第02話 恐怖の始まり
夜の繁華街は活気があって騒がしかった。
様々な年代の、様々な服装の男女が行き交っている。
ある者は楽しそうな顔で、ある者は憂鬱そうな顔で。
それぞれが別な人生を送り、それぞれにドラマがあるのだろう。
そんな賑わいの中、ある一棟のビルを見上げると、各階ごとの居酒屋の看板が夜闇をギラギラと照らしていた。
ビルの入口は狭く、中に入ると明かりが不足していて薄暗い。
一階にはエレベーターと非常階段しか無かった。
ボタンを押してエレベーターを呼ぶと、せいぜい四人も乗ればいっぱいになるであろうその中に入り、何階にどんな店が入っているのかを確認してから三階を押す。
エレベーターが動き出す時の振動は大きく、止まる時もまた大きくガクンと揺れた。
目的の階で降りると、目の前に二軒の居酒屋があった。
片方は派手に安さを謳う、いかにもな感じのチェーンの居酒屋。
店の前にべたべたとポスターやポップが貼られ、派手な店構えだった。
もう片方は居酒屋だというのはわかるが、何が売りなのかわからない地味な感じのチェーンの居酒屋。
目的地である地味な方の居酒屋に向かうと、反応が少し鈍めの自動ドアがゆっくりと開いた。
他の階は一フロアに一軒ずつなのにここの階だけは店が二軒あるので、店内は少し狭い。
薄暗い店の中に足を踏み入れると、店員が客の存在にすぐさま気付き、笑顔を浮かべてやってきた。
「いらっしゃいま――っ!? …………せぇ」
店員がマニュアルの通りに威勢の良い声を上げかけたが、入ってきた客の姿を見てトーンダウンする。
「すみません、知人が先に来ている筈なのですが」
「………………」
「あの?」
「!? は、はい! 少々お待ちください!」
慌ててどこかへと走っていく店員。
だが、店員が動揺してしまったのも頷ける。
入ってきた客は、それ程までに美しい女性だった。
彼女の名前は、
純粋な日本人ではなく、父方の祖母がフィンランド人で母方の祖母がポーランド人の、ハーフの父とハーフの母を持つクォーターだった。
だから親は日本らしさにこだわったのか、名前は日本の国花から取られた物だ。
アジア人特有の幼さを感じる可愛らしさと、白人特有の大人びた雰囲気の美しさ。
その相反する特長がバランスよく彼女には受け継がれていた。
金髪に近い髪色も、そのアジア人とも白人とも違う美しい顔立ちにとてもよく似合っていた。
桜が長い髪をかきあげながら店内を見回す。
だがここからでは知人の姿は見えなかった。
待ち合わせ相手の名前や特徴を告げていなかったのだが、大丈夫だろうか。
そんな心配をしていると、店員が戻ってきた。
「お待たせしました、こちらです」
「はい」
店員に連れて行かれたのは奥の方にある席だった。
そこは二人がけのテーブルで、男性が一人座っていた。
男性は近寄ってきた桜に気付くと、目を大きく開いて緊張したようにパチパチと二度瞬きをし、浮かんでしまった頬の赤みを消すように一度小さく深呼吸をする。
その後、平静を取り繕うように目を細めると、何事も無かったように笑みを見せた。
彼の片頬には口角から頬の中ほどまで伸びるように一本の深い傷痕があるので、微笑むと少々口元が引きつる。
彼はいつもこうだった。
桜に会った瞬間だけ、こうして胸をときめかせた反応をする。
だが、この一瞬だけだ。
「よう、会長。思ったより遅かったな」
男性が気さくに手をあげる。
「突然呼び出しておいてその言いぐさですか」
「あはは、すまん」
こうして一度会話を交わせば、その後はずっと気の無い素振りをし続ける。
なので桜はいつもこの一瞬の為に髪をセットし化粧をし、服を選んでいるのだった。
「まぁ座れよ」
「勿論座りますよ」
店員に生ビールの大を頼んで、桜が席に着く。
男性の名前は、
桜と斗亜は同じ大学に通う大学二年生で、高校の頃からの知り合いだった。
だが二人が並ぶと、斗亜は良く言えば大人っぽく、悪く言えば老け顔なので、正直同年代には見えない。
斗亜の学校でのあだ名は、高校の頃から今までずっと、『おっさん』。
容姿だけではなくそのぶっきらぼうな喋り方と妙に枯れた雰囲気が、よりおっさん臭さを際立たせていた。
斗亜が桜の事をどうして会長と呼んでいるかと言うと、高校時代に桜が生徒会長をやっていたからだ。
その頃の呼び名が高校を卒業した今でも何となく続いてしまっている。
二人が仲良くなったのは、その時の生徒会活動が切っ掛けだ。
生徒会選挙で斗亜と桜は争い、桜が勝って会長に、負けた斗亜は立候補者のいなかった副会長となった。
斗亜は周りからやってみろと言われて渋々立候補しただけで、正直会長という立場に執着心は無かったし、選挙に負けたからと言って桜に対して特に思う物は無かった。
だが、生徒会活動が始まると斗亜の考えは変わった。
何て腹の立つ女なのかと、全力で桜の事を鬱陶しがった。
桜は不真面目でやる気が無さそうに見える斗亜の態度に苛立ち、一々突っかかってきたのだ。
斗亜は別に不真面目だったわけではない。
桜とはやり方が違うだけだ。
斗亜なりに真面目にやっている。
なのに不真面目だの何だのと言われれば腹が立つ。
だから仕返しというわけではないが、斗亜も桜に対して突っかかっていった。
桜の振りかざす人の気持ちを考えない暴力的な正論や融通の利かない性格に、我慢が出来なかったのだ。
彼女が何か言う度にその意見や考えに反対した。
その結果、二人は教師達から歴代最悪の仲の会長と副会長と呼ばれる程険悪な関係となった。
だが、それも最初の頃だけだ。
そうやって何度も本気で意見を交わす内に二人の考えは少しずつ変わっていき、いつしか仲が悪いどころか互いを誰よりも信頼するようになった。
その頃には抱くようになった気持ちに恋愛感情も含まれるようになっていたのだが、二人はあえてそれに気付かない振りをして、今でもその一歩を踏み出さずにいる。
「最初に言っておきますけど……」
「ん?」
斗亜が飲みかけのビールが入った中ジョッキを手に取り、口を付ける。
「私は今日の合コン、最初から行くつもりはありませんでしたよ」
「!?」
口に含む前でよかったと斗亜が思う。
含んだ後なら間違いなく吹いていた。
「な、何の話だ? 俺は別にそんな事気にしてなんか……」
「誘いは初めから断っていましたから。心配してこんな風にわざわざ無理に呼び出す必要は無かったという訳です」
「だ、だから何の事やら俺にはさっぱりわからんな」
言いながら斗亜が整髪料で立たせた短髪を軽く直す。
「お待たせしましたー生大でーす」
「それ私です。はい、ありがとうございます」
桜が店員から大ジョッキを両手で受け取る。
「では飲み物も来たので乾杯しましょうか」
「あ、あぁ」
「それでは、倉瀬君の嫉妬深さに」
「そんな物に乾杯するな」
「乾杯」
ガチン、とジョッキが鳴った。
飲んで、食べて。
二人は大分いい気分になっていた。
「会長はー……その、あれだ」
酔いで心のたがが緩み、斗亜がいつもならしない質問をする。
「何ですか?」
「あのー……だな。今ー……そのー……」
「…………」
「彼氏とかー……作る気はー……ある、のか?」
桜の口角がほんの少しだけ上がる。
「そうですね……どうでしょうか。どうしてそんな事を聞くんですか?」
「え? いやー……うん。…………いいや、すまん。何でもない」
「…………そうですか」
桜が露骨にガッカリした顔をした後、ジト目で抗議をするように睨みつける。
それを見た斗亜は申し訳なさそうな顔をしながら気まずそうに視線を逸らす。
そして間を持たせる為に何かをつまもうとしたがつまみがもう無い事に気付き、ならばと食べ終わっていたあさりの酒蒸しの皿を手に取り、その中に溜まったスープを飲む。
「え、それ飲むんですか?」
「飲むさ。これが一番美味いところだからな」
皿を置きながら、話題を変えるチャンスだと斗亜がテーブルの上を指さす。
「逆に俺も聞きたいよ、会長。つまみに麺とかご飯とか、炭水化物ばかりって少し重たくないか? 腹いっぱいになって酒飲めなくなるだろう」
「そうですか? からあげとか鉄板焼きとか、お肉の方が量食べるの辛くないですか?」
「あー……そこら辺は男と女の違いなのかもしれないな」
桜はこう見えて大食漢の大酒飲みだ。
口ではこう言っているが、桜が大勢での飲み会の時につまみが肉だろうが何だろうが最後まで食べ続けて飲み続けているのを斗亜は見ている。
だが、桜は太らない。
肌も綺麗で、どうしてこんなに好き放題食べて飲んで美しさを維持出来ているのかと皆は不思議に思っているが、斗亜はその理由を知っている。
単純に、彼女は食べた分の帳尻合わせを自分一人の時に行っているのだ。
飲み会などで食べ過ぎてしまったら、しばらくは摂取カロリーを減らし、運動をする。
当たり前の事を当たり前のようにしているだけだ。
だが、彼女はそういう努力を人前では見せないので誤解される。
別に隠しているわけではないので体型維持の秘訣を聞かれたら普通にダイエットをしていると答えるのだが、信じてもらえない。
何もしなくても常に美しさを維持し続ける事が出来る女性がいる、という幻想を信じたいのかもしれない。
男目線だとそういう女性と付き合いたいという理想から。
女目線だとそういう女性になりたいという憧れから。
そんな人間存在するわけがないのに。
「すみません、少し席を外します」
桜が席を立った。
「あぁ、はいはい」
トイレね、と心の中で思って斗亜が適当に頷く。
「飲み物頼んでおくよ。次は何にする?」
「そうですね……では、生絞りレモンサワーを」
「了解」
店員を呼び、注文をする。
「えーと、生絞りレモンサワー一つとー……いや。生絞りレモンサワー二つとー……あと、枝豆をお願いします」
注文した後、軟骨揚げの器に残るパセリをつまんで口に運ぶ。
「…………知ってたよ、合コンに行ってない事なんて」
小さな独り言。
斗亜は全て知った上で、桜を今日突然飲みに誘った。
このタイミングで呼び出せば斗亜が桜の事を心配したように見えて、桜は喜んでくれるだろうから。
それがわかっていて、自分達が互いをどう思っているかを十分に理解していて、それでも尚彼は桜に告白する事が出来なかった。
「倉瀬君」
「うおぉ!? か、会長!?」
いつの間にか、真後ろに桜が立っていた。
独り言が聞かれていたのではと焦る。
「あ、あれ? トイレは?」
「お店、出ますよ」
「は? 何でだ? 今生絞りレモンサワーを……」
「早く……!」
「え、あ、おいっ」
かなり強引に店の入り口にあるレジまで腕を引かれる。
「支払いはこれで、おつりはいりません」
「え、勿体ないだろ」
「いいですから!」
強い口調に驚いてしまい、何も言えなくなる。
店員も釣りはいらないだなんて言われても困るだろうが、突然大声を出した桜の剣幕に怯えてしまい斗亜同様何も言えず、店を出ていく二人をそのまま見送ってしまった。
店を出た桜はエレベーターではなく階段から下へとおりる。
「ちょ、ちょっとおい! 会長! 何なんだ一体!」
「………………」
「……会長?」
そこで斗亜がやっと気付いた。
桜の顔色が真っ青になっていた事に。
「トイレの……」
「トイレ?」
「トイレの天井の換気口に、人が引きずり込まれていくのが見えました」
「……は?」
「私が見た時にはもう、見えていたのは足だけで、沢山血が流れていました」
「…………はぁ」
桜が真剣な顔で言うが、斗亜は胡散臭そうな表情を浮かべている。
「あれが何だったのかはわかりませんが、嫌な予感がします。襲われるのは勿論、そうでなくてもパニックに巻き込まれる事を考えたらすぐにでも逃げた方がいいと思ったんです」
「…………会長」
「はい」
「酔っぱらってるのか?」
「……信じられないのはわかります。私だって妙な事を言っている自覚はあります」
信じてくれない斗亜に、桜は特に怒る素振りを見せない。
「ですが、それならそれでいいじゃないですか。酔った私の恥ずかしい失敗談として後で笑って下さい。なのでお願いします。今は私の奇行に付き合って下さい」
「……わかった」
斗亜が頷き、この場から離れることに同意する。
『きゃぁぁああああああああーーーーーーーー!!!!!!!!』
上階から女性の悲鳴が聞こえた。
「まさか今のが!?」
すぐその後に、沢山の足音と男女問わずの悲鳴や怒号が響く。
「急ぎましょう!」
「あぁ!」
二人が慌てて階段を下りる。
上で何かがあった。
それに巻き込まれる前にと大急ぎでビルを出ようとする。
「会長! 階段踏み外さないように注意しろよ!」
「大丈夫です! それより、出口です!」
何とか無事一階に着き、ビルを出た瞬間。
「「………………」」
二人は思わず立ち止まった。
「何ですか、これ……」
「霧……?」
視界一面の、霧。
四車線の車道を挟んで反対側の歩道を歩く人の姿がはっきりと視認できない。
人の影がぼんやりと見えるが、顔は勿論服装も把握出来ない。
それ程までに濃い霧が、いつの間にか町を覆い隠していた。
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