第04話 日常の誘蛾灯

 いつもの見慣れた道を歩くのに、倍以上の時間がかかってしまっている。

 急ぎたいのは山々だが、危険と出くわさないように警戒し、もし何かに出くわしたとしても咄嗟の行動を取れるように気を付けながらだと、この速度が精一杯だった。

 

「会長」

「……先を急ぎましょう」

「……あぁ、そうだな」


 歩いている途中で何人もの人を見かけた。

 どの人も先程出会った二人のように、今の状況を知らないようだった。

 霧の中を歩くうちに、その理由が二人にもわかってきた。

 妙に静か過ぎたのだ。

 これだけの事が起きているにも関わらず。

 人通りがいつものように多いにも関わらず。

 それで気付いた。

 この霧は、ただ視界を遮るだけではなく音も吸収しているのだ。

 人の悲鳴も、異形の存在達の鳴き声も、全て。

 少し離れるとすぐに音は聞こえなくなる。

 そのせいで人々は危険に気付かないのだ。

 携帯の電波が無いのも惨劇の拡散に一役買っていた。

 危険に気付いてもそれを伝える術が無い。

 見知らぬ人が直接口で伝えたところで、どれだけの人がこんな非現実的な話を信じられるだろう。

 だから斗亜と桜の二人は、目を瞑る事にした。

 人助けよりもまず、自分達の身の安全を優先する事にしたのだ。

 一人一人に危険を知らせようとすれば、一体どれだけの時間がかかるのか。

 映画やドラマの主人公ならそんな選択はしないだろうが、二人はただの一般人だ。

 そんなに多くの事は出来ない。

 互いを守るだけで精一杯だ。


「あ」


 そんな時、斗亜がある物を見て歩く速度を落としてしまった。

 桜も同じように歩く速度を無意識に落としていた。

 二人の視界に入ったのは、コンビニエンスストアだ。

 その明かりが、とてつもない安心感を二人に与えた。

 わかっている。

 その中に入ったところで安全なんか無い事は。

 あの大きな蜘蛛のような化け物が他にもいるのなら、コンビニのガラスなんて簡単に破ってしまえるだろうし、中にいる人の姿が丸見えのこの場所は危険でしかない。

 二人がその光に視線を吸い寄せられたように、そういう者達だってきっとコンビニの明かりに気付き、集まってくる。

 ここは安全どころか危険しか無い。

 なのに。


「……あの、倉瀬君」

「何だ?」

「少し、その……寄っていきませんか?」

「…………」

「飲み物……とか、食べ物……とか。買っておきたいですし」

「………………そう、だな」


 二人が誘蛾灯におびき寄せられる虫のように、コンビニの中へと入って行く。

 自動ドアが開くと、ピロリロン、と日常の音が聞こえた。

 いつものコンビニの入店音だ。


「いらっしゃいませー」


 やる気の無い店員の声。

 いつも通りがそこにあった。


「「………………」」


 二人が黙り込む。

 後ろを振り向くと、濃い霧が。

 だがそこからは何も聞こえないし、何も見えない。

 前を見れば、コンビニの明るい店内。

 今がわからなくなりそうだった。

 起きた全ては夢や幻覚だったのではないかと。

 店内には暇そうな顔の若い男性店員が一人と、スマホを手に持ちながら雑誌を立ち読みする、制服を着た女子高校生が一人。

 二人共今町で起こっている恐怖に、全く気がついていない様子だった。


「会長、早く買い物を済ませよう」

「そうですね」


 無理にでも足を動かす。

 でなければいつまでもこの偽りの平穏の中から抜けられなくなりそうだった。

 緊急事態だというのはわかるが、この雰囲気の中で物を盗んだりする気にはなれない。

 二人はいつものようにカゴに商品を入れ、レジへと向かう。

 すると店員がいつものようにレジ打ちを始める。


「あ、あー……」

「はい?」

「いや……」


 斗亜が店員に何かを言おうとするが、途中で口ごもる。

 きっと自分で経験しないと今の異常性を理解出来ない。 

 言っても頭がおかしくなったと思われるだけだろう。


「……から揚げを一つ」

「はーい、から揚げを一つですねー」


 誤魔化してしまった。


「………………」

「まだ何か?」

「いや……」


 桜は斗亜の様子を横目で見ると、口を開いた。

 

「あの」

「はいっ」


 店員の声が少しだけ裏返った。

 桜の容姿を見て緊張したようだ。


「信じてもらえないかもしれませんが……」


 桜が今自分達が見てきた物を伝えた。

 馬鹿にされたり笑われたりはしなかったものの、やはり信じてはもらえなかった。

 店員の表情でわかる。

 伝えた事で義務は果たしたとそれ以上何も言わず、商品を受け取った。

 店を出る前に立ち読みをしていた女子高生にも同じように伝えたが、彼女も桜の話を信じず、ただ不審者を見る目で頷くだけだった。

 店を出た後、斗亜が桜に告げる。


「……すまん」

「何の事ですか?」

「その……決めたのに、教えようとしてしまった」

「いいじゃないですか。言葉を交わしてしまうとつい情が沸いてしまう。それは悪い事ではないと思いますよ。私達は人間ですから。きっとそういうものなんです。それより、ここは明るいので目立ちます。いつ襲われるかわかりません。用事が済んだら早く離れるべき場所です。行きましょう」


 桜が斗亜の手を握る。


「霧の中ではぐれたら大変です。手、離さないで下さいね」

「……おう」


 心の中で斗亜は思った。

 初めて会った時と今の彼女は、全然違うなと。

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