第2話 不思議な人生
紅白戦の試合の序盤は明らかに僕のペースで、しっかり守りながら決定的なチャンスを 2度作った。
ただ残念なことに紅白戦で同じチームになったチーム一のストライカーであるユージが 2度とも決定機をものにできなかった。要するに得点できなかったのだ。ただそれはユージだけの問題で、チームとしての流れも僕のパフォーマンスも問題なしだった。
紅白戦は前半30分、後半30分の間に20分の休憩があった。休憩の間に監督が各選手に指示を出して、後半はいかにその指示に対応できるのかも監督は重視していた。
その日もいつものようにみんなに監督から指示があった。全員ではない。修正したいと課題を感じていて、かつ期待している選手に指示がでるのだ。
何人かの攻撃陣に指示を出した後だった。多分もっと攻撃を丁寧にという指示で、ユージには「特にもっと丁寧に」という指示が出て、ユージは申し訳なさそうに「はいっ!」と返事をしていた。
その攻撃陣への指示の後、僕に監督から指示があった。「守りのバランスを崩さないように、気をつけながら攻撃に参加しろ」という指示だった。
それを聞いた僕の感想は正直「あれ?」だった。バランスはしっかり考えてるし、今日の攻撃参加もしっかり周りのカバー範囲を計算した上でベストのものだと思っていた。
慌てるような場面もなかったし、監督の指示が幾分腑に落ちない気がした。
でも、高校の部活において、監督の指示は絶対だ。今後のレギュラーが決まるかどうかの大切な紅白戦だということは理解している。
僕はしっかり明るく「はいっ!」と答えた。当たり前だ。他のどの高校サッカー選手だって、一部の天才を除いてそう答えるだろう。
そのまま、スポーツドリンクを一口だけ含んでから吐いて、後半のグラウンドに入った。
当時の僕は、グラウンドのラインは踏まないように意識するという願掛けをしていて、それは紅白戦といえども必ずそうしていた。いつものようにラインをまたいだ、その瞬間だった。
あの「ずーん」という音が聞こえたんだ。
何か不満があったわけではない。いや、なかったといえば嘘になるかもしれない。前半の僕のパフォーマンスは確かにすごく良く、それを理解してくれなかった監督のことがちょっと悲しかった。
けど、そんなことは取るに足らないことだ。今は実績を残すために、監督から指示されたように監督の言う通りプレーする。間違いなく、そうすべき時だった。
自分のプレーに好不調があるように、自分のプレーの捉えられ方にも好不調がある。そんなことは高校生の僕にも分かっていた。でも、この時、あの「ずーん」という音が聞こえたんだ。
僕はグラウンドの中で、漫然と自分の前で行われているサッカーの試合のようなものを少しだけ眺めながら、すっかりやる気をなくし、だるそうにグラウンドのラインから外に出た。
ラインを踏んだかどうかを意識せずにグランドから出るのは高校生に入ってから初めてのことかもしれなかった。みんなが心配そうに、人によっては幾分腹ただしげに僕を見てくる中、そんな視線すらうっとおしく感じながら僕は監督のところに行った。
「すいません」という、声が僕の口から出た。何も考えてない時には自分はこんな声を出すんだ、と感じたくらい、他人の声みたいな音が聞こえた。
録音された自分の声にも違和感を感じるけど、それよりもっと遠くの他人のような声だった。
「ちょっと体調が悪いので今日は帰らせてください」
はっきりすっきり声を出すに僕に対して、監督はむにゃむにゃと何かいいながら、他の選手に入るように指示していたような気がするけど、それも僕の後から付け足した想像かもしれない。
何しろ僕の頭はさっきの「ずーん」という音が鳴った後は真っ白で、何も頭の中に入って来なかったのだ。その中で他人のような僕の声だけがずっと頭の中に残り続けた。
遠くの方でユージが何か叫んでいたような気もするが、それもユージから後から聞いて、その時にそう言ってた記憶になってたのかもしれない。
とにかく僕の高校サッカーはそれで終わった。後は何もない。
ついこないだまであんなに必死にサッカーをしてたのが嘘みたいに、時々思い返しても本当に嘘だったのではないかと思うくらいに、3日後には古い喫茶店でアルバイトを始めていた。
しかもすぐにそのアルバイト先では真面目な仕事ぶりが評価されて、自分の居場所になり、高校生になってからずっとそのアルバイトをして過ごしていたかのような錯覚をみんなが起こすぐらい、馴染んでいた。
でも、このアルバイトも「ずーん」の音とともに急に辞めた。
こんなことは何度もあった。急にそれまで取り組んでいたことをやめる度、僕は訳がわからんやつだとか、宇宙人だとか言われたりした。
でも、元々が地味で真面目で、至って常識的だからか、すぐに場所を変えて僕の新しい平凡は始まった。
不思議なことに、みんなも周りのことなどに興味がないのか、何年か後に会ったら当時のサッカー部のやつも、監督までもが、当時僕がすごく頑張ってたということしか覚えていないのだ。
だから最後までいるどころか、途中で急に止めた立場だというのに、僕はずっとサッカー部の同窓会やOB会にも出席していた。
だから、正直そういう人生でもいいかと思ってた。やる気がなくなって辞めても、どこかに評価してくれる人はいるって。
そのためだろうか、こんな鬱になりそうな癖の持ち主のくせに、じめじめした感じとは無縁で、きっと期待してくれた人には落胆させているんだろうけど、からっと淡々と人生は過ぎていった。
充実感はないけれど、そこそこな人生だと思っていた。ただ、いつかどこかで痛い目に合いそうな、そんな不安を心のどこかで抱えていたような気はする。
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