第5話 特別な日

 石井さんと付き合い始めて、1か月と数日が経った。

 俺たちが付き合い始めたのが、1月10日であるため、今の時期は恋人たちにとって特別な日、つまりはバレンタインデーが迫ってきている。

 今までは、女の子からチョコレートを貰うなんてことは決してなかったため、この日にあまり思い入れはなかったが、今年はどうしても意識せずにはいられない。


「…くん、押野くん!」

「えっ!?あぁ、ごめん、なんだっけ?」

「大丈夫?なんかぼーっとしてたよ?」

 石井さんとの下校途中、いつの間にかバレンタインのことを考えていたようだ。何しろ、2月14日は明日に迫っているのだから。

「それでね、オレリオンのライブなんだけど、チケット2枚取れたから一緒に行かない?」

「オレリオンのライブって言うと、春休みの最終日のやつ?」

「そう、それ!」

「うそ!?あのチケットとれたの!すごい倍率だったはずだけど…」

 オレリオンは日本を代表するバンドのため、ライブのチケットは毎回とても高い倍率になる。


「そうなんだ!……よかったら、一緒に行きたいんだけど、ダメ、かな?」

 両手を胸の前でもじもじしながら、尋ねてくる石井さん。こんな可愛いの、断れるはずないじゃないか。

「も、もちろん!というか、むしろ俺からお願いしたいぐらい」

「本当!?よかったぁー。じゃあ、詳しいことは、また日が近づいたら言うね」

 バレンタインも楽しみだけど、石井さんとのライブも、楽しみなことが増えた。

 あれ?これってもしかして、デートの誘いなのかな?何気に、初デートになったりするんじゃ……。

 あぁ、なんかドキドキしてきた。これが彼女持ちの、男子高生なのか!


 その後、いつもの駅で別れて、俺は家へと帰った。


「行ってきます!」

 家に着くとすぐ、携帯と財布を持って、家を飛び出した。

 今日は明日に備えて、やらなければならないことがある。

 そのためにも、まず薬局に行かなければない。


 俺は薬局で、髭剃りとクリームを買い、昨日のうちに予約を入れていた美容室へと向かった。


「お客さん、どのような髪形にしますか?」

 いつもは、近所の散髪屋へ行くので適当にお願いしますと言って済むのだが、美容室はそうはいかないらしい。

 しかし大丈夫。こんなこともあろうかと、昨日男性向けファッション誌を購入しておいたのだ。俺はそれをおもむろに取り出し、俺の主観ではあるが、一番かっこいいと思ったモデルさんを指さし、

「こ、こんな感じでお願いします」

 と、美容師さんに言った。


 おぉ、なんだこれ。美容室って、一見散髪屋と変わらないけど、名前の響きだけで緊張するなぁ……。

 でも、これも明日のためだ。出来るだけ清潔感のある格好で、学校に行きたい。


 30分ほど経って、美容師さんが、

「こんな感じでいかがでしょうか?」

 と聞いてきたので、前の鏡に映っている自分の姿を見てみた。

「おぉ……」

 そこには、自分でも思わず声が漏れてしまう、見違えた自分がいた。

 髪は半分ほどまで切り揃えられえ、清潔感が出ている。これなら明日は大丈夫だろう。


「はい。これでいいです」

「はい。お客さん、気合入ってますね。明日のためですか?」

「えっ!?ど、ドドドどうして!?」

 な、なんでわかったんだ。

 もしかして、馬鹿みたいに思われたかな?すごく恥ずかしい……。

「いえ、美容室に慣れていないようでしたので。それにしても、こんなにもバレンタインのことを真剣に考えてくれる彼氏を持つ彼女さんは、幸せ者ですね」

 美容師さんは、うふふと微笑みながら、会計をするためにレジまで案内してくれた。

「はい、ご利用ありがとうございました。明日、頑張ってくださいね」

 俺は別に頑張ることはないのだが……。

 この美容院には、とうぶん来れそうにないな。すごく恥ずかしい。


 その後家に帰り、買ってきた髭剃りで、髭をそり、制服にアイロンをかけていると、母さんに声をかけられた。


「あんた、何してんの。帰ってくるなり、家を飛び出したと思ったら、髪を綺麗にして帰って来て。おまけに髭剃りとアイロンだなんて」

「い、いや、まぁ、それは………」

 うかつだった。母さんのことを考えていなかった。

 冷静に考えてみれば、普段散髪屋に行くくせに、美容院に行って、普段しないアイロンがけなんてしていたら、どう見たっておかしいだろう。何かあるって思われる。

 石井さんとのことは、恥ずかしくてまだ言えてないし、どう言い訳すればいいか…。


「はっは~ん」

 母さんは俺の後ろにある何かを見て、察したような声を出した。

 俺もつられて、後ろを見てみる。そこにはカレンダーがかけられていた。


 おいいいいいい!!!!なんでよりによって、こんなところにかかってんだよおおお!!!


「なるほどね、なるほど。そっか、そっか」

 母さんはとても楽しそうに、頷いている。

「とうとう、輝明てるあきにも彼女が出来たかぁ」

 くっそ、やっぱり見透かされたか。

「相手はあの子でしょ!」

「あの子?」

「ほらっ!あんたがよく一緒に、ライブ行ったりしてる子。確か毎年年賀状もくれてすわよね。えっと、確か…石井さん」

 それもお見通しかよ。

 そっか、俺が石井さんと仲良くしているのは母さんは知ってるもんな。ライブ行くって言ったら誰と行くのかしつこく聞いてきたり、石井さんからの年賀状もどういう関係なのか聞いてきたり。

 どこの親もこんな感じなのだろうか…。


「そ、そうだよ…」

「へぇ~。それで、気合入ってるのね。いいじゃない。きっと石井さんも喜んでくれるはよ」

「そうかな?」

「そうよ。お父さんも、高校生の頃は自分がチョコを渡すわけでもないのに、前日から髪を整えたりして、私以上に気合い入れてたもの。それが私はすごくうれしかった」

 俺のこの行動は、父さんゆずりってわけか…。

「だから、彼女もきっと喜んでくれるわ」

 確か、美容師さんもそんなこと言ってたっけ。

 俺のこの行動に果たして、石井さんは本当に喜んでくれるのだろうか…。

 てか、こんなに気合入れて、チョコ貰えないとかだったらどうしよう。それこそ、自意識過剰すぎて、死にたくなるレベルで恥ずかしいじゃん。



 次の日、学校への登校中、例の駅のあたりで石井さんの後姿を見かけた。俺は、走って追い付き、隣に並んで声をかける。

「石井さん、おはよう」

「おはよう、押野くん」

 俺が挨拶すると、石井さんも少し顔を嬉しそうにさせて、返してくれる。

 最近では、一緒に登校することも珍しくなくなった。先日の手を繋ぐ事件以来、普通に会話をすることも出来るようになった。


「そうだ!今日ってさ…」

 おもむろに、石井さんから話を振ってきた。

 今日というと…もしかして、

「バレ…『智也ともやの誕生日だよね!』」

 俺の返事に被せるように、石井さんは智也の誕生日と言った。

 智也というと、オレリオンのボーカルのことだ。そういえば、今日が誕生日だったっけ。

「う、うん。そうだね」

「あれ?押野くん、なんか言おうとした?」

「い、いいや。俺も智也の誕生日だなーって言おうと思って」

「そっか。さすが、押野くん!」

 どうやら、バレンタインデーと言おうとしたことには気づかれなかったみたいだ。


 あれ?待て、そうじゃない。

 バレンタインはどうした?そういえば、整えてきた格好も何も指摘されないし、あれ?もしかして、俺一人で盛り上がってない?

「どうしたの?顔、真っ青だよ?」

「だ、大丈夫…」

 もしかして、俺ってとんでもなく恥ずかしいことしてる?

 せっかく登校で二人になれたんだから、チョコレート渡してくるなら今だよな。


 その後、学校に着き、何事も起こらないままに、昼休みを迎えていた。


「おい、押野、今年の成果はどうなんだよ?まぁ、一つは確定として」

 昼飯を食べるために、机を向かい合わせにするなり、安達がそんなことを聞いてきた。

 今日貰ったチョコの数のことを聞いているんだろう。

「いや、ゼロ」

「およ?でもお前ら、今日一緒に登校してきてたじゃねえか。そん時貰わなかったのか?それに、そんなにオシャレしてきてんのに」

「そのことについては、触れてくれるな」

 マジで、恥ずかしいから。今朝も、教室に入るなり、皆の視線が痛かった。

「後で、貰えるのかもしれないし気長に待ってろよ。さすがに、皆浮かれてるんだから、忘れてるってことはないだろ」

「そうかな…」

 そうだといいんだけど……。

「そうだ!ちなみに俺は、5個貰ったぜ!」

「なぜ、毎年お前ばかり…!」

 こいつは、ほんとモテるな。顔は良いし、誰に対しても公平に振舞って優しいしな。しかし、彼女は作らない。イケメンは何を考えてるかよくわからん。



 6限の体育が終わり、教室に帰ると、俺の机の上に見慣れない小さな紙袋が置かれえていた。

「ん?なんだこれ?」

 紙袋を手に取り、中を確認してみるとそこには、手作りとおぼしきチョコレートが入っていた。

「これ?誰のだ?」

 もし、誰かのチョコレートが間違って俺の席に置いてあるのだとしたら大変だ。そう思って、教室を見渡してみるが、誰もチョコを探す素振りはなく、さっきの体育の感想を楽しそうに話している。

「まだ何か入ってる?」

 中には、チョコレートとその横に封筒が入っていた。

 雑貨屋に売ってるような、可愛い封筒に『押野くんへ』と書かれていた。

「俺宛?」

 もしかして、これって!


 あることに気づき、俺はその封筒を開けて、中に入っていた手紙を読む。

『押野くんへ。たぶん、今日は直接チョコレートを渡すのは恥ずかしくなって、押野くんが体育の前に着替えるために、更衣室に向かったくらいに、机に置いてると思います。男の子にチョコレートを渡すなんて初めてだから、おいしくできてるか分からないけど…。えっと、本命、だよ!』


「お、お、おおおおおおお!!!!!!!!」

 急に、雄たけびを上げ、男子全員からの視線を浴びる。しかし今、そんなのは一切気にならない。

 なんたって、石井さんから、チョコレートを貰えたのだ。それも、こんなにも脳がとろけそうになる可愛い手紙付きで。


「ほらな、言った通り貰えただろ。てか、石井さん、めっちゃ可愛いな」

「なっ!ばか!勝手に手紙覗いてんじゃねえよ!」

 正直、うれしすぎて、安達に対してまったく怒りは込み上げてきてえいない。

 帰ったら、LINEしよう。


 放課後、家に帰り、石井さんにLINEをする。

『チョコレートありがとう!すごくおいしかった!』

 ほどなくして、返信が来る。

『ありがとう。ごめんね、直接渡せなくて。やっぱり、恥ずかしくなっちゃった』

 なんだ、可愛すぎか。

『いいよ、そんなこと気にしないで。すっげぇ、うれしかったから』

『こっちこそうれしかった。今日のために、オシャレしてきてくれたんだよね。すごくかっこよかったよ!』


 かっ、かっこよかったって…。

 というか、俺の変化に気づいてくれてたんだな。みんなから、痛い目で見られてたけど、石井さんのこの言葉だけで全て許せてしまう。


 これはホワイトデーにとびっきりのお返しをしなくちゃな。


 また、石井さんと距離が縮まった気がする。

 その事実が俺にはすごくうれしかった。

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