第09話 複眼

「じゃあ、明日の予定はこんな感じで……。今いない人には同じ部屋の人が教えてあげてね」 


 克也の言葉にオカルト研究部の三人がはいと返事をする。


「はーい、じゃ、これで解散という事で」


 匠がパンと手を叩く。


「では私は女子部屋に戻りますね」

「俺はどうしようかな。俺も風呂入ってこようかな。石谷先輩はどうします?」

「俺? 俺は後でいいや」

「あ、じゃあ僕行こうかな……」

「本当ですか? じゃあ椰子先生一緒に行きましょう。俺、背中流しますよ」

「いや、僕はそういうの別に……」


 ここは男子生徒部屋だったので早矢と克也が部屋を出る為ドアに向かい、岳はお風呂に行く準備をしようと自分の荷物を漁りだす。


「では、また明日」

「大浴場で合流って事でいいかな……。また後で」


 早矢が頭を下げ、克也が軽く手を上げてからドアを開ける。


「これは……」

「凄い……」


 そこで二人が驚いたように目を見開いた。

 廊下に出ると、窓から外の風景が見えた。

 部屋では広縁の障子を閉めていたので気が付かなかったが、窓の外は霧に包まれていた。

 それは、とても、とても濃い霧。

 早矢が窓に近寄り目を凝らすが、何も見えない。


「これ、明日大丈夫でしょうか」

「台風とかじゃなくて霧だし大丈夫だと思うけど……」




 ガシャアーーーーン!




 その時、ガラスの割れる音が廊下に響き渡った。


「きゃあ!」

「おわわわ!?」


 早矢と克也が悲鳴を上げる。

 その音が聞こえたのだろう、すぐに岳と匠も廊下に出てきた。


「今の音何すか!?」

「ガラスの割れる音だったね」


 他の部屋からも何事かと人が出てきた。


「い、今の音、何なの?」


 早矢が窓の前で不安そうに手を組み、歩き出した瞬間。


「危ない!」

「えっ?」


 岳が思い切り早矢の事を突き飛ばした。

 そして突き飛ばすのとほぼ同時に窓ガラスが割れ、早矢が立っていた場所を大きな何かが通り過ぎ、窓と反対側の壁にぶつかった。

 

「ったく、危ないのはどっちだよ」


 岳を抱えて床に倒れ込んでいる匠。


「す、すみません」


 岳が早矢を突き飛ばした後、匠がその岳を抱えて後ろに倒れ込んだのだ。

 もし岳がそのままそこにいたならば、彼は窓ガラスを割って飛び込んできた何かに当たり、怪我をしていただろう。


「な、なな、何だこれ!?」

「きゃああああああ!」


 廊下にいた人々が悲鳴を上げた。

 その何か、が何なのかを認識して。


「虫……?」


 誰かが言った。

 窓ガラスを割って旅館の廊下に現れたのは、巨大な虫だった。

 八本の足が生えた、羽の生えた虫だ。

 全長が一メートル半位ある事と足の本数を除けば、ぱっと見はハエに見える。

 だが、口の形がハエのそれとは違う。

 舐めとる為ではなく噛み千切る為のあご。

 肉食昆虫の物だった。

 ハエが羽を動かすと、ブブ、ブブブブ、と大きな羽音が鳴る。


「おい、どけ!」


 すると、少し赤ら顔の体格のいい中年男性が廊下にあった消火器を持ってそのハエに近付いていった。

 酔っているようだった。


「何だこの気持ち悪ぃのは! 死ね! 化け物!」


 ハエの後ろに立った中年男性が、持っている消火器をその腹に向かって思い切り叩きつける。




 ガキンッ!




「んな!?」


 だが、通用しない。

 ハエの腹を叩くと、金属を叩いた時のような音が鳴った。

 ハエの腹には傷一つ付いていない。

 その外殻はとても堅いらしい。


「ヒッ!」


 腹を叩かれたハエはすぐさま後ろへ振り向き、自分に危害を与えようとした中年男性に襲い掛かった。


「うわぁぁああああ!」


 ジャンプをするように小さく飛ぶと中年男性の胸元にしがみつき、その肉食昆虫のようなあごでかじりつく。


「ぎゃああああああああああああ!!!!」


 胸の肉がひと噛みで食い千切られ、血に濡れた白い胸骨が露出した。


「ギッ、ヒッ! 助、だずげっ、」


 更に、ハエがその傷口に向かって口から半透明の液体をブシュッ、と勢いよく噴出する。


「ギャッ!? え、げぇぇええええ!!!!!!」


 すると、液体のかかった箇所が火であぶられたセルロイドの人形のようにどろどろと溶け始めた。

 骨も肉も溶けて粘状の液体と化し、血液と混ざり合っていく。

 中年男性は液体をかけられた時に大きな悲鳴を上げた後、すぐに死んでしまったようだ。

 苦悶の表情を浮かべたまま虚ろな目をして動かなくなっている。

 ハエは無抵抗になった中年男性の上で百八十度体の向きを変えると、胸に空いた穴に尻をゆっくりと差し込んだ。

 そして体を固定させるように爪の先を中年男性の体に深く突き刺すと、腹部を大きく震わせた。

 何をしているのか、見ていた者にはすぐにわかった。

 子供を産んでいるのだ。

 それも、卵ではなく幼虫を直接体の中に産み落としていた。

 うじ虫だ。

 一匹一匹がネズミ位の大きさの、とても大きなうじ虫だった。

 ズルン、ズルン、と一匹ずつ、何匹も産み落とされていく。

 産まれ落ちたうじ虫は、すぐに食事を始めた。

 親が中年男性を溶かして作ってくれた、血肉のスープをすするのだ。

 どうやらこのうじ虫は、ハエが口から出した液体に浸っても溶けないらしい。

 この一連の様子を見ていた旅館の客達が、顔色を真っ青にする。

 殺された彼には悪いが、最悪な死に方だった。

 あごで肉を食い千切られ、体液で溶かされ、最後にはその死体をうじ虫の餌にされる。

 そんな目にはあいたくないと、皆が逃げ出そうとした時。

 窓ガラスが次々に割れ、沢山のハエ達が旅館の中に入り込んできた。


「きゃああああああああああ!!!!」

「うわぁぁぁぁああああああああ!!!!」


 悲鳴と共に人々が逃げ惑う。

 だが、ここは旅館の狭い廊下だ。

 逃げ回るスペースは無く襲われていく。

 ハエ達は、自分達の餌として、産まれる子供達の餌として、人を殺害していく。

 抵抗しようとする者もいるが、消火器で叩いてもビクともしなかった頑丈な体

だ。

 無意味だった。


「…………」


 早矢がスマホを取り出して画面を見ると、困り顔になる。

 ハエの様子を見ながら旅館の鍵を取り出すと、自分が宿泊する女子部屋に入っていった。


「市川さん!?」


 岳が驚いた顔で後を追おうとすると、匠に肩を掴まれた。


「がっくん、俺達も部屋に隠れるよ」


 克也が部屋のドアを開けて待っていた。


「ほら」

「は、はい、わかりまし――あ」


 だが、部屋に入ろうとしたところで岳の動きが止まる。

 女子部屋の中に入った筈の早矢がすぐにドアを開けて出てきたのだ。


「市川さん! こっち! 早く!」

「市川ちゃん?」


 匠も彼女が女子部屋に隠れたのだと思っていたらしく、驚いていた。


「市川さん! 早く中に!」


 だが、彼女は彼の横をすり抜け廊下を走る。


「市川さん!?」

「すみません!」


 謝罪の声。


「丘野君のところに行きます!」


 それだけ言うと、人を襲っている途中のハエと、ハエに襲われている人をまとめてジャンプして飛び越え、一度も振り向かずにそのまま走り去ってしまった。


「…………」

「おい、がっくん!?」


 すると、それを見ていた岳も彼女と同じように廊下を駆け出す。


「おい! 待て!」

「すいません! 俺も兄ちゃんのとこ行きます!」

「おい! お前までふざけんな! がっくん! おい岳!」


 匠が呼ぶが、早矢同様振り向かない。


「石谷君、一旦中へ」


 克也に言われ、匠が仕方なく男子生徒部屋へと入り、鍵を閉める。

 部屋の中は電気が消してあり、暗かった。


「何してんだよあいつら……!」


 早矢は手に旅館の地図を持っていた。

 女子部屋に入ったのは地図を取る為と、走りやすいように旅館のスリッパから自分の靴に履き替える為だったのだろう。

 

「クソ!」


 匠が苛立たしげに壁を殴ろうとして、そんな事をしている場合じゃないと気を取り直すと、克也の顔を見る。


「椰子先生」

「うん、わかってるよ」

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