Fears Salad Bowl ~殺戮の島~

草田章

第01話 霧

 湿り気のあるベタついた空気。

 息を吸う度に肺が詰まる感じがする。

 辺りは濃い霧に包まれていた。

 昼間なのに薄暗く、もうすぐ夏なのに、気温は季節に比べて肌寒い。

 いつもなら人通りが多く騒がしい筈の街中なのだか、何故かとても静かだった。


「た……ひゅ、け……たしゅ……」


 そんな、何も見えず何も聞こえない街の中、救いを求める声を出す一人の青年がいた。


「い、だい……熱……ぃ、たひゅけ、て……」


 彼の全身は赤くただれ、溶けていた。

 何故かは本人にもわからない。

 彼自身こんな姿になるような事を何もしていないし、他人からも何もされていない。

 始まったのは昨日の夜からだった。

 深夜、寝ていると突然我慢が出来ない程全身がかゆくなり、目が覚めた。

 肌の乾燥や虫刺され、かさぶたが疼くかゆさとは違う、今までに経験した事が無いかゆみだ。

 かゆみに苦しみ、全身をかきむしりながら眠れぬ夜を過ごしていると、朝にはかゆみが痛みに変わっていた。

 その頃には皮膚の様子も変化しており、色は赤黒く変色し、指で触れるとぐじゅぐじゅと血混じりの黄色い汁を溢れさせ、ふやけた菓子のように脆く崩れるようになっていた。

 たかがかゆみと病院に行かなかった事を後悔し、救急車を呼ぼうとスマホを手に取るが、何故か電話が繋がらない。

 仕方なく歩いて病院まで行く事にし、外に出た。

 歩いているとどんどん症状が悪化していき、今はもう手で触れなくても自重だけで皮膚が勝手に崩れ、溶け落ちていくようになっていた。

 靴下を履こうとすると足の肉が削げてしまうので、裸足で靴を履き外に出たが、それもあまり意味は無かった。

 歩く度に足の肉が熟れ過ぎた桃のように潰れ、靴の中は一歩踏み出す度にぐちょ、ぐちょ、と水音を立てる。

 まるで豪雨の日に履いた長靴のようだった。


「い、ぎぃ……ぁ、ああ……」


 一歩踏み出す度に脳が痺れる程の激痛が走る。

 一刻も早く病院に向かいたいが濃い霧のせいで辺りの様子がよくわからず、本当に正しく病院に向かえているのかわからない。

 わからないが、だからと言ってどうすれば良いのかもわからない。

 痛みと苦しさで思考が定まらないのだ。


「ぁ……あ?」


 そんな彼の前に、大きな人影が立った。


「あ、たしゅ……け……たひゅ……」


 助けを求めて手を伸ばす。

 右目は目蓋が癒着し、筋肉も溶けて開かなくなっていた。

 左目は何とか開きはするが、糸を引くように溶けた目蓋が視界を遮り、上手く前が見えない。

 だから、彼は気が付かなかった。




 自分の目の前に立つ者が、人ではない何かだという事に。




 全身真っ白な肌をした、謎の生命体。

 てらてらとビニールのように光る巨大な胴体と、二本の太い足。

 手や頭などは一切無く、胴と短い足のみ。

 体を緑色の血管が走っているのが透けて見えるので、かろうじてそれが生物なのだとわかる。

 その生き物が、近寄ってきた彼に向かってゆっくりと倒れ込んだ。


「…………ぅえ?」


 倒れ込まれた彼は、まるで元は赤黒い色をしたゼリーか何かだったかのように、一切の抵抗なく潰れてただの液体となり、バシャァッ、と辺りに勢いよく飛び散った。







「――! ――――!」


 それを建物の陰から覗き見ていたスーツ姿の男性が震えあがる。

 思わず口に当てた手が悲鳴を抑えてくれたのは、幸いだった。


(何だよあれ何だよ何だよあれ!)


 あの妙な生き物に気付かれないよう、暗い路地裏にそっと逃げ込む。

 幸い霧が濃い事で、少し離れればすぐに隠れる事が出来た。

 逆に自分が他の恐怖に気付かず鉢合わせになってしまう可能性もあるので、必ずしもいい事ばかりではないが。


「と、とりあえずここで……」


 ビルの裏口に置いてあったゴミバケツの横に座ると、その場所で頭を抱え、震える。


「何だよあれふざけんなよこれどういう事だよどうすりゃいいんだよこれから一体どうすりゃいいんだよ……」




『Merry Merry Christmas~♪ Merry Christmas~♪』




「ひぃ!?」


 突如甲高い声が聞こえた。

 間近からだった。


「な、なな、何だ!? 何だよ!」


 声が聞こえた方にはゴミバケツがある。

 そこから大きな茶色い熊のぬいぐるみが顔を出していた。


「お、おもちゃ?」


『Merry Merry Christmas~♪ Merry Christmas~♪』


 ぬいぐるみが頭でバケツの蓋を押し上げ、男性を見つめながらまたも同じ歌をうたう。

 季節外れの空気を読まない呑気な歌だ。


「ふざけんなよ……」


 驚かせやがってと悪態をついた後、早く電池を抜いて歌を止めないと化け物達に気付かれると、ぬいぐるみを取り出す為に手を伸ばす。


「え?」


 そこで、目が合った。

 ぬいぐるみと。


「お、ま……!」


 それは、ぬいぐるみではなかった。

 目元をよく見てみると、そこにはプラスチックの眼球は付いておらず、空いた穴から人の目が覗いていた。

 それはぬいぐるみを着た、小柄な人間だったのだ。


『Merry Christmas~♪』


 ぬいぐるみが両手を素早くバケツの中から出すと、その手には分解された裁ちばさみが握られており、男性の首を一瞬で切り裂いた。


「がはっ!」


 すぐさまぬいぐるみが頭を下げるとバケツの蓋が閉まり、男性の首から吹きだした鮮血はバケツと道路を汚すが、ぬいぐるみには一切かからなかった。


『Merry Merry Christmas~♪ Merry Christmas~♪ …………ウフフフフ♪』


 楽しそうな歌声。

 嬉しそうに笑う声。

 バケツがカタカタと揺れていた。







 街は惨劇の舞台と化していた。

 死人が歩いて生者を食らい、空からは人と同じ位の大きさの羽虫が襲い掛かってくる。

 建物に閉じこもろうとすれば隙間から人の肉を餌とするゴキブリが忍び込み、それから逃げようと外に出ると軍事兵器用に開発された生物兵器が人をバラバラに解体する。

 暗闇からは何本もの白い手が伸びてきて人を闇の中へと引きずり込み、安全区域に隠れると仲間だと思っていた人間の中に殺人鬼が紛れ込んでいて、混乱の中一人ずつ殺されていく。

 ここは周囲を海に囲まれた人工島。

 島の上にあるのはただの街ではなく、様々な研究施設が建てられた学術都市だった。

 これは、そんな島で起きた悲劇の物語。

 陸路が無いこの島からは、船か航空機でしか島の外に逃げ出せない。

 だが島にある船も航空機も全て使えないようにされている。

 島の住人に許されている選択肢は、どう死ぬか、何に殺されるかを選ぶ事だけだった。

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