第3話
私たちが初めて出会ったあの日は、朝からバケツをひっくり返したような雨が降り続いていて、誰もが両手で傘の柄を握りしめて濡れないように歩いていた。だから屋上に立っている制服姿の少女の姿が傘の隙間から見えたときは目を疑った。オカルトは信じないけど、幽霊だと言われても説得力があるくらい、あのときのあの子は人間ざるものに見えたから。
雷の光る曇り空を背にして、顔に張り付く長い黒髪をそのままに、激しい雨に降られ続けている少女の肩から、一羽のカラスが飛び立ったのを見たとき、私の両足は興奮して、ぬかるんだ地面を勢いよく蹴った。
下駄箱でここ一週間の湿度について愚痴っている女の子を突き飛ばしながら、学校で一番高い場所を目指して、息を切らせて、螺旋階段を上っていく。あれは、つまらない日常に飽き飽きした私の脳が見せる悪趣味な幻想なのだろうか。息があがるのに、はやる気持ちを抑えられない。屋上に続く扉の前で、深呼吸をして、ドアノブに手をかけて、勢い良く開くと、激しい雨が私の顔をずぶ濡れにした。
少女はそこに立っていた。夢じゃなく、幻想でもない。そこにいる少女が、足もちゃんと付いている、生きている人間であることにほっとしながら、傘を片手に、少女の立っている場所まで歩いていく。コンタクトレンズがずれてしまった視界は不良で、ビニール袋を顔に被せられたみたいに、すべての実像の輪郭がぼんやりと滲んでいた。
「あの、これ。よかったら使ってください」
少女はゆっくりと私を振り向いた。割れたガラスの欠片のような目に見つめられて、私はたじろいだ。血管が透けて見えるほど白すぎるおでこや首もとに張り付いている黒髪が、やけに扇情的だった。小さな右手の平に、無理やりに傘の柄をつかませると、少女は不思議そうに赤い傘を眺めた。一体どうしてこんなものを手にしているのか分からないというふうに、じっと眺めていた。
曇り空に続けざまに閃光が落ちて、少し遅れて地鳴りのようなおそろしい音が轟いた。身をすくませる私に対して、少女は表情ひとつ変えないまま、右腕を手すりの外へと伸ばして、開いたままの傘をグランドの方へと放り投げた。強風にあおられて、傘は一度、生き物のように虚空を飛び跳ねた。
あ、と思った瞬間、目の眩むような光が、赤い傘の柄の先端を打った。傘は一瞬だけ眩しく光った。続いて頬を勢い良く平手打ちされたような音が私たちふたりの頭上に鳴り響いたかと思うと、傘はすぐに焼き焦げて骨と化した。ひょろひょろとした動きで落下していく傘は、そのまま花壇に突き刺さり、屋上は再び静寂に包まれた。
傘の残骸を呆然と見下ろしている私の隣にしゃがみ込み、少女はそっと耳打ちした。少女の甘い息が、冷たく濡れた唇が、私の頬に触れる。ぞくぞくするような衝撃が、私の身体の中心を突き抜けるのが分かった。
「少しね、雨に打たれたかったの。でもうれしかった。あなたって優しいのね、ありがとう」
少女の背中を見送った後、しばらく私はその場から動くことができなかった。心臓も膝も指先も、私の全てが小刻みに震えていた。その振動は、古典の眠たい授業を受けても、家に帰って暖かいお風呂に浸かっても、決して消えることはなかった。少女の感触が、いつまでもびりびりと私の身体に残っていたから。
そう。きっとあなたは私の、生まれて初めての衝撃だったのだ。
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