序
硬く硬直した肌に、麻縄がじわりと食い込んでゆく。浅黒い締太郎の腕には、傷跡がいくつも刻まれている。
それは彼女によって立てられた爪痕。恐怖、戸惑い、或いは歓喜。そういった感情が、締太郎に向けられた証拠。
だが今は、彼女の爪も締太郎には届かない。締太郎の緊縛は、たった今完了したのだ。
「綺麗だ……」
締太郎は眼前の彼女に向けて、うっとりと囁いた。
彼女の前身は麻縄に絡め取られ、美を強調するように肉体へと食い込んでいた。
身をよじる事すら出来なくなった彼女は、その全てを締太郎に委ねるしかない。
何物も間に入れない、完璧な関係。
こうして、サボテンの緊縛は成功した。
締太郎は指に刺さったサボテンの棘を引き抜く。美しい物ほど、棘があるものだ。
周囲には彼女と締太郎以外、何もない。ただひたすら荒れ果てた砂漠が広がるのみである。
このサボテンは、締太郎の作品として、この地に残り続けるのだ。
だが……
「……ダメだ、これはただサボテンを緊縛しただけに過ぎない」
締太郎はため息をついた。
締太郎の仕事は完璧だ。このサボテンを目の当たりにした者は、誰もがその妖艶さに息を呑むであろう。
だが、それだけでは足りない。締太郎の目標は、砂漠だ。この大いなる砂漠、そのものだ。
サボテン1つを緊縛したところで、到底砂漠に縄を絡ませたとは言い難い。
締太郎は、かつて行ってきた緊縛の数々を思い出していた。
大統領夫人の緊縛……大アルカナになぞらえた22人の連続緊縛……アンコールワット遺跡の緊縛……アマゾンの獣人ピリャーマとの息つまる緊縛勝負……
砂漠の緊縛、それはかつてない大仕事である。
未だに緊縛への糸筋すら掴めぬ。
砂漠を歩いき目についた物を片端から緊縛してみるが、それだけでは決して砂漠そのものを緊縛する事は出来ぬだろう事が、ようやく理解できた。
「先は長いな……」
締太郎は長期戦を予期した。
既に彼の所持品に水は無い。
オアシスを見つけぬ限り、彼はあと一日で干からび、砂漠の砂へと還るのだ。
今まさに、砂漠の夕陽が沈んでいく。
もうすぐ、砂漠の猛獣達が目覚める。
そして迷い込んだ愚かな獲物を狩るのだ。
「GRRRR」
丘陵の陰から、獰猛なサバクスナギツネが姿を見せる。
砂漠を行く旅人の死因の約3割は、この猛獣に襲われた事によるものだという。
締太郎は静かに麻縄を構えた。
「GRRRR……SHYAAA!!」
サバクスナギツネが締太郎に飛びかかった!
締太郎は両手に巻いた麻縄を緊張させ、サバクスナギツネの口へ咬ませた。
「GAAAA!」
サバクスナギツネの鋭い爪が締太郎めがけ襲いかかる。
締太郎は口に咬ませた縄を素早くサバクスナギツネの頸へと巻きつける。
そして……
「GAARRRR」
サバクスナギツネの頚椎が、へし折られた。
「……ハァーッ!ハァーッ!」
極度の緊張状態から解放された締太郎。
「GRRRR」「GRRRR」「GRRRR」
だが、流れた血の匂いにつられて、何匹もの猛獣が集まってきていた。
月はまだ登ったばかり。
締太郎は指を鳴らし、低温ロウソクに火を灯す。
締太郎の長い夜が今、始まろうとしていた。
ーーーーーーーーーー
アリーシャは甕を持ち、陽が昇り切らない砂漠を歩く。
一日分の水をオアシスから汲み、日中に備える。それが彼女の日課であった。
「……あら?」
アリーシャは遠くに何かを見つけた。あれは……
「まさか!」
アリーシャは駆け出した。
「もしもし?しっかりして!」
男が行き倒れている。助け起こすと、僅かに息がある。
「ああ、どうしましょう……!」
「うう……」
男の体にはいくつもの咬み傷。砂漠の猛獣共に襲われたらしい。
「今、助けますからね」
「あ……」
男は目を開く。深い水底のような目に、アリーシャは息を飲んだ。
「……ありがとう」
男の目が暗く光る。
荒縄締太郎と、砂漠の少女アリーシャは、夜露の降る砂原の中で、こうして出会ったのだ。
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