欲求エフィス

「やっぱり、って、酷くないですかそれ? 右も左も分からなかった貴方に、可愛い私がこの世界で生きていく術を教えてあげたというのに」

「ただ、町の方角を教えてもらっただけじゃねぇか」


 ベッドに寝そべって本を読んでいた女の子は、顔だけこちらに向けて呆れたように言った。

 この女の子の名前は、エフィス・クンクバート・フォン・バルドリッツと言い、今年で12歳になる伯爵家の四女らしい。


 こちらの世界に来てから数日、町の方角も分からず往生していた時に声をかけてくれたのがこの子だった。

 出会えたのは大変ありがたく、当初は感謝の極みだったが、今になっては当時の自分をぶん殴ってやりたい衝動に駆られる。


「それに、部屋に入られるとここの女将さんが怒るんだよ。2人分の料金を払え、ってな」


 エフィスは読んでいた本を閉じてベッドの上で胡坐をかいた。

 こちらに住む女は、服装の問題からか男と同じく下着をつけている。

 そのおかげで、無造作に動かした足の隙間から見えたのは布だけで済んだ。

 男慣れしているのか、それとも自分がそんな姿になっているとは夢にも思っていないのか、男と二人だけの部屋でやっていい仕草ではないな。


「え~? でもだって、別に泊まってるわけじゃないから、いいじゃないですか~。それに私、目的さえ達成できればすぐにでも出て行くんで!」

「またか……」


 この女の子――エフィスは、俺が所属している幕府軍の伝習隊で貸与されたミニエー銃をいたく気に入っており、その構造を理解するために譲ってほしい、と言って聞かない。

 これは上様からの借り物だし、渡してしまっては江戸に帰ってから薩長軍と戦うことができない、と説明しても、毎度毎度、飽きることなく迫って来る。

 なかなかいい根性をしている。

 もっと他のことにぶつけてくれれば、なおのこと良いが。


「とにかく、返答は変わらんから帰ってくれ」

「そう言わずに! もっとお話ししましょ? ねっ? ねっ?」


 「ささっ、ここに座って」とベッドの上を示されるが、狭いベッドにはすでにエフィスが座ってしまっているため、俺の座る場所がない。

「座るも何も、お前が布団の上に座ってしまっているから、俺が座れんのだ」


 エンフィスは「それもそうか」と合点のいった顔をした。

 「退く」という考えは持ち合わせてはいないらしい。


「いいですよー。せっかく、正太郎さんの帰還方法を、私なりに考察・・したのに」

「なっ!?」


 今からまた、いつもの「銃を見せてくれ。タダとは言わない」という問答が始まるのか、と辟易としていると、思いもよらなかった言葉が返って来た。


「ほっ、本当に帰られるのか!? どうすればいいんだ!?」

「ひぇっ!?」


 飛び込むようにベッドに上がり込むと、驚いた猫のようにエフィスが端まで飛び退いた。


「頼む! 誰に聞いても『分からない』と言われるばかりなんだ! 礼はできうる限りのことをする! だから頼む!!」


 戸惑うエフィスを他所に懇願する。

 こちらの世界に来るのは、江戸に迫る薩長軍との戦争間近というギリギリの状況下だった。

 急いで戻り部隊に復帰しようにも、異世界から来た人間の話を聞いたことが無いようで、誰も彼もが「知らない」と言うだけだった。


 知っている、という人間も中には居たが、その全てが悪意を持った人間だった。

 エフィスも初めは「知らない」と言っていたが、他の人と違ったのは俺の話に興味を持ち――その大部分がミニエー銃だったが――、「調べてみる」と言い残して去っていった。

 それから何度か俺の元に来るが、話の内容は先の「銃を見せてほしい」というものばかりだったので、正直、諦めていた。


「いっ、いやいやいやいや! 勘違いしないでよ! 私が私なりに考察・・しただけであって、異世界に帰る方法は分かってないから!」


 慌てた様子で先ほどの言葉を否定するエフィスに、俺は目の前が真っ暗になった。

 藁をもつかむ気持ちで、差し込む明光に手を伸ばした。

 でもそれは光どころかただの落とし穴だったのだから。


「はぁ……。もう帰れよ……」


 一気にやる気をなくし、服を着替えることなくベッドに倒れこんだ。

 エフィスが「わわっ」と驚きの声を上げるが、もう気にしない。

 ここは俺が借りているんだから、ベッドの上に誰が居ようと関係ない。


 かび臭い布と、その奥から漂って来る藁の臭い。

 お世辞にも「良い匂い」とは言えないが、沈んだ気分を苛めるには丁度良い。


「ちょっと。私の話を聞いてってば」


 ゆっさゆっさ、と寝転ぶ俺をエフィスが揺らす。


「うるせー。ででけー」

「そう言わずに」


 揺らすのを止めると、寝っ転がる俺の横でボヨンボヨンとケツだけで飛び跳ねる。

 はずみの悪い寝床で飛び跳ねるので、ベッドがガタガタと地震が来たかのように揺れる。


 それでも俺からの反応がないと分かると、エフィスはさらに激しくベッドを揺らす。

 そして――ゴドッ、という何かが落下する鈍い音がベッドの下から聞こえた。


「なにが……あっ!?」


 ベッドの下を覗き、音の原因を見つけたエフィスは驚きの声を上げた。

 そこに転がっていたのは、エフィスがこの部屋に来た時から探していたミニエー銃だ。

 どこを探しても無かったので、エフィスはてっきり「正太郎が持って行ってしまったのだ」と思い込み、ベッドの下まで見ていなかった。


「こんなところに隠していたとは……」

「俺の留守中に、不埒な輩が入って来て物色せんとも限らんからな」

「そんな悪い人が入って来てもいいように、呪いの術式をこの銃にかけておくことをお勧めするよっ!」

「お前だよ、お前」


 「返せ」と、エフィスがベッドの下から引きずり出したミニエー銃を奪い取る。


「もう少しよく見せてほしい」

「ダメだ。これは、上様からの預かり物。伝習隊の人間でもない奴に貸すことはできない」

「そこを何とか。もしできるなら、私が伝習隊になっても良い」

「女は入れん」


 自分の要求が通らなかったので、エフィスは頬を膨らませて、再びベッドの上で弾みだし抗議を始めた。

 しかし、エフィスがなんと言おうと、どんな階級の人間であろうと、女である以上、伝習隊には入れない。


 そもそも、俺だって年齢的には入隊することができなかった。

 しかし、無頼者ばかりなので旗本の人間が欲しい、ということで俺や他の旗本の三男四男が同い年でありながら何人か入隊している。


「ミニエー銃は見せん。さぁ、早く帰ってくれ」


 「ほら帰れ。すぐ帰れ」と、ミニエー銃のストックで寝転ぶエフィスを押してみるが、五体投地で徹底抗戦の構えを見せているのでなかなか追い出すことができない。


「もう諦めて帰れ。あまりしつこいと、俺も本気を出すぞ?」

「話を聞いてもらっていないのに、帰ることはできません!」

「そうかそうか。なら、その話とやらを聞かせてくれ。そして、全部、話したら帰ってくれ」


 俺が聞く姿勢としてベッドの上で正座をすると、エフィスは五体投地を止めて俺と同じく座った。

 その顔は、なぜかムスッとしている。


「戦前の神話・・になるんですけど、『王族の1人が、その血を残すために異世界に渡った』という記述があったんですよ」

「そんな話に意味はないだろう」

「この神話と言うのがちょっと問題で、こういった場合は『書きたいけど書けない』という理由が主ですね。それに、書いた人の地位的に嘘は書いていないかと」

書けない・・・・?」

「書くのは色々と都合が悪いってことですね。それが書いてある書物も、王国の重要物管理室で保管されているくらいなんで」

「そんな物を、よく読めたな」


 どんなところかよく分らんが、末端の人間――それも学生では読むことが難しい本だろう、というのはすぐに理解できる。

 貴族というのは、それほどの権力を持っているのだろうか?

 それとも、薩長のように、朝廷に取り入って自らの力にするような奴だろうか?


「普段なら無理なんですけど、貴方が持っているネックレスのおかげで、ある人物に入れてもらえることができました」

「ネックレス……?」


 それは、こちらの世界に飛ばされる前に、祖母から貰った――いや、投げつけられたネックレスだった。

 飾り気がなく、高価な物だとは思えないシンプルな物だが、祖母が大切に身に着けていた物。

 これ自体に興味はないが、失くすと大事おおごとなので袋に入れずに身に着けている。


「そのネックレスさえあれば、王都でも色々と便宜を図ってもらえると思いますよー」

「これが……ねぇ?」

「それで、私が読んだ本に一応、やり方も書いてあったんで、それを使えば貴方の故郷であるエド・・とやらに行けると思うんですよ」


 こいつ……役に立たないと思っていたが、どうにも有能だったようだ。


「それで、何が望みだ?」

「望みですか?」


 わざわざ、手間のかかる場所まで行って調べ物をしてきて、さらに帰る方法の当たりまでつけてくれるのに、ミニエー銃を見たい、という要求で終わるはずもない。


「一つは、その銃をじっくりねっとり見せて欲しいですね。二つは、その銃の構造と製造方法と解明できたら、私にその製造を許してほしいです。合わせて、他の人が真似しないように専売の許可を」

「……前者は――まぁ、いいだろう。貸したくはないが、どのみち帰ることが出来なければその先もない。後者は、勝手にやってくれ」


 ここは、俺が住んでいた世界ではないので、誰に許可を取れば良いのか分からない。

 たしか、オランダかどこかから買っていたはずだが、こんな世界まで金を取りにくることもあるまい。


「やった! じゃじゃ、見せて!」

「アホか。そっちが先だ」


 商品も見せていないのに金を払えとは、なんと図々しい奴だろうか。

 対して、エフィスはこの程度の餌で銃を見せてもらえると思っていたのか、先ほどと同じ様に頬を膨らませ抗議行動を再開した。

 どんなことをしようとも、物が無ければそれ以上のことはできない。

 胡坐をかき、銃を抱えて見せぬようにする俺に対して抗議活動は無駄だと判断したようで、エフィスはわざとらしいため息を吐くとベッドから降りた。


「向こうに話を通しておくから、出発は二日後の朝。道はこちらで決めておくから、貴方はそれまでに旅の準備をしておいて」

「その、話が聞けるってところは遠いのか?」

「王都は、ここから馬車で一週間くらい」

「そうか。その程度なら、大丈夫だな」


 江戸~大阪まで、徒歩で13日程度。飛脚の一番早いものを使えば2日以内でつなぐ。

 馬車は使ったことがないが、馬は人が歩くよりも早く動けるので、それで一週間程度であれば、それはもう目と鼻の先と言っていいだろう。


「じゃー、二日後の朝に冒険者ギルドで待っているから」

「分かった。よろしく頼む」


 部屋を出ていくエフィスを見送り、ベッドに再び倒れこむ。

 江戸へ戻る方法はまだ分からないが、確実な一歩は踏み出せた。

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