第3話 成功の予感

 地元の食品卸会社に勤め出した 7月に話を戻そう。平凡な人生にしては、これまでの過去をよく説明したものだと思う。自分をほめてあげたい。他の人がどう思うかは分からないけれど。


 その食品卸会社は古くから小麦粉などの粉を中心に各社の製品を扱う卸で、国内・海外問わず幅広く商品を取り扱っているのが評価されている会社だった。


 その食品卸会社での仕事は営業だった。安定を求めての就職だから、多くは期待していなかったけど、びっくりするほど仕事はつまらなかった。


 いや、もちろん同学年のユージが行ったような広告業界のような、新しい発見はあるかもだけど全くの激務で、いつまで続けられるのかこっちが心配するような仕事より、よほどいいとも言えた。


 逆に、成長を諦めた人にとっては全くのパラダイスみたいな仕事だと思う。


 でもみんながそう思っているかというと、そうではなく、やはりどんな仕事でもそうであるように、つまらないと思っている人や、なんとこの仕事は大変だとか思っている人が大半だった。



 うちの会社は古くからのお客様との付き合いが殆どで、会社全体でも新規のお客様は月に 1件あるかないかくらいだった。


 それでなんの支障もないくらい会社は安定しているのだが、社長は創業から4代目の婿養子社長だからか、常に危機感を持ってほしいと社員には常々言ってた。


 そして、月に3件の新規のお客様開拓を目標としていた。ただ、目標と言ってもこの前の達成は7年ほど前に遡るらしく、しかもたまたま取引先の子会社との取引が始まった時と紹介してもらった会社との取引が始まった時が重なっただけだったらしい。


 だから、その目標をちゃんと目標だと思っているのは、それを掲げている当の社長だけのようだった。しかも、その7年前の達成時には、誰が努力したわけでもなく達成したというのに、みんなの苦労をねぎらって全社で社員旅行に行ったらしい。


 同じ営業部の先輩社員は、飲みに行くたびそれを面白おかしく僕に話をしてくれる。


 そんな経営でも会社は安定しているのだから、本当にいい会社だと思う。僕が担当するお客様も、ずっと昔からのお客様ばかりで、何人も前の担当者も知っているようなお客様ばかりだった。


 普段の仕事は在庫があるかどうかの確認を依頼されたり、新しい商品についての見積もり依頼をもらって、値段の見積もりを出したり、注文をくれる購買担当者の愚痴の混じった色々な話を聞いたり、お客様から見た取引業者を集めた運動会や新春会やゴルフ大会に参加したりというところだった。



 ユージと社会人になって最初のゴールデンウィークに飲みに行った時に、ユージは社会人としての成長だとか、自分の能力を伸ばす話をすごくしていたけれど、はっきりいって僕の仕事は成長とか能力という言葉とは無縁ではないかというくらいの単純な仕事だった。


 最初に覚える見積もりの出し方、在庫の確認の方法は最初の3日くらいで大体理解できたし、新人の僕が前担当営業の先輩から何社かお客様を引き継いだ時の確認の時間も1社辺り20分くらいだった。それで会社がまわっているんだから、本当によい会社だと思う。


 4月で仕事を覚え、5月で担当を持ち、6月で慣れてきたからと、 7月からは新規開拓もやってみようという話になった。新規開拓と言っても、さっき言ったように全社で月に 1社あるかくらいのペースである。


 おまけに新入社員なので、仕事が嫌にならないように自分のペースでやっていいということだった。


 本当の新規のお客様はだいたいこれまでのお客様の紹介が多かったのだけれど、形だけは全くの飛び込みに近い新規営業もしていた。


 だけど、本腰を入れてやっているわけでもないので、会社に飛び込む先がピックアップされたリストなどがあるわけもなく、インターネットなどで調べて飛び込み先を当たってみるのだった。




 ケーキ屋チェーン店のシフォン社の工場に初めて電話したのは、多分水曜日の午後だったと思う。


 シフォン社のパティシエ長のタナカさんは、普段取引している取引業者がアメリカ産の小麦粉を扱っていないので、うちのようなアメリカ産の小麦粉を扱っている業者をちょうど探しているところだった。


 「まあ、じゃあ、1度工場まで話をしにきてよ」


 そんな一言をもらって、シフォン社の工場を訪問することになった。担当しているお客様との営業の合間に、たまたま電話した会社が、たまたま最近急に拡大したチェーン店だったというだけのことだった。


 でも、それにしても新人がこの時期に新規のお客様を獲得できれば、それは本当に異例のことなので、自然と気合も入ろうというものだった。


 シフォン社の工場は都心に近い住宅街と工場エリアの間くらいにあった。工場と言っても工業メーカーのようなオートメーション的な工場でなく、手作業の作業場を中心とした質素な工場だった。


 タナカさんは結構おしゃべり好きな人で僕の父親と同世代だったこともあり、好きなロボットアニメの話などで盛り上がった。結構仲良くなれたので商談としてはすごくいい感じで進んでいた。


 2回目の訪問で、

「じゃあこの見積もり一度お願いしますよ。支払い条件はうちの規定で月末締めの翌月末払いで」

とタナカさんから話をいただいて、結構大きな案件があっさり取れそうな状況だった。


 会社に戻って報告すると上司の30代後半のミムラ課長は上機嫌で、

「受注取れたら、おねえちゃんのいるお店でお祝いしよう」なんてことを言っていた。

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