第11話


「ねえ、佳苗。私の首を絞めて」

「何、言ってるの」

「お願い。気持ちいいの、セックスしてるとき、首を絞めると。底の見えない谷底へ、真っ逆さまに落ちていくみたいだから」


 できないと何度も首を振ったけれど、貴子は気の小さい私の怯えを許してくれなかった。恐る恐る貴子の首に両手のひらを当てると、微笑みながら貴子は頷いた。指の腹に感じる、細くて華奢な骨の感触が、奇妙にごつごつとしていた。


「もっと強く絞めて。もっと、もっと強く」


 手にそっと力を込める。ちっとも足りなかったのか、貴子は苛立ったように私を睨んだ。怖くて泣きそうになりながら、それでも首から手を離さないでいると、貴子の表情がすこしずつ緩んでいくのが分かった。目をそっと閉じていて、眠っているような、柔らかな表情をしている。この廃墟から助け出してもらえるのを待っている白雪姫みたいに。だけど私は王子様にはなりきれなかった。ついに力を緩めてしまうと、貴子は咳き込みながら、目尻に涙を浮かべて私を睨んだ。


「うっかり私のこと、殺してくれたらよかったのに」

「そんなこと、できるわけないでしょう」


 声を限りに叫ぶと、貴子は戸惑ったように瞳を揺らせた。床に膝を突いて慟哭する私の肩に、貴子の手のひらが載せられる。涙は次から次へ溢れて、果てがない海のようだ。まだ手に、貴子のぬるい温度が残っていて、こすり合わせても消える気配がない。あのまま首を絞め続けていたら、この温度を奪っていたのかもしれないのだ。小さくてか細い声が、背中にぴったりと張り付いている、幼い子どものような女の子の唇から聞こえた。


「ごめんね、佳苗。ただの冗談だよ」

「こんなの、最悪。もうやだ」

「ねえ、何でも佳苗の言う通りにするから、嫌わないで」


 泣きじゃぐる私の肩に、貴子の腕が回される。鼻の先を甘ったるいバニラの香が掠めていく。こんなに近くにいるのに、誰よりもあなたは遠かった。誰よりも私は、あなたのことが分からなかった。


「・・・貴子が死んじゃったら私、耐えられないよ。もう二度としないからね、こんなこと」


 貴子は繰り返し頷いて、私の目尻に浮かぶ涙を舐めとった。次第に熱い激情は形を潜めてゆき、湿った部屋の中は再び静寂に包まれた。お腹が空いているときだけ足元にすり寄ってくる野良猫のように、貴子は私の太ももに自分の秘部をあてがった。貴子のそこから溢れる蜜は、瞬く間に私の胸を突き動かした。情欲の従順な奴隷である貴子は、赤色を水に溶かしたような瞳で私を見上げた。


「ねえ、しようよ、もっかい」

「首、締めなくてもいいの」

「いいよ。普通に、気持ちいいこと、しよう」


 息苦しくて仕方がなかった。二人暗い海底に落ちていくような後ろめたい時間が息苦しくてしょうがないのに、どうしても貴子の吐息に抗うことができない。互いの身体をすり合わせたまま疲れ果てて眠ってしまうまで、私たちは何度もお互いの身体をつかって頂点に達し合った。私たちのしているこの行為が、愛に起因するものでないと分かっていても、このセックスという名の遊戯が私をからかって遊ぶためのいつもの貴子の気まぐれに過ぎなかったとしても、構わないと思った。少しでも長くこの時間が続くようにと、この部屋で死んだ貴子の母に願った。


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