第06話 殺戮連鎖
惨劇は様々な場所で起きており、住宅街でも人々が悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
「たす、助けで、ぎ、ぎゃぁぁぁぁああああああああ!!!!」
中年女性が太い声で悲鳴を上げ、姿を消す。
地面に穴が空いており、そこから猫の尾のような茶色い毛の生えた触手が何本も伸びてきていて、うねうねと動いていた。
中年女性はこの触手に絡み取られ、穴の中へと連れていかれたのだ。
「お、おぉ……すげ、すっげぇこれ。うわぁ……マジかよ」
その様子をスマホでムービー撮影していた少年が、興奮した表情で辺りを見回す。
「やーべ、これ売れるだろ。あはは、やべっ、やっべ」
異変に気付いて外に出た少年は、スマホを手にあちこち走り回り、沢山の人の死を撮影していた。
ある時はムービーで、ある時は写真で。
探すまでも無く適当にうろついていればいくらでもチャンスに出会えた。
「あはははは! マジですげぇ!」
浮かれながらスマホを構えて周囲を撮影する少年。
「あはははは、はは……あ?」
だが、少し考えれば誰にでもわかる事が彼にはわかっていなかった。
「何だこいつ……猿? チンパンジーか?」
人が殺されるような危険な状況であれば、自分が殺される可能性だってある。
何故その当たり前の考えに至らないのか。
危険の中無防備に歩くのか。
自分だけは大丈夫とでも思っているのか。
「ゥゥー……ゥォー…………」
「おい、こっち来んなよ」
少年の前に、チンパンジーがいた。
少年はテレビや本でしかチンパンジーを見た事が無かったので気付かなかったが、そのチンパンジーは普通の物よりも一回り程体が大きかった。
「フォー……、ウゥー……」
チンパンジーが少しずつ近付いてくる。
「だから来んなっての。おい!」
少年が声を荒げた瞬間だった。
「キィィイイイイイイイイイイアアアアアアッ!」
チンパンジーが歯を見せながら大声で鳴き、飛び掛かってきた。
「ひ、ひぃっ!」
思わず手で顔を守る。
「ぎゃっ!」
だが、それでは何の意味も無い。
上半身にしがみつかれ、そのまま押し倒された。
「ぎ、ゃああああああああ!!!!!!」
チンパンジーは少年の腕を掴むと手に噛みついた。
強靭な顎は肉を骨ごと噛み千切る。
親指人差し指中指と、三本の指が根元から無くなった。
「あぁ! あ、ああああああああああああああ!!!!!!!!」
更に、捕まれた腕は握力だけでバキバキと骨が折られ、ぐにゃぐにゃと曲がる。
「いだ、離ぜ! やべっ、やべろ、ってぇ! いだ、いだいぃぃいいいいい!!!!!!」
「フォォオオオオ! フォ! フォ!」
血に濡れた口元で、チンパンジーが雄叫びを上げた。
「フォア!」
「キィ! キィ!」
「キァ! キァ! キァ!」
すると、その雄叫びに呼応する鳴き声があちこちから聞こえた。
「ひ、ひぃぃいいいい!?」
少年が怯える。
どこに隠れていたのか、仲間のチンパンジー達が次々と集まってきたのだ。
「やめ、やめで、来ないで! ギャァァァァアアアアアアアアアア!!!!」
集まってきたチンパンジー達は、一斉に彼の四肢に飛び掛かる。
そして、掴んだそばからその部位を腕力だけで引き千切っていった。
「ぎぇぇええええええ!」
両手足が無くなりだるまのようになった少年の顔を、チンパンジーがわし掴みにする。
「ギゥゥゥゥッ!」
すると、顔の肉と骨が粘土で作った人形のように容易く潰れ、形を変えた。
「ぅゆ、うう! うぶぶ、うぅ……」
呻く少年の体にチンパンジーが噛みつき、噛み千切って出来た穴に指を突っ込むと、そのまま肉を引き裂く。
「ううううぅぅ! うぅ……ぅ……」
内臓を引きずり出され、大量に出血し、少年の動きが次第に鈍くなっていくと、うめき声も小さくなっていく。
チンパンジー達はその事に頓着せず、解体を進める。
少年が押し倒されてからものの数分もしないうちに、全身が持ち運びできるサイズにまで小さく分けられた。
解体は全てチンパンジーの歯と素手のみで行われた。
非力な人間とは違い、彼らに道具は必要無かった。
「フォ、フォ!」
一匹が叫ぶと、チンパンジー達は元は少年だった肉塊を抱え、走り出した。
安全な場所に運んでからゆっくり食事をするという事だろうか。
「キィィィィイイイイイイイイ!!!!」
『!?』
だが、その途中で一匹が上げた大きな悲鳴を聞き、全員が立ち止まった。
「キィ! キィヤアアアア!」
チンパンジーが牛に踏みつけられていた。
正確に言うと、牛のような形をした、化け物に。
牛の全身の皮をはがし、頭を人間の物と挿げ替えたと言えば良いだろうか。
人間の顔の部分も皮がはがされている。
表情を見ると、皮膚が無い事に苦痛は感じていないらしい。
苦悶の表情を浮かべるどころか、むしろ楽しそうににやけていた。
「キャアッ、キャア! ギャア!」
体重をかけ、チンパンジーが苦しそうな声を上げる度に牛が嬉しそうな表情で首を揺らす。
踏まれているチンパンジーは口角から血の泡を吹いて苦しそうにしている。
その様子を見ていたチンパンジーの一匹が、声を上げた。
「フォォー……フォ!」
するとその一声を合図に、チンパンジー達が一斉にその場から移動を始めた。
助けたい気持ちはあるが、仲間を襲っているのは見た事の無い姿の不気味な生き物だ。
得体のしれない相手だ、何をしてくるかわからない。
下手に助けに入る事で集団全体が危険にさらされる事を恐れ、彼らは仲間を見捨てて逃げる事にしたのだ。
牛のような姿の化け物は追ってこなかった。
逃げた者達への興味をあっさりと無くし、踏みつけにしている一匹をにやけた表情で嬲り続けた。
一方、他のチンパンジー達は移動を続ける。
途中危険な存在を察知すると方向を変え、襲われそうになると手に持った肉を投げて気を逸らす。
ここには人間というか弱い割に体の大きいお得な獲物が沢山いるので、惜しむ必要は無い。
減ってしまった肉はすぐにまた補充出来る。
「キッ、キッ」
そして、またも新しい餌を見つけた。
群れからはぐれ、一人で歩いている雌の人間だ。
チンパンジー達にはわからないが、その人間はレインコートを着ていた。
透明なレインコートだ。
そして、その下に高校の制服を着ている。
……だが、今は雨なんて降っていない。
それに、こんな状況こんな時間に女子高生が制服姿でうろうろしているのも不自然だ。
普通の人間ならば不審に思い、近寄らない。
だが、彼らにはそれがわからなかった。
一番狩りの上手い者が手に持った肉を捨て、駆ける。
気付かれないように接近すると、無防備な背中に飛びかかった。
「ギェア!?」
気付かれていた。
その人間はいつの間にか後ろを向いていた。
いつ振り向いたのか、全く見えなかった。
人間はチンパンジーの腹を片手で掴むと、その体を高く持ち上げる。
「ギャァァアア! ギャ、ギャッ!」
チンパンジーが苦悶の声を上げた。
腹を掴む指がチンパンジーの腹肉を突き破り、そこから血が溢れ出していた。
人間の顔を見て、チンパンジーもその異常性にやっと気付いた。
顔に、紙が張り付けてあった。
笑顔を浮かべた人間の顔がプリントされた紙だ。
それが顔にたこ糸で乱雑に縛り付けられていた。
目の所に空いた穴からギラギラと見開かれた瞳が覗いている。
「ギャイイ! ギャ! ギャイ!」
それと目が合ってしまったチンパンジーが恐怖にもがき、人間の腕を掴んでへし折ろうとする。
だが、そのか細い腕は何故か折れない。
全力で力を込めてもビクともしない。
ならばと爪で引っ掻くが、柔らかな肌は傷一つ付かない。
触った感触は他の人間と変わらないのに、何かが違う。
何かがおかしい。
「フゥア! フォア!」
「キィ! キィ! キャ! キャア!」
「ゥゥゥゥ、ゥオ! ウォ! ウォ!」
仲間達が周りを取り囲んで人間を威嚇する。
だが、近寄れない。
足が竦むのだ。
人間が手で持ち上げている一匹から周囲にいる者達に視線を移すと、持っているチンパンジーを壁に向かって無造作に投げつけた。
ドバンッ! という大きな破裂音がした。
あまりの速度に、飛んでいく姿は一切見えなかった。
チンパンジー達に見る事が出来たのは、結末だけだ。
叩きつけられた衝撃で皮膚が破裂し、血肉内蔵、中身が全て飛び出して、壁に飾られているオブジェのように血まみれの毛皮だけが平たくべったりと張り付いているという、仲間の変わり果てた姿だ。
広い範囲で飛び散った血液や肉片が、まるで壁一面に芸術品として描かれた絵画のようだった。
「フォォ……フォ!」
撤退の声。
こいつは自分達が餌とする人間ではない。
姿が似ているだけの、化け物だ。
そう悟った。
声を聞いて全員がすぐさま逃げだす。
幸い、化け物はチンパンジー達をその目でジッと見るだけで、追っては来なかった。
「キィ!?」
追ってきていなかった、筈だ。
だが何故か、真正面から顔を掴まれていた。
「キッ、キャア!」
先ほどの化け物とは別の個体かと思い、顔を掴まれた者とは別のチンパンジーが今まで化け物がいた場所を見ると、そこには何もいなかった。
やはり同一の個体なのだ。
この化け物は、望む場所に一瞬で移動する事が出来るのか。
「ギィッ――!」
化け物が顔を掴んだチンパンジーを地面に叩きつける。
尻から垂直に叩きつけられると、股下から頭部までが一瞬にして潰れ、赤黒い地面から手足だけが生えたようになった。
『キャアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!』
チンパンジー達が、恐怖の悲鳴を上げた。
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