第10章 世界を震駭させるモノ

1 黒衣の仮面剣士、その正体

「……で、なんであんたがそこから出てくるわけ?」


 太陽が昇る直前、空は紫色から青へ、青から水色へと見事なグラデーションを描き出し、空気を清澄な瑞々しいものへと変じていく。

 蓋を押し開けた俺が最初に眼にしたのは、そんな胸がすくような、どこまでも広い天穹だった。

 がしかし、最初に聞く音が、まさか腐れ縁の幼馴染みが洩らした怪訝そうな声だとは、誰に予想できたろうか。


「あれ、お前……どうしてここに」

「どうしてって、あたしが先に訊いてんのよバカいち!」


 サナギがものすごい形相で駆け寄ってくる。俺は反射的に蓋を閉じようとしたが、思い直して周囲に眼をやった。

 夜明け前の薄暗がりの中、地面から細い光線が大量に出て遥か上方へと伸びている。その周りに人が大勢集まっている。

 幻想と現実を撹拌かくはんさせた、異様な光景。

 淡い光に浮かび上がる人々の姿は、シックな黒服や古風な白装束から職務質問されること請け合いの甲冑姿に至るまで、実に多岐にわたっていた。ほとんどの衣装に追いかけられた記憶がある。ろくな思い出じゃない。できることならさっさと忘れたい連中ばかりだ。


「も、もしかして、あんま歓迎されてないのかな」


 ひょっとして俺、最悪のタイミングで出てきちゃった?


「ていうかサナギ、お前もあんまり、心配してなかったとか?」

「その服は何よ。敵のじゃない敵の。ふざけてんの?」

「いや、これはまあ、色々あってだな」

「髭剃りなさいよ、みっともない」


 やっぱり言われたか。いや、そんなことよりルキを早く外に出してやらないと。

 俺は蓋をのけて地表に這い出した。


「ルキちゃん!」

「サナギさん!」

「ルキちゃん無事だったのね! 良かったぁ」


 サナギがルキの手を取り、上に引き上げてその華奢な体を抱きしめた。


「サナギさん……ごめんなさいです、すみませんでした、です」

「いいよ、もう」

『お嬢ちゃん、結構な歓迎ムードじゃねーか。それに引き替えお前はどこ行っても人気ねーなあ』


 うるせえ、その通りだこのヤロー。

 アルティアがこっちへ歩いてくる。その後ろには寺島先生もいる。


「なあアルティア、ここはどこなんだ?」


 見憶えのあるようなないような、こそばゆい感覚を吹っ切るようにして俺は尋ねかけた。


「学校の跡地」


 アルティアはぶっきらぼうに答え、それきり口を閉ざした。表情にも全く変化なし。こいつも俺の安否に興味ないのかよ。


『友達甲斐のねえ奴らばっかりだな』


 友達と思っていてくれればいいが……。


『それは俺が言うべき台詞だろうが。ったくいじめ甲斐がねーなあ』


 改めて四方を見渡す。

 そうだ。ここは数週間前まで校舎があった、あの場所に違いなかった。がしかし、安堵感と同時に心の片隅に何か不思議な懐かしさのようなものも去来し、俺は些か面喰らった。


『何ノスタルジーに耽ってんだよ。そんなに日にち経ってねーだろが。浦島太郎じゃあるまいし』

「あの男が、世界震駭者なのか?」

「あの服、前にもどこかで見たぞ」

「しかも一人じゃない、二人出てきた」

「世界震駭者が二人も?」

「宗教の繚乱りょうらん時代の再来か?」

「いや枢軸時代だろ」

「いやいや精神革命だ」


 ?

 なんの話だ。

 外国人らの言うことが判らないのは当然として、同じ国の人間が喋っていることすら俺には理解しかねた。言葉の意味はもちろん判るが、その指示するところが判然としない。


「山田。君が無事なのは喜ばしいが」アルティアが儀礼的に口を切る。「少々複雑な事情があってな。周りの人間が君のことを勘違いしているようなのだ」

「それ、今に始まったことじゃないだろ。お前だって何度も俺を逐電士に仕立て上げて」

「逐電士とかそういうレベルの話ではないのだ。なんだって君は、そんな所から出てきたのだ。そここそが〈禍座〉なのだ」

「え? ここが?」


 〈禍座〉なのか?


「君は今、〈禍座〉より蘇ったワールド・シェイカーだと思われている」


 ワールド・シェイカーに思われている? 俺が?

 思われているったって、そんなバカな。だって俺がいた場所は。


「俺がいたのは、ええと……クシ……」

『クシナイアン』

「そう、クシナイアンだぞ……多分」

『一言多いんだよ』

「クシナイアンにいただと?」


 アルティアが顔を歪める。


「クン・ヤン、クン・ヤン?」


 偃月刀を提げた巨躯の中国人が、その立派な顎髭を上下させ、呼応するように声を上げた。


「あの大男、なんて言ってんだ? クンヤン?」

「ああ。クシナイアンのこと。君の言葉を聞いていたのだろう。で、下はどんな様子だった?」

「様子って言われても……なんか、やたら通路の多い居住空間だったが」

「居住空間。つまり人がいたのだな」

「おう、こんな感じのローブを着た奴がうじゃうじゃいて」

「なるほど。〈禍座〉はクシナイアンと同義だったわけか。とすると、やはりワールド・シェイカーは復活しているのかも……」


 アルティアが思案に暮れていると、さっき出てきた通用口の辺りが不意に騒がしくなった。


「きゃあ!」

「サナギさん!」


 俺は本気で我が眼を疑った。

 サナギが腕を押さえて膝を突いている。押さえた指の間が紅くにじんでいた。そして、そのサナギから引き離すように、ルキを後ろ手に押さえつけていたのは……。


「て……寺島、先生?」


 ルキの顔が恐怖に歪んだ。


「ちょっ、先生、何してんスか!?」

「あれ、八握剣じゃないか?」

「なんと!」


 黒服が数人前に出る。

 いつの間に背負ったのか、先生の背中には鞘に収まった八握剣がその特徴的な柄を肩口に覗かせていた。


「まさしく八握剣!」

「貴様が盗んだのか!」


 俺の身の潔白がこれで一つ証明されたわけだが、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。大変なことになった。この身に今まで降りかかった大事件の中でも、事務所の落とし穴に匹敵する災難だ。

 まさか、寺島先生が。


「先生が、あの黒衣の仮面だったのか」


 アルティアが忌々しげに言った。

 タイツどころか変態でもない。ましてや男ですらなかった。今後は駐車場での目撃情報は一切耳を貸さないことにする。


『なるほどな。体育の時間にビビッと来たあのおっかな懐かしな感じも、センセーが正体だったとすりゃあ合点がいくわ』


 そういうことらしいが、今となっては後の祭りだ。


「ご名答」


 眼鏡の奥で、いつもにこやかに下がっていた先生のまなじりが、今は周囲の全てをめ殺すように吊り上がっている。


「わたしはクシナイアンの工作員。〈禍座〉の治安を守るため、〈禍座〉の上に建設されたこの高校に潜入していたの」

「治安を守る?」

「ええそうよ。〈禍座〉の崩壊は日本の霊的バランスを狂わせてしまうからね。けれど、ここ数年〈禍座〉の霊子エーテロンは下降の一途を辿っていた。このままではクシナイアンの衰滅を招きかねない。そこでわたしは十種の神宝を手に入れ、〈禍座〉に持ち帰ってクシナイアンの発展に役立てようとした。ところが、そこに思わぬ邪魔が入ったの」


 先生はいつになく饒舌だった。これが本来の姿なのかもしれない。

 知りたくもなかった本性を、先生は露わにし始めていた。


「それが、村雨だと?」

「察しがいいわね。さすが西欧随一の天才少女アルティア・ハイデルマン」不敵に微笑み、先生は続けた。「村雨に宿る、およそ暴力的と言ってもいいくらい過大な霊子エーテロンは、十種の神宝が持つ〈穏やかな〉霊子エーテロンとは、言わば対極に位置するもの。村雨を手放せなくなった暁月さんがこの町のどこかにいる限り、〈禍座〉は毒気に近い村雨の霊子エーテロンに当てられ続け、益々力を失ってしまうのよ」

「だから暁月を襲ったと」

「ええ。神宝十種のうちで最も高い攻撃力を誇る、この八握剣でね。けれども作戦は失敗に終わったわ。村雨を無効化するには至らず、あまつさえ〈禍座〉との通用口を巧妙にカムフラージュしていた建物自体が消滅してしまった」

「確かに、あのときの霊子エーテロン励起は凄まじかった」

「ただ、これだけは言っておきたいの。わたしだって本当はこんな強行手段に訴えたくはないのよ。暁月さんの手から村雨を取り払うよう、最大限の努力はしてきたつもり。だけれども、村雨はこの手に握られたきり、霊力が弱まる様子もない。もう、こうするよりほかに方法がないの」

「きゃっ!」


 ルキの背中に電流、いや霊子エーテロンが走る。そのままルキは前方に倒れ込んだ。寺島先生の手には――そうだ、あれは黒衣の仮面に奪われたはずの――霊子出力砲のマークⅡ。


「ワチキのマークⅡ!」


 本来の発音でアルティアが叫ぶ。


「暁月さん、ごめんなさい」


 マークⅡを放り捨て、八握剣を鞘より引き抜く。


「やめて!」


 サナギが負傷をものともせずに突っ込んでいったが、敢えなく弾かれ吹き飛ばされた。


「あうっ……!」

「ワチキに任せろ」


 アルティアはタブレット端末を既に取り出していて、眼にも止まらぬ速さで何やらフリック入力し始めた。


「有志の手によりアップローダー経由で入手した、悪魔召喚プログラム改〈でじでび〉。さあ動け、起動するがいい!」


 数瞬の沈黙ののち、アルティアはタブレットを足許に叩きつけた。


「ウィルスに感染した。また掴まされたか」


 そんなボケかましてる場合じゃないだろ。先生は本気だ。ルキが危ない。

 周囲を見ても、俺たちに加勢する者は現れそうにない。そりゃそうだ。手を貸そうにも、どっちに手を貸せばいいのかさえ判っていないのだ。


『待てや。お前如きが丸腰で立ち向かっても、やられるのがオチだ。どうすんだ?』


 注意を惹くぐらいならできる。俺は急いで駆け寄った。ルキの許ではなく、先生が捨てたマークⅡの落下地点へ。

 だが、それを拾おうとした俺の背後に、空を切り裂いて何かが飛んできた。


「おっと……!」


 地に伏せて辛くもやり過ごす。光る軌跡を描いて飛び去ったそれは、前に幾度となく俺を襲った霊子エーテロン付きの鉄球。

 周りにいる人の数が倍増している。ローブを羽織った連中の分だけそっくり増えた計算だ。

 これじゃあどこから飛んでくるか判らないし、どこからでも飛んでくるだろう。実際に幾つかの鉄球が頭上を通り過ぎていった。

 這って進むこともままならず、俺はマークⅡを目前にしながら一歩も動けなくなった。


「暁月さん。そこ動かないで」冷徹な先生の声が、余韻も残さず涼しい大気の中に溶け込んでいく。「下手に動くと、左手のケガだけじゃ済まなくなるわ。じっとしていれば、左手首から先を失うだけで済むから」


 ルキも動けない。地面に倒れ、ただただ震えるばかり。

 サナギも、アルティアも、俺も、誰も動けなかった。俺たちにできることは、もう何もないのか。

 音もなく八握剣が振り上げられる。なんの躊躇いもなく、先生はルキの手首を斬り落とすだろう。直後にルキの唇から洩れるはずの嗚咽が今にも聞こえてきそうで、俺は耳を押さえたくなった。

 ……かつては校舎のあった更地に吹き渡る、一陣の風。

 いや、一陣じゃない。

 風はいよいよ勢いを強め、障害物のない付近一帯を縦横無尽に吹き荒れた。そして周辺に屹立きつりつする光の柱が、更にその輝度を増していく。

 次なる異変は、遥か上空で起こった。


「上だ!」


 数名がほぼ同時に叫んだ。

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