信長、エロ漫画を守るため本能寺に火を放つ

悠聡

信長、エロ漫画を守るため本能寺に火を放つ

「敵は本能寺にあり!」


 闇夜の京の都を、勇ましい声とともに軍勢が駆け抜ける。


 時は1582年、一人の覇王が乱世の平定を目前に控えたある夜のことだった。



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「大変だ、信長様にお伝えしなくては!」


 私、森蘭丸は寺の縁側を駆け抜けていた。


 夜更け、突如として多くの兵が寺を取り囲んだ。わずかな軍勢でこの寺に泊まっているところを狙われたのだろう。


 兵たちは総力を挙げて防衛に徹するが、如何せん数が多すぎる。門が突破されるのも時間の問題だ。


「信長様!」


 我が主君信長様の寝床の襖を勢いよく開けた時だった。


「うおおおお、猫耳ツインテールメイド萌えぇ!」


 目に飛び込んできたのは蝋燭の灯りの中、足先と頭の先だけを床に着けてエビ反りの形のまま絶叫する寝間着姿の主君信長様の姿だった。


 手に持たれているのは見たことも無い艶のある紙に、未知の印刷で施された多色刷りの書物。信長様はこれをエロ漫画と呼んでいた。


「信長様、大変です!」


 よほど夢中だったのか、ようやく私に気が付いた主は本からちらっと目を離すとすぐさま座り直したのだった。


「おお蘭丸、見よこの絶対領域を。まさに絶対的な可愛さ、絶対は絶対ないという前言は撤回しなくてはならんな」


「それどころじゃないです! 本能寺が敵軍に囲まれていますよ!」


「え、それマジ!?」


「そういう言葉遣いはおやめください、いずれ天下を取られるご身分であられるのですから!」


 すべてがおかしくなったのは安土城の天守閣が完成したその日からだった。


 なぜか毎朝、天守閣の一室でこの奇妙な書物が置かれるようになったのだ。


 女性の裸体が描かれたこの未知の書物は家臣の誰からも相当気味悪がられたが、その中に登場する文物に信長様は興味を持たれ、やがてあのように描かれた女子たちにただならぬ執着を見せるようになったのだった。


 占いを生業とする者の話では、信長様によって殺されてきた者たちの恨みが募り、それが時空を歪ませてはるかかなたの時代とつながってしまったようだ。


 しかしよりにもよって毎朝一冊、必ずエロ漫画が送られてくるとは、怨霊たちももう少しマシな方法で恨みを晴らさぬものか。


 さてさて、言葉遣いを咎められた信長様だが、にかっと笑ったまままあまあと手を前に突き出している。


「蘭丸、そう常識にとらわれるな。天下を取るには型破りでないと成し遂げられんぞ」


 それ以降随分と温厚になられたような気がするのは幸いだ。以前なら文句を言おうものなら即刻首を刎ねられていたかもしれないのに。


「それよりも敵が……」


「おお、そうだったそうだった。すっかり忘れていた」


 こんな大切なこと忘れるなよ。


「あれはおそらく明智光秀の軍。中国へ向かっていたところ、謀反を起こしたようです」


 聞くなり信長様の表情が一変した。


「光秀だと!? おのれ許さん、まさかあやつ……」


 険しく目を吊り上げたまま立ち上がる。そして全身の力を込めて襖を開くと、打ち付けるピシャンという音とともに、暗闇の中うず高く積み上げられた小山が姿を現した。


「あやつが俺の命よりも大切なコレクションを狙っていたとは!」


 すべて信長様愛読のエロ漫画だった。女子高生、OL、人妻、女騎士、魔法少女と、そのジャンルは多岐に渡る。


 信長様は安土城に入ったその日からコツコツと集め続けたエロ漫画を我が子のように愛で常に傍に置き、戦の際も部下に持ち運ばせていた。


「そんなもの誰も狙っていません!」


 私は主を怒鳴りつけるが、信長様はこちらに背中を向けたままじっとエロ漫画の山を見ていた。


 ちなみに正妻のお濃様はこんな信長様に愛想を尽かして既に別居している。


「蘭丸、これらははるか遠き時代の産物。我らの時代では到底作り上げることはできぬ叡智の結晶ぞ。これを得た者はたちまち天下を取ろう。つまりエロ漫画は覇者の象徴、エロ漫画を持つ者こそ日本を治めるに相応しい」


「抜き過ぎて脳汁まで干からびてしまったのですか!? 格好良く話しているつもりでも内容は最悪ですよ!」


 悪態交じりで怒鳴るが、それでも信長様はこちらを振り返らなかった。


 私も叫んだおかげでどっと疲れてしまった。


 外からは兵たちの足音や剣刀を打つ音がひっきりなしに聞こえるが、ただ黙り続ける信長様に俺は不思議な落ち着きを取り戻していた。


「しかしまさか光秀様が謀反を起こすなど、予想だにしませんでした。ずっと信長様のお傍に仕え、知恵を振るっておられたのに」


「いや蘭丸、光秀がこうする日が来るとは、ある程度覚悟はしていたぞよ」


 私がぼそっと呟くと、ようやく主は答えた。哀愁を漂わせながら、揺ぎ無い意思を感じさせる声だ。


「ど、どうしてです!?」


「俺が未来の叡智を授かって以降、夜の相手をめっきりしなくなったからな」


「……はい?」


 時が止まった。今、このおっさん何て言った?


「光秀は俺を偉く気に入っていた。信長様の身体は最高に相性が良いです、とかなんとか。だが正直なところ俺は遠慮願いたかった。ただ男色は武士のたしなみと聞いていたので、仕方なく続けていただけなのだ。それをあやつ、何を思ったのか本気にしてしまって。一応は妻もいるのに、どうして男の汚い裸を見なけりゃいかんのだ」


 そう言って信長様は暗闇の中のエロ漫画に近付くと、その山をそっと撫で始めた。


「だがこれらの書は素晴らしい。描かれる女は皆美しく、傷や痣のひとつも無い。均整の取れた肉体にみずみずしい四肢、いずれも本物の女より女らしい! 俺は最早普通の女では満足できなくなった、男などもってのほかだ。光秀と俺が疎遠になってしまうのも仕方が無かったのだ」


「どーでもいいわそんな気色悪い痴情のもつれ!」


 叫んだ直後だった。バタンと何かが倒れるような音とともに、男たちの叫び声が一際強く上がったのだ。ついに門を破られてしまった。


「急いでお逃げください、ここは危険です!」


「ええい、このコレクションを置いて逃げられるか。人生わずか50年、俺は残りわずかの人生少しでも多くのエロ漫画を読みたい!」


「天下布武の意気込みはどこに行ったのですか! それならば光秀に降伏するのですか!?」


「いやだいやだ、光秀の汚いケツなんてもう見たくなーい! あいつやたら毛深くて、触るとマジ鳥肌立つんだもーん」


 ああ、強くて恐ろしい信長様はどこに行ってしまわれたのか。


 だが嘆いている場合ではない。ついに部屋の襖が蹴り破られ、刀を持った鎧武者が突撃してきたのだ。


「信長、討ち取ったりぃ!」


 信長様の首は敵兵にとって最大の名誉、命を賭してでも狙う価値がある。


 だがやはり信長様は潜り抜けてきた修羅場の数が違った。護身用に床に置いていた長刀を手に取ると、目にも止まらぬ速さで体勢を整え、突き出した。


「ふん!」


 一突きで武者の喉を貫く。さすがは信長様、エロ漫画にかまけても武術の腕は天下一品だ。


「怯むな、続け!」


 だが外からは敵兵が続々と攻め込む。皆大出世の好機を目の前にして、興奮にたぎっていた。


 それら敵兵を信長様は次々と払い切った。


「ひっ、でぶ!」


「ぐえー死んだ」


 一振りごとに首が飛び、血飛沫が蝋燭の炎を消す。やがて床には大勢の敵兵の死体が積み上げられていった。


「何だ、この鬼のような強さは……これが織田信長という男……」


 事切れようとする武士に信長様はとどめの一刺しを加え、男はピクリとも動かなくなった。


 久々に見る信長様の雄姿に、俺は完全にすくみ上っていた。この姿こそ私の慕う信長様。憧れであり、絶対に届かない人物。


 そんな信長様は床に燃え移った炎を反射させた眼球を足元の死体に向けながら、力強くこう言うのだった。


「『メガネ生徒会長と僕のヒメゴト』は名著、稀代の傑作だ」


 ……ん、何か聞き間違えたかな?


「貴様ら、俺の大切な、大切な、とぅわーいせつな、コレクションには指一本触れさせんぞ!」


 獣のように吼える信長様。


 あーあ、やっぱりこの人こうだったよ。


 こんな風に叫んだのがいけなかったのか、直後縁側に火の点いた矢が一斉に撃ち込まれ、たちまち大きな炎へと姿を変えていった。


「信長様、敵が火矢を放ちました! このままでは建物が焼け落ちます!」


 信長様は険しい顔のままじっと動かなかった。だが私には主が何を考えているのか、嫌でもわかってしまった。


「信長様、この量ではすべて運び出すのは無理です。命あっての物種、今すぐ逃げましょう」


 何を、とは言わなかったが。だがこれで信長様も諦めがつくはずだ。


 だがやはり我が主は違った。


「蘭丸、我らも火を放て!」


 力強く言い切った。


 思いもよらぬ発言に、私は「ま、真ですか!?」と取り乱した。


「うむ、エロ漫画を奪われるは首を取られるより恥。それならばいっそのこと我が身とともに消えてしまおう」


 すべてを受け入れたかのようなすました顔。かつて信長様が苦難を受ける際によく見せていた男の顔だ。


「の、信長様……」


 そうだ、信長様は武士の中の武士。敵に打ち取られるくらいならば自刃を選ぶ。


「蘭丸、お前もわかっていただろう。もう逃げ道は無い、兵力の差も歴然。せめて散る時くらい、光秀の思い通りにはさせぬ」


 私は頷き、信長様と運命を共にすると決心したのだった。


 その後、本能寺は焼け落ちた。しかしいくら懸命に探しても、信長様の死体とエロ漫画200冊は見つからなかったという。



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「はっはっは、信長め。私ではなくあのような書物に呆けてしまったゆえに命を落としおって」


 数日後、安土城に入城した光秀は本来信長の座るべき上段の間にてふんぞり返りながらかつての憎くも愛おしい主君のことを思い出していた。


 あの顔を思い出すとどうも涙がこぼれそうになるが、家臣も見ている手前、彼はじっと耐えていた。


「さあ、今後武勲を挙げた者には褒美を与えないとな。なあに、この城には信長の残した財宝が山ほどある、それを分け与えれば良かろう」


 沸き立つ家臣たち。そこに駆けつけた別の部下が報告に上がる。


「明智様、城の地下に隠し部屋がありました!」


「なんだと、それはきっと信長が最も慈しんだ宝があるはず! どうだ、何が見つかった!?」


「それが、このような物が……」


 兵士たちによって二人がかりで運ばれてきたのは大きな葛籠だった。それが十個以上、延々と明智一派の前に運ばれる。


「おお、小判か? それとも異国の工芸品かな?」


 光秀は家臣たちを押しのけ、自らの手で巨大な葛籠をこじ開けた。


 その中にあったのは大量のエロ漫画だった。


 その数、ざっと1000。煽情的なあられもない姿の女の子たちが表紙を彩っている。


「な、なんじゃこりゃー!」


 ざわめく家臣によろめきひっくり返る光秀。


 思い切り頭をぶつけてしまった彼は痛む個所をさすりながら、信長の恨み節交じりに立ち上がった。


「信長め、普段あれだけ持ち歩いているというのに、まだこんなに隠し持っていたのか。本当に憎たらしい……?」


 ふと箱の中を見直すと一冊の本が目についた。他の本と明らかに違うそれは、不思議なほど光秀の目を惹きつけたのだった。


「これは何だ?」


 光秀はその本を手に取り、パラパラとページをめくる。


 表紙には抱き合う半裸の男と男。そう、いわゆるBL本だった。




「光秀様、朝廷からの使いが――」


「今いいところなんだ、後にしろ、後に!」


 家臣がいくら申し出ても、光秀は部屋に閉じこもったままだ。


「うぉぉ、お兄ちゃんイケメン過ぎる! でもじれったい、気になる。もっと、もっとだ。ホモくれ……」


 あれ以降光秀はBL本をあさり、寝る間も食事も惜しんで読み耽っているのだ。


「ああ、どうしたことか……」


「部下にもあの本のなかでいらないものを配っているそうなんだ。おかげで士気はだだ下がりだよ」


 光秀の変わり様に、部下たちは落胆していた。


 その後、中国遠征より駆け戻ってきた秀吉に攻め込まれ、光秀が大敗を喫したのは言うまでもない。

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