った。
「浜田さん! 早く戻って! 患者が暴れてる!」
そうやって人を呼んだ後、止めなさいと口では言い続けるが、叫ぶだけでナースステーションからは一歩も出てこなかった。
自分が取り押さえに向かうつもりは無いらしい。
「うあぁ! がぁ! ああ! あぅああああ!!!!」
その間に薬を持っていた者は沢山の手に掴まれ、床に押し倒されていた。
「寄越せ! 寄越せ! 手放せ!」
「早くぅ! 早くぅぅうううう!!!!」
皆興奮しているのだろう。
だが、それにしたって様子がおかしい。
「離せ! 手を離せ!」
「寄越せ! 寄越せ! 早く! 早く!」
薬を持った者の腕に拳が何度も叩きつけられる。
「ぎゃあああああああああ!」
叩かれた腕の骨が折れて砕け、苦痛に悲鳴を上げた。
流石に薬を手放すが、責め苦は続く。
止まらない。
内出血して赤黒く色が変わったそこを延々殴り続けられる。
他の者も興奮した表情で暴力を振るう。
腹を何度も強く踏み、頭を床に叩きつけ、足を関節とは逆方向に曲げる。
「ひぃ、ひぃぃいいいいいい!」
その様子を見たナースステーション内の女性職員が恐怖に満ちた悲鳴を上げ、内線でどこかに連絡をした。
「えんどう! 赤えんどう!」
「欲しい! それ欲しい!」
「えんどうえんどうえんどうえんどう!!!!!!」
赤い薬を奪った者はそれを持って逃げようとするが、他の者達に追われすぐに捕まえられ、押し倒され。
最初に赤い薬を持っていた者と同じ運命を辿る。
そして、いつしか暴力の輪は無差別に広がり、薬を持っている持っていない関係なしに殴り合いが始まる。
「やぁめぇてぇ……やぁめてよぉ……」
すると、奥の部屋から先ほどトランプタワーを壊され、泣いていた女性が歩いてきた。
服は乱れ、手には……。
千切り取られた男性器が握られていた。
「やめて! 来ないでよ!」
ナースステーション内にも飛び込む者達がいた。
女性職員に襲い掛かり、激しい暴力を振るう。
指で眼球を抉り取られ、あごを外され、首を百八十度回転させられていた。
「………………」
少女はその光景を見ながら落ち着いた表情で落雁を手に取ると。
パキリ、と一口噛んだ。
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