第二話 訓練(前編)
いつものように午後の訓練が始まり、オセロアカデミーの至るところから訓練生の声が響いてくる。
窓の外が気になるのか、ヒメの視線はどこか落ち着きがない。
「
勉強も立派な訓練なんですから、試験に合格するまで何回でも受けてもらいますよ」
机に向かう彼に今日何度目かになる叱責が飛んだ。
声の主はミス・バルコニーデイズ、学科訓練を担当する教官の一人である。
学科試験の成績が芳しくないヒメは、新入生と一緒に彼女の講義を受講しているところだった。
アカデミーでは入学時期を定めていない上、個人が好きな順番で訓練を進めることが出来る。
そのため訓練生によって進度は異なってくるが、学科訓練だけなら彼は新入生よりも遅れているかもしれない。
「皆さんもご存知のように、オセローグの大地は常に『シュガー』と呼ばれる気体状のエネルギーを生み出しています。
このシュガーの特徴を……
基礎的な内容だったのか、指名された訓練生は立ち上がり、慌てることもなく回答した。
「はい、正解です。よく復習していますね。
外の空気が甘く香るのも、大気にシュガーが混ざり合っているからなんです」
補足説明を挟みつつ内容を板書にまとめ、訓練生達の方へと向き直った。
「そして急速な技術の発展により、シュガーの応用範囲は更に広がりました。
例えば、このサポーターも我々の研究成果から生まれたものです」
彼女はそう言うと教卓の上に何種類かの器具を置いていく。
小型の機械が内蔵されているらしいことを除けば、見た目は手足の関節を覆う普通のサポーターと変わらない。
「正式名称は『MiS-Device』と言いますが、詳細はまた他の講習があるので省きますね。
ひとまず簡単に説明すると、装着部位の関節駆動を補助し、肉体に掛かる負担を軽減します。
多少の個人差を考慮しても、身体能力の大幅な向上が見込めるでしょう。
……まぁ、今は『すごく体が動かしやすくなる道具』と覚えておいてください」
ミス・バルコニーデイズは、器具を実際に動かして見せながら話を続ける。
「取り込んだシュガーを別のエネルギーに変換し、周辺の筋肉に刺激を与えているわけです。
ただしその性質上、シュガーの濃度が薄い場所では性能が著しく低下してしまいます。
屋内はもちろんのこと、屋外でも地面から離れるほど気を付けなければいけません。
それでもオセローパーツと違って量産が出来るので、実戦に投入されている代物です。
オセローパーツについては、説明する必要はないですよね。無限崎君?」
「は、はい。現在までにいくつか発見されている、オセローの『遺産』です。
魔王との戦いで使用したとされ、各パーツが固有の不思議な能力を持っていますが、詳細は未だに解明されていません。
オセローパーツの探索と回収、解析もアカデミーの目的の一つとなっています」
ヒメは突然の質問に動揺しつつも、はっきりとした口調で返答する。
「その通りです。毎回同じぐらいしっかり答えてもらえると助かるんですけどね……」
そんな彼の様子にミス・バルコニーデイズは苦笑した。
昨夜の豪雨は小雨に変わったものの、強さを増した風は容赦なく水気をぶつけてくる。
決して良好とは言えない天候の中、校舎の外周を走る訓練生の集団があった。
彼らの衣服は濡れて重くなり、肌に貼り付く不快さに顔を歪めている。
「あの脳筋教官! 少しは走らされる方のことも考えろよな!」
集団から発せられた悪態を皮切りに、次々と不平不満の声が上がり始めた。
実技訓練は実戦を前提としており、余程の悪天候でもない限り実施される。
当然といえば当然なのだが、訓練生にとっては簡単に割り切れるものでもない。
「無限崎も何かあるんだったら、あいつの見てない内に言っておくといいぞ」
最初に発言した少年が近付き、溜息とともに吐き出す。
訓練生の中でも最年少に位置するヒメは、他の受講者によく可愛がられていた。
しかし問われた本人は不思議そうに首を捻っている。
「体を動かすのは楽しいので、僕はストリンガー先生が好きですよ。
……ところで『ノウキン』ってどういう意味なんでしょう、強いってことですか?」
ヒメの返事に少年は苦笑する。
「言葉の通りだよ、気になるなら直接聞いてみればいいさ。
ストリンガーは大型の魔物さえ素手で倒しちまうって話だけど、きっと訓練の内容も自分を基準に考えてるんだ。
それがなければ凄い奴なんだけどなぁ」
少年が言い終えると、二人の会話が聞こえていたのか、周囲の声に笑い声が混ざった。
そうして雑談に花を咲かせるが、校舎を一周する頃には収まっていく。開始地点に教官が立っているためだろう。
「あと少しだろうが! もっとしっかり走れ!」
校舎の角を曲がってすぐ、距離などお構いなしに届く怒号はゴールデン・ストリンガーのものだ。
実技訓練の科目にはいくつか種類があり、彼は基礎科目を担当している。
身体能力の測定や鍛練を主とした科目だが、肉体強化に力を注ぐストリンガーはあまり好かれていなかった。
彼が担当した科目の最終試験では、腕立て伏せや腹筋を千回など、とにかく制限時間内に回数をこなすだけの場合が多い。
「この程度で音を上げるなんて情けない。俺なら同じ時間でお前らの倍は走れる。
大体限界まで絞り切っても魔物は待ってくれないんだ、本当なら今から実戦科目をやるところだぞ」
最後の直線を全力で駆け抜けさせられ、訓練生は皆一様に肩で息をしている。
彼らの雰囲気にストリンガーは不満げだったが、ヒメの姿を認めると少し表情が和らいだ。
「無限崎はまだ余裕がありそうだな。お前はやっぱり見所がある。
何か分からないことがあったら俺に聞くといい、力になってやろう」
彼は大きな手でヒメの背中を何度も叩きながら豪快に笑う。
「ありがとうございます! 実は一つ質問があって。さっき
「――あ、おい馬鹿! やめろ! 本当に聞く奴があるか!」
「……なんだ七美、お前まだ動く元気があるんだな。もう百周追加で走っておくか?」
その日、ヒメは初めて土下座を見た。それは流れるような華麗な所作だったという。
訓練場の一つ、市街地エリアに快音が響く。
オセロアカデミーには様々な種類の訓練場が設置されているが、市街地エリアは文字通り小さな街。
他にも山岳エリアや森林エリアなど、訓練の内容によって使い分けられる。
この日は市街戦を想定した実技訓練が行われていた。
「次の組、前に出て。まずは狙撃から――始め!」
教官であるマルコム・イーグルアイの合図で、横一列に並んだ数人の訓練生が一斉に引き金を引いた。
彼らの銃撃は、建物の屋内や屋上に配置された人型の的らしきものを染めていく。
使用されている銃は本物ではなく、水溶性の塗料を込めた競技用である。
普通と違うのは、訓練用に重さや反動が調整されている点だろうか。
「訓練で実弾なんて危なくて使えないでしょ?
それに訓練場はみんなで使う場所だから、すぐに洗い流せるようにしてるの」
訓練の様子を興味深そうに、そして不思議そうに眺めるヒメに
基礎科目の最終試験を終えた彼は、他の科目が受講可能になっていた。
しかし開始直後に説明を受けているとはいえ、初めて扱う銃にヒメは緊張を隠せない。
「訓練だし気楽でいいのよ。
ただ成績があまりにも悪いと、訓練場の罰掃除もあるから気を付けてね」
「こんなに広い場所を掃除するんですか!? 一ヶ月あっても終わりませんよ!」
予想以上に驚くヒメを見て、鉄花は堪え切れずに吹き出した。
そして彼女の反応で、彼は今の話がどうやら冗談であるらしいと気付く。
そんな他愛もないやり取りで時間を潰していると、ようやく二人の順番が回ってきた。
マルコムの指示で横並びになり、狙撃用の銃を構え、照準器を覗いて的を狙う。
「マルコム先生」
いくつかの的を確認したヒメは、思わず声を出してしまっていた。
呼ばれて顔を向けたマルコムの表情は、目深に被ったフードに隠れて読み取れない。
訓練を遮られて気を悪くした風ではないが、小柄な体躯には似合わないほどの威圧感を放っている。
「無限崎君、だったかな? 確か君は狙撃科目が初めてだったね。質問なら遠慮しなくてもいい」
「……では、あの、訓練で使う的なんですけど」
照準器とマルコムを交互に見つつ、ヒメは躊躇いがちに言葉を続ける。
人の形を模しているだけに思えた的は、拡大するとその正体がよく分かる。
配置されていたのは大小様々な熊のぬいぐるみ、着弾した塗料により色鮮やかだ。
「普通の的はないんでしょうか? ぬいぐるみだと撃ちにくくて」
「何故だ? あれでは魔物と思えないか?
今までにも擬態能力を持った存在が確認されているし、人間そっくりな個体が現れる可能性もある。
戦場に出たとき、君は相手を外面で判断するのかな?
もちろん常に疑って掛かればいいわけでもない。しかし意識の差で体の動きは変わってくるものだ」
彼は雰囲気に反して温和な口調で諭し、ヒメは納得したように繰り返し頷いていた。
「銃を構える前には、もう訓練が始まってるんですね!
ということはマルコム先生の格好にも何か理由があるんですか?」
聞きながら、ヒメは改めてマルコムの全身を観察する。彼は非常に特徴的な姿をしていた。
それは頭部がフードになった着ぐるみ。取り付けられた兎の耳は、離れていても分かるほど丁寧に作られている。
「……いや、これは俺の趣味だ」
そう力強く言い放つマルコムに、先とはまた別の意味で圧倒されるヒメ。
初めてフードの隙間からは見えた瞳は澄み、まっすぐな視線が彼の純真さを物語っていた。
轟音とともに、地面にまた一つ大きな窪みが生み出された。
何度も振り下ろされる攻撃を避け、ヒメは着実に相手との距離を縮めていく。
戦闘用の仮想敵である『
「気を付けて! あの砲撃が来るわ!」
鉄花が声を上げ、右腕を前方に掲げた。
すると彼女の右手全体に淡い光が灯り、輝く掌から溢れ出した光の粒子が眠り堂ロボを覆っていく。
それはオセローパーツの一つ。光の粒子に囲まれた内側からの攻撃は通し、外側からのあらゆる攻撃を反射する。
その『盾』を、鉄花は通常とは逆向きに作用させていた。
「……今よ、ヒメ君!」
ヒメを狙っていた砲撃は盾に反射され、砲弾は元の場所に着弾する。
そして一瞬だけ動きが止まった隙を見逃さず、彼は頭部にある的を手にした木剣で破壊した。
人型の眠り堂ロボはヒメの倍近い大きさであったが、的が大破したことで動作を完全に停止させる。
「これでやっと試験も終わりかしら。
それにしても、やっぱりオセローパーツって凄いのね。思った通りに効果が出るんだもの」
「こんなに強力でも訓練用なんですね……。僕も使ってみたかったなぁ」
残念そうに溜息を吐くヒメを見て、鉄花は苦笑する。
実戦科目の最終試験では危険度の低いオセローパーツが貸し出されるが、元々が貴重なため全員分はない。
二人一組でチームを組み、各チームに一つずつ配布されていた。
「――ほら、いつまでも落ち込んでないで、早く離れないと眠り堂ロボが爆発しちゃうわよ」
そう諭されたヒメは慌ててその場を後にした。この二人の試験が始まったのは約一時間半ほど前である。
朝一番に訓練が始まり、最終試験ということで、各々が三十分の準備運動を行った。
開始時間が迫る頃、担当教官である眠り堂キョウイチが黒いコートをはためかせ、大袈裟な身振りで口を開く。
「今から最終試験の説明を始めますね。ルールは単純なので、気楽に受けちゃってください」
そして彼は集まった訓練生を見渡し、近くに待機させていた機械を指し示す。
そこにあったのは大中小、三種類の大きさの仮想敵だった。
「これは今日のために用意した僕の最高傑作です。どうです? 格好良いでしょう?」
嬉々として性能を語り始める眠り堂だったが、デザインセンスは何とも言い難い。
訓練場が微妙な空気になる中、一通り喋り終えて満足したのか、彼は説明を再開した。
「簡単に言うと、この眠り堂ロボの的を破壊して点を稼ぐ点取りゲームです。
大きい方から順に三点、二点、一点となり、二時間内に合計で十点以上を集めてください。
ただし、必ず大中小を最低一機ずつ破壊するように。皆さんの行動は記録するので不正は出来ませんよ。
あとは……そうですね、他にも民間人という設定で、色の違う的も混ぜてあります。
間違って破壊してしまうとマイナス五点です」
何か質問は、と眠り堂は再び訓練生を見渡す。
軽い質疑応答を経て、彼は話を締めくくった。
「それでは二人組を作って報告を。オセローパーツを無作為に配布しますね。
武器はこちらで用意したものであれば、好きに使ってもらって構いません。
二十分後に開始しますので、所定の位置に移動をお願いします。
終了の合図はお昼の鐘、眠り堂ロボは多めに用意していますが早い者勝ちですよ」
その後始まった最終試験も順調に進み、半数の訓練生は試験を終えていた。
最後に倒した眠り堂ロボの爆発音を聞きながら、ヒメと鉄花は訓練場の入口へと向かう。
「眠り堂先生ってあまり実戦科目っぽくないですよね」
道中、ヒメはそう言って首を傾げる。科目の内容は仮想敵との模擬戦ばかりだ。
眠り堂はストリンガーのように鍛えてもいなければ、マルコムのような威圧感も持っていない。
体格は中肉中背で、戦闘要員には見えないのだろう。
「あの人は実技担当の中で唯一の研究職員なの。だからちょっと変わってるところもあって、最後の爆発も趣味らしいわ。
訓練場を壊していつも怒られてるんだから、やめたらいいのに」
「なんでですか! 爆発するの格好良いじゃないですか!」
「……ヒメ君も同類だったか」
二人が目的地に辿り着いたのは、そんな会話に区切りが付いた頃だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます