第19話


 布団から顔を出して、貴子はカーテンの外に輝く月を見ている。欠けた部分のない満月から放たれる青白い光が、私たちふたりの元へと届いている。


「私たち、いつかあんなふうになれるかな」


 貴子は再び布団の中に潜り、熱に浮かされたようにそんなことを口にしてしまった私の身体をつよく抱きしめた。貴子は私のことを何でもわかってくれるのだと、そのとき私は確信した。そのことが私にはふるえるほどに嬉しく、けれどまた寂しくもあった。


-ええ、きっと。


 これから変化していく二人の形を、私は想像していた。二人で一つ、完璧に満たされていて、他には何もいらなくなった私たちの美しい円球を。

 けれども貴子は、私の言葉を鼻で笑って、残酷な笑みを浮かべた。


「無理だよ。私たち欠けてるもの。欠けてる同士じゃ埋まらないでしょう、完璧になんてなれないよ。きっと永遠に、満たされないままだよ」


 貴子のナイフのようなその言葉は、はっきりと私の胸を傷つけた。



 初めてあの子に手を挙げたとき、私は遅かれ早かれ、いつかこんな日がくると知っていたような気がした。それはあの子にとっては些細な理由だったのだろう。連絡もせず丸一日家を空けて、明け方に帰ってきたあの子の頬を、気付ば思い切りぶっていた。あの子に暴力をした私の手のひらはじんじんと熱を持っていた。あの子は微かに微笑んで、膝をついた私を見つめた。


 「ごめんね、佳苗。もうこんなことしないから」


 私は首を振った。貴子のことを殴るなんて、そんなことしちゃいけないと分かっていたのに、咄嗟に手が出てしまった。貴子の首にくっきりとした指の跡がつけられていたとしても、手を挙げるべきじゃない。そんなことをすれば、私もあの男と同じ。誰かをまるごと支配せずには安心できない、エゴイズムの塊のような弱虫になってしまうことが怖かった。


 だけど私は、どうしても、貴子の「もうこんなことしない」という言葉を信じることができなかった。信じたとしても、貴子はきっと私を裏切るだろうという確信があった。私が真っ当で一途な気持ちで貴子を見ている限り、貴子は私のことを愛してはくれない。その予想は全く正しいと言えた。何故なら貴子はそれからというもの、何度も家出を繰り返し、その度に何度も、私は彼女に手を挙げることになったのだから。


 休んでいた仕事に行き始めてから、通信販売で買った中古の監視カメラを部屋に設置することに、何の罪悪感も覚えなかったのは、好きな女の子に暴力を振るうことに抵抗を感じなくなったせいでもあると思う。


 あの日の晩、家に帰ってくると貴子の姿はそこになかった。


 買い物にでも行っているのだろう。そう思い込もうとしたけれど、上手くいかない。嫌な胸騒ぎがして、監視カメラを覗き込むと、そこには吐き気のするような映像が記録されていた。貴子と先生のセックスをする様。それはベッドのそばに監視カメラを置いて行為を行ったことがよく分かる、鮮明な情欲の記録だった。貴子は先生に突かれる度、悲鳴のような嬌声を上げていた。微笑むように目尻を下げた貴子の目は、ビデオカメラを覗き込んでそこにどうにか謝罪の意を読み取ろうとする情けない私の姿をはっきりと見つめていた。


 限界だった。ビデオカメラを床に叩きつけると同時に、貴子の砂糖菓子のような声も割れた。私は泣いた。自分の不遇を思って泣いた。決して報われることのない自分の初恋を思って泣いた。身体中の水分が出て行ってしまうかと思うくらい泣いた。いくら泣いてもしかしちっとも、胸の痛みは治まらなかった。しゃくりあげながら、ダンボールを組み立て、そこに貴子のものだった衣類や歯ブラシ、化粧品を詰め込んでいく。思っていたよりもすぐに、貴子が私の部屋にいたという痕跡を消すことができた。永遠にさえ感じられたくせして、私とあの子が生活をしていたのは、たったの一ヶ月の間だけだったのだから。


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