第三話 訓練(後編)
ヒメの入学から約二ヶ月、訓練に明け暮れる日々は瞬く間に過ぎていく。
慣れない射撃科目には手間取ったものの、彼は持ち前の順応性で乗り越えていた。
実技訓練の最終試験も、
「あの最終試験を一発で合格しちゃうなんて、ヒメ君は射撃に向いてるのかもね。
試験内容も同じだったんでしょ? 私は何度か受ける羽目になっちゃったからなぁ」
休憩時間の校舎を歩く鉄花は、横に並ぶヒメに話し掛ける。
彼女は数日前に一足早く最終試験を終えたため、彼の試験について詳しく知っているわけではない。
「鉄花さんに聞いた通りでしたよ。射撃は素早く正確に、だそうです。
動きの速さにはびっくりしましたけど」
彼は試験を思い出して笑う。マルコムが担当する最終試験は毎回同じだ。
周囲を高速で動き回る熊のぬいぐるみの中で、特徴の違うものを見極めて制限時間内にすべて撃ち抜かなければならない。
奇抜な光景と難易度の高さで『実技訓練で最も難しい科目』とさえ言われている。
正規隊員になるまでの平均期間は約三ヶ月だが、その内の一ヶ月以上を射撃科目に費やす訓練生も少なくない。
「――そういえばマルコム先生が言ってましたよ、『
時折来る学徒を避けながら、二人は談笑を続けていた。
そしてマルコムの話題で盛り上がっていたとき、ちょうどすれ違った一人の青年が不意に立ち止まる。
「ウレシノ……?」
「はい?」
名前を呼ばれて反射的に振り返った鉄花は、二人の方へ向き直っていた青年と目が合った。
彼女よりも少し年上に見える彼は痩身で背が高く、耳には四つ葉のイヤリング。
「その顔……そうか、お前が奴の姉か。入学したと聞いたのは、確か半年ほど前だったかな?」
値踏みするような目付きで眺める青年は、やがて鉄花の胸元に光る階級章を捉える。
「いつまで経っても名前が挙がらないから不思議に思っていたのだが、なんだ、まだ訓練生だったのか」
彼は笑みを浮かべてこそいるが、表情に友好的なものは感じられない。
見下した雰囲気を隠そうともせず、鉄花を観察している。
「――あなたは?」
「あぁ失礼、自己紹介がまだだった。私はクロエ・クローバー、今はクロエ隊の隊長を務めている。
奴とは訓練生時代からの腐れ縁でね、同じ部隊にいたこともあったよ」
彼の名前を聞き、鉄花は思わずといった風に息を呑む。『クロエ』は訓練生の間でも有名だ。
しかし驚き固まってしまった彼女と対照的に、ヒメは心当たりがない様子である。
「どうしたんですか? 知ってる人ですか?」
「……訓練を修了したあと、正規隊員として部隊に配属されるのは知ってるわよね。
各隊に隊長がいるのは当たり前なんだけど、隊長になるには実力の他に経験が必要なの。
魔物の被害が少なかった頃なら五年から十年、今だと最低でも三年は活動しないと認められないんじゃなかったかな」
鉄花は改めてクロエに視線を移す。
「でもクロエさんは、その下積み期間を免除されるほどに優秀だった。
正規隊員になって一年足らずで昇級、隊長を任されている人の中でも未だに最年少なのよ」
彼女の説明でヒメは驚きの声を上げ、彼の反応を見たクロエは満足そうに笑った。
「なに、お前の弟も馬鹿正直なところを除けば優秀な奴だったさ。もちろん私には及ばないがね。
歴代最速で正規隊員になった男だ、生きていれば名の通った隊員になっていただろうに。
私は立ち会えなかったが、一般人を庇って最期を迎えるぐらいには正義感の強い奴だったな。
しかし、それだけに残念だ……身内であるお前にも少しは期待していたのだが、見込み違いだったらしい」
彼が言い終えると同時に休憩時間の終了を告げる鐘が響き、学徒達が慌ただしく教室へと駆け込んでいった。
ヒメと鉄花の二人は訓練の予定がなかったが、クロエはその音を聞いて何かに気付いたように背を向ける。
「もうこんな時間か、悪いがこれからソリュート隊との演習があってね。私が遅れる訳にはいかないんだ。
お前達も精々頑張ってくれ。まぁ訓練で苦労している程度では、正規隊員になれても使い物にならないと思うが」
そうして彼は嘲笑だけを残し、足早に去って行く。それは時間にして数分のことだっただろうか。
「一体なんなんですか、失礼な人ですね!」
ヒメでも声を荒げたりするのかと、横で憤慨する彼をどこか遠くに感じつつ、鉄花はクロエを視線だけで追う。
怒りがないわけではなかったが、今の彼女には言い返す言葉を何も見付けられなかった。
シュガー科目は名前の通り、シュガーを利用する科目である。
実戦で必須となるサポーターについて学ぶため、ある意味で重要性は最も高い。
そんな科目の最終試験で重要視されるのは、様々な環境で正しくサポーターを取り扱えるかどうかということ。
あるときは屋内戦を想定した『鬼ごっこ』、隠密行動の『隠れんぼ』など、試験の通称は子供の遊びを思わせる。
それらは教官の趣味で名付けられ、今回の試験は『木登り』であるらしい。
「名前で大体何をするのか分かったと思うけど、一応説明はしておくわね。一度しか言わないからよく聞いておくように」
気だるげな様子で面倒臭そうに話す女性はナツメ・ウインター、シュガー科目の担当教官だ。
彼女はいつものように棒付きの飴を舐めながら上を向き、背後にそびえ立つ大木を視界に収める。
百メートルを超える大木は『母体樹』と呼ばれ、生い茂る木の葉は空を覆い隠すほど。
オセロアカデミーの創設どころか、この母体樹の根が大地を押し上げ、現在の街を形作ったという噂も流れている。
その枝は地上に一番近いものでも数十メートル先、枝と枝の間隔でさえ数メートルはあるだろう。
「サポーター以外は使用禁止、とにかく頂上まで登ること。アタシは先に登ってるから、到着したら名前を言いに来なさい。
制限時間は無制限、と言いたいところだけど……時間を決めないと
ちゃんと最後まで登り切れるんなら問題ないと思うんだけど。
まぁ残業はしたくないし、訓練時間の終了までにしましょうか。各自、好きなタイミングで始めていいわよ」
彼女はそう言い残して真上に跳躍すると、窪みに手を掛け、太い幹を蹴り、全身の力を使って母体樹を登っていく。
重力を感じさせない動きは軽快で無駄がなく、あっという間に木の葉に隠れて見えなくなってしまった。
「え、もう始まった!? カートリッジの使用制限は?」
「どうせ一人一個、今までの訓練通りだろ。そんなことより急げ! 俺達じゃ登るのにどれくらい掛かるか分からないぞ!」
「母体樹ってまだ成長してるんだろ? 今は何メートルあるんだ?」
「……言うな、考えるだけで嫌になる」
質問する暇を与えられず呆然としていた彼らも、やがて事態を理解して行動を開始する。
我先に母体樹に飛びつく者、冷静な者と様々だったが、地上に残る訓練生達の中にはヒメと鉄花の姿があった。
しばらく状況を飲み込めなかった二人も、周りの騒々しさで我に返ったらしい。
「僕達も早く行きましょう! 皆さん登り始めてますよ!」
ヒメは慌てて母体樹に駆け寄ろうとするが、それを手で制する鉄花。
彼女は彼と対照的に落ち着いており、装着したサポーターを念入りに点検している。
訓練用のサポーターは使い回されるため、実戦用のものに比べると劣化が早い。
「今は行かない方がいいわ。時間もないし、焦る気持ちも分かるけどね」
点検を終えた鉄花は、続いてカートリッジの残量の確認を始める。
これはサポーターに取り付けてシュガーを供給する、いわば蓄電池のようなものだ。
大きさは拳二つ分程度だが、内部に圧縮されたエネルギーを上手く使えば、屋内などでも長時間の活動が可能となる。
「みんな自分勝手に進むんだから、幹の上の方なんて軽く渋滞みたいになってるじゃない。
あれじゃ危なくて試験どころじゃないわ。
それにナツメさんがいつも言ってるでしょ? 『サポーターを装着したなら普段の感覚で行動するな』って。
急に動くのは事故の元よ。もしかしたらこの状況も試験の内なのかも……いや、あの人はそこまで考えてないか」
訓練内容をその場の思い付きで変更してしまうほど、ナツメは自由な性格をしている。
鉄花は母体樹を眺めながら、以前二人が揃って学長である七式に怒られていたことを思い出していた。
植物は大地に根を張り、養分とともにシュガーを吸い上げ、エネルギーに変換して使用している。
しかし注ぎ続けた水がやがて溢れるように、不要な分は変換されずに幹や枝から吐き出されていく。
更にシュガーは甘い香り以外に、他の気体よりも重いことや淡く微かに発光する特徴を持つ。
もし全く光源のない状態なら、まるで薄い光の滝が流れ落ちているかのごとく映るだろう。
そして微量とはいえ、排出されるシュガーも幹に近いほど増えるため、訓練生が枝の末端を避けて登るのは当然であった。
「アカデミーがもうあんなに小さくなってますよ! 枝の端の方なら僕の村まで見えるかもしれません!」
そんな中でただ一人、ヒメは目を輝かせて枝の端から端へと跳び回っている。
身体能力の高い彼だからこそ性能を引き出せているのだが、こうも無駄に動いていてはサポーターの効率は悪そうだ。
「ヒメ君は本当にどこでも元気よね……」
鉄花は乱れた呼吸を整えながら、呆れたように呟いた。
サポーターで体力は強化されないため、彼女はヒメの後を追うだけで精一杯である。
「――ちゃんと上を見ないと危ないわよ! 時間は残ってるけど、少しは試験に集中しないと駄目でしょ!」
それでも鉄花は落ち着きのないヒメを何度も促し、自分を奮い立たせて登っていく。
減り続けるカートリッジの残量表示を睨み付けつつ、少しずつではあるが確実に頂上は近付いていた。
そうして母体樹の高さも半分を過ぎ、そこから何十メートル進んだ頃だろうか。
最初に飛び出して行った訓練生達は息切れしてしまったらしく、枝の付け根には休憩している人影も多い。
彼らを避けて通るためか、二人の足は知らず枝の端へと向かってしまっていた。
「皆さん休まれてますけど、鉄花さんは大丈夫ですか?」
少し前を進むヒメが声を掛けたのは単なる偶然だったが、振り返った彼が見たのは枝から足を踏み外す鉄花の姿だった。
枝の幹側と端側で異なるしなり具合とシュガー濃度、そして蓄積した疲労による踏み込みの甘さ。
いくつかの要素が積み重なり、伸ばした腕は頭上の枝に届かず空を切る。
「鉄花さん!」
宙に投げ出された鉄花は一瞬の浮遊感を覚えたが、その呼び声とほぼ同時に彼女の体は落下を始める寸前で停止した。
伸ばしていた腕をヒメが掴んだらしい。頭上へ視線を向けた鉄花を彼は心配そうな表情で覗き込んでいる。
急な出来事にお互い体勢を崩しながらも、無事を確認し合った二人はどちらともなく大きな息を吐いた。
「ありがとう、助かったわ。『集中しなさい』って言ったのは私なのにね、情けないなぁ」
ヒメに枝まで引き上げられ、鉄花は力なく笑う。
下を向く彼女の表情は、ヒメの位置からでは確認出来ない。
「……私はいつも助けられてばかり。
弟もそう、小さい頃はすぐ私の後ろに隠れていたのに、気付いたら逆に守られるようになっちゃって。
あの日だって私がいなければ
ヒメは微かに震える鉄花の声を聞きながら、胸元のロケットをそっと握り締めた。
「クロエさんの言う通りなの。私一人だと何も出来なくて、周りに迷惑を掛けてばかりで。
ヒメ君のお陰でここまで頑張れたけど、もう限界みたい。
やっぱり私には向いてなかったのね。それがはっきりしたんだから諦めも付くわ。だから――」
だから先に行って、と。しかし顔を上げた鉄花は、そんな簡単な一言さえ発せない。
中途半端に開かれた口は、声にならない音を漏らすだけだった。
「……僕も、一人じゃ何も出来ません。
アカデミーでの生活も、訓練も、鉄花さんがいなければもっと大変だったと思います。
きっとこれからも、僕には鉄花さんの力が必要なんです」
ゆっくりと話し始めたヒメの目は、鉄花を正面に捉えている。
「でも鉄花さんが諦めると決めたなら、僕には止められない。
一緒に世界を救えないのは残念だけど、何事も無理をしないのが一番ですから」
臆面もなく、ヒメはまた『世界』を口にする。そこにはどれほどの覚悟があるのだろうか。
アカデミーの入学希望者も、精々『魔物の被害から人々を護りたい』という程度だ。中には単に給金目当ての学徒もいる。
「そういうところも、あの子に似てるのよね」
小さく呟く鉄花の言葉は風に乗って流れ、ヒメの耳には届かない。
そして彼女も同じ志を胸に、オセロアカデミーの門戸を叩いたはずだった。
「それで鉄花さんは本当にいいんですか?」
「私、私は――」
静かな図書館に小さな筆記音が反響する。
本来は私語を含め物音は厳禁だが、自習用の区画はその限りではない。
「――そこ、また間違えてるわよ。さっき注意したばかりじゃない」
鉄花はそう言って軽く溜息を吐く。彼女はヒメの学科訓練の課題を手伝っているところだった。
オセロアカデミーでは戦闘能力を重要視しているため、実技訓練を修了することが正規隊員になる実質的な条件となる。
しかし学科訓練も必修であり、試験に落ち続ける訓練生は代わりに課題を提出しなければならない。
分野は全部で五つ。一つや二つならともかく、ヒメのように全ての分野で課題を課せられるのは前代未聞だ。
「一緒に正規隊員になるんでしょ? 私は次が最後の試験なんだから、早くしないと先に進んじゃうわよ。
それに、学科なんて覚えてしまえばそんなに難しくないのに……」
「いや、全部で満点を取ってるのは鉄花さんぐらいですよ!」
鉄花は実務が増えればヒメを手伝えなくなると判断し、学科訓練の試験を後回しにしていた。
そのため二人が訓練を修了するまで、まだ少し時間が掛かりそうだ。
オセローグ 湯けむり子ネコ @kitten_vapor
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