第12話
「え?進路?もうそんな時期なんだね。佳苗は何処に行くの?」
「私は東京の大学に行くよ」
「ふうん。じゃあ私もそこにしようっと」
貴子はそれだけ口にすると、再び目の前の文庫本に没頭した。貴子は相変わらず、勉強や学校などの俗世のことにまるで興味がない。休み時間を削りながら、同級生たちがががりがりと机に向かっている姿が見えていないみたいに振る舞うのだった。
パレットにコバルトブルーの絵の具を落として、軽く水で溶かす。薄く色づく程度の青色で、身体の曲線の輪郭をなぞっていく。貴子の絵を描くのはこれで何枚目になるか分からないけれど、まだ一枚も完成したことがない。けれど今回は、描き上げられるような気がした。ここ一ヶ月、この美術室に先生は来ていない。貴子も先生の話をしなくなり、何処までも穏やかな気持ちでいられたから。
「ねえ、佳苗。どうして東京、行きたいの?」
右足と左足を組み替えながら、こっちを見ずに貴子は言う。私は少し迷ったけれど、本当のことを口にすることにした。
「普通に歩いていけない人は、田舎よりも東京の方が呼吸しやすいと思って」
貴子は顔を上げて、「何それ」と笑った。つられて私も笑った。
「じゃあきっと私も、東京の方が生きやすいんだろうね。東京かあ。ねえ、東京行ったらさ、一緒に住もうよ。可愛い雑貨屋さん巡って、インテリアも凝ったりしようよ。それから、ペット。うさぎ飼おうよ、ふたりで」
目を輝かせながら夢を語る貴子は初めて見るような生き生きとした表情をしていて、私はパレットに急いで筆を塗り込んだ。瞬く間に変わってしまう貴子の表情を残しておけないことが苛立たしいくらいだった。貴子の声に、私も夢想してみる。私たちのことを誰も知らない人たちが住んでいる場所で、まっさらなところから、二人きりの生活を始める非現実的な風景を。
少しの衝撃で粉々に壊れてしまいそうな白昼夢の話を、頬を赤らませた貴子は一人で話し続けていた。私たちの放課後が終わるまで、熱に浮かされたようにいつまでも。
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